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第220話『潜入』

 ライナが『アサミコーポレーション』に侵入した、その夜。


 時刻は午後九時十四分。


 社員は全員帰宅しており、誰もいなくなったはずの廊下を、ライナ・システィアは歩いていた。


 上手いこと潜入したライナは、女性社員に怪我の手当をしてもらった後、誰もいなくなるまで、天井裏に隠れていたのだ。先程廊下に降りて、本格的に捜査を開始したのである。


 レイパーが出現したということで、少し騒ぎになったものの、昼頃には落ち着いた。こういったトラブルは珍しくないのだろう。


 閑話休題。


 人工レイパーに関する報告書を書いた『Y・K』のイニシャルを持つ人物は、『アサミコーポレーション』に十人。


 それが誰なのか特定するため、ライナは辺りに注意しながら、まずは役員室へと向かう。専務取締役の、『葛城(くずしろ)裕司(ゆうじ)』が使う部屋だ。


 最初にここに来た理由に、大きなものは無い。


 実はライナは、日中、身を潜めつつも、天井裏を動き回り、優一が『臭い』と感じた容疑者について、出来る限り調べていた。葛城もその一人だ。


 その中で、この葛城専務は、仕事中、ずっと役員室に籠り、ULフォンを使って黙々と仕事をしていた。部屋に誰かが訪ねてくることが数回あったが、会話は微々たるもの。休み時間中でさえ、部屋から出なかった。


 つまり、怪しいのか怪しくないのか以前に、何も分からなかったのである。


 唯一分かったのは、この葛城専務は、どうも上の人間に媚びへつらうような態度が目に付くということで、周囲からあまり良く思われていないということくらいか。


 確かに、聞こえた微々たる会話の端々からは、そのような雰囲気があったようにライナも感じた。


 とは言え余りにも情報が無さすぎるので、最初に彼から調べようと思ったわけである。


 役員室に入ったライナ。


 黒光りする大きなデスクと、ミーティングに使われる小さなテーブル。その他、アーツの開発に使うための工具や部品やらがしまわれている棚等もある。


 一通り部屋を見渡したライナは、デスクへと近づき……途中で足を止め、入口を振り返る。


 この部屋は防音性に優れており、内部からの音は勿論、外からの音も聞こえないような作りになっている。


 だが、間違いない。誰かがこの部屋に近づいているのを、ライナは確かに察知していた。ヒドゥン・バスターに必須の、危機感知スキルである。


 慌ててライナがデスクの後ろに身を潜めるのと、部屋の扉が開くのは同時。


(侵入がバレた?)


