第21話『悋気』
ハーピー種レイパーは、敵が増えて不利だと思ったようで、ノルンを倒した後、どこかへと飛び去ってしまった。現在も行方は分からないままだ。
攻撃をもろに受けたノルンは、今も昏睡状態のまま、目を覚ましていない。
怪我をしたノルンを医療学科棟――ここには実験や研究用の治療室があり、手術等も問題なく行える場所となっている――へと運んだ三人。すぐに治療が始まり、一時間が経過した。
ミカエルもファムも雅も、治療室の前にある椅子に座り、深刻な顔で何も言葉を発せぬまま、ただ祈るように治療室の扉を見つめている。
生徒や教師が殺され、学院は今大騒ぎだが、今三人がいるこの空間だけは、恐ろしいまでに静かだ。
ノルンが受けたダメージは大きい。肋骨が四本折れ、肝臓から出血もしていた。
それでも、治療室から出てきた先生から、命に別状は無いと告げられ、ホッと胸を撫で下ろす三人。完治までに一週間程度で、その間は入院が必要とのことだ。
肋骨の骨折の完治は、医療技術が発達した雅の世界でさえ三週間以上はかかる。それが一週間で済むのだから、それだけこの世界の医学が優秀ということだ。
治療室から病室へと移されるノルンを見送り、ノルンと先生の姿が見えなくなった瞬間。
ファムが、ミカエルの胸ぐらを掴んで、力一杯に壁に叩きつける。
「あんたのせいで……ノルンが怪我を……っ! 死んでいたかもしれないんだぞ!」
「ご、ごめんなさい……っ!」
「弟子に怪我をさせて何が師匠だ!」
「ファ、ファムちゃん! やめてください!」
「うるさい!」
口角泡を飛ばすファムを止めようとした雅だが、興奮したファムに突き飛ばされ、尻餅をついてしまう。
そこで、ファムはハッと我に返ったように目を見開き、胸ぐらを掴む手が緩んだ。
呆然とした表情でその場に崩れ落ちるミカエル。そんな彼女と雅を交互に見ると、ファムは肩を怒らせて足早に立ち去ってしまう。
雅はファムを呼び止めるために名前を呼ぶも、彼女がそれに振り向くことは無かった。
「……ミカエルさん、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
雅の言葉に頷くも、ミカエルの顔色は優れない。
ファムにきつい事を言われ、かなり堪えているように雅は感じた。
雅はノルンが怪我をした時の状況を自身の目で実際に見ていたわけでは無い。ノルンがミカエルを庇って怪我をしたと聞かされただけだ。しかし二人の様子を見るに、ミカエルが何かやらかしたのは事実なのだろうと察する。
どう声を掛ければ良いか……と、雅は自身の頭をフル回転させるが、答えは出ない。
だから、
「大丈夫ですよ!」
「……えっ?」
雅は、自分の思ったことを、素直にミカエルに告げた。
突然そう言われ、呆気にとられてしまうミカエル。
「ノルンちゃん、助かったじゃないですか! 命に別状は無いって、さっきの人が言ってました。ファムちゃん、さっきまでは友達が助かるのかどうか分からなくて、不安で不安で仕方なくって……でも助かったって聞いて、安心して、そしたらもう、色々とグルグルしちゃって……少し前に他の子が殺されたのを見ちゃったから、きっと凄く不安定になっていたんだと思うんです。それで、ついミカエルさんに怒りをぶつけちゃっただけなのかなって……」
「……でも、私のせいでノルンが怪我をしたのは事実よ。私が無理に突っ走るから……あの子の言う通りだわ」
「人間ですもん。やらかす時はやらかしますよ。そりゃあ、今回は偶々運が良かっただけかもしれません。ミカエルさんの行動は、褒められたものじゃ無いかもしれません。もしノルンちゃんが死んでいたら、ファムちゃんはミカエルさんを許さないかもしれない……。でも、そうなってないじゃないですか。だったら、いつか許してくれるはずです!」
黒いフードの『何か』に襲われている時、ファムは助けてくれた。
レイパーが女子生徒を殺そうとしているのを見た時、血相を変えて飛んで行った。
