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悪党とバカと不思議な黒猫  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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9/10

賢人、トラブルに巻き込まれる

 それは、全く予想外の出来事だった──




 今回、賢人は偵察する場所を変えてみた。人混みに紛れて逃げる……という作戦が無理とわかった以上、別ルートを探すしかない。

 そこで、後藤ビルの裏口の方を覗いてみることにした。とはいえ、ここはいつものように、建物の上から双眼鏡で見ることができない。

 大通りから、後藤ビルをグルッと回ってみる。だが、裏口にはやはりヤクザがいた。それも、ふたりだ。タバコを吸いながら、周囲に目を配っている。

 賢人は、素知らぬ顔ですぐさま通り過ぎていった。ここで下手に立ち止まったり、振り返ったりしたら確実に怪しまれる。昨今は暴対法の影響で商売のやり方も変わってきたとはいえ、ヤクザの本質は今も変わっていない。

 そう、彼らは暴力団なのだ。すなわち、暴力を生業としている。そんな連中に怪しまれたら……どうなるかは、火を見るより明らかだ。


 仕方ないので、そのまま人通りの少ない路地裏をまっすぐ歩いていった。ここらへんは、人目に付きたくない人間のみが蠢く場所だ。違法薬物の売人と客が取り引きすることもある。あるいは、家出少女が即席の売春婦と化して声をかけてきたりもするようなところなのだ。

 しかも、今は午後六時を過ぎたところだ。売人だの売春婦だのが、本格的に活動を開始する時間帯でもある。そろそろ、目の前に現れてもおかしくない。

 そんな場所を歩いていた賢人だったが、とんでもない光景にぶつかる。


「何よあなた! 私あなたなんか知らないよ!」


「ごまかすなよ、お前いくらだ?」


 言い合う声が聞こえてきた。この路地裏、数メートル先で右折するのだが、その曲がった先で揉めているらしい。

 賢人は、三ヶ月ほど前に少年刑務所を出たばかりである。しかも、これから裏カジノの売上金強奪という重大な仕事が控えているのだ。下らない喧嘩沙汰に巻き込まれたくなかった。

 向きを変え、元来た道を戻ろうとした。が、その瞬間にあることを思い出す。


 このまま戻ったら、あのヤクザに顔を見られる。


 そう、この路地裏に入る時、賢人はヤクザに顔を見られてしまった。一度だけなら、偶然に通りかかった……で済む。だが、わざわざ路地裏に入り、しかも引き返してきたとなると、確実に怪しまれる。

 こうなれば、前に進むしかない……と思った瞬間、向こうからこちらにやって来てくれた。

 現れたのは、若い女性だった。日本人とは違う顔立ちだが、欧米人のように彫りは深くない。黒いTシャツにデニムパンツ姿で、こちらに走ってきた。が、賢人を見るなり怯えた表情で立ちすくむ。

 直後、ふたりの男が現れた。どちらも、ストリート系ファッションに身を包んだ若者だ。ふたりは、外国人の女を両側から挟み込む。


「ねえねえ、幾ら出せばヤラせてくれんの?」


 片方の若者が聞いた。だが、女はきっと睨みつける。


「私違うよ! いい加減にしないと大声出すよ!」


 喚いた途端、もうひとりの男が口を塞ぐ。同時に、ふたりがかりで女を引きずり出した。

 女はもがきながら、ちらりと賢人を見る。その目は、助けを求めていた。その目を、賢人は無視することができなかった。

 途端に、賢人の心と体は戦闘態勢に入る──


 放っておけ。

 お前には関係ない。


 賢人の冷静な部分が、そう言っていた。だが、いったん戦闘モードに突入してしまった彼の心と体は、止めることなどできなかった。


「おいテメエら、邪魔だからどけ」


 言いながら、賢人はツカツカ近づいていった。と、若者たちの表情が変わる。


「はあ? 何だテメエ」


 ひとりが低い声で凄み、賢人を睨みつけた。

 賢人は五分刈りの坊主頭で目つきは鋭く、身長は百七十センチ強だが体重は八十キロ以上ある。それも、筋肉質の体つきだ。大抵の者は、問答無用で避けて通る迫力の持ち主である。

