第93話『加減』
時は少し前に遡り、雅達三人はというと、希羅々が呼び戻した車の中にいた。
サイのような顔の化け物の正体が、人間の男だということに衝撃を受けてから、十分後のことである。
希羅々のULフォンに真衣華からの連絡が入り、確認してみれば、あの鷹のような顔の化け物と目撃者が、人目の無いところでこっそり会っていたと書かれていた。
希羅々もこちらの状況を真衣華に連絡しようとしたのだが、気が付いていないのか、彼女からの応答が無い。
何かあったのでは、と心配した雅達は、一先ず真衣華達がいる東区材木町へと向かうことにしたのだ。
なお男だが、先程、戦闘の騒ぎを聞き駆けつけた警察所属の大和撫子に引渡ししてある。優一にも連絡済だ。その際、真衣華からの報告の件も、優一に伝えてある。優一も、大和撫子を連れてすぐに材木町へと向かうそうだ。
そしてレーゼ達と同様に目撃者を調べていた優一からも、『とある情報』を聞かされた三人。
雅達の胸の中は、嫌な予感で一杯である。
そんな中。
「さがみん、希羅々ちゃん。ちょっと聞きたいんですけど――」
「希羅々ちゃんはお止めなさいと言っておりますでしょう!」
「話の腰を折らない! で、何? みーちゃん」
「あ、その前にもう一つ聞きたいことが出来ました」
相変わらずの反応に、雅は苦笑して再度口を開く。
「真衣華ちゃんだって、桔梗院ちゃんのこと名前で呼ぶじゃないですか。何で怒らないんですか?」
そう聞かれ、希羅々の口から変な声が漏れた。
「あなた……今の状況の中、突然何ですの?」
「いえ、以前から気になっていたので……。名前で呼ばれたくない理由はさがみんからチラっと聞いていますけど、でも真衣華ちゃんは普通に呼んでいますよね?」
希羅々という名前が、キラキラネームっぽくてコンプレックスだからというのは知っている雅。しかし、真衣華が希羅々を名前で呼んでも、彼女が文句を言ったところは見たことが無い。
「あー、それ私も気になってた。真衣華は良いのに、なんで私達が名前で呼ぶと怒るのよ」
不公平だー、と抗議の声を上げる二人に、希羅々は頬を引き攣らせる。
何かしら文句を言おうとしたところで、運転手の男性から笑いを堪えているような音が聞こえてきたため、彼をジロリと睨んでから、諦めたように希羅々は口を開いた。
「真衣華は……まぁ、親友ですし。特別と言いますか……」
「あんたと真衣華って何時からの付き合いな訳?」
「小学一年生の時からですわ。『StylishArts』主催のパーティで出会って、それから話すようになりましたの。あの子のお父様も、うちの会社の社員ですから。……そう言えば、あなた達も、古くからの間柄なのでしょう?」
「ええ。さがみんとは、四歳くらいからの付き合いですよね?」
「小さ過ぎて記憶が曖昧だけどね。でも、思い出せる一番古い記憶の中には、もうみーちゃんがいるわ」
二人がそう言うと、希羅々の眉がピクリと動く。
幼馴染とは聞いていたが、想像以上に長い付き合いだった。自分と真衣華よりも古い関係で、それが少し悔しかったのである。
「まぁそれなら、あなた達も何となく分かるでしょう? 他の人にされると嫌なことでも、真衣華になら許せるという私の気持ち」
「ええ、とてもよく分かります。でも――」
そこで言葉を切り、雅は希羅々の目を真っ直ぐに見つめる。
「私やさがみんとは、真衣華ちゃんみたいな関係にはなれませんか?」
「……はい?」
「私は、もっと仲良くなりたいです。折角こうして、一緒に何かするような関係になったんですし。きっかけがレイパーだったり、変な化け物と戦ったことなのは癪ですけど……だからこそ、一緒に戦った人とは深く結びつきたいって思っています。だって、勿体無いじゃないですか」
「……あなた、ズルい言い方をなさいますのね。そこで『なれない』と言おうものなら、私が悪者みたいになるではありませんか」
フン、と鼻を鳴らす希羅々に、雅はクスクスと笑ってしまう。
隣では、優が大きく溜息を吐いた。
「諦めなさい。みーちゃんは、あんたを逃がさないわよ。仲良くなるまで、しつこいんだから」
