季節イベント『卒業』
これは、ライナ・システィアがまだ学生だった頃の話。当時、彼女は十四歳である。
時は三月。
セントラベルグの西にある学校では、卒業式が開かれていた。
異世界の学校の卒業式も、やることは雅達の世界とあまり変わらない。おおまかな流れは、卒業証書が授与され、送辞と答辞が読まれ、校歌を斉唱して終わる。これが一般的だ。
参加者は、卒業生に在校生、保護者。
だがそこに、卒業生であるはずのライナの姿は無かった。
風邪で休んでいるわけではない。現に、卒業生が始まる前は、ライナは確かに学校にいた。ライナの友達は、突如消えた彼女を心配し、式の途中で何度も会場の入り口に視線を向けている。先生方も、ライナを探して校内を走り回っていた。
ライナは誰にも、何も言わずにいなくなっていたのである。
その理由は、シンプルだ。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしながらも、ライナは物陰に身を潜める。
彼女は今、学校の敷地の外にいた。学校の裏手には深い茂みがあり、そこに隠れていたのだ。
手には紫色の鎌、『ヴァイオラス・デスサイズ』が握られている。
そして、ライナがこっそり茂みから顔を出し、視線を向けた先にいるのは……レイパーだ。
一言で言うならば、見た目はゴリラ。分類は『ゴリラ種』レイパーだ。毛衣は黒く、腕は丸太のように太い。がっしりとした体形で、見るからに屈強そうな敵である。
卒業式の直前、このレイパーが学校に近づいてくるのを偶然目撃したライナは、こっそり倒しに来ていた。
何故なら、この時既に、ライナは『ヒドゥン・バスター』だったのだから。
勿論、バスターとしての本格的な訓練はこれからだが、それでもレイパーを見つけたら、自分で倒しにいかない訳にはいかない。それが例え、自分の門出を祝う式の時でもだ。
実力的にはまだ未熟であり、この時はスキルも無かったライナ。上司の父親に連絡して救援を依頼したものの、助けが来るまでは、一人でこのレイパーを食い止めねばならなかった。
息を潜め、ゴリラ種レイパーが背中を見せた隙に、勢いよく飛び掛かる。
だが、
「っ!」
ゴリラ種レイパーの腕が、ライナの腹部に命中した。
レイパーは、実は隠れたライナの存在には気が付いていたのだ。敢えて隙を見せることで、彼女の接近を誘ったのである。
まんまと敵の策略に嵌ったライナは、今の一撃で吹っ飛ばされてしまう。
それでも立ち上がり、果敢にレイパーへと攻撃を仕掛けるライナ。
存在がバレているなら、真正面から戦うしかない。
しかし、貧弱な少女とレイパーでは、余りにも力の差があり過ぎた。
ライナの鎌の斬撃は腕で防がれ、返しのラリアットによるダメージは防ぎきれない。
気が付けば、ライナは何度も何度も吹っ飛ばされていた。
それでもライナは、震える腕に力を込め、鎌を握りしめる。
視界が霞むのもお構いなしに、アーツを構え、レイパーにまだ戦う意思を見せた。
ヒドゥン・バスターはその仕事上、単独でレイパーを撃破しなければならないこともある。
故に、たった独りでも敵に立ち向かえる、強い意志が求められる。どんなピンチでも心が負けない、強い人間でなければならないのだ。
実力的に未熟でも、ライナはヒドゥン・バスター。
今は、彼女の強さが試される時だった。
「まだ……負けない……!」
皆の卒業式を滅茶苦茶になんてさせない、という強い想いだけを支えに、彼女は戦っていた。もう体は限界で、いつ倒れてもおかしくは無いだろう。
それでも、ライナは理解していた。自分が倒れれば、このレイパーは次に、学校にいる女性を狙うということを。
だから、ここで殺されるわけにはいかない。
ライナの眼は、まだ死んでいない。
彼女から出る気迫に、僅かにレイパーはたじろいだ。
ヴァイオラス・デスサイズが、淡い光を帯びて、ライナにその光を移していく。
その瞬間、ライナから伸びる影から、何かが出てきた――。
それからのことを、ライナはよく覚えていない。
ただ一つ、あの瞬間にライナはアーツからスキルを頂いたのだけは、確かに分かった。
実際のところ、あの時ライナは、スキル『影絵』により創り出した大量の分身達と共に、人海戦術でレイパーを追い払ったのである。
逃げたレイパーは、救援に来たバスター達が何とか撃破したとのことだ。
その後、気を失い、目を覚ませばライナは病院のベッドの上にいた。
父親が、気絶したライナを担ぎ、ここまで運んできたらしい。
表向きには、ライナはレイパーに襲われたものの、駆け付けたバスターによって救助されたことになっている。ライナがヒドゥン・バスターであることは、ごく一部の人間を除いて、知られてはいけない。
