第18話『愚師』
ファムがアーツを持っている事に驚いた、あの後。
雅を抱えて飛びあがった彼女は、地上に降りると、ノルンと連絡をとり、そのまま雅と一緒に教室へと向かっていった。
ただ途中でノルンと合流したのだが、ノルンはファムに軽く注意しただけだ。わざわざ探しに行った割には随分あっさりとしたやりとりで、雅は少し気になっている。そういう関係なのだと言われればそれまでなのだが。
それからライナと合流し、やることも無いので二人はそのまま学院を出て、近くの小さな宿屋にチェックインし、時間は過ぎていった。雅は一緒にお風呂に入ろうとライナを誘ったのだが、ライナは何やら色々とやることがあるようで断られてしまい、泣く泣く一人で湯船に浸かったくらいしか特筆するような話は無い。
そして次の日の朝十時。
日付の上では今日は授業はお休みの日であり、学院に来ている生徒は少ない。来ているのは、課外活動や自習として図書館や教師の元を訪ねる生徒である。
図書館の入館許可証を貰い、ライナと別れた雅は、ミカエルに会うため、ウェストナリア学園の敷地の西側にある教員棟に来ていた。
ウェストナリア学院の教師は、雅の世界でいうところの大学の教授と同じだ。それぞれ自分の専門分野について研究を行う傍ら、学生への教育を行っている。メインの仕事は研究なので研究者という方が雅的にはしっくりとくる表現だ。
この教員棟は、そんな彼らの研究室が集まっている校舎である。
今、雅はその教員棟の四階の、とある一室の扉の前に立っていた。扉には『ミカエル・アストラム研究室』と書かれたプレートが掛かっている。
その部屋に入ろうとしていたのだが……雅は戸をノックする格好のまま、入り口で固まっていた。
何やら中が騒々しいのだ。入っても良いのか正直悩む。
しかし何時までもここに突っ立っている訳にもいかず、意を決して雅は戸をノックする。
「えっ? あ、はいっ! いいですよー!」
「ちょ、師匠っ? 今はまずいんじゃ」
「し、失礼しまーす?」
何か不穏な言葉が聞こえたものの、雅は戸を開けた。
刹那、
「わっわっわっ、ごめんなさーいっ!」
「えっ?」
「ちょ、ししょーぅっ!」
大量の本を抱えた女性が、雅の方へと勢いよく倒れこんできたのだ。
あまりに突然のことで、雅にそれを避ける余裕は当然無い。
呆気に取られている間に、雅は大量の本と女性の体に押しつぶされた。滅茶苦茶良い匂いと、凄く温かくて柔らかい、幸せな感触がした。
***
「大変失礼しました……」
「いえ、私は平気ですよ」
十数分後、ドタバタ騒ぎもようやく落ち着いた。どうやら来客の準備が整っていなかったらしく、片付けの最中だったらしい。そんな最中雅が時間通りにやってきたものだから、慌てて中に招き入れてしまったそうだ。
そんなおっちょこちょいな人物と雅は、テーブルを挟んで向かい合って座っている。
まるで白衣を思わせるような見た目のローブを纏い、金髪ロングの髪の左サイドを三つ編みにしている彼女こそ、ミカエル・アストラムその人である。余談ではあるがとてもスタイルが良く、まさにボン・キュッ・ボンのお手本と言っても過言では無いほどだ。
ミカエルは申し訳なさそうな顔で謝るが、合法的にミカエルのわがままボディに触れられた雅は全然気にしていない。難ならもうしばらくあの感触を楽しみたかったので、もっと自分の体の上でジタバタして欲しかったくらいだ。
「えー……改めて自己紹介を。私がミカエル・アストラムです」
「初めまして、束音雅です。今日は貴重なお時間、ありがとうございます」
「実際に会うまで半信半疑だったのだけれど……本当に『タバネ・ミヤビ』という名前なんですね。あまりここら辺では馴染みの無い名前ですけど、どこの国の方なんですか?」
「ええっと、そこら辺の詳しい話は本題で……。ところで」
