落とし穴
「私の兄?」
「異父兄だからアンゼリカ嬢とは血が繋がっていないけどね」
男とマリーの母親が一緒で、アンゼリカとマリーの父親が一緒。そのため男とアンゼリカは他人。ややこしい家系図のできあがりだ。
その男は口を塞がれていて何も喋ることができない。だが、マリーを見る目はどこか真剣にも思える。マリーはそっとレヴィの陰に隠れて、男からの視線を遮った。
「始まりはおよそ二十年前、ハンナ嬢がこの世界にやってきたところから。その時の話を聞き込みしたよ」
レヴィは哀れみをこめた視線をハンナに向ける。だが、それに同情はなく侮蔑しかない。心の声を代弁してしまえば「こんなにバカで可哀想」というものだ。
「ハンナ嬢は、近年稀に見る“大ハズレ”だった」
レヴィの言葉を静かに聞いていた王が溜息をついてしまう。それほどまでに重要事項なのだ。
「レヴィよ、ハンナ嬢は犯罪をしていたのか?」
「処罰できるならマシだったかと。彼女はただタチが悪いだけでしたので」
異世界より来た人達はもてなされる。彼らは新たな知識の宝庫であり、魔法というギフトの持ち主だからだ。恩恵に与りたいと思うものは多くいる。だが、彼等が善人とは限らない。過去には犯罪をおかした者だっていた。どんな異世界人がくるのか、こちらの世界は選ぶことが出来ないのだ。
「ハンナ嬢は貴族の男にすぐ声をかけたそうだよ。それも見た目が良い奴ばかり。既婚者にもお構いなしだから何回も注意されたけど、そのたびに意地悪されたと大声で泣いたらしい」
そんなハンナが特に気に入った男がいた。飛び抜けて美しい顔立ちをした、とある伯爵。妻に微笑みかける姿が優雅な人だった。彼は自分と結婚すべきだとハンナは駄々をこねたが、その意見が通るわけもなく。痺れを切らした彼女は強引な手に出た。
「たぶん“洗脳”の魔法を作ろうとした。だけど、具体的に効果を考えないと、狙った魔法にならないことを知らなかった」
オルタムリジンの正統な血筋にあたる者達はただ苦い顔をしているが、それ以外のものは首を傾げてばかりだ。どういうことなのか全く想像がついていない。
レヴィはマリーを抱き寄せながら「例えばね」と言葉を続ける。
「マリーはどこか遊びに行きたい所はある?」
「えっ?げ、劇場に行きたいです?」
「どこの劇場?なんの演目?誰と行きたいの?」
「ええと!ええと!ミライノ劇場に“春の女神”をレヴィと二人で」
「行こうね」
「レヴィ!!!」
ライラがずかずかと歩いてきて、レヴィの脛を蹴った。それは見事なローキックだったと王は語る。
レヴィが咳払いをした。
「劇場に行きたいだけだと、王都でやってる“魔王”という演目を一人で見に行くとも解釈できるわけでしょ?魔法でも同じことが起きるわけ」
「レヴィやライラがよく言っている【ガチャ】というものですか?」
「そうなんだよ!魔法は【ガチャ】なんだよ!」
飲水が欲しいと願った人は、泥水を清水にする手を得て聖人になった。女性にモテたいと願った人は、雌牛に懐かれたので牧場を築いたという。全てを焼き払いたいと願った人は、望み通りの力が尻から出るようになったので使わずじまい。
洗脳を願ったハンナが授かった力は、彼女が意図したものと全く異なるものだった。
「闘争心を掻き立てる、暴力的な魔法だろうね。そのせいで起こった悲劇は酷いものだった」
美しかった伯爵は獣のように髪を振り乱して妻を殴ったという。警備隊が彼を押さえつけた時には、その両手は血で真っ赤に染まっていた。
「隣国の王様は辟易しただろうね。ハンナ嬢はワガママなうえに、あまり有益な知識を持っていなかった。最後の希望だった魔法もこの有様。国際法も無視してハンナ嬢を他国に押し付けようと考えたほどだった。そのため身銭を切ったようだよ」
そして白羽の矢が立った男がいた。たまたま隣国からやってきていた男爵はハンナを押し付けるのに最適だったのだ。その証拠に当時の男爵領はそうとう潤っていたという。
「レヴィ、待ってください!それでは父と母が結婚した理由がつきません!」
「理由は2つある。ハンナ嬢が男爵と結婚するのを嫌がって、むちゃくちゃに暴れたこと」
結婚させられ、初夜を過ごした後でもハンナは諦めなかった。「もっと素敵なお金持ちと結婚してやる」という野望は止まらなかった。魔法をチラつかせて、このあたりを血の海で染めてやると脅すことで嫁入りを免れたのである。
ハンナとの結婚が無かったことになった男爵が選んだ相手、それがマリーの母。夫に殴られて傷つき弱っていた女性。
「これは僕の推測だけれどね。男爵が好きだったのはマリーのお母さんだったんだ」
今まで呆然とレヴィの話を聞いていた男爵の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れる。それはとても痛々しい姿だった。




