第20章閑話
時は雅達がカームファリアに来るよりも前。
八月三日の、夜九時。
カームファリアの北西には『ワルトリア山』がある。標高約六千メートル程の山であるが、その手前……カームファリアからワルトリア山の間に『ワルトリア峡谷』という険しい峡谷がある。
切り立った岩壁に挟まれ、左右にも上下にも曲がりくねった道が続き、全長三メートル近い獣も生息している大変危険な峡谷だ。
そんな峡谷にある、少し広いスペース。ここはあまり危険な獣もやって来ない。そんなこの場所には巨大なテントが張られ、拠点が作られていた。
中でたむろしているのは、カームファリアのバスター。
彼女達は、この辺りに生えている『レコベラ草』という薬草を採りに来ていた。先日の魔王種レイパーが起こした事件により、カームファリアも多くの怪我人が出てしまい、治療に必要な薬の原料となるレコベラ草を大量に消費してしまったため、その補充というわけである。
既に充分な量を採取しており、辺りも暗くなってきたということで、ここで一泊してから帰る予定。
実質任務も終わったようなもので、バスター達も少し気を抜いていた。
外で見張りをしていた部隊長がテントの中に戻ってきて、そんな彼女達を見ると、やれやれと溜息を吐く。
「全く……お前達。少しダラけ過ぎだろう……」
「えー? 隊長、いいじゃないですかー。今日めっちゃ頑張ったんだし……」
バスターの一人が軽口を叩く。
事実、レコベラ草が生息している場所までは凸凹した道が続いており、何体も凶暴な獣を退けてきたのだ。
レイパー程強敵ではないとは言え、気を抜けば命を取られる戦闘には違いない。
最も、部隊長とてそれを充分理解しているつもりだ。故に彼女の言葉に、あまり強く言い返すことは無かった。
しかし、すぐにそれを後悔することになる。
部隊長に見張りの交代の時間だと告げられ、二人のバスターが面倒臭そうにテントを出る。
……と、間も置かずに何故か片方が戻ってきた。
「あの、隊長。リズがいないんですが……」
「何?」
リズというのは、今まで隊長と一緒に外で見張りをしていたバスターである。
ほんの一分前まで一緒にいたはずなのに、姿が見えないとはどういう訳か。
怪訝な顔で隊長も外に出て……すぐに眉を顰める。
確かにリズはいないが、それだけではない。
「おい。シャリアもいないぞ?」
「あれ?」
シャリアというのは、つい先程、見張りのために出ていった女性の一人である。
何故か、彼女も忽然と姿を消していたのだ。
「ありゃりゃ? あれかな? どっかに隠れているのかな?」
「いや、見張りの任務中にそんな悪ふざけは――っ?」
会話の最中、隊長の視線が鋭くなる。
ほんの僅かだが、嫌な気配を感じたのだ。
そう。レイパーが近づいてきた時のような、あの気配だ。
部隊長は腰にしまっていたダガーを取り出す。これが彼女のアーツだ。
「キリア、今すぐ全員を呼んで来い!」
「は、はい! ――えっ?」
「どうしたっ? ……なっ?」
指示されるままに、部隊長と一緒にいた女性、キリアは振り向き、驚愕の声を上げると、部隊長もつられて後ろを見て……その顔を、驚愕に染めた。
今まさに、彼女達の目の前でテントが音を立てて崩壊していたのだから。
唖然とする二人の目の前で、完全に崩れるテント。
地面に落ちたフライシートやポールの間からは、赤い液体が流れてくるのを、二人はただ呆然と見ていることしか出来なかった。
その刹那だ。
「っ?」
部隊長の目の前で、キリアが何かに吹っ飛ばされる。
まるで重い物に撥ね飛ばされたかのような吹っ飛び方。
部隊長が事態を呑み込む間も無く、キリアは岩壁に頭から激突し、頭部が砕けた。
「キ、キリアっ!」
無駄だと分かっていても駆け寄ろうとする部隊長は、そこで気が付く。
姿を消したリズとシャリアも、別の場所で倒れており――どちらも死んでいるということに。
「ど……どこだ! 出てこい!」
部隊長がアーツを構えて叫ぶ。
何がどうなっているか分からず、混乱した頭でも、目の前で起こった現象から、これがレイパーの仕業だと直感する部隊長。
ふと、自分の右手側から、何かが迫ってくる気配を覚え、そちらに体を向け――目を見開く。
銀の鬣を生やした、まるでライオンのような巨大な獣が、すぐ目の前で牙を向いて飛び掛ってきていたのだから。
それをアーツで受け止めながら、部隊長は思う。
何故こいつがここに、と。
実は彼女は、この生物を知っていた。こいつはワルトリア峡谷の中で最も凶暴な生き物であり……本来なら、もっと山の方に生息して、この辺りにはいないはずだったからだ。
部隊長はその獣を力任せに撥ね退ける。
そしてダガーの切っ先を獣に向けながら、信じられないという顔でワナワナと口を開く。
「お、お前なのか……? 私の部下を殺したのは、お前なのかっ?」
そこまで言った瞬間、彼女は違和感を覚える。
自分に襲いかかってきた獣は、まるで何かに怯えているかのように興奮している、ということに。
その瞬間。
部隊長の背中に何かが激突し、吹っ飛ばされる。
あまりの衝撃に、全身の骨がメキメキと音を立て、肺の空気が全て吐き出されてしまったことで、彼女はここに、獣とは別の生き物がもう一体いた、ということを理解した。
同時に、部下を殺したのもこいつだ、ということを。
しかしそれが分かった時にはもう、部隊長の視界には岩壁が迫り……部下と同じ末路を辿っていたのだった。
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