第22章幕間
ラティアの故郷の手掛かりを掴むことは残念ながら出来ず、一旦は自宅で彼女を預かろうということに決めた雅。
優一達にもその旨を報告したところ、流石に即了承されるという訳も無く、関係各所に話を通すとのこと。ラティアの処遇をどうするか、正式に決まるのは雅達が日本に戻ってからになる。
八月十一日土曜日。午後三時五十四分。
カームファリアからシェスタリアへと向かう途中の馬車の中から、外の景色をジッと見つめるのは愛理だ。
電車よりも速く進む馬車。客車を引くのが馬ではなくユニコーンだからか。乗るのはこれで四回目だが、この事実には未だ慣れず、乗る度に驚かされてしまう。
すると、
「あらアイリちゃん。随分と黄昏ているわね」
「ん? あぁ、アストラムさんでしたか」
声を掛けてきたのはミカエルだ。両手には飲み物が入ったコップを握っており、片方を愛理へと差し出してくる。
「ありがとうございます。――珍しく、アプリカッツァはいないんですね」
「今はファムちゃんとお喋り中。友達同士で盛り上がっているところに、私がいたら興醒めしちゃうでしょう? だから離れてきたら、アイリちゃんが一人でいるのを見てね。……何か考え事?」
聞きながら、ミカエルは愛理と向かい合う位置の座席に腰掛ける。
愛理はミカエルから外の景色へと再び目を向けながら、口を開く。
「……先日現れた、あの騎士と侍のようなレイパーのことです。私達、手も足も出なかった。もし次に現れた時、どうやったら勝てるのか、それを考えていたんです。ファルトさんは『鍛える』と仰っていましたが、私にはどうにも、鍛えて何とかなるビジョンが見えない。どうしたら良いのか……」
正直に言えば、二度と戦いたく無いというのが愛理の本音だ。
あの戦いは、思い出すだけで、手が震えてしまうことを抑えられない。
それ程まで、心に深い傷を残すものだった。
以前、魔王種レイパーにやられた時ですら、こうはならなかった。あの時は、やられたとは言っても、今回のように大怪我を負うことが無かったからだろう。そう考えると、本当の意味で、愛理は初めて『強敵』という相手に出会ったのだ。
目の前に立ちはだかる巨大な壁を、どう乗り越えれば良いのか……考えれば考える程、どうしても『逃げる』方向に思考が行ってしまう。
最も、そんな自分の弱さを口に出せる程、愛理は強くない。本心を押し込め、こんな話をミカエルにしたところで、何ら変わることは無いと、頭では分かっている。
そんな自分に嫌気が差して、愛理は深く息を吐いた。
「強くなる方法が分からない……か。その気持ち、私も分かるわ。現在進行形で、私も悩んでいるから」
「はぁ……」
「あ、ちょっと疑っているわね? でも本当よ。だって、ノルンがどんどんと才能を開花させていくから……何時あの娘に追い抜かれてしまうのか、ちょっとビクビクしている自分がいるの。前にそれを拗らせて、却ってノルンを危険な目に遭わせちゃったことがあるんだけど……」
ウェストナリア学院で出現したハーピー種レイパーに攻撃しようとして失敗し、ノルンが大怪我を負ってしまったあの時のことは忘れない。ミカエルはその時のことを、しっかりと戒めとして自分の心に刻み込んでいた。
「あれからもう二ヶ月くらい経つけど、私は結局、あの時から何も変わっていないの。ノルンに隠れてこっそり魔法の練習をしているんだけど、駄目ね。ちっとも強くならない」
「そんな……。何かの時に、束音が言っていましたよ。アストラムさん、強くなっているって。あの魔王のようなレイパー……あいつ相手に、最初は魔法が全然効かなかったんでしょう? でもこの間の戦いの時は、ちゃんとダメージを与えられていたじゃないですか」
愛理の言葉に、ミカエルは首を横に振る。
「あれは、魔法の構成をちょっと弄っただけなの。あいつ相手に、よりダメージを与えられるようにね。私の魔力が上がったとか、そういうことでは決して無いわ。強くなったというよりは、対策を取れたという方が正しいの」
「……いっそ私もアストラムさんみたいに、魔法でも使えれば違うんでしょうか?」
そう言った対策が自分にも出来るのなら、あの強敵相手に勝つことも難しくないように思える。最も、自分が魔法を使うことなんて不可能だと分かっているのだが。
しかし実は、愛理の考えは間違っている。ミカエルは『魔法の構成をちょっと弄った』と簡単に言ったが、これはミカエル程魔法を使いこなせているから出来たことであり、普通の人にはまず不可能なことなのだ。つまり、仮に愛理が使えたところで、同じ事が出来るわけでは無い。
そうとは知らない愛理は、羨望と落胆の入り混じった目を、ミカエルに向けていた。
すると、
「『魔法は、才能』」
「えっ?」
「これは、私が学生だった頃、担任の先生が言っていたことよ。魔法は生まれつきで使えるかどうかが決まる。後から努力でどうなるものでは無い、と。特に攻撃的な魔法を使える人はもっと希少だ、と。――でもね、私はこの考えは間違っていると思っているの。魔法はね、努力よ。間違いないわ」
これは、ミカエルの信念とも呼べる考え。
ノルンと共に魔法の鍛錬を行っている内に、何時の間にか心に根ざしていたものだった。
「通話や配達の魔法は、練習次第で誰でも使えるわ。なら、同じように他の魔法だって使えるようになるはずよ」
