第161話『線譜』
何が起こったのか、最初は誰も分からなかった。
レーゼ達も、優も、魔神種レイパーも、そして雅本人でさえも。
ただ、起きている現象を端的に表現するならば、こうなる。
五線譜が、宙を舞っていた。
五線譜というのは、比喩でもなんでもない。楽譜に書かれているあの五線譜のことだ。それが、雅の背中から出て、彼女を中心に円を描くように空を伸びていた。
五線譜は、今まさに優を殺そうとしている魔神種レイパーへと激突し、レイパーを吹っ飛ばす。
床に崩れ落ちる優。
地面を転がるレイパーを、雅達は信じられないという目で見つめていた。
グッと、雅の拳に力が入る。
気が付けば、不思議と力が湧いてきたのだ。
剣銃両用アーツ『百花繚乱』を手に、雅は立ち上がる。
そしてレイパーを吹っ飛ばした五線譜が雅のところに戻ってきて、彼女の体に纏わりついた。
誰もが唖然とする中、雅の体が七色の光に包まれ、彼女が身につけている服が形を変える。
光が弾け飛び、そのコスチュームの全貌が明らかになった時、誰もが息を呑んだ。
雅自身も、自分の体を見て、口をポカンと開ける。
「……これは……燕尾服?」
全体的に、桃色を基調とした服だ。襟のある、裾が燕の尾のようなその形状は、確かに雅の言う通り『燕尾服』というものだろう。服のところどころには五線譜や音符を模した意匠が散りばめられており、礼服としての燕尾服というよりは、指揮者が身に着ける燕尾服としての意味合いが強いように、雅は感じた。
魔神種レイパーが立ち上がり、姿が変わった雅を見て笑みを浮かべる。
「コゾ、ライナノノモラルナレルタモ。ラカヘアレ」
そんなことを言ってきたレイパーを、雅は睨む。
何が起きたのかは分からない。
しかし、体の中から沸き上がってくるような力に、雅は僅かながらも希望を見出していた。
先程までの自分の力は、魔神種レイパーには一切通用しなかった。
だから、これに賭ける。
もう二度と、こいつに人は殺させない。その想いを、百花繚乱の柄を握りしめる手に込める。
互いに腰を落とし、睨み合う雅とレイパー。
一瞬の間。
誰もが固唾を呑んで見守っていた。
だが、それも一瞬のこと。
雅もレイパーも、すぐに地面を蹴って、勢いよく相手に突っ込んでいく。
雅は上から叩きつけるような斬撃を。
レイパーは鋭い蹴りを。
互いに同時に繰り出し、それが激突する。
これまでに経験したことの無いパワーでアーツを振れたと自覚する雅。
しかも、スキルも使える。今地面を蹴った時、雅は志愛の『脚腕変換』を発動させていたのだ。それにより上がった腕力で、雅は敵に攻撃を仕掛けた。
が、しかし――
「――っ?」
パワーはまだ、魔神種レイパーの方が遥かに上。
レイパーの蹴りに、雅の攻撃が弾かれてしまう。
体勢を崩した雅に襲いかかる、レイパーの追撃。
顔面への鋭い左ストレートに、左脇腹へと繰り出される鋭い右中段蹴り。
さらには鳩尾への右アッパー、腹部への膝打ち。
一瞬の内に繰り出された四つの攻撃を、雅は不安定な体勢ながらも、全て百花繚乱で受け流したり、体を捻ったりして捌く。
雅の頬を、汗が伝う。本能的に体を動かしただけで、狙ったわけでは無い。奇跡的な回避だったのだ。
それでも、五発目に放たれた左上段蹴りが百花繚乱に命中。その衝撃に、雅の手からアーツが飛んでいってしまった。
「しまっ――」
思わず百花繚乱を拾いにいこうと振り向き、それがミスだと分かったのと、雅の背中に強烈な掌底が直撃するのは同時。
地面を転がり、痛みに呻く雅へと、レイパーはゆっくりと近づいてくる。
