第189話『道化』
時は十分前に遡り、宿の周りでラティアを探すシャロンはというと。
「ふむ……やはり、おらんか」
一通り探し回った後、入り口まで戻って来た彼女は、そう呟く。
宿から逃げ出した時点で、この近くにいる可能性は低いだろうと予想はしていた。ゼロでは無いから念のため探し回ったが、この結果に特に驚きは無い。
さて、ここからどうしようかとシャロンは少し考え込む。
レーゼ、ミカエル、ノルン、真衣華の四人は、雅と志愛とは違うエリアを探索中だ。
優とライナは宿に待機している。本調子では無いというのもあるが、万が一ラティアが宿に戻って来ないとも限らないから、誰かは留守番をしていなければならなかった。
「……取り敢えず、サガミハラに皆の様子を聞いてから考えるとするか。――む?」
独り言を言いながら宿の方へと足を向けたところで、シャロンは怪訝な顔をした。
宿の入口が、開きっ放しになっていたのだ。
「おかしいのぉ。閉めたはずなんじゃが……」
確かに鍵は掛けられないが、それにしたって開けっ放しでラティアを探しに出るなんて無用心なことはしない。
不思議に思いながら中に入ると、シャロンの怪訝な顔は、驚愕のものへと変わった。
「な、なんじゃこれは……?」
受け付けが、荒らされている。
宿泊者名簿やその他重要そうな書類、ペン等が、床に散乱していたのだ。
係の者がこんな状態で仕事を終えるとは到底思えないような有様。明らかに、誰かが何らかの目的で荒らした跡であった。
雅達と宿を出る前はこんな状態ではなかったから、この短時間の内に誰かがやったのだろう。
「――まさか、何者かが侵入したのか? 儂の目を搔い潜って?」
何故か開いていた入口の扉。それとこの現場。
その二つが繋がり、シャロンにその結論を導かせる。
ふと、宿泊者名簿が目に入り……シャロンの背筋がゾワリとした。
名簿は冊子状にして保管されている。それが開かれた状態で机の上に置かれていた。もしかすると、これをやったのは、この名簿が目的だったのかもしれない。
ページはあちこち、何かで引っ搔いたようにぐちゃぐちゃになっている。それを見ると、人間がやったのでは無く、獣や……レイパーがやったと思わされた。
何か目的があってこれを見たのか、それともただ気になって開いただけなのか…………この場で想定すべきは、最悪の事態だ。
(探し回るか? ……いや、まずはサガミハラとシスティアに報告が先じゃ!)
敵の正体は不明なのに、一人で動き回る程シャロンは馬鹿では無い。
慌てて、二人が泊まっている部屋へと向かうのだった。
***
「…………」
不気味な程静まり返る宿の通路。
窓からの月の光しか灯りになるものが無く、既に一メートル先すらもよく見えない。
そんな中、音を立てずに走るシャロン。
既に、優達の部屋のはすぐ近く。
そして、後数メートルのところまで来た時、シャロンの眼光が鋭くなる。
部屋の扉の前……そこに、人型の『何か』がいた。
白を基調とした細身のボディだが、手首や足首だけは膨らんでいる。顔は見えないが、頭は二つの角が生えており、全体のシルエットだけを見るならば『ピエロ』のようだとシャロンは思った。
だが、こんな時間に優とライナの部屋を訪れるにしては、明らかに場違いな姿である。考えるまでもない。間違いなくレイパーだ。
分類は『ピエロ種レイパー』といったところか。
レイパーを確認した瞬間、シャロンの腕が山吹色の鱗に覆われ、翼と尻尾が生える。
そいつが部屋のドアノブに手を掛けるのと、シャロンが飛び掛るのは同時。
横から突然襲いかかってきたシャロンに、レイパーは咄嗟に反応出来なかった。
必然、揉み合いになるシャロンとレイパー。
だが動揺したレイパーはあっという間にシャロンに圧され、廊下の窓を突き破り、彼女達は体を投げ出すようにして外へと出た。
「うるさ……なんだなんだ――へっ?」
「ね、ねえ! あれレイパーでしょっ? ヤバい! 皆逃げろ!」
夜中に起こる物騒な音。宿泊客達は何事かと起き……外を見て、シャロンとレイパーが相対しているのを見ると、悲鳴を上げて逃げ始めた。
一方のシャロンは、顔を強張らせたまま、硬直する。
先程は暗闇で分からなかったレイパーの顔が、月明かりに照らされていた。
その面は……ほっかむりを被り、口を窄めて曲げた男の顔。
体の感じからは想像もしていなかった顔に、シャロンの思考が一瞬、固まったのである。
だがよく見れば、それは……
「お主の顔……それはお面か?」
シャロンの問いにレイパーは反応しない。
だがそれでも、シャロンの言葉は正しかった。このレイパーは、お面を被っていたのだ。恐らくこのお面の下にある顔が、このレイパーの本当の顔なのだろう。
シャロンには馴染みのないお面だが、ここに雅達日本組がいれば、全員が揃ってこう思ったに違い無い。
これは『火男』のお面だ、と。
奇襲に動揺していたレイパーだが、シャロンの思考が停止してしまった一瞬の内に平常心に戻ってしまった。
どこからともなく、お手玉サイズのボールを六個取り出す。いや、ピエロならジャグリングボールか。その格好は伊達では無いらしい。
翼を広げ、接近しようとする体勢のシャロンに向けて、ピエロ種レイパーはジャグリングボールを一つ、投げつけるのだった。
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