 にもかかわらず、若者たちに引く気はないらしい。ひょっとしたら、薬物でもやっているのだろうか。

 ならば仕方ない。見れば、若者たちは華奢な体格で六十キロもないだろう。一分以内に終わらせ、速やかに離れる。それしかない。


 賢人は、一気に間合いを詰めた。スピードのある左ジャブ、ついで顎への右ストレートを叩き込む。

 たった二発のパンチで、片方の若者は崩れ落ちた。顎へのパンチで脳震盪を起こし、膝から崩れ落ちる。

 それだけで終わらせる気はなかった。賢人は、もうひとりの若者に左のボディフックを放つ。

 体の回転を利かせ、体重を乗せたボディフックにより、若者の口から呻き声が漏れる。

 一瞬遅れて、こちらも崩れ落ちた。腹を押さえ、土下座のような姿勢で倒れている。

 次に賢人は、女へと視線を移した。こちらは、地面に尻もちをつき震えている。


「大丈夫か?」


 そう言うと、賢人はそっと手を差し伸べる。女は、震えながらも彼の手を握った。

 どうにか立ち上がると、女はペコリと頭を下げる。


「あ、ありがとうよ。助かったよ」


 訛りがある。その上、微妙におかしな日本語だ。しかし、そこが可愛い。賢人は、思わずクスッと笑っていた。

 だが、笑っている場合ではないことに気づく。賢人は、すぐに表情を引き締めた。


「早くここを立ち去れ。でないと、こいつらの仲間が来るかもしれない。あと、この辺はもう歩くな。ヤク中やチンピラが多いから」


 その言葉に、女はこくんと頷いた。小走りに、その場を離れる。だが立ち止まると、こちらを向く。もう一度、頭を下げた。そして、パッと走っていく。

 彼女がいなくなったことを確かめると、賢人も歩き出した。地面では、二人組がまだ呻いている。不愉快な連中ではあったが、これ以上痛めつけても意味はない。放っておいてもいいだろう。

 賢人は、再び歩き出した。だが胸の奥でざわめきが消えない。仕事の前に余計な火種を抱えたこと。なぜ助けたのか、自分でも答えられないこと。そして、あの女の瞳が妙に焼き付いて離れないこと。

 その時、なぜか唐突にシスターの言葉を思い出した。幼い頃、児童養護施設にて暮らしていた時に何度も言われた言葉だ。


「マリアさまは、悲しむ人のそばに、必ずいてくださいます。どんなに暗い夜でも、母のように静かに手を差し伸べてくださるのです。皆さん、優しさを忘れないでください。人の心にあるものは、醜いものだけではありません。自分の中にある強さを信じてください。弱い人に手を差し伸べる気持ちを、失わないでください」


 記憶の中でシスターは、澄んだ瞳で皆を見回しながら語っていた。幼い自分は、その言葉をただ信じ安心して聞いていた──


 クソ!

 なんで、あんなことを思い出すんだ!

 浮かれてんじゃねえよ!


 賢人は、心の中で己を罵った。こんな浮ついた気分では、確実に失敗する。

 今の自分は、マリアさまなんぞとは無関係の世界に生きているのだ。弱い者に手を差し伸べれば、確実に手を引っ張られ一緒に溺れるだけだ。その事実を、これまでの人生で嫌というほど学んできたではないか。

 

 塗りつぶせ。

 怒りと憎しみで、俺の全てを塗りつぶすんだ。


 心の中で、怒りと憎しみを湧き立たせる。

 幼い頃「こいつ貧乏人だ!」などとからかわれ、いじめられた記憶。やり返したら、自分だけが叱られた。その上、シスターまでもが学校に呼び出され頭を下げさせられたのだ。


 裏の世界に足を踏み入れてからは、心穏やかに眠れた日などない。毎日が戦いであった。しかも、信じていた者が裏切るなど日常茶飯事である。恋だの愛だのという言葉とは、無縁に生きてきた。女を好きになれば、いつか裏切るか裏切られることになる。

 だから、女との関係はその場限りで終わらせてきた。


 その後に入った少年刑務所は、弱肉強食の世界であった。いじめなどという言葉が生ぬるく感じるような仕打ちを受け続けたが、それにも耐え抜いてきた。やがて、自身が上の立場になったら同じことをした。そうでなければ、周囲の人間にナメられる。善意は、すなわち弱さの証明なのだ。


 ようやく、賢人の気持ちも落ち着いてきた。とにかく、裏口を何度も見て回るのは危険だ。次の手を考えるとしよう。


 


 


 









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