 足音の響きから、部屋に入って来た人物は、デスクに近づいてきているのは明らかで、ライナの表情が強張る。


 場合によっては、少し手荒なことをする必要もあると覚悟したライナ。


 そして、その何者かがデスクの後ろに回り込んだ、その刹那。




「えっ? ヨツバさんっ?」

「っ!」




 部屋にやって来たのは、ハーフアップアレンジのなされた黒髪の少女、浅見四葉だった。


 思いもかけない人物の登場に思わずライナが声を上げたが、当の四葉本人は慌ててその場を飛び退く。


「誰っ?」

「わ、私です! ライナ・システィア! ほら、先日のレイパー事件の時の!」


 言いながら、ライナは変装を解く。


 同時に、この四葉の反応から、どうも彼女は自分に気が付いていた訳では無いと知った。


 四葉はファイティングポーズを取りながらも、ライナの顔を見て……小さく「あぁ、あの時の……」と呟く。


「かくれんぼがお上手なようで、何よりだわ。でも、何故あなたがここに?」

「実は――」


 正体がバレている以上、黙秘は得策ではない。


 そう判断したライナが事情を説明すること、三分後。


「そう。あなたもなの」

「『あなたも』?」

「ええ。この間の人工レイパーの件、私も気になって。この会社の人間が怪しそうだったから、私も調べていたってわけ。特に、この男をね」

「そんなに、怪しそうだったんですか?」


 確かに周囲の評判は良いわけでは無く、何かしら人間性に問題のありそうな雰囲気もある。


 だがそれを踏まえても、今日は普通に仕事をしていたようにライナは見えていた。


 四葉なら、葛城について詳しい話を聞けると思い、そう聞いたのだが、四葉は、ライナの質問に鼻を鳴らす。


「別に。ただ何となく、この男が犯人だったらいいなって思っただけ」

「は、『犯人だったらいいな』って……。ヨツバさん、それはちょっと……」

「……だって嫌いなのよ。こいつが」


 呆れた目をするライナから、バツが悪そうに四葉は目を逸らす。


「社長や私には媚びへつらったような態度で、やたら恭しいというか……。その癖、どこか私達を見下している節がある気がするのよね。まぁとにかく、態度の一つ一つが勘に障るのよ」

「ヨツバさん、それ理由になってないです。……まぁとにかく、結局収穫はあったんですか?」

「……無かったわ。この部屋も、もう二回くらい調べたけど、何も見つからなかったし」


 それを聞いて、溜息を吐くライナ。


 四葉がそこまでしっかり調べつくしているのなら、この葛城という人物は限りなくシロであろう。


 一応、自分の目でもちゃんと確認しておこうと、ライナは四葉と一緒になって部屋を調べ始める。


 すると、


「そう言えば、あなたはどうやってここに忍び込んだの? セキュリティがあったでしょう?」

「今朝の事件、知っていますよね? ちょっと一芝居打って、中に入れてもらったんですよ」

「一芝居打った? もしかして、レイパーなんて最初からいなかったの?」

「はい。すみません。お騒がせしちゃって」

「道理で探しても見つからないと思ったら……。あなた、後で覚えておきなさいよ。あのトラブルのせいで、余計な仕事が一つ増えたんだから。――あら?」


 と、そこで、デスクを調べていた四葉が、小型の端末を見つけた。


 葛城が仕事で使う用の、ULフォンだ。


 普段は家に持ち帰っているはずのそれを、今日は偶然忘れていったらしい。


 仕事用のULフォンというのは、基本的にスーツや鞄の中に忍ばせておくものだ。たまに何かの理由で取り出すと、そのまま置き忘れてしまうことはよくある。


「私も偶にやらかすけど、よりによってあなたが調べている時に忘れるなんて、とんだ間抜けね。早速中を見てみましょう」

「第三者が開けるんですか? 生体認証とかあるんじゃ?」

「うちで支給しているものだから、社員証があれば誰でも開けるはず……えっ?」


 四葉の口から、困惑の声が漏れる。


 人差し指をスライドさせても、ウィンドウが出ないのだ。


「何で開けないのよ。おかしいわね」

「ちょ、ヨツバさん! 待って待って! こういう時のために、便利なものを支給されているんです!」


 四葉の行動に慌てながら、ライナは懐から小さな端末を取り出す。


 これはライナが警察から渡されたULフォンだ。専用のアプリが入っており、他人のULフォンの中身も確認が出来るようになっている。


 難点は、ULフォン同士を有線で接続しなければならないことだが、今なら関係ない。


 そして、五分後。


「よし、上手くいった」


 ライナはホッと胸を撫で下ろす。葛城のULフォンのデータを、何とかコピー出来たのだ。データはもう優香にも転送してある。


 早速中身を確認すること、さらに五分後。


「えっ?」

「あの男……!」


 ライナの口からは驚きの、四葉の口からは怒りの声が上がる。


 巧妙に隠されていたが、人工レイパーに関する報告書が数点、中に保存されていたのだ。決定的な証拠である。


 ライナが驚いた理由は、二つ。


 一つは、シロだと思っていた葛城が、クロだったこと。


 もう一つは、こんな決定的な証拠を、仕事用のULフォンに保存していたということ。どうして消去しなかったのだろうかと、ライナは疑問を覚えていた。


「確定ね。安原に人工レイパーになる薬を渡したのも、間違いなくこの葛城よ。今すぐに問い詰めて――」


 四葉がそこまで言った、その時だ。




「その必要はありませんねぇ」




 突然、部屋の入口の方からそんな声が聞こえて、二人は体をビクリと震わせる。


 そこにいたのは、生き物で例えるなら蛇のような顔をした中年の男。


 葛城裕司だった。

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