「でも、束音は練習しても使えなかったと言っていましたが……」
「魔法に馴染みの無い娘が、正しく練習出来るはずもないわ。それで使えるようになったら奇跡よ。……なら、どうやれば良いのかなんて私も分からないけど」
「……最後の一言が無ければ、凄く勇気付けられたんですが」
「ご、ごめんなさい……」
苦笑いを浮かべる愛理。ミカエルの言葉は机上の空論、夢物語と一蹴されても仕方の無いことだ。研究者としてあるまじき発言かもしれない。
それでも、愛理は自分の心が少しだけ軽くなったのを実感していた。
「まぁ、少し元気が出ました。ありがとうございます。――ん? あれは相模原か?」
話していると、優がチラシのようなものを見ながらこちらに歩いてくるのが見えた。何故かペンまで持っている。客車が揺れる度に、つんのめったりしていて大変危なっかしい。
「相模原。君は一体何をしているんだ?」
「ここ、空いているわよ」
「ん? あぁ、愛理にミカエルさん。何々? 珍しい組み合わせね」
見かねた二人が声を掛けたら、ようやく優も二人に気が付き、招かれるままに座席に座る。
「ちょっと話をしていただけさ。それよりも、そんなに熱心に、何を見ていたんだ?」
「あら? それって『ダブルオーワードパズル』ね」
「ミカエルさん知っているのっ? そうそうそれ。宿で貰ったやつで、解いてカームファリアに送れば、サウスタリア内で使える金券が貰えるんだって。でも難しくて……」
「だ、ダブルオーワードパズル?」
どうやら優とミカエルは知っているようだが、初めて聞いた愛理は首を傾げる。
それを見たミカエルが、説明するために口を開いた。
「正式名称は『オンリーワンスワードパズル』。五十音を一回だけ使って、マスを埋めるのよ」
「ほら、クロスワードパズルってあるじゃない。あれをもっと難しくした感じ。あれはヒントがあるけど、こっちは文字数以外何も無くて……。適当に埋めていくと、残った言葉が単語にならないの」
「あぁ、成程」
言われて紙を見せられ、そこで愛理も納得した。
マス目は全部で四十六個あり、ここに『ゐ』『ゑ』以外の五十音が一つずつ入るのだ。
優は随分と悩んでいたようだが、書いては消してを繰り返しているだけで、マスは殆ど埋まっていない。
「お、おぉぅ……。確かにこれは難しいな」
「こういう頭を使うのは苦手なんだけどねー。あっちで暇つぶしにやり始めたら、何か止められないし、報酬は良いし、何が何でも解いてやりたくてさ」
「報酬が良い? 商品券って言っていたわね。ふぅん……って、二千五百テューロ分っ? 抽選で五名までだけど、これは確かに太っ腹ね」
「よし、私達も協力してやろう。貰ったら、それで何か奢ってくれ。どうだ?」
「よっしゃ、呑んだ!」
日本円にして、約一万円。
パズルを解くだけでそんなに貰えるかもしれないなら、やるしかないだろう。
三人でパズルを睨みながら、ああでもない、こうでもないと唸ったが、
「あ、ここは『さけのつまみ』じゃないかしら?」
「あ、なんかそれっぽい」
「それで、ここは六文字ね。残っている文字からして、『シェスタリア』って入れると良さそう」
「おぉ。そうなると、残りの文字で単語が出来そうですね。ここまで来たら、私にも答えが見えてきた」
開始数分で、ミカエルがどんどんとパズルのマスを埋めていく。
優も愛理も、出る幕が無い。流石は研究者。頭の回転が違うと、二人は内心で舌を巻いた。
結局、殆どのマスをミカエルが埋めてしまったが、それでもパズルが無事解けたことで優は上機嫌だ。それで良いのだろうかと、愛理はちょっと突っ込みたくなったが。
「当たるかなー? ね、どこ食べに行く?」
「ユウちゃん、気が早いわよ。でも、そうねぇ……サウスタリアの東に、『ユベラティリア』っていう街があるの。ノルンの実家がある辺りね。そこに肉料理の美味しいお店があるから、そこなんかどうかしら? 教員同士の呑み会でも行ったりするのよ」
「いいですね。異世界のお肉……どんな味がするんでしょうか? 相模原はオートザギアに暫く滞在していたんだろう? どんな感じだった?」
何やかんや、カームファリア滞在中は病院食ばかりだった愛理。帰る前に何か食べようにも、街があの状態ではまともに飲食店も開いていない。いい加減に現地の名物を食べてみたかった。
「割と日本で食べる肉に近かったけど、そう言えば滅茶苦茶歯応えのある肉が出てきたことがあったっけ。あれだけは初めて食べたけど、何肉だったかな?」
「フォルティオっていう、フォルトギアにしか生息していない狼の肉よ。私も好きなんだけど、旬はもっと後の季節なのよ。この間は何故か食卓に出てきたんだけど、どうやって手に入れたのかしら……?」
三人がそんな話をしている間にも、馬車はシェスタリアへと向かっていく。
そして――この時、誰も気が付かなかった。
この馬車の上に、優とシャロンを襲った、あの火男のお面を被った『ピエロ種レイパー』が乗っていることに。優達の暢気な会話も、ばっちり盗み聞きしていたのだ。
そしてその後も、レイパーの存在に気が付く者は誰一人としていなかった。彼女達が馬車を降りた時にはもう、レイパーはどこかへと姿をくらましていたのだから。
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