雅はこの部屋にいる、もう一人の人物へと顔を向けた。
「ノルンちゃんもここにいたんですね」
そこにいたのは、昨日出合った少女だった。ダボついた白いローブに、緑色のロングヘアー。前髪の、上に跳ねたクセっ毛が特徴的な娘。
ノルン・アプリカッツァだ。
話かけられたノルンは、雅に向かって頭を下げる。
「はい。昨日はありがとうございました、ミヤビさん」
「あぁっ、いけない! 私ったら助手の紹介もせずに……ごめんなさいっ!」
「いえ師匠、私は昨日ちょっとお話する機会があったので……お互い名前は知っているので、気にせず話を進めちゃってください。今お茶を用意しますね」
「あぁ、お構いなく」
「いえいえ」
「ぅぅ……お茶の用意すら忘れていた私って……」
ミカエルは顔を覆って恥ずかしそうにそう呟く。
一度トラブルが起きると、立て直すまでに時間が掛かる人のようだと、雅は感じた。
雅はコホンと咳払いをしてから、本題に入る。
「まずはこれを見て頂きたいんですけど」
そう言うと、雅の右手の薬指が光を放ち、手に剣と銃両用アーツ、『百花繚乱』が出現する。
この世界には存在しない、アーツ収納ギミックだ。
目を丸くするミカエル。雅はアーツをテーブルの上に置いて、説明を始める。
自分がこの世界では無い、別の世界から来た人間であること。
この世界と元の世界を自由に行き来する方法を探していること。
そんな中、セントラベルグの図書館でミカエルの書いた論文を見つけたこと。
ここに来るまでの経緯は、なるべく詳しく話をする。
ミカエルは雅の話を一笑に伏すことも無く、真剣な顔で聞いてくれていた。
雅は自分の話を信じてもらえないことも覚悟していたのだが、話を聞いているミカエルの様子を見る限り、その心配は無さそうだ。
良い人だと、雅はそれだけで何となく分かる。
「ミカエルさんは論文の中で、レイパーが別の世界に転移しているのではないか、という仮説を提唱していました。それで、知恵をお借り出来ないものかと思いまして……」
「……成程。話は分かりました」
そう言うミカエルだが、表情は随分と複雑なものだった。
「正直なことを言うと、あまりお役には立てないかもしれません。確かにその時は『レイパーが別の世界に移動している』という仮説を立てましたが……あまりに突飛過ぎる話で、先生からも随分馬鹿にされたものです」
「そう、ですか……」
「その頃は私も学生でしたので……今見返して見ると、自分でも突っ込みどころの多い論文だったと思っています。ただ――」
ミカエルは目を閉じ、過去の記憶を掘り起こすような仕草で唸る。
「その時はその時なりに、色々調べて、考えてその仮説に辿り着いたはずです。昔の資料を掘り返してみますね。何かヒントがあるかもしれません。あまり期待はしないで頂きたいのですけど……」
「え? あの、それってつまり……調べてもらえるってことですか?」
途中までの話の流れから、てっきり断られると思っていた雅。
思わず身を乗り出して、そう確認してしまう。
「ええ。こういった物を見せて頂きましたし」
ミカエルは、視線を雅のアーツ『百花繚乱』へと向ける。
「もっと良く見せて頂いても良いですか?」
「は、はいっ! どうぞ!」
ミカエルは雅が頷いたのを見ると、百花繚乱を手に取る。
そのまま視線を、アーツの先端から持ち手の先までスーッと動かしていく。
「やはり……随分特殊な素材が使われていますね。私達の世界では見た事がありません」
「私も詳しくは知らないんですけど……刃の部分に使われているのは『玉鋼』ですね。原料は砂鉄だったかな? 私の世界で作られているアーツにはよく使われている素材だと思います」
「指輪にアーツを出し入れするというのも初めて見ました。異世界から来た、と聞かされた時は驚きましたが……こういった物を見せられては、信じるより他ありません」
