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ヒヤリ。
首筋に感じた謎の冷たさで目が覚めた。
「っ……!」
眼前にはやたらと綺麗な仏頂面。翠色の綺麗な瞳は憎悪に歪んで瞬きもせずわたしを見下ろしている。
この短期間で妙に見慣れてしまいそうな黒髪にもう悲鳴すら上がらなかった。
何を隠そう、あのサイコ男は例の剣をわたしの喉元に突きつけていたのだ。
唾でも飲み込もうものなら多分ぴりっといってしまいそう。そのくらいの距離に独特の金属の冷気を感じてわたしも瞬きすらできず彼を凝視していた。
「目が覚めましたか“聖女様”」
「……っ」
酷く冷たい声に背筋に嫌な汗が流れる。
頷くことも返事をすることも出来ない。なぜなら首筋に剣先が当たっているからだ。
わたしはバクバクと爆発しそうな心臓をどうにか宥めようと無駄な努力をし、それから瞬きをして返事の代わりにした。
この男はまたもや“聖女様”とわたしを呼ぶことにしたらしい。
ということは、つまりあれだ。わたしの聖女様疑惑は元に戻ったということなのだろうか。
「俺が言いたいことが分かりますか」
「……」
「……よくも、小賢しい真似をしてくれましたね」
いやいや、分からないから。
何一つ分からないし、分かってないから。
わたしはあの部屋でただ震えていただけだというのにいったい何に巻き込まれているんだ。
違うといいたいのに、それも怖くて出来ない。
少しでも動けば喉を掻き切られるに違いないのに、わたしの意志とは反対に体はがくがくと震え出す。
こ、怖すぎる。もういやだ、一体私があなたになにをしたっていうんだ。
「いったいどうしたら貴方は消えてくれるんですか」
ほの暗い瞳に浮かぶ憎悪が揺らいで、彼はその仏頂面を僅かに歪ませた。
この人が、こんな顔をするまであの“聖女様”はいったい何をやらかしたのだろう。
なぜ、彼女はこんなに恨まれていて、どうして彼はこんな顔をしているのだろう。
わたしの荒い鼻息が響く室内で、こんな間近で美形に顔を覗かれている状態って一体なんなんだ。わたしはそれほどまでに死ななければならない存在なのだろうか。
なんだか訳が分からなくて悲しくなってきて、潤み始める視界が情けない。
このわたしを酷く憎んでいるらしい男に泣き顔を見られるのはなんとなく癪な気がして、鮮烈に睨みつけると、彼は目を見開いた。
「……なんなんだ」
それはわたしのセリフだ。そういえば彼を睨みつけると男は決まって動揺していた気がする。
「退けて、くれませんか」
恐ろしくて全身の震えは止まらないが、極力、極力喉を震わせないように小さな声でそう言うと、ぴりっとした鋭い痛みが走った。
上がりそうな悲鳴を噛み殺して顔を顰め、彼を睨みつける。
すると、やはり男は狼狽えたように剣を引いた。
「ゴホッゴホッ!」
漸く解放された安堵感で深く息を吐き、喉元を抑える。
カラカラに乾いた喉奥が傷んだが、もはやそのくらいどうでもいいレベルだ。
「……スズキニーナ?」
「そう言ったはずですけど」
男からは視線を外さぬまま上体を起こし、辺りを確認すると、どうやらそこは先程の部屋のままで、わたしが寝かされていたのは例のベッドだった。
つまり死体が寝ていたベッドではあるけれど、もう異常事態すぎて嫌悪感すら湧かない。
未だに張り詰めた空気のまま慎重にずりずりと男と距離を取りベッドサイドに背が当たると布団を手繰り寄せて体を包んだ。
この男、本当にいったいなんなんだ。
そろそろ本気で説明が欲しいところなんだけど。
「本当に、別人なのか?」
「本当に、別人です」
やっと剣を鞘に収めた男が無表情で顔を寄せてくる。こんな恐ろしいことってない。
あの死の瞬間が一番怖かったと思っていたがその何十倍も今の状況が恐ろしい。
「いっ!!」
がくがくと震えて止まらない体のまま、片手で喉を抑え布団を被って目を閉じるとその両手をものすごい力で捕まれ引っ張られた。
「……傷が治っていない。本当に、聖女様じゃない……?」
「……ぃたっ」
何だこの男、ものすごい馬鹿力。……骨がミシミシ言ってる気がするし、肘の関節が伸びそうだ。
わたしの腕が不自然に長くなってしまったらどうしてくれる気なんだ。
小さく呻いたわたしに男はハッとして両手を離すと、未だ混乱した顔で唇を噛んだ。
「……まだ信じたわけじゃない、詳しい話を聞かせてもらおうか」
口の先のもうそこまで「それはこっちの話だこのサイコ野郎」と出かかったが、さすがに二度も突きつけられた例の剣が視界にチラついて、結局わたしは小さく頷くことしか出来なかった。
いつもありがとうございます!
漸く話が進みそうでちょっと安心……。
よろしくお願い致します。




