季節イベント『猪口』
これは、橘真衣華が中学一年生だった時のこと。
2219年、ある日曜日の夜八時十六分。
橘家、真衣華の部屋にて。
真衣華は机で何やら作業中だ。普段はアーツ整備のための工具が散乱している彼女の机も、この日は綺麗に片づけられ、代わりにラッピングペーパーが広げられている。
机の端には、小さな白い箱。
そして、この日は二月十四日であることから、この中身が何なのかは容易に想像がつくだろう。
バレンタインのチョコレートである。
既に父親にはチョコを渡した真衣華。今ラッピング中のこのチョコは、彼女の親友、桔梗院希羅々へ送るものだ。本当は今日渡したかったのだが、この週末は希羅々も用事があるとのことで、明日渡す予定にしていた。
希羅々が好きな烏龍茶。それを混ぜた真衣華オリジナルのチョコレート。喜んでくれるといいなと思いながら、水色をベースとした雪結晶柄のラッピングに箱を包んでいく。
手先が器用な真衣華にとって、ラッピング作業なんてお茶の子さいさいである。
最後にテープを貼り付け完成だ。
我ながら上手く出来た、と一人でニマニマしながら、鞄にチョコを入れ――ようとしたところで、その手が止まる。
ふと思った。「この歳になって友達にチョコレートを渡すのは、実は恥ずかしいことでは無いだろうか」と。
去年までは何も疑問に思うこと無く「友チョコ」なんて言って渡していた真衣華だが、今はもう中学生。去年と同じノリで希羅々に渡して、果たして快く受け取ってくれるか、非常に不安になったのである。
少なくとも、これに気が付いてしまった以上、希羅々に直接渡す勇気は、真衣華には無くなってしまった。
だが折角作ったのだから、渡したい気持ちも確かにある。
悩むこと三十分。
結局真衣華は、『直接渡す』以外の方法で希羅々にチョコを渡すことにしたのだった。
***
次の日。午前七時十分。
真衣華と希羅々の通う、中学校にて。
いつもより三十分以上早く学校に着いた真衣華。
目的は、希羅々の下駄箱にチョコを入れることだ。古くから、チョコやラブレターを渡すのに使われる、極めてオーソドックスな方法である。
これなら気恥ずかしさも多少は誤魔化せる。
と、思ったのだが……玄関で、ゆるふわ茶髪ロングの女子学生を見かけ、真衣華の目が丸くなった。
「あれっ? 希羅々っ?」
「あら、真衣華。おはようございます。今日は早いですわね」
いつもは真衣華と同じような時間に来るはずの希羅々が、今日に限って早く登校していた。これでは下駄箱にこっそりチョコを仕込むことは難しい。
「希羅々こそ、なんで今日はこんなに早いの?」
「たまたま気分が乗っただけですわ。真衣華こそ、いつもはもっと遅いでしょうに。何か御用事がありまして?」
「あ、いや……私はまぁ、ちょっと野暮用が……」
どもる真衣華に、希羅々は怪訝そうな顔をするも、普通にスルーすることにしたのだろう。それ以上は追及せず、そのまま二人で一緒に教室へと向かうのだった。
作戦一、失敗。
***
続いて、昼休み。
給食の後、希羅々が席を外している間に机に向かう真衣華。
彼女の机の中に入れよう、という作戦だ。
周りを警戒しつつ、誰も見ていないタイミングでチョコを机の中に突っ込もうとした――が。
「んんっ?」
中が詰まっており、真衣華のチョコが入る隙間が無かった。
普段は綺麗に整頓されている希羅々の机。彼女にしては珍しい。
しかも、だ。
入っているのは、ラッピングされた小袋や小箱。全部バレンタインのチョコなのは明らかだ。
一体誰から貰ったのか。少なくとも、真衣華の知る範囲で、希羅々にチョコを渡した生徒はいなかったはずだ。
自分が知らないだけで、実は昔から色んな人から貰っていたのだろうか、と真衣華がこっそり戦慄の表情を浮かべていると、
「あら? 真衣華、私の机で何をしていますの?」
「あぁ、いや。なんでもない!」
希羅々が戻って来て、真衣華は慌てて自分のチョコを後ろに隠す。
希羅々の目から、いよいよ行動を怪しまれているなと感じながらも、真衣華はそさくさと自分の席へと戻るのだった。
作戦二、失敗。
***
その後、希羅々と一緒に帰路に着く真衣華。
希羅々が帰る前に下駄箱にチョコを入れておこうと企んだが、タイミングが無くてそれも叶わず。故にチョコは真衣華の鞄の中だ。
隣で他愛も無い話をする希羅々に、適当な返事をしながら、真衣華はチョコをどうやって渡せば良いのかと頭を悩ませていた。
すると、
「……真衣華。あなた、今日は変ですわよ?」
「うん……うん?」
「ほらみなさい。やっぱり上の空ではありませんか。さっきから生返事ばかりでおかしいと思ったら……」
チョコの渡し方で頭がいっぱいだったせいで、希羅々が少し不機嫌になっていることに、真衣華は気が付けなかった。
何かあったのか、と問い詰め始める希羅々に、真衣華は「あ、いや……」と何とか誤魔化そうと試みるも、迫る希羅々の圧に負け、壁際まで追い詰められていく。
「ええいこのお馬鹿! いいからさっさと話なさい!」
壁ドンされ、逃げ場が無くなった真衣華は、段々と顔を近づけてくる希羅々に、ついに羞恥心が限界突破し、顔を真っ赤にして彼女を思いっきり突き飛ばしてしまった。
「ちょ……真衣華っ! 何をなさるの――」
「あぁぁぁあっ! もううっさい馬鹿希羅々! はい、これ!」
最早やけっぱち。真衣華は驚く程スムーズな所作で鞄からチョコを取り出すと、希羅々に押し付けてから逃げ出す。
そんな彼女の後姿をジーっと見つめてから、希羅々が押し付けられたチョコに目を落とし、小さく一言。
「様子がおかしいと思ったら……最初から小細工せずに渡してくれれば良いものを……」
正直、普通に貰えると思っていたチョコが中々渡されない時点で、真衣華が何に悩んでいたのかは薄々勘付いていた。今年は随分焦らすものだと思っていたのだ。
希羅々は自分の鞄を開く。
中には、真衣華が昼休みに見た大量のチョコ。
実はこれ、希羅々が誰かから貰ったものでは無く、真衣華に渡そうと思って持ってきたものだった。
手作りのものから、買ったものまで全部で十種。
その内一つを取り出す希羅々。他のチョコも、真衣華に渡すためのものである。
張り切って色々作ったり買ったりしたものの、当日になって『全部渡すのは引かれるのでは?』と思ってしまった。
ならば一つだけ渡そうと、今日一日悩み続け、ようやく何を渡すか決まったのだが、希羅々も真衣華と同じく『どうやって渡そう?』という問題に直面したわけだ。
普通に渡してくれれば、自然な流れで自分も渡せたのに……と心の中で頬を膨らませる希羅々。
「第一、私からチョコを貰っていないことを何故疑問に思わないのか……全く!」
ここからチョコを渡すために追いかけるのも、何だか気恥ずかしい。
あれこれ悩んで結局結論が出ず、希羅々が真衣華にチョコを渡したのは、次の日になったのであった。
***
なお、真衣華が作ったチョコは悪い意味で独特の味過ぎて、希羅々は気合と根性で何とか完食したのは内緒である。
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