「ちょっとさがみん? しつこいとは何ですかしつこいとは。もっと良い表現をして下さいよぅ。……まぁそれは兎も角、私は桔梗院ちゃんの名前はとっても素敵な名前だと思っています。変だなんて思わない。勿論苗字だって素敵な響きですけど、やっぱり苗字呼びって他人行儀じゃないですか。本当に名前で呼ばれるのが嫌なら止めます。でも、私は桔梗院ちゃんのこと、名前で呼びたいです。そっちの方が、仲良くなれる気がするから」
「……ぐ、ぐぬぬ」
少しばかり反論しようとしたものの、言葉が出て来ない希羅々。
変わりに「あなた親友なんだから何とかなさい」という意思を視線に込め、優に向けるが、彼女はどこ吹く風といった様子だ。
「桔梗院ちゃんが良ければ、いつでも言って下さい。それまでは私もさがみんも、名前で呼ぶのはよしておきます」
「……えっ? 私も?」
てっきり雅だけがそうするのかと思いきや、自分も苗字呼びを要求されるとは思ってもみなかった優。雅に「そうです、さがみんもです」と頷かれてしまい、咄嗟のこと過ぎて文句も出せない。
思わず噴き出した希羅々を睨むが、渋々その要求を受け入れた。
すると、ふと希羅々は気づく。
「篠田さんとも仲がよろしいのでしょう? 彼女はあなたを苗字呼びですけど、それは良くて?」
「愛理ちゃんには、何度も名前で呼んでって言っているんですけどねー……。彼女、どうも私やさがみんを名前で呼ぶタイミングを失ったって思っているみたいで、『今更名前呼びに変えるのは恥ずかしい』って言って聞かないんですよ」
「は、はぁ」
「あ、それよりも……」
若干強引に話を変える雅。少し突っ込んでやろうかと思った希羅々だが、元々雅が何か聞きたがっていた様子だったことを思い出し、一旦そのまま彼女に話をさせることにした。
「ここまでの展開、どう思いますか?」
「展開? 真衣華からの連絡の件や、レイパーが男性だった件。それに、相模原警部の話のことでして?」
「ええ。ここまでの流れ全部。私、なんか上手くいき過ぎているなって思うんです。レーゼさんは、もっと前から違和感を覚えていたんですけど」
「上手くいっているかなぁ? だって鏡はまだ取り返せていないでしょ?」
「でも、次の行動の指針がすぐに立つじゃないですか。鏡を奪われればすぐに目撃情報が来て、レイパーを探せばすぐに見つかって、それで今回は、怪しそうな人物を調べたらボロが出た。ただ、さがみんの言う通り、肝心な目的は達成出来ていませんけど」
言われて、うーんと唸る優。それとは対照的に、希羅々は納得がいった様子だ。
座席に深く体重を掛け、悩むような表情をしながら、希羅々は口を開く。
「敵に、上手く誘導されている……そんな気は、確かにしますわね。こちらには選択の余地が無いから、分かっていても動かざるを得ませんが」
レイパーも鏡も、目撃情報があれば動かないわけにはいかない。希羅々の言う通り、怪しいとは思っていても、追わないという選択肢は雅達には無いのだ。
そして、次の情報が来るのが早いため、不自然さに気が付く暇や、例え気が付けても対策を練る暇も無い。目先のことに集中させられている気持ち悪さを、雅は感じていた。
「二人とも、何が起きても良いようにしておきましょう――」
と、雅がそこまで言った時だ。
車がもうすぐ材木町へと入る、そのタイミング。
遠くで、爆発が起きた。
「えっ? 何っ? なんなのっ?」
「車、あの爆発の方へ!」
希羅々が急いで運転手へと指示を出す。
これまでの展開への違和感だのなんだのは、既に三人の頭から吹っ飛んでいた。
あるのは、レーゼ達に何かあったのでは……という不安だけ。
***
爆発が起こった工場の近くまで来たところで、雅達は車を降り、そこからは走って目的地へと向かう。
そこで目にした光景――魔王種レイパーがレーゼ達に襲いかかっているところだ――に、三人は揃って大きく目を見開いた。
特に、雅の動揺は激しい。
「っ! 真衣華っ!」
「みんなっ!」
希羅々と優がそれぞれのアーツを出現させ、魔王種レイパーへと果敢に攻撃を仕掛ける中、雅は一瞬出遅れた程だ。
それでも剣銃両用アーツ『百花繚乱』を出現させると、二人に続いてレイパーへと向かっていく。
魔王種レイパーは丁度、組み伏せた志愛を踏みつけ、二挺の片手斧型アーツ『フォートラクス・ヴァーミリア』を持つ真衣華と、剣型アーツ『希望に描く虹』を振るうレーゼを、両腕であしらっているところだった。