「ふふ、師匠。興味津々なんですね」
ここで横から声が掛かる。ノルンがお茶を持ってきたのだ。
「ええ。研究者としては、未知の物を見聞きしてワクワクしなきゃ嘘ってものですよ」
「専門はレイパーの生態についてだとお聞きしていたんですけれど、アーツについてもお詳しいんですね」
アーツに使われている素材が特殊なものだと、見ただけでよく見抜いたものだと、実は驚いていた雅。
「レイパーの謎を解明するのに、アーツの知識もある程度無いといけませんから。勿論、本職の方には負けますが――あちっ!」
「師匠っ?」
お茶を口に運んだ途端、ビクリと体を震わせるミカエル。
「うぅー……舌火傷しちゃいましたぁ……」
涙目で舌をちょろっと出しながら呟くミカエルに、雅もノルンも苦笑いを浮かべる。
「ミカエルさん、猫舌なんですね」
「ええ、そうなんですけど……本人は克服したいみたいで。お茶とか冷ましてから出すと怒られちゃうんですよね」
二人がそんな会話をしている間にミカエルは湯飲みにもう一度口をつけ、再び体を震わせた。
***
三十分後。
雅は教員棟の出入り口でノルンと一緒にいた。雅は今から帰るところであり、ノルンはそのお見送りという訳だ。
本当はミカエルも一緒のつもりだったが、部屋を出る前に転んでテーブルの角に頭をぶつけてしまい、現在研究室の中にある長椅子の上で横になり、目を回している。
「なんだかごめんなさい。色々と……」
「いえいえっ、それより、大きな怪我が無くて良かったです。しばらくすれば目を覚ますと思いますよ」
恥ずかしそうにするノルンに、雅はそう声を掛ける。
「師匠、普段からあんな感じなんですけど……本当は凄い人なんです」
「良い人だって言うのは、何となく分かりますよ。そう言えばノルンちゃん、ミカエルさんの事を『師匠』って言っていますけど、いつから?」
「師事してもう三年になりますね。研究者としての視点とか、発想とか、毎日色々と勉強させてもらっています」
話を聞けば、この学院では、教師は必要であれば学生を自分の研究のサポートとしてつけることが出来る制度があるとのことだ。その代わりとして、様々な知識を学生に伝授しなければならない義務がある。これが傍から見ると師匠と弟子のような関係に見えることから、『師弟制度』と呼ばれている。
しかしノルンは自分から、ミカエルに弟子にしてくれと頼んだらしい。ミカエル自身、別にサポートを必要としていたわけでは無いのだが、ノルンの熱意を認めて師弟関係を結んだとの事。
それ程までに、ミカエルの研究者としての能力はノルンを引き付けたのだと、雅は思った。
「『あまり期待しないで』って言っていましたけど……師匠はきっと、ミヤビさんの助けになる『何か』を見つけてくれるって私信じてます。だから――期待して待っていてください」
「……っ、はい!」
「ありがとうございます! じゃあ、また連絡しますね!」
雅が力強く頷くと、ノルンは心底嬉しそうな顔でそう言った。
「それじゃ、また来ます。今日はありがとうございました。ファムちゃんにもよろしく言っておいて下さい」
途端、ノルンの笑みが僅かに薄れる。
「……はい。ちゃんと伝えておきます!」
だが、すぐに元に戻った。
そんな彼女の様子が、無性に気になった雅。
ノルンは言っていた。ファムとは親友だと。
思わず「何かあったのか」と聞きそうになったが、ストレートに聞くのはあまりにも無遠慮なような気がして、止めた。
それでも気になる。さりげなく様子を探るべきか否か。
ノルンに見送られて教員棟を出ながら、雅はどうしようか、ずっと頭を悩ませるのだった。
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