このままでは、やられる。
「ぐっ……ぅぁぁぁあっ!」
やぶれかぶれ。効かないと分かっていても、雅は起き上がりながら、近づいてきたレイパーの腹部を殴りつける。
その時だ。
「――っ!」
雅は確かに見た。
自分の攻撃がレイパーへと命中する直前、拳の先から『音符』が出て、レイパーの体に吸い込まれたのを。
雅のパンチは、当然レイパーには効かない。
あの音符は何だったのかは分からないが、結局レイパーには効果が無かった。
雅の心に、絶望の影が差す。やはりこいつには勝てないのかと、悔しさに歯噛みをする。
レイパーはつまらなそうに鼻を鳴らすと、雅を思いっきり蹴りとばした。
そして、倒れる雅の方へと歩き出した、その瞬間。
「はっ!」
「うぉおらっ!」
セリスティアがレイパーへと突撃する。
背中には、レーゼが乗っていた。
二人ともボロボロの体だが、残った力を振り絞り、雅を助けに来たのである。
レーゼがセリスティアの背中から飛び降り、剣型アーツ『希望に描く虹』を振りかざす。
地上からはセリスティア、上からはレーゼ。二方向から、同時に攻撃を仕掛けた。
しかし、レイパーは腕を二人に叩きつけ、明後日の方向へと吹っ飛ばした。
それでもレーゼとセリスティアの目は死んでいない。二人の目的は、レイパーにダメージを与えることでは無かったからだ。
「雅ちゃん! これ!」
吹き飛ばされた百花繚乱を真衣華が拾い、雅に投げて渡す。
転がっていたアーツに最も近い位置で倒れていた真衣華。彼女が百花繚乱の方へと向かっていくのが見えたからこそ、レーゼとセリスティアは少しでも時間を稼ごうとしたのである。
真衣華の手から百花繚乱が離れた瞬間に、レイパーは地面を蹴って、雅へと接近。
雅がアーツをキャッチするのと、レイパーが拳を振り上げるのは同時だった。
雅が片膝立ちの状態で我武者羅に、レイパーの腹部へと刃を叩きつける。
レーゼ達が僅かでも時間を稼いでくれたお陰で、攻撃が間に合ったのだ。
力を込めるには体勢がやや不十分なりに、全力で放った一撃。
効くとは思っていない。ただ敵の体勢を少し崩せれば……そんな思いだった。
だが――刃が体に振れた瞬間、轟音と共にレイパーが大きく吹っ飛ばされる。
「えっ?」
雅の口から、驚きの声が上がる。
何の変哲も無い、ただの斬撃だったはずだ。
全力の一撃すらレイパーの蹴りの前に敗れたことを考えれば、ありえない結果。しかも片膝立ちの状態である。
吹っ飛ばされ、それでも空中で姿勢を整え、両足で着地したレイパー。しかし腹部を手で押さえ、顔を歪めている。ダメージを受けているのは明らかだ。
一体何故……と思った雅は、思い出す。
今の攻撃がヒットした時、轟音の中に、攻撃が当たった音とはとても思えない、ドとファの美しい協和音が鳴り響いたことを。
そしてレイパーを殴りつけた時、敵の体に音符を撃ち込んだことを。
雅は思う。
あの音符は敵にダメージを与えるものでは無く、自分の別の攻撃の威力を上げるものなのではないか、と。
音符のエネルギーが敵の体内に堆積し、それが百花繚乱の斬撃により炸裂したのではないか、と。
一発音符を撃ちこんだだけで、ただの斬撃があの威力になるのなら――もっと撃ちこめばどうなるか。
そして大量の音符が堆積したレイパーに、全力の一撃を喰らわせれば、どうなるか。
雅の心に差しこんでいた、絶望の影が消え去る。
活路が、見えた。
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