第22話『師事』
午後三時頃。医療学科棟一階の、東にある病室にて。
決して広くないまでも、日当たりの良い部屋に、ミカエルとノルンはいた。
ノルンはベッドに横になっており、まだ目を覚まさない。
ベッドの横には小さな椅子が置いてあり、ミカエルはそれに座って、ノルンの手を握っていた。
ミカエルのノルンを見つめるその顔は、今にも泣きだしてしまいそうなものだった。
涙の跡も薄らと残っており、もう既に一度泣いてしまっている。
泣いたところで何が変わるわけでもないと分かっているから堪えていたが、溢れるものは溢れてしまい、そんな自分をミカエルは恥じた。
ノルンが傷ついたのは自分のせいで、そんな自分に泣く権利等あるはずも無い。そう思っていた。
そんな時、病室の戸がノックされる。
「はい……」
力無く返事をすると、戸が開き、入ってきた人物を見て、ミカエルは体を強張らせる。
入ってきたのは、ファムだった。
「……人の顔を見るやいなや、失礼な先生だな」
「ご、ごめんなさい……」
思わず謝るミカエル。
するとファムは、頬を掻きながらバツの悪そうな顔でそっぽを向く。
「……駄目だ駄目だ、何で私、喧嘩腰なんだ……」
「えっ?」
独り言のように呟いたファムの言葉がよく聞き取れず、聞き返すミカエルだが、ファムはすぐに「何でもない」とつっけんどんに言い放ってしまう。
「隣、いい?」
「え、ええ……こっちに座る?」
ミカエルが座っている椅子の隣に、もう一個椅子があり、ファムはそれを指差して聞く。
だがミカエルは慌てて立ち上がると、よりノルンに近い方をファムに勧めた。
ファムは憮然とした顔で、ノルンに近い方の席に座る。
「ミヤビさん、ファムさんを探しに行ったんですけど……」
「会った。ここまで一緒に来たんだけど……今は外で待ってるけど。ところで――」
ファムがそこまで言ったところでミカエルは気が付いた。彼女の手に小さな黄色い果実が二つ握られていることに。
これは『トフレシュ』と言って、先端に突起のある、球形をした果物だ。実の中には大量の果汁が入っている。果肉が硬過ぎるので、先端の突起を千切り、中の果汁だけを飲むのが一般的だ。
ファムはそれを一個ミカエルに押しつけ、自分は突起を千切って中の果汁を吸いはじめた。
突然のことに驚いていたミカエルだが、ジロリとファムに睨まれると、慌てて同じようにトフレシュの突起を千切る。
ファムは勢い良く液体を胃に流し込むと、チビチビと飲むミカエルを一瞥してから、意を決したように口を開いた。
「その……さっきは手を出しちゃってごめんなさい」
面と面を向けて言うのは恥ずかしかったのか、目を明後日の方向に向けて、搾り出すような声でそう言う。
だがミカエルは、首を横に振る。
「ううん。当然の事、したと思っているから」
「……ねぇ、何であの時、あんな事したの?」
ファムが聞いたのは、ノルンがミカエルを庇って負傷した時の事だ。ハーピー種レイパーとの戦いの時、どうしてミカエルがレイパーに攻撃を仕掛けたのか、それを質問していた。
ミカエルはそれを理解した上で、だからこそ悩む。正直に言ってしまってもよいものか、と。
しかし、そんな考えは一瞬で消し飛ばした。
正直に打ち明けるのが誠意というものだと、そう思ったのだ。
話すのに勇気が必要で、少しだけ返答が遅くなってしまったものの、ミカエルはゆっくりと喋り出した。
「……怖かったの」
「……何が?」
「ノルンの才能が」
日々、ミカエルから様々な事を学んでいるノルン。ミカエルも初めて出来た弟子で、本人にやる気もあるため、張り切って色々と熱心に教えていた。一を教えれば十を知るノルンは、とても教え甲斐があったのだ。
やる気も才能もあり、さらに年齢的に知識や技術を吸収しやすいこともあってか、メキメキと成長していくノルン。
知識量はまだミカエルの方が豊富だが、それもいつまでの話になるかは分からない。
戦闘技術に関して言えば、今やノルンとミカエルは互角……いや、若干ではあるがノルンの方が上なくらいだ。
ノルンの成長を嬉しく思う反面、ミカエルは焦っていた。
このままノルンが立派になっていったとして、その時、それでも自分をまだ師匠として認めてくれるのだろうかと。
生来の性格からか、ミカエルはどこか抜けているところが多々ある。多少であれば笑って済まされるが、それも多ければ呆れられるのは当然だ。
だから見くびられ、優れた研究者であるにも拘らず、陰で馬鹿にされていた。他の研究者だけでなく、学院の生徒達からもだ。
原因は自分にあると分かっているものの、それと傷つかないかどうかというのはまた別の話である。
「だから、少しでも良い所を見せなきゃって……そうしなきゃノルンが私から離れてしまうって、そう思って……」
あの時、リザード種レイパーを追い詰めることが出来たのはノルンがいたからで、自分がチャンスをものに出来ていれば止めを刺せたはずだったとミカエルは思っていた。
師匠として不甲斐ない姿を見せてしまい、そこに現れたハーピー種レイパー。
挽回しなければという考えが頭を埋め尽くし、つい攻撃を仕掛けてしまった……という訳だ。
「私が愚かだったの……本当に、ごめんなさい……」
そう言い終わると、二人の間に沈黙が流れる。
それを破ったのは、ファムだ。
「……馬鹿だよ、先生」
その言葉に、ミカエルは黙って頷くが、ファムは首を横に振る。
「ノルンの奴、いつも先生の事を『凄い人だ』って言っていた。何でノルンが先生を尊敬していたか、分かる?」
「えっ? それは……ノルンは、私の書いた論文や魔法を使うところを見て、その知識や技術を学ばせて欲しいって言っていたんだけれど、きっとそういうところなんじゃないかしら」
「違う。いやそれも無いわけじゃないけど……ノルンが尊敬していたのは、先生が皆の笑顔の為に頑張れる人だからだ」
ミカエルは驚きに、目を見開く。
切っ掛けは確かにミカエルの言う通り、彼女の書いた論文や、彼女が魔法を使うところを見て、その知識や技術に感銘を受けたからだった。
しかしミカエルに師事してから、ノルンは知る。
夜遅くまで研究に没頭するのは当たり前。徹夜だって珍しくない。しかしそれは誰かに強制されているのではなく、レイパーがいなくなれば皆が笑顔になれる世の中が来ると信じて、自らの意思でそうしているのだ、と。
そのミカエルの姿が、ノルンにはとても眩しく見えた。
知識や技術よりももっと、この人の『心のあり方』を学びたいと、ノルンはその時に強く思ったのだと、ファムは聞かされていた。
「先生がいくらドジしたって、いくら失敗したって、先生がその心を違えない限り、ノルンは先生に幻滅したりなんかしない。先生より付き合いの長い私が言うんだから、間違いないよ」
力強く、そう言ったファム。
ミカエルの目から再び涙がこぼれる。
同じ涙でも、流す意味合いは全く異なる涙。
堪えること等、出来るわけもなかった。
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