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悪党とバカと不思議な黒猫  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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4/10

誠、ちょっと怖い思いをする

 賢人が昔の思い出に浸っていた頃、誠は大慌てで工場へと戻っていった。己の席に座り、一息つく。

 と、異変を感じ取ったか数人の外国人バイトが近寄ってきた。


「誠、どうしたよ?」


 フィリピン人の女性バイト・マリアが聞いてきた。彼女は、すらりと通った鼻筋と、柔らかいアーモンド形の目が印象的だ。欧米人のように彫りが深いわけではないが、その絶妙なバランスが独特のエキゾチックな雰囲気を醸し出している。口元はいつも微笑みをたたえ、親しみやすさを感じさせる。


「いやあ、大変だったんだよ。死ぬかと思った」


「だから、どうしたよ?」


「さっきさあ、コンビニに行ったわけよ。そしたら、途中で小銭落としちゃってさあ、コロコロ転がってんの。昔話のおむすびころりんみたいなノリでさ」


「はあ? おむすびころりん?」


 タイ人の男性バイト・ソムチャイが、不思議そうな顔で聞いてきた。

 このソムチャイ、かつてはムエタイの選手だったが、早々に見切りをつけ日本に来た変わり種だ。見た目は、歓楽街をうろつく陽気なタイ人である。しかし時折、真剣な作業に取り組むときに鋭い光を宿す。体つきは細いが、しなやかな筋肉に覆われており腹筋は割れている。いわゆる「細マッチョ」だ。

 そんなソムチャイ相手に、誠はオーバーリアクションを交えつつ語る。


「なんだ知らないのか。じゃあ教えてやる。いいか、おむすびころりんていうのは──」


「それいいよ。誠は昔話すると長くなるよ。それより何が怖かったよ?」


 マリアに突っ込まれ、誠は話を戻した。 


「ああ、そうだな。そんでさ、百円玉が自販機の下に入ったんだよ。取り出そうと手を突っ込んだら、ヤクザに囲まれちゃってさ。何しとんじゃワレ! なんて言われちゃったよ」


「ああ、あそこだ。後藤ビルだ」


 突然、ソムチャイが声を出した。


「後藤ビル?」


 思わず聞き返していた。誠は、四月に真幌市へと配置換えになったばかりである。したがって、この街の事情をよく知らない。

 一方、周りの外国人たちは顔をしかめている。どうやら、その近辺にはいい思い出がないらしい。


「そうそう、それよ。後藤ビルよ。ヤクザいっぱいいるらしいよ。そう聞いてるよ。とっても怖いらしいよ」


 マリアが言うと、他の者たちも頷いた。しかし、そうなるとお調子者の血が騒ぐのが誠という男である。


「ヤクザ? そんなもんが怖くてイタズラなんかできるかっての。今度きたら、ハンマーでド突いてやる」


「ダメダメだ! それは危ないだ!」


 ソムチャイが言うと、他の者たちもウンウン頷く。だが、誠は引かない。


「いや、ヤクザごときに引いてたら、誠さまの名がすたる。このハンマーで、思いっきしバチコーンだ」


 言いながら、机の引き出しから取り出したのは……小さなピコピコハンマーであった。外国人バイトたちは、なんじゃそりゃ? とでも言わんばかりの表情である。


「今度ヤクザに囲まれたら、こいつで片っ端からド突いてやる。モグラ叩きの要領よ」


 そんなことを言いながら、己の頭を叩く誠。当たるたびに、ピコピコ音がしている。

 外国人バイトたちは、苦笑しつつ首を横に振った。彼らの顔には「しょうがねえ奴だな」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。そう、誠は立場こそ彼らより上だが、実のところ皆の大きな子供のような存在なのである。