その光景を思い出し、それ故に雅ははっきりと確信している。
「ファムちゃん、絶対に良い子だって思ってます。落ち着いたら、きっと仲直り出来ますよ! だから絶対、大丈夫です!」
雅はそう言ってミカエルにサムズアップすると、「ファムちゃんを探してきますね!」と言って走り出す。
ミカエルはそんな彼女の背中を、呆然と見つめていた。
***
午後二時を過ぎた頃。美術学科棟の屋上にて。
迷路を抜けた先にある、三人掛けのベンチに、ファムは仰向けに寝転がっていた。
普段であれば穏やかな顔で寝息を立てているのだが、今は違う。
目は閉じているものの、その顔は随分と不機嫌な様子である。寝息も立てていない。当然だ。目を閉じているだけで、寝ているわけでは無いのだから。
だから気がついた。だれかが屋上にやってきたことにも。
ファムはゆっくりと起き上がると、迷路の出口をジッと見つめる。
すると、
「……ミヤビ」
「あ、ファムちゃん!」
やってきたのは雅だった。手には、何やら紙袋を持っている。
何故こんなところに? と思うも、別にわざわざ聞いたりしない。
だが顔には出ていたようだ。
「前にお話した時、眺めの良いところでお昼寝するのが好きだって言ってたから、もしかしたらここかなって。外にこれも落ちていましたし……」
そう言って雅がポケットから出したのは、白い羽根。
ファムの『シェル・リヴァーティス』のものだ。
ファムはここには飛んできている。その際、途中で抜けたのだろう。
普段はこういうことは無いのだが、先程のレイパーとの戦いのせいで、アーツが傷つき、抜けかかっていたようだ。
「あ、そうだ! ファムちゃん、お昼まだじゃないですか? 買ってきたので、一緒に食べましょう!」
「いや、私は今は別に……」
「まぁまぁ、いいからいいから! あ、隣座ってもいいですか?」
「え? いやミヤビちょっと……」
質問したくせに、答えも聞かずに隣に座ろうとしてくる雅。
謎の圧に負けたファムは、渋々といった様子でちょっと横にスライドすると、空いた空間に雅は腰を下ろす。
そして持っていた紙袋の中からパンを二つ取り出すと、その内一つをファムに渡す。
見るからに辛そうな赤い色をしたソースと、スライスしたリンゴが挟まったパンだ。学生のお財布に優しいお値段なので、ファムもよく買って食べる。
「適当に選んだんですけど、良かったですか?」
「今、食欲無いんだけど……」
「何か食べておかないと、元気も出ませんよ。ささっ、一口だけでもガブっといっちゃって下さい!」
ファムは溜息を吐くと、言われた通りに一口だけ齧る。
何となくだが、いつも食べているやつよりも辛い気がした。
隣では、雅もパンにかぶりついて、目をギュっと閉じて悶えている。彼女が想像していたよりも大分辛かったようだ。
それでもパクパクと食べ進めていく雅。
それとは対照的に、齧ったパンをジッと見つめるファム。
雅がパンを食べ終えた頃に、ようやくファムは二口目を頬張る。すると、三口目、四口目……と、そこから一気に食べ進めていき、気がつけば完食していた。
口の中に残ったソースの香りを吐き出すように深く息を吐くと、ファムはおもむろに口を開く。
「……ごちそうさま。ありがとう。それと――さっきは突き飛ばしてごめん」
「……気にしてませんよ。大丈夫です」
「……そっか」
ファムは立ち上がると、伸びをしてから、もう一度ベンチにドサッと腰を下ろした。
二人の間に、長い沈黙が流れる。
どれ位の時間が経っただろうか。
「私、ハーフなんだ。人間とサキュバスの」
ぼんやりと遠くを眺めながら、ファムは漏らすように呟いた。
この世界にサキュバス族という人種がいることは、雅もレーゼから聞いていた。だが本物を見た事は無い。
だから、ファムのその言葉には驚かされた。
それから、ファムは独り言のように言葉を続けていく。
