16 ルートリヒ
「あの女、一体どうしたの」
「あの女?」
「聖女だよ、聖女様」
「……ああ」
泉の間を出た俺達を、背に鉄板でも刺さっているのではないかと思わんばかりの姿勢のまま、アイザックはいつもの無表情で迎えた。
恐らく三、四時間くらいはたったと思うけど、依然と涼しい顔で立ち続けていたのだろう騎士に普通に感嘆の息が漏れる。
多分俺なら退屈すぎて耐えられない。
騎士連中の生態はいつまで経ってもよく分からないな。
そのアイザックに聖女を引渡し、奴が聖女を送り届けた後。
城の廊下でアイザックを捕まえた。
王太子殿下の執務室に続く通路で待っていればいつかは来るだろうと思っていたが、予想通り……というか、想像より随分早かったんだけど。
「……どういう意味だ」
「どういう意味って……」
どう考えたっておかしいじゃないか。見た目と魔力以外でいえば別人と言ったって過言ではないほど、明らかに変だった。
それなのに、真面目な顔をしてしらばっくれるアイザックに苦笑が漏れる。
「君、なんかしたの?」
「いや」
「じゃあ、あの女なにか、企んでる?」
「…………」
俺の質問にアイザックが黙り込む。
この男とは王立学校からの仲だけど、はっきりしない態度はらしくない。
なにか、考えているように僅かに眉根を寄せしばらくして「分からない」と答えた。
「俺が教えた術式と呪いは? てっきり聖女に使うものだと思ってたんだけど」
先を歩いていたアイザックが、ふと足を止める。
俺も隣で立ち止まり端正な顔をじっと見つめた。どこか戸惑いのような色を映した顔は血色がいいとは言えない。
彼は少しだけ考え込むとその翡翠の瞳を閉じて首を振った。
「……聖女様には通用しなかった」
「…………そうか、やっぱり」
そりゃそうだ。
いくらアイザックが無条件に聖女に付き従うことが許されていて、聖女から気に入られているとしても、ズブの素人があんな魔術展開できるわけが無い。
……けど、俺なら。
王立学校でも成績は一番良かったし、魔術師の花形とされる魔術師団に入団できた。
しかも、城属の魔術師団だ。
自惚れなどではなく、俺ならやれる。
初代聖女であるアメリア様を主とするアメリア教徒が大半を占め、聖女崇拝が善とされ、聖女の加護に守られるこの国で、聖女を害そうとした時点で俺の人生は終わったも同然だけど。
多分即座に処刑されるのだろうけど。
でも、それでも、このままみすみす国が衰退していくのを見続けるよりはマシだ。
聖女はその身が朽ちれば、他のものに力が宿ると言われているし、さっさと次を待つ方がよっぽどいい。
あの女なんかにもう少しも期待なんか出来ないのだから。
「……俺があの女を……」
「ルートリヒ」
俺があの女を処分する。
そう言おうとした言葉を遮ったのはいつもと変わらない平坦な声で。
俺は笑顔のまま、少し上にある顔を見上げた。
妙に険しい目をしてる、と思った。
アイザックはいつもの無表情で、しかし翡翠の瞳にやたらとなにか感情を押し殺して、ゆっくりと口を開いた。
「お前は何もするな。責任があるとするならば俺にだ。それに、お前のような優秀な魔術師が居なくなるのと、剣を振るしか脳の無い俺が居なくなるのとでは、損失の度合いが違う」
「損失も何も、俺達はあの泉が枯れればもうお終いだよ。役儀も果たされないこの国の魔力はどんどん減ってる」
「……役儀は俺がさせる。泉も枯れさせない。……だからもう少しだけ待ってくれ」
「俺がさせるって……どうやって? あの女がそう易々と人の話を聞くとでも?」
「分かってる。けどもう少し時間が必要なんだ」
アイザックは目を細めてまっすぐに俺を見た。
いつもと変わらないはずの無表情は、なぜだか苦しげに見えて俺は笑みを引っ込める。
……聖女も、アイザックも、なんだかおかしい気がする。
なんだろう、なにが、かは分からないんだけど。……なにかが。
この男の考えることはいつも分からない。何も考えていないような淡々とした顔で、とんでもないことを考えていたりする。
“笑わないくせにアイザック”と王立学校ではよくからかわれていたけれど、それすら本人はどうでも良さそう……というかもう無視もいいところだった。
「……君、なにか」
「時が来たら話す。けど、今は無理だ。さすがのお前でも話せない」
「……アイザック」
この男はいったい何を考えているのだろう。何を抱えて、こんなふうに無表情で、瞳に何かを押し殺しているのだろう。
彼は今からなにかする気で、なにか企んでいて、もしかしたらそれは、本当にとんでもない、ヤバいことなのかもしれない。
俺達二人はしばらくその場で佇み、やがてどちらともなく歩を進めた。
「……言っておくけど、時間が必要って言ったって、こっちにもそう時間はないからね」
「承知している」
「あの泉が枯れれば本当に終わりだ」
「ああ」
アイザックが神妙に頷く。
俺はそれを横目で見て、目を伏せた。
「……あの女が何かしようとしたら、その時はもう待てない」
様子がおかしかったあの聖女が、何を企んでいるのかは知らないし、アイザックが何を計画しているのかも知らないけれど。
「分かっている」
「……本当にヤバくなったら、たまには頼りなよ」
アイザックは俺の言葉に、一瞬だけ目を丸くして、それから何も言わずに去っていった。
「…………全く、何を考えてんだか」
あの、無表情馬鹿は。
……そういえば明日も聖女に付き添わなければいけないんだったな。
「……はぁ」
明日を思うともう既に憂鬱で、堪えきれないため息を零して俺は魔術師塔へ向かう為、踵を返した。
いつもありがとうございます。
ルートリヒさんはなんやかんや常識人です。




