第214話『翻弄』
「な、何っ?」
部屋に充満する黒煙。
視界が完全に真っ黒に染まり、優の驚きと怯えの入り混じった声が響く。
だが、
「皆さん! 伏せて!」
ノルンの声が轟いたと同時に、部屋全体に突風が巻き起こり、煙を全て吹き飛ばす。彼女の操る、風魔法だ。
ノルンの手に握られているのは、先端に赤い宝石のついた、節くれだった黒い杖。ノルンのアーツ、『無限の明日』である。
その刹那、
「ユウさんっ!」
「――っ?」
ノルンの警告で、優は人型のレイパーが、自分のすぐ側まで迫っていることに気が付く。気配を消していたため、ここまで近づかれるまで気が付かなかった。
手首と足首だけを膨らませた細身のボディ。大きく曲がった二本の角を生やした姿は、まるでピエロだ。顔には、火男のお面を被っている。
優を狙う、ピエロ種レイパーだ。
レイパーはシャムシールを振り上げ、今まさに優に斬りかかろうとしているところだった。
しかし、優とレイパーの間にノルンが割り込み、レイパーの斬撃をアーツで受ける。
念の為、防御用アーツ『命の護り手』を発動させ、自分の体を光で包み、防御力を上げることも忘れない。
奇襲に対し、完璧な対応だ。ここまでの流れは、全てノルンの『未来視』というスキルが教えてくれていたからが故だった。
「ノルン! よくやったわ!」
その言葉の直後に、レイパーの腹部に火球が直撃し、敵を外まで吹っ飛ばす。
ミカエルが、無限の明日によく似た形状をした白い杖を振り、炎魔法を放ったのだ。
「シャロンさん! ユウちゃんを連れて避難を!」
「すまん! ここは任せた!」
「皆……ごめん!」
シャロンが優の手を引き、別の窓から飛び出るのを確認し、ミカエルもそちらから外に出る。
吹っ飛ばされたレイパーはもう起き上がっており、優を追いかけようとしていたところであった。
「あなたの相手は、私達よ!」
ミカエルが杖を振るい、十発もの火球を、一斉に放つ。
さらに続けて、二十発もの火球を創り出し、時間差で飛ばしていく。
襲い掛かる大量の火球に、レイパーは一瞬硬直したが、すぐに動き出し、火球の間をスルスルぬけるようにして回避していく。
そしてレイパーは二つの黄色いジャグリングボールを取り出すと、一個はミカエルの方に、もう一つは左方向へと投げた。
ミカエルが、自分の方に飛んできたボールを防ごうとした、その刹那。
「っ!」
ミカエルの心臓が、一瞬止まる。
別方向に投げたボールの先には、ノルンの姿があった。
ノルンはミカエルがレイパーの気を引いている内に魔力を溜め、強力な魔法を放とうとしていたのだが、レイパーはちゃんと、ノルンの存在にも気が付いていたのだ。
ノルンの顔も、驚きに染まっていた。奇襲を仕掛けるつもりだった為、『未来視』のスキルも使っていなかったのである。
ノルンは、今から防御しようとしても、間に合わない。
ミカエルは防御魔法を使おうとしていたが、ノルンとの距離が離れている今、それで防げるのは一人だけ。
自分とノルン、どちらに迫るボールを防ぐべきか……考えるまでも無かった。
ミカエルは杖の先をノルンへと動かし、彼女とボールの間に炎の壁を発生させる。
ノルンの方へと飛んでいったボールは、炎の壁に触れると焼き尽くされ、ミカエルへと飛んでいったボールは、彼女に直撃。
その瞬間。
「きゃぁぁぁあっ!」
「師匠っ?」
全身に激しい電流が流れ、ミカエルは体を激しく震わせて失神する。
倒れた後も体をビクビクと震わせるミカエルに、ノルンは一瞬頭が真っ白になるが、すぐにレイパーを睨みつけると、最大まで溜めた魔力を解き放つ。
緑色の風が旋回し、巨大なリングを創り上げ、レイパーへと飛んでいく。切断性に富んだ、ノルン最大の一撃だ。
(捕えた!)