サキュバス族には、人間には使えない、ある固有の能力がある。『魅了』といって、目を合わせた相手を自分の虜にしてしまう能力だ。
ファムにはサキュバスの血が流れているため、未熟ながらも、当然この能力も使える。
無論、ファムはこの能力をこれまでの人生で悪用したことは無い。こんな力で紛い物の心を手に入れたところで虚しいだけだと、両親から口酸っぱく言われていたし、ファム自身そう思っている。
だがこの世界の古い価値観として、この能力は気味悪がられている。近年はそういう価値観は薄れつつあるものの、未だに忌避する人も多い。
そこら辺をよく分かっていないファムは、周囲に『自分はサキュバスと人間のハーフだ』ということを触れ回ってしまったらしい。
故に、気持ち悪がられた。特に、同年代の子達には。
次第にファムには人が寄りつかなくなり、一人ぼっちになってしまう。
ウェストナリア学院に入学してからも、それは変わらなかった。何も知らない人は接してくれるが、ファムが『サキュバスと人間のハーフだ』という噂は知っており、その事実を知った途端、彼女の元から去ってしまう。
特別誰かに何かされた……という訳では無かったが、虐められているような気は拭えず、寂しい毎日を過ごす日々。
自身の主義思想に従い、こっそり授業をサボって昼寝に勤しんでいても、ちっとも楽しくなんて無かった。
「でも……ある日、ノルンが話しかけてきた。私がハーフだって事を知っていて、それでも声を掛けてきたんだ」
最初は同情でもされているのだろうかと面白くない気持ちでいたものの、なんやかんや一緒にいる内に、ノルンが悪い奴では無いとファムは気が付いたと言う。
「ノルンと仲良くなってからは、私を避ける人も少なくなった。チラッと聞いた話なんだけど、ノルンが皆に、私が自分本位な事で『魅了』の力を使うような奴じゃないって伝えてくれていたみたいで……正直、嬉しかったよ」
未だに、ノルンが何故自分と仲良くしてくれたのか、ファムは分かっていない。どうせ聞いても教えてくれないだろうし、そもそも聞くのも何か恥ずかしいから、ファムは深く突っ込まないようにすることにした。
ノルンと出会ってから、毎日が楽しくなったのだ。それに間違いは無いのだから、仲良くしてくれた理由なんて気にならなかった。
一緒に遊ぶのは勿論、授業をサボり、ノルンに怒られながら連れ戻されるのも、ファムは案外悪くないって思ってさえいた。
「でも、三年位前だったかな。あいつ、突然ミカエル先生に弟子入りする、なんて言い出して……。最初はまぁ、ノルンがやりたいなら、私はそれを応援すべきだなって思ったから、別に引きとめもしなかったんだけど……いざノルンがミカエル先生の弟子になったら、一緒に遊ぶ時間がめっきり減っちゃってさ」
後から思えば間抜けな話だが、ファムはこの時、このことを全く考えていなかったのだ。だから完全に予期せぬ事態であった。
「偶に一緒に遊ぶ事があっても、あいつずっとミカエル先生は凄いんだとかなんとか、話す事全部あの人のことばっか。それ聞いていたら何かこう……ムカついてきたって言うか……」
初めて、人に対して『魅了』の力を使おうかという衝動に駆られた程だったと言うファム。
それでも踏みとどまれたのは、自分が私利私欲で『魅了』の力を使わないと信じてくれているノルンを裏切りたくないという気持ちが勝ったからだ。
だから我慢してノルンの話を聞いていた……のだが。
やはりと言うべきか、ミカエルに対しては心中穏やかに接することが出来なかったそうだ。
「意識してるつもりじゃないんだけど、自然と言葉に棘が出るんだ。それで、ノルンはやっぱりそんな私の態度が気に食わなかったっぽくて……。何度もうるさく注意してくるもんだから、私もちょっと面白くないって言うか……」
「……何となく、ギクシャクしちゃった?」
「まぁ、そんなとこ」
雅は、ファムとノルンの間にある妙な違和感の理由に、ようやく合点がいった。
