季節イベント『氷上』
これは、まだ雅と愛理が中学二年生だった頃のお話。
時は二二一九年十二月二十四日土曜日。
「愛理ちゃん、知っていますか? ……今日、クリスマスなんですよ」
「…………」
「一年で最もセッ○スが多い日なんですって」
「束音……」
「愛理ちゃん……」
「……君はスケート場で、何を言っているんだ?」
心底呆れたような愛理の声が響く。
ここは新潟市中央区にあるアイススケート場。丁度、ビックスワンスタジアムの近くだ。
そのスケートリンクの中央で、雅は愛理を押し倒していた。
いや、『押し倒していた』というのは色々と誤解があるだろう。特別変なことはしていない。雅が氷上で滑ってしまい、愛理を巻き込んで転んだというだけである。
「全く君って奴は……。女の子が下品な言葉を使うんじゃない」
「いやー、照れますねぇ」
「褒めてないのだが……。一応言っておくが、さっきの発言はばっちり録音されているからな?」
言いながら、愛理はやれやれと首を横に振る。
何故、愛理と雅がスケート場に来ているのかといえば、それは愛理の動画のためである。
この頃から既に愛理は動画投稿で収入を得て一人暮らしをしていたのだが、当時はまだ再生回数も控えめ。生活の為に、一定以上のクオリティの動画を毎日投稿しなければならず、これが後に彼女が毎日投稿する習慣となることになった。
必然、ネタが尽きる時もある。一月の中旬くらいまでは何とかなるが、それ以降は本当に何も無い。そこで雅に相談したのが事の発端だ。
二人であれこれ考えたのだが……
「二人で両サイドから同時に一回転ジャンプ……つまりシングルアクセルしながら空中でクロスするつもりだったが……よくよく考えたら、私は素人ではないか。出来るものなのか?」
最早案が出ず、無理矢理捻り出した結果がこれである。
愛理は『私は素人』なんて言っているが、そんな生優しいものでは無い。スケート自体、今日が初めてだ。
それでも既にそれなりに滑れている辺り、愛理の運動神経は相当なものだが。
因みに雅は昔、知人に連れてきてもらったのである程度は滑れる。
そんな雅は、愛理の質問に対し、
「……まぁ頑張れば? 気合と根性で意外と何とかなる感じはありますよ。少なくとも私はコンディション次第ですけどいけます」
そう答えるが、先程のハプニングは雅がシングルアクセルに失敗したが故に起きたもので、あまり説得力が感じられない。
「経験者の君が『コンディション次第』というのなら、私なんて到底無理だろうに……」
愛理も跳ぼうとしたが、そこで『あれ? どうやって跳べばいいんだ?』なんて思ってしまい、結局跳ぶことすら出来なかった。
これは動画の内容を根本から変えないといけないと、愛理は苦笑いを浮かべる。
「まぁ、言ってもまだ一度失敗しただけだ。取り敢えず、跳ぶ練習を先にさせてくれ。何かコツはあるのか?」
「意識は右足に集中。しっかりと踏み切る感じです」
「成程……試してみよう」
頭の中で体の動きをイメージしてから、愛理は滑り始める。
雅に教わった通り、右足に気をつけて、勢いよく踏み切ると――
「おおっ?」
思いの外すんなり跳躍出来て、愛理の口から歓喜と驚嘆の入り混じった声が漏れる。
が、
「これってどうやって――あぁぁっ?」
跳ぶまでのことしか頭に無かった愛理。
着地はどうすれば良いか分からず、思わず雅に尋ねた時には既に遅かった。
体勢が整っていない状態では、当然着地と同時に足を滑らせ、そのまま間抜けな声と共にクルクル回りながら転がっていく愛理。
それを見た雅は思わず笑いそうになるも、咄嗟に口に手を当て堪えようとするが……愛理は転がりながらも、雅がちょっと吹き出した瞬間をばっちり見ていた。
君もさっき失敗していたじゃないか、という言葉が出かけるくらいにはイラっとした愛理。
もたつきながらも立ち上がると、愛理は雅へと向かって勢いよく滑り出し、
「束音! 危ない!」
と叫びながらジャンプ。
一回転しながら、事故を装って雅へと蹴りを放つ。
スケート靴を履いた状態での回し蹴りなんて大変危険な行為だが、いざとなれば雅もアーツで防ぐだろうと計算しての攻撃である。
すると、
「いなばうあっ!」
何かよく分からない声を上げながら、雅は状態を逸らして蹴りを躱す。
完全に想定外の避け方で、愛理も目を見開いた。
しかし、だ。
「あまいっ!」
愛理の姿が一瞬にして消える。『空切之舞』のスキルを使用したからである。
攻撃が躱された時、相手の死角に瞬間移動する効果があるこのスキルで、愛理は雅の背後に姿を現した……のだが。
「おわっ?」
「愛理ちゃんっ?」
瞬間移動した瞬間、スケート靴のブレード越しから伝わる感触を上手くコントロール出来ず、思わず滑りかけてしまった愛理。
咄嗟に体を捻り、クルクル回転しながら雅へと突っ込んでいく。
ヤバい、ぶつかる……と思ったその時、愛理は思わず雅の腰へと手を伸ばしていた。
「束音すまん!」
「ええっ?」
どういう動きをしたのか、愛理自身もよく分からない。
ただ気が付いた時には、愛理は雅をお姫様抱っこして、横回転しながら滑っていた。
「きゃー!」
「た、束音! 変な声を出すな……あぐぅ?」
雅が頬を染めて黄色い声を出したことに突っ込んでいる最中、愛理の背中を強い衝撃が襲う。
壁に背中から激突してしまったのだと分かったのは、その後だった。
***
その後、ロビーにて。
「あー、何か動画もいい感じで撮れたから、もうこれを上手く編集しようか……」
「あ、愛理ちゃん……明らかにやる気なくなりましたね……」
「いや、もう体が痛くて……。なんか萎えた」
もう二度とスケートはやらん、と心に誓いながら、愛理は天井を仰ぐ。
「当初とは予定が変わったが、まぁスケート初心者のハプニング映像として出せばそれなりにウケるだろう。一応、面白映像はいくつか撮れたからな。本位ではないが……」
「あ、じゃあさっきのお姫様抱っこシーンも出ますか?」
「あんなものはお蔵入りだ。恥ずかし過ぎる……」
「えー? じゃあ私が愛理ちゃんを押し倒したあの映像は?」
「絶対に出さん」
「そんな殺生な」
「駄目ったら駄目だ」
一応、ジャンプに失敗したシーン以外にも、最初にスケート靴で氷の上に立った時もすってんころりんしていた愛理。ちゃんと滑れるようになるまでにもいくつか笑える失敗はしているため、動画にはそれを採用するつもりだった。
……のだが。
家に帰り、SNSを開いて愛理は顔を強張らせる。
なんと、さっき自分が雅をお姫様抱っこしたシーンを誰かが撮影し、それがアップされ、あろうことかバズっていたのだ。
なんてことだ……と思わず呟いてしまった愛理。反応している人の中には、自分の動画の視聴者もいた。
これでは、ここのシーンを動画に盛り込まなければ面白味に欠けることになるだろう。いや寧ろ、もっとインパクトのあるシーンを追加で付けなければ、視聴者の期待を超えることは無い。
震える指で、愛理はとある動画を再生する。
雅に押し倒された時の、あのシーンだ。
お姫様抱っこ以上のものとなると、これしかない。
丸々二時間悩んだ末に、愛理は断腸の想いで、その映像を加えて動画を出すことにした。
一番反響があったのが、そのシーンだったのは言うまでもないだろう。
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