退院後、ライナはセントラベルグのバスター署本部に呼ばれた。
きっと事情聴取でもするのだろうと思ったライナ。学校の制服で来るようにという指示があり、そう思ったのだ。
立場上、バスター署に行く時は一般人を装う必要があり、今回のように服装を指定されることもある。
だが署に入ると、係の人に、父親のいる部屋まで案内してもらったところで、ライナの頭に疑問が浮かんだ。
てっきり個室に呼ばれ、色々と話をするものだと思っていたのだ。まさか上層部の部屋に連れてこられるとは予想もしていなかった。
そして、部屋の扉を開けると――。
***
「ぅ……ぅん?」
チュンチュン、という雀の鳴き声で、ライナは目を覚ます。
朧げな頭のまま辺りを見回すと、そこは雅の家の、客間だった。日本に来たライナは、この部屋に泊まっている。
今までのは、ライナが見ていた夢だった。昔の記憶だ。
「あ、おはようございます、ライナさん」
「あぁ、おはようミヤビさん」
ライナの隣で寝ていた雅が、起き上がる。
昨日は、彼女と一緒に寝ていたのだ。ライナ達が来てからというもの、雅は毎日誰かと一緒に寝ていた。今回はライナの番だったという話である。
何気無く挨拶したライナだが、雅は目を丸くしていた。
どうしたのだろうと思っていると、
「ライナさん、怖い夢でも見ましたか?」
「え?」
「いや、泣いているから」
言われて、手の甲で目元を拭えば、雅の言う通り、ライナは自分が泣いていることを知る。
「……怖くはないけど、ちょっと昔の頃の夢を見たからかも」
「昔の夢?」
「ええ。私、学校の卒業式に出られなくて、でも――」
あの時、バスター署にある父の部屋に訪れた時のことは、ライナは今でも覚えている。
部屋に入ると、入口から赤い絨毯が、奥のデスクまで続いていた。
部屋の右側には椅子があり、父、ジョゼス・システィアからそこに座るように言われたライナ。
何が何やら分からぬまま、父の言う通りにそこに座り、一拍。
父親の口から出た、「ただいまより、ライナ・システィアの卒業式を行う」という言葉に、ライナは大いに驚いた。
「お父さん、どうしても私に卒業式を経験してほしかったみたい。それで、学校に無理を言って、私の卒業証書を貰ってきて……」
卒業式を休んだ場合、後日、校長先生から直接、卒業証書を手渡しされる。
ただ、普通に手渡しされるだけで、感慨も何もないものだ。保護者が側で見ることも出来ない。
ジョゼスは、それが我慢出来なかった。頑張った娘のために、少しでも思い出に残るものにしたかったのだ。
父から卒業証書を渡された時、ライナはジョゼスからこんなことを言われた。
『まずはセントラベルグのバスター署の人間として、言わせて欲しい。ライナ、よく頑張った。君のお蔭で、卒業式は無事に執り行われた。式が終わるまで誰も、あのレイパーの存在には気が付かなかった。これは大きな功績だ。
次に、ライナの父親として言わせて欲しい。すまない、ライナ。君の折角の門出の式が、こんなもので。あれがライナの使命だと分かっていても、私は、やはり悔しかった。こんなことしかしてやれない父親を、どうか許してほしい。
そしてライナ。最後に言わせて欲しい。……学校卒業、おめでとう』
「あの時のお父さん、珍しく泣いていました。まさか泣かれるなんて思ってなくて、私、凄くあたふたしちゃって……。でも、何だか凄く嬉しかった」
ライナがヒドゥン・バスターの採用試験に合格したと聞いた時も、泣くことは無かったジョゼス。
ライナが、父が泣くのを見たのは、あの時以外では、母親が亡くなった時以来だった。
「でも、お父さんの顔を見たの、久しぶりです」
頭で父の顔を思い出すのと、夢で出てくるのでは、全然違う。
どうしてあんな夢を見たのか。
きっと、ライナは寂しかったのだ。
突然、レイパーに最愛の父を奪われ、もう二度と会えなくなった。
魔王種レイパーとの戦いの忙しさで忘れていたが、それが落ち着いたら、無意識の内に、父親を求めていたのだ。
すると、
「えい!」
「ミ、ミヤビさんっ?」
突然抱きしめてきた雅に、体を震わせるライナ。
すると、ライナの耳元で、雅はゆっくりと口を開く。
「お父さんの代わりにはなりませんけど……こうしたら、ちょっとは寂しさが紛れるかなって」
言語化されなくても、雅はライナの気持ちが何となく分かった。雅も、家族を失っているから。
「ミヤビさん……。ええ、ありがとうございます」
そう言うと、ライナはギュッと、雅を抱きしめ返すのだった。
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