遠くでは、愛理が腹部を押さえて蹲っている。
四人はまだ生きているものの、満身創痍といった様子。
それでも加勢が来たことで、彼女達の顔は僅かに明るくなった。
レーゼを除き、だが。
魔王種レイパーはやって来た雅達を見て、口角を上げる。
そして希羅々が放った突き攻撃を、レイピアの側面を弾くようにして防ぎ、一瞬にして姿を消したと思った瞬間、希羅々の横に出現し、そのまま蹴りで彼女を吹っ飛ばす。
さらに飛んできた白い矢型のエネルギー弾を容易く躱すと、一瞬にして優との距離を詰め、彼女の頭を掴んで地面に叩きつけ、その後遠くまで投げ飛ばした。
最後に向かってくる雅を指差し、口を開く。
「コナロッナタ、ラヤト。メワルカロハヤジンウワ」
そう言うとレイパーは地面を蹴って勢いよく雅に近づくが、魔王種レイパーと戦うのはこれで四度目の雅。
流石に敵の動きには目が慣れており、放たれた飛び蹴りは辛うじてアーツを盾にして防ぐことに成功する。とは言え、大きく後ずさってしまったが。
レイパーはさらに雅へと近づくと、嵐と呼ぶのも生温い勢いで乱打をしてくる。
それを、百花繚乱で何とか捌き、直撃は避けるものの、必死な顔の雅とは対照的に、レイパーの顔は余裕綽々といった様子だ。
傍から見た他の六人は、レイパーが手加減しているのだとすぐに悟った。
「こんのぉ……!」
優が頭から血を流しながらも、弓型アーツ『霞』の弦を引き、レイパーへとエネルギー弾を放つ――が、命中したにも関わらず、ダメージを受けた様子は無い。
実はこの時、レイパーは優に背中を向けていたので『死角強打』のスキルを発動していたのだが、威力が上がった一撃だったにも関わらず効果が薄いことに、優は歯軋りする。
「こっちを忘れんじゃないわよ!」
あわや雅が押し負ける、といった時、レーゼがレイパーへと斬りかかる。
さらにそのすぐ後から、優達五人もレイパーへと一斉に攻撃を仕掛けた。
その全てを、魔王種レイパーは腕や脚を振り回し、体を捻って華麗に躱す。
雅達七人はレイパーを囲み、斬撃や突き、エネルギー弾等で必死に攻撃を続けるも、どれもレイパーへと当たることは無い。
そして彼女達の動きの隙を突き、レイパーは全方向に衝撃波を放って、雅達全員を吹っ飛ばした。
顔を歪める、雅とレーゼ。彼女達の記憶でも、このレイパーはここまで強くは無かった。
天空島の時も実は手加減していたようだと気がつき、一気に頭の中がグチャグチャになる。
倒れる雅達を、ゆっくりと見渡し、耳障りな甲高い声で笑う魔王種レイパー。
だが、諦めるわけにはいかない。
アーツを支えにして、立ち上がる雅達。それを見て、レイパーの笑い声もいっそう大きくなる。
「ノタヘレラカネンザカゾ。カルフマヘロハガルモ」
そう呟くと、もう一度彼女達を見渡し、希羅々のところで目を止める。
どうやら、最初の獲物を彼女に決めたらしい。
レイパーが希羅々へと近づこうとした、その時だ。
突然、雅達が右手の薬指に嵌めている指輪が、黒い光を放った。
「っ? なんですかっ?」
雅が思わず叫んだ疑問に、誰も答えられない。皆、こんな光は初めて見たからだ。
魔王種レイパーも、動きを止め、首を捻る。どうやらレイパーも、何が起こっているのか分からないようだ。
すると、雅達のアーツが光に包まれ、消えた。
指輪にアーツを収納しない、レーゼの希望に描く虹以外のアーツが、消えてしまったのだ。
アーツが指輪へと収納されたのだと気がついたのは、指輪が彼女達の薬指から外れ、この敷地の入り口へと飛んでいった時。
入り口には男性が立っており、彼の手の平には小さなアタッシュケースが蓋を開いて乗っている。指輪は、そこへ向かっていた。
「――何故ここに……! やはりあなたが……!」
希羅々が、その人物に怒鳴り声を上げる。
雅達はそこで、自分達のアーツが彼に奪われたのだと理解した。
彼女達のアーツを奪ったその人物。
スーツ姿の、五十代くらいの男性だ。彼のスーツの襟元には、『StylishArts』の課長以上の役職が着けるバッヂが、鈍く輝いている。
そう、彼は『StylishArts』本部長――
久世浩一郎だった。
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