誠、まさかの結婚式を挙げる
その話を聞いた時、工場は騒然となった。
「本当だ!? 本当に結婚するだ!?」
ソムチャイは、信じられないものを見る目でふたりを見ている。
他の者たちも同様だった。工場の鬼班長である豪力寅美と、イタズラ好きのアホ社員として有名な小林誠である。
水と油以上に相性が悪いと思われていた、両者の関係。しかし今は、顔を真っ赤にして照れまくっているのだ。
「おい、ノアの大洪水でも起こるのか?」
「いや、恐怖の大王は今年くるのかもしれんぞ」
「ひょっとして、我々は四次元空間に迷い込んでいるのか?」
こんな、オカルティックな憶測が飛び交ったほどだ。
しかし、ふたりは何を言われようが、平然として仕事をこなしている。誠のイタズラも、かなり減った。これまでは一日数回であったが、最近では二日に一回ほどだろうか。そのため「小林誠! 何してる!」という寅美の怒鳴り声こそ消えないが、回数は減って来ていた。
そして今日、誠と寅美は森の小さな教会で結婚式を挙げることとなった。
実は、この教会にはかつて寅美が育った児童養