ノルンと話をしていても息苦しくて、余計にミカエルにも冷たく接してしまい、それが原因でさらにノルンとの友情に入った亀裂が広がっていく……そんな悪循環から、ファムは抜け出せないでいるのだ。
「ファムちゃん、寂しかったんですね。ノルンちゃんをミカエルさんに取られたって、そんな気持ちになっちゃって……だからさっき――」
「一応言っておくけど、間違った事言ったって思って無いから」
雅を遮るように、ファムはきっぱりとそう言う。
「ミカエル先生が無茶したから、ノルンが怪我をした。だから怒った。別に私、間違ってないでしょ」
「そうですねぇ……。私も、ファムちゃんが怒ったことが間違っていただなんて思いませんよ。私だって大事な友達がそんな目にあったら、きっと怒ると思いますし」
「……ミヤビにも、そういう人がいるんだ」
「勿論、一杯いますよ。ファムちゃんだってノルンちゃんだってミカエルさんだって、その一人です」
そう言うと、ファムはジトっとした目を向ける。
「……私達、まだ会ったばかりじゃん? 何だか薄っぺらい『大事』だね」
「は、ははは……よく言われますねぇ。でも、しょうがないんですよ。大事な人は大事な人だし。きっとこれからも、そんな大事な人って増えていっちゃうと思います。でも、きっとこれって私だけじゃ無いはずです。ファムちゃんにも、別の『大事』な人が出来る日がやってきます。でもそうなったら、ノルンちゃんを捨てますか?」
ファムは、無言で首を横に振る。
「だったら、大丈夫!」
そんな彼女に、雅はサムズアップをしてそう断言した。
「ノルンちゃん、ミカエルさんっていう大事な人が出来たかもしれませんけど、だからってファムちゃんが大事じゃなくなったなんてこと、ありませんよ! 今は両立するのが難しくて、ファムちゃんに寂しい思いをさせてしまっているかもしれません。でもノルンちゃん、ファムちゃんのことをまだ『親友』だって言っていました。だから絶対、また前みたいな関係に戻れます!」
「……戻れる、かな?」
「はい!」
自身満々に頷く雅。
だが、ファムは渋い顔をする。
「ミヤビ……ちょっと卑怯じゃない? その為にしなきゃならない事があるの、分かってる癖に」
「ファムちゃん、もう気が付いているみたいだったから」
ファムは軽く鼻を鳴らし、雅から目を逸らす。
雅の言う通り、ファムはもう、気が付いている。
悩むファム。ノルンとミカエルが仲良くしているのを見て、モヤつく気持ちを抑えられる気は全くしない。
だが。
「ノルンが、会う度に毎度毎度褒めてる人だからなー……」
敬愛して止まない人物を嫌い続けていれば、ノルンだって嫌な気持ちになる事等ファムにも容易に想像が付く。
そして仮にノルンが褒めていなくても、ミカエルが悪い人ではないことをファムは知っている。
人間とサキュバスのハーフだからといって、不公平に接する人物では無いことも。
きっと、自らが歩み寄れば、仲良くなれるだろう。
そう、自分さえ歩み寄れば、だ。
それが出来ないのは、自身のつまらない感情故だと認めなければならない。
誰が好き好んで、人を嫌いになるものか。
自分とミカエルが仲良く出来ればノルンも嬉しいだろうし、自分だってそっちの方が楽しいだなんて、ファムはとっくに分かっていた。
ファムは立ち上がると、空を仰ぐ。
少しの間、黙ってそうしていたと思っていたら、突然大きく息を吐いて、口を開いた。
「しょーがないなー、もう」
「……っ、ファムちゃん……ありがとうございます!」
「別に。思わず手が出ちゃったけど……私だってあんな風にミカエル先生のことを責めるつもりは無かったしね……。それに、分かってる。自分が子供過ぎるってことくらい」
そう言うと、ファムの背中に『シェル・リヴァーティス』が出現する。
そして雅を抱えると、ファムはミカエルがいるであろう医療学科棟へと飛んで行くのだった。
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