第91話『尾行』
時は少し前に遡り、午後三時四十六分。
じゅんさい池公園から南東に少し進むと、飲食店が集中するエリアがある。
その近くのアパートへと、レーゼ、愛理、志愛、真衣華は向かっていた。
鏡を所持したレイパーの目撃情報を提供してくれた男性が、ここに住んでいる。
彼が警察に送ってきた動画により、レーゼ達が盗まれた鏡の在処が分かった。
しかし盗まれてから次に発見されるまで早過ぎたのと、そもそもその動画が、まるで準備していたのでは無いかと思う程、鮮明に映っていたため、違和感を覚えたレーゼが調べてみようと提案したのだ。
調べるといっても、今のレーゼに出来るのは、この男性をこっそり監視し、怪しいところが無いか確認するくらいしか出来ない。また、大分慣れてきたとはいえ、まだレーゼはこちらの世界の常識には疎いため、愛理達を連れて来た。
「……ここだナ」
地図を見ながら道案内をしていた志愛が、そう告げる。築十年程度の二階建てのアパートで、外壁等がきちんと手入れされているらしく、非常に綺麗な建物だ。部屋の数は四つ。
男性が住んでいるのは、一階の二号室だ。
四人は二手(志愛と真衣華、レーゼと愛理)に別れると、アパートの近くの物陰に身を潜める。
***
志愛と真衣華が隠れているところでは。
「やー、なんかさ。こんなことになるなんて思わなかったなー」
「……こんなこト、とハ?」
志愛と真衣華は、視線をアパートの方へと向けたまま、そんな会話を始める。
「志愛ちゃんと一緒に、知らない男の人を探るってこと。そう言えば、この間も一緒にレイパーと戦ったよね?」
「雅と真衣華で倒しタ、あのキリギリスみたいな奴カ」
「そうそう。少し前まではさ、志愛ちゃんと一緒に何かやる、なんて想像もしてなかった。私達、特に接点なかったじゃん?」
言われてみれば、確かにその通りだと志愛も思う。学校では同じクラスだが、タイプが違う二人は、きっかけが無ければ付き合いもほとんど無かっただろう。
「不思議な感じ。優ちゃんの親友がいきなり戻ってきたと思ったら、異世界だの何だのって色々あって……正直、まだ頭の整理がついていないんだよね」
「雅とレーゼさン、二人が来てかラ、レイパーの不自然な行動を目にしタ。……鏡を盗むレイパーなんテ、聞いたことが無イ。不思議で不気味なことがたくさん起きていル。知っているか真衣華。あの鏡、アーツらしイ」
「うん、雅ちゃんから聞いているよ。コアがあったって。でも武器としては使えないって話だよね。あー、前に話を聞いた時、見せてもらえばよかったなぁ……」
実物を見れば、何か分かることがあるかもしれなかった。それに、レイパーと戦うための力を持たないアーツというのは、非常に興味をそそられる。
それだけに、実物を見る前に持ち去られてしまったというのは、実に勿体無い話だ。
「アーツに詳しい真衣華の意見を聞きたイ。そもそモ、レイパーと戦うことを目的としないアーツなんテ、存在すると思うカ?」
「無いと思う」
志愛の質問に、真衣華は即答する。
「実物を見ていないから何とも言えないけど……アーツである以上、何かしらレイパーに対して有効な機能が備わっているはずだよ。きっと、私達の想像も及ばないような使い方をするだけなんじゃないかな? それか、もしかすると――」
真衣華の眉間に、皺が寄る。
一旦言葉を切った後、逡巡してから再び口を開いた。
「アーツの機構を流用しただけで、実は全く別のものなのかも」
「つまリ、そもそもアーツでは無イ、ト? 科捜研や『StylishArts』の出した結論ニ、真っ向から反対する意見だナ」
「まぁ、無いとは思うけどね。流石に科捜研やアーツ製造販売のメーカーの人達が、あの鏡はアーツだって言うのなら、間違っていないと思うよ」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようである。
志愛は、深く息を吐くと、一瞬だけ視線を真衣華に向けた後、アパートの方へと戻す。
「真衣華、私は真衣華の意見に賛成ダ。あの鏡ハ、アーツでは無い気がすル」
「ありがたいけど、何で?」
「もしあの鏡がアーツなラ、レイパーが盗んだまマ、大事に持っている理由が無いからダ。だがアーツでは無いというのなラ、その理由に説明がつくかもしれなイ」
「成程ね……ありがとう。でも一体、何が起こっているんだろうね」
真衣華の疑問に、志愛は首を傾げることしか出来なかった。
