20 アイザック
「ニーナが勉強を?」
「はい」
殿下の執務室で、いつものごとく淡々と報告を続ける俺を遮ったかの方は、王族らしい瑠璃色の瞳を僅かに丸くして顔を上げた。
少しやつれたように見える顔は、執務に追われているからだ。
今まで聖女が張り付いていたせいで片付かなかった仕事に手をつけれるのはいい事だが、如何せんその量がえげつない。
殿下は優秀ではあったが純粋で優しすぎるせいで聖女の我儘を振り切ることができなかったのだ。
……まあ彼女に魅了されていたのも一因だとは思うが。
それに加え、三年もの間役儀を放棄した聖女に対し教会からの不満も限界になっている。
今までのツケが回ってきた、というのが正直な感想ではあるが、それもこれも元を辿ればあの女のせい。
ろくに睡眠も取れていないらしい殿下のクマから目を逸らし背筋を伸ばした。
「特に、フェインズリードの歴史や王家にまつわること、聖女の歴史と聖女信仰の歴史、あとは貴族のマナーやら婦女子の嗜みについて学んでおられます」
「……へえ、そうなのか。ここ十数日でニーナは随分変わったようだ」
「はい」
変わったも何も、別人の可能性があるのだ。
己の主を謀っていることに罪悪感を覚えない訳では無いが、この国が平定するまではバレるわけにはいかない。
それがこの国の為で、次代を継いでいかれる殿下の為だと俺は信じている。
あのスズキニーナは、良くやってくれていると思う。
まだ完全に疑惑は拭いきれないが、毎日通っている城の泉は、ついに危機を脱したとルートリヒが行っていた。
これで魔術師連中の不信感も少しはマシになるだろうし、国の魔力枯渇問題もとりあえずは大丈夫そうだ。
「献身的に国に尽くす姿勢が見られます」
「そうか。ニーナも漸く次期王妃としての自覚が出てきたのかもしれないな。本当に良かった……」
「仰る通りです」
殿下は心の底からほっとしたように息を吐き、すこし癖のある金髪に触れた。
当然のことだが、あの聖女のあまりの態度に陛下も城の上層部も、まだ毒牙にかからずまともな思考を持っている人間はかなり苦言を呈していた。
その全てを受け止めていたのは殿下本人なのだから、彼の嘆息も当然だ。
俺としては、早く次の聖女様が見つかればいいと思うのだが、そればっかりはいつになるか分からない。
確実にあの女を処分できたのならば次に聖女の力は移るのだろうが、その時期は大抵がマチマチだ。
だからこそ、あんな態度の女でも廃することができなかった事情があるといえばあるのだ。
この国は大袈裟でなく聖女の加護に守られている側面が大きすぎる。
「泉にも通ってくれているようで安心している」
「はい、とりあえずこのまま聖女様が通われれば城の泉は大丈夫だとのことです」
「正直、さすがに庇いきれなくなって来たところだ。ニーナが心を入れ替えてくれたようで良かったよ」
「はい」
苦笑をうかべる殿下に頷く。
今のところは、本当に事態は好転しかしていない。あの時聖女を斬り殺した判断は間違っていなかったと心からそう思う。
殿下も聖女の所へ通う時間が無くなり、スズキニーナ自身も好んで殿下の傍に寄ろうとはしないから、以前の様な盲目的な傾倒は見せなくなってきているし、いい事しかない。
このまま、時が経てば城の多数の人間にかかった魅了のようなものも解けるのだろうか。
「ニーナは本当に変わったな」
殿下が何か小さく呟いた。
それは本当に小さなつぶやきで下手をすれば聴き逃してしまいそうなものだった。
どこか遠い目をしてそう語る殿下の次の言葉を待ち、しばらくして漸く彼は口を開く。
「……本当に、人が変わったようだ」
「…………はい、仰る通りです」
その低い声に、一瞬心臓が凍りつきそうだったが、俺は努めて冷静に頷いたのだった。
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三連休なんやかんや忙しくて更新出来ませんでした……すみません。
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