 そんな空気の中、誠はなおも喋り続ける。


「だいたいな、ウチにはヤクザなんかより遥かに怖い奴がいるじゃないか。アレに比べりゃ、ヤクザなんか屁でもない」


「えっ? 誰だ?」


 ソムチャイの問いに、誠はなぜか勝ち誇った顔で答える。


「わからないのか? ソムチャイくん、君もまだまだ甘いな。ウチの豪力班長を見ろ。あの人なら、ヤクザなんか鼻息で吹っ飛ばせるぜ」


「おお、そうだそうだ。班長は確かに強いだ」


 ソムチャイが、納得した表情で答えた。元ムエタイの選手でも、彼女の強さには一目置かざるを得ないのだ。

 他の者たちも、ウンウンと頷く。確かに、彼らの班長である豪力寅美なら、ヤクザなど相手ではないだろう。


「だろ? あれは、たぶん地上最強だよ。ヒグマが相手でも勝てるね。いや、それどころかゴジラでも、ウチの班長なら倒せるかもしれないな」


 ひとりでウンウン頷きながら、なおも語り続ける誠。しかも、派手な身振り手振り付きだ。

 話しているうちに、誠の語りにも熱が入る。いつの間にか、外国人バイトたちが血相を変え居なくなっていたことにも気づいていなかった。


「だいたいな、ウチの班長は……あれ?」


 その時になって、ようやく誠は気づいた。外国人バイトたちが、みな作業をしているのだ。


「おいおい、みんな時間に正確だな。ちょっとくらい──」


「ちょっとくらい何だ? 言ってみろ」


 突然、後ろから聞こえてきたドスの利き過ぎてる声。誠の顔は、一瞬にして青ざめた。


「は、はひ?」


「小林誠……お前は、ずいぶんと呑気だな。もう作業は始まってるぞ」


 間違いなく、豪力寅美班長の声である。

 ちなみに、彼女は誠をフルネームで呼ぶ。どうやら、工場内の別の班に小林という人間が他にもいて、寅美が「コラ小林!」と怒鳴る度に、他の班の小林がビクリと反応してしまうようなのだ。

 そのため、寅美は誠をフルネームで呼ぶようになってしまった。


「は、はい! わかりました! すぐに作業を開始します! その前にトイレ行ってきます」


 そう言うと、誠はすぐさま逃げようとする。が、寅美に肩をつかまれていた。その握力は強く、誠は思わず顔をしかめる。


「ところで、お前は今班長がどうとか言ってたな? 何を言っていた?」


「は、はあ。班長は、とても素敵だなぁと。理想の上司ですよ、ははは……痛い!」


 途端に、肩をつかむ手の力がさらに強まったのだ。誠は、思わず呻き声をあげた。


「違うだろ。本当のことを言ってみろ」


 寅美に囁かれ、誠は仕方なく真実を語る。


「いや、あの……班長なら、ヒグマにでも勝てると」


「勝てるわけないだろうが! このバカ者がぁ! さっさとトイレに行って! 作業を始めろ!」




 こうして作業が始まった……が、誠はまたしてもやらかしてしまう。


 外国人バイトたちの作業をチェックしていた時だった。床に、マジックが落ちているのを見つける。色は赤で、水性のものだ。

 拾い上げ、周りを見てみた。誰かが落としたような気配はない。となると、隣の班から転がってきたのだろうか。

 さて、どうしたものか……普通の人間なら、とりあえずはポケットにでも入れておき、仕事を続けるだろう。だが、誠はそんな殊勝な気持ちなど持ち合わせていない。

 とりあえず、自身の口の周りを塗ってみた。ジョーカーのような形にしてみる。

 その顔で、外国人バイトたちの机の周りを一周してみた。だが、誰も気づいてくれない。

 こうなると、誠のお調子者の魂に火がついてしまった。目の周りも塗りたくり、鏡を見てみる。

 そこには、何の悩みもなさそうな、全く怖くないジョーカーが映っていた。誠はニヤリと笑い、再び外国人バイトの机を回る。

 しかし、今回も気づいてくれない。こうなると意地である。誠は、まずマリアの近くに行った。

 わざとらしく咳払いをする。と、マリアは顔をあげた。

 誠の顔を見た途端、プッと吹き出した……かに思えたが、必死で我慢する。ここで笑ってしまっては、彼女まで一緒に寅美に叱られてしまう。肩をプルプル震わせながらも、笑いをどうにか堪えていた。

 そうなると、誠としても黙って引き下がるわけにはいかなかった。彼の行動は、さらにエスカレートしていく。

 ムーンウォークで、外国人バイトたちの周りをぐるぐる回り出した。こう見えて、誠は器用である。いろいろな動きができるのだ。

 その頃には、さすがに全員気づいている。全員、肩をプルプル震わせていた。だが、笑うまいと必死の形相で作業を続けていた。今笑ったら負け、彼らはそう認識しているのである。

 しかし、そうなるとますます燃え上がるのが誠である。今度は、なんとゼログラヴィティのパフォーマンスを始めたのだ。

 このパフォーマンス、両手両足を揃えて起立した状態から、踵を支点にして身体を前方へゆっくり傾けていき、斜め四十五度の角度で静止した後、また元の体勢へ戻るという一連の動きである。

 当然ながら高い身体能力が要求されるが、それだけではなく、靴を止める特殊な装備をしているのだ。

 しかし、誠はどちらも持っていない。当然のごとくすっ転び、顔面を打つ。


「いててて……」


 そんなことを言いながら立ち上がった彼の目の前には、鬼の顔があった。そう、寅美である。


「こぉばやしまことぉ! 何だ、そのふざけた(つら)は! さっさと顔洗ってこい!」 



 


 



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