***
一方、レーゼと愛理は。
「マーガロイスさん、大丈夫ですか?」
「……? 何が?」
「いえ、汗が滝のように流れているので……」
「まぁ、暑いしね。でも大丈夫よ」
言いながらも、鬱陶しそうに額や首もとの汗を、手の甲で拭うレーゼ。
二人が身を潜めているところはまだ涼しい方だが、それでもレーゼの体には厳しい温度だ。
一応、熱中症対策に水分や塩飴は持ってきてあるが、万が一戦闘になった時は邪魔になってしまうので、あまり多くは無い。
「それより、面倒なことにつき合わせてしまって悪いわね」
「いえ、私も色々気になっていましたから」
「物事が、トントン拍子に進み過ぎている気がするのよね……。私の気のせいなら良いんだけど――っ!」
そこまで呟いた時、男性の部屋の戸が開く。
出てきたのは、当然、顔写真の男性だ。男はそのままアパートを出て行く。
男は手ぶらだ。身一つで、一体どこへ行こうというのだろうか。
「跡を付けましょう。シアさん達二人にも、連絡をお願い」
指示を出しながら、隠れていたところから出るレーゼ。
途中で志愛と真衣華も合流し、四人で男を尾行する。
「……意外とバレないもんですね」
愛理が、感嘆したようにそう呟いた。
青い髪で美人なレーゼは目立つはずなのだが、男は彼女に気が付くことは無い。
だが言われて、レーゼも目をパチクリとさせる。
「……そう言えばそうね。髪の色が違うんだから、隠す努力をすべきだったかも。うっかりしていたわ」
「あれ? そうなの?」
「え、ええ。隠さなきゃならないって発想が湧かなかったわ。地毛だからかしら? それとも、ミヤビの髪も綺麗なピンク色だから、自分の髪が他の人とは違うってことに気がつかなかったのかも」
「てっきリ、帽子か何かを持ってきているのだと思っていましタ……」
志愛に言われ、苦笑いを浮かべるレーゼ。
しかしそこで、ではどうして男はこちらに気がつかないのか、疑問が湧く。
この男性が鈍感なだけなのだろうか……と頭を悩ませつつも、尾行する足は止めない。
そうこうしている内に、男は通船川を渡った後、東へ進む。
向かう先は、東区材木町。工場が建ち並ぶエリアだ。
「……おかしい」
愛理が思わず漏らした一言に、志愛も真衣華も同感だ。
男は、アパートを出る時は手ぶらだった。果たして、それでここまで来るだろうか。散歩のコースだ、というのも不自然である。
「ええ、おかしいわ」
レーゼも愛理の言葉に同調するが、言葉に含む意味は異なる。
張り込みを開始して一時間にも満たない間に、監視対象が怪しい動きを見せたことに、レーゼは違和感を覚えたのである。
あまりにも、上手く出来過ぎている。
疑念を持った四人はなおも尾行を続けると、男は立ち止まる。
彼の視線の先にあるのは、二階建ての、小さな工場。しかし外壁はボロボロで、表に掛けられた看板には何も書かれていない。
どうやら、廃工場のようである。
男は辺りを確認した後、工場の中へと入っていく。
一体、何をするつもりだろう。
「工場の関係者……には見えないね」
「……どうしまス?」
「……あそこに窓があるわ。こっそり覗いてみましょう」
レーゼが先導し、四人は工場の横に回りこむ。
ヒビの入った窓から中を覗きこむ、四人の顔。
「ここは廃水処理場かな? 奥に大きな鉄の桶があるから……昔はメッキ屋さんだったのかも」
「……ッ! 皆、いたゾ! あれはハ――!」
中に残った設備だけで、ここが何の工場なのか推理する真衣華だが、そこで志愛が、視界の端に男性の姿を捕らえ、目を大きく見開いた。
志愛の指した方向を見て、三人も同様に驚愕する。
中にいたのは、男だけでは無かった。
背中から赤黒い翼の生えた、頭が歪な鷹の形状をした、人型の化け物。
この男性が目撃した、あのレイパーが、そこにいた。
「……何故奴がここに? 束音達はどうした?」
「ちょっと希羅々に連絡してみる!」
「っ! 様子が変よ……!」
男とレイパーの口元が動いている。何か喋っている様子だが、声はレーゼ達には聞こえない。それでも、男がレイパーに襲われている、というような雰囲気でも無い。
これは一体どういうことか……と思っていると、さらに驚愕する出来事が起こる。
歪な鷹の頭の化け物の姿がぐにゃりと揺れたかと思うと、今まで奴がいたその場所に――別の男性が立っていたのだった。
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