第219話『芝居』
次の日。八月二十一日火曜日。午前七時二十三分。
新潟県村上市新屋にある、大きな会社の前に、ライナ・システィアはいた。
スーツ姿にビジネスバッグを持った姿は、どこからどう見ても、日本人OLにしか見えない外見。昨日よりもさらにクオリティを上げた変装は、雅でさえ見抜けない程になっていた。
辺りにはもう、早くに出社している社員達がいるが、誰もライナを気にも留めないことからも、その自然さが伺える。
ライナの視線の先には、会社の入り口の上あたりに輝く、『アサミコーポレーション』の文字。
ライナは黒縁の眼鏡を、人差し指でくいっと上げる。
社員の人達は、ぞくぞくと入口に入っているのだが、同じことをライナがすれば、たちまち警報が鳴り、警備員が飛んでくるだろう。
この会社に入るためには、生体認証が必要だ。
もっと言うならば、ULフォンにダウンロードされた社員証と、生体認証の二つが揃って、初めて会社に入ることが出来る。
客として入る場合、ULフォンで相手から、仮社員証を貰わなければならない。
勿論ライナは社員証なんて持っていない。生体認証は言わずもがなだ。
では、どうするか。
「…………」
ライナの目が、入口から離れたところを歩いている女性に向けられる。
丁度一人で歩いており、周りに人目も無い。近くには、人が隠れられそうな茂みもある。
これなら、考えていた作戦の一つが使えそうだと、ライナは思った。
早速、女性に気が付かれないように茂みに身を隠すと、ライナは自身のスキル、『影絵』を発動する。
これは、ライナの分身を創り出すスキルだ。これにより、離れたところにある陰から浮かび上がってくるように、分身ライナが現れる。
顔まですっぽりと黒いフードに覆われており、傍からはライナだとは分からない。かつて、ウェストナリア学院やシェスタリアで雅に襲い掛かった時と、ほぼ同じ格好である。
違うのは、左腕から、鷹のような爪が生えていることだ。実は精巧に作られたおもちゃで、袖の中から分身ライナが持っているだけなのだが。
分身ライナは、ユラユラとした動きで、しかし素早く女性の背後から近づいていく。
「……えっ? きゃぁっ!」
その気配に気が付いた女性の悲鳴が木霊した。無理も無い。今の分身ライナは、パッと見れば人型のレイパーに見えるのだから。
爪だっておもちゃとは言え、先端は鋭い。当たれば怪我をするくらいの威力はある。
「危ないっ!」
だがそこで、本体のライナが茂みから飛び出し、ビジネスバッグを放り投げつつ、分身ライナと女性の間に割り込んだ。
そして、隠し持っていたショートソードで、分身ライナの爪の一撃を受け止める。
こちらのショートソードも、おもちゃだ。外観はアーツにそっくりだが、殺傷能力は欠片も無い。
本物のライナと、分身ライナの力が膠着するが、それも一瞬。
本物のライナが分身ライナを突き飛ばす。
分身のライナは、そのまま逃げていった。
ライナは分身の背中を目で追っていたが、その姿が消えると、腰を抜かしている女性へと駆け寄った。
「大丈夫ですかっ?」
「え、ええ、ありがとうございます……って、あなた、怪我しているじゃないですか!」
女性が、ライナの腕に付いた傷を見て叫ぶ。
傷は浅いが、ドクドクと血が流れており、見るからに痛そうだ。
最もこの傷は、先程の爪の一撃を受け止めた際に、わざと付けさせたものなのだが。
「あぁ、本当だ。うわ、結構痛くなってきた……」
「早く手当しないと! 早く中に入りましょう!」
社内には治療室がある。このご時世、レイパーに襲われた際に応急処置等が出来るように、大きな会社ならどこも、こういう部屋が設けられていた。
しかし、ライナは目を伏せ、首を横に振る。
「でも、私はここの社員じゃないんです。たまたま近くを通りかかっただけの部外者で……」
「そんなこと、気にしなくていいわよ! 裏口を開けるから、そこから入ればいい! ちょっと待っていて!」
そう言うと、女性は社内に向かう。
その後、助けた彼女に通され、ライナはまんまと中に入ることが出来たのだった。
因みに、その十分後。
社長室にて。
「レイパーが侵入した?」
「ええ。最も、すぐに逃げたみたいですが。私が駆け付けた際には、影も形もありませんでした」
話をしているのは、二人の女性だ。片方は五十代くらいで、もう片方はまだ十代半ばといったところ。歳は離れているが、顔立ちはよく似ている。
社長の浅見杏と、その娘の浅見四葉だ。
彼女達の言葉遣いは、親子にも関わらず、少し他人行儀らしさが滲み出ていた。
何故なら今の二人は、親子以前に、『アサミコーポレーション』の社長と社員という関係だからである。
杏は四葉の報告を聞くと、少し考え込んでから、口を開く。
「念の為、あなたは逃げたレイパーを探しなさい。半径十キロ圏内にいなければ、一旦放っておきましょう」
「承知致しました」
一般人が追い払えるレベルのレイパーなら大した相手ではないが、何となく気になる。
杏の第六感は、そう告げていた。
四葉も同じ気持ちだったようで、杏の指示に素直に頷くと、部屋を出るのであった。
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