円弧を描くように飛んでいったその魔法が、レイパーの体に触れた瞬間、ノルンは勝利を確信する。
しかし――
「えっ?」
レイパーの体は、腹から上が容易に千切れたが、余りにも手応えが無い。
そして、そこから綿が飛び出したのを見て、ノルンは、今自分が攻撃を当てたのは、ピエロ種レイパー本体ではないと知った。
ノルンの魔法が斬ったのは、ただのぬいぐるみ。
では本体はどこに……とノルンがスキルを使い、慌てて上を見る。
空中に、ピエロ種レイパーがいた。
実はミカエルの放った炎の壁で、ノルンの視界は一瞬塞がれていたのだ。その隙に、レイパーはノルンの魔法を透かす為、ぬいぐるみをその場に残し、跳躍していたのである。
ノルンの遥か上に跳んでいたレイパーは、彼女の頭上に赤いジャグリングボールを落とす。
ノルンが風の球体でボールを破壊したと同時に、大爆発が巻き起こった。
激しい爆風に、ノルンが思わず目を瞑る。
そして――
「……しまった!」
再び目を開けた時にはもう、レイパーの姿はどこにも無かった。
まんまと、優を追っかけさせてしまったのだ。
少し遅れて、多数の足音が聞こえてくる。病院にいた大和撫子が、駆け付けてきたのだ。
「……っ! 師匠!」
そこでハッとして、ノルンは顔を青褪めさせて、倒れたミカエルの方へと向かい……すぐにホッと息を吐く。彼女は痺れただけで、まだ息があった。
***
一方、巨大な竜へと姿を変えたシャロンは、優を背中に乗せ、北へと逃げていた。現在は、中央区栄町の上空である。
シャロンが向かう先は、海。そこまで逃げれば、ピエロ種レイパーも追っては来られないと考えてのことだった。
だが……。
「っ! ちぃ! 奴め、もう追ってきおった!」
「嘘っ?」
シャロンの言葉に、地上を覗き込んだ優は、顔を歪める。
そこには確かに、火男のお面を被った、ピエロ種レイパーの姿があった。
驚くべきは、地上を走るレイパーの速度だ。空を飛ぶシャロンに、負けずとも劣らぬスピードである。
シャロンは、低く唸り声を上げた。本当なら雷のブレスで攻撃したいところだが、それでは街まで破壊してしまう。
すると、
「っ? ねぇシャロンさん! 何か来るよ!」
「何ぃっ? ……あれは、鳥っ?」
レイパーが手を広げると、そこから雀程のサイズの鳥が、五十匹程飛んで来る。
これらは全て、ピエロ種レイパーの創ったぬいぐるみだ。
そしてぬいぐるみの雀の口には、ジャグリングボールが銜えられている。
普通に投げても当たらないと思ったレイパーが、こういう方法でシャロンに攻撃をしにきたのだ。
ぬいぐるみの飛行速度は、シャロンをも超える。
あっという間に、後ろに着かれてしまった。
「サガミハラ! しっかり掴まっておれ!」
「う、うん!」
シャロンは後ろを振り向くと同時に顎門を開き、エネルギーを集中させると、飛んでくるぬいぐるみの三分の一を、ブレスで攻撃する。
しかし、
「っ!」
「きゃっ!」
ぬいぐるみが消し炭になった瞬間、ジャグリングボールが破裂し、爆炎が巻き起こり、その衝撃で二人は吹っ飛ばされてしまった。
「ぬ、ぬぅ……!」
何とか墜落するのは免れたが、これでは迂闊にぬいぐるみを倒すことも出来ない。
ぬいぐるみはシャロンを囲むと、ジャグリングボールを当てようと突撃してくる。
シャロンはあちらこちらへと動き、ぬいぐるみの攻撃を躱していくが、こんな回避は長く続かないのは明白だ。
最早、海まで逃げ切ることは不可能と判断したシャロンは、一気に下降する。
向かった先は、浜辺近くの林。飛砂防備保健保安林だ。そこなら、身を隠すのも容易である。
「サガミハラ! 儂が合図したら、飛び降り、一人で逃げよ!」
「ちょっとっ? シャロンさんはっ?」
「お主が逃げる時間を稼ぐ! ――今じゃ!」
「……っ、ごめん!」
一瞬躊躇した優。シャロン一人では無茶だと、率直にそう思った。だが分かってはいても、今の自分では何も出来ない。寧ろ足手纏いだ。
悔しさを押し殺し、仕方なく、優はシャロンの言う通りにする。
シャロンは再び飛翔すると、自分を追いかけてきたぬいぐるみに向かって、腕を振るう。
ぬいぐるみを破壊する度に、黒煙で視界をやられ、電流に体が強張り、爆風の衝撃でダメージを受ける。
それでも、シャロンは必死に戦い、何とかぬいぐるみの雀達を全滅させた。
しかし……。
「っ?」
その攻防の間に追い付いたピエロ種レイパーはさらに雀を創り出すと、それに捕まり飛んできて、あっという間にシャロンの頭上にやって来た。
そしてシャロンの腹部に向かって、火男のお面の口から火炎を吐き出し、彼女を砂浜の方へと一気に墜落させる。
「がぁぁぁあっ!」
ジャグリングボールによりダメージが蓄積された体に、この一撃は相当効いた。
倒れたシャロンは気絶し、人間態になってしまう。
レイパーは笑い声を上げると、逃げた優を追いかけ、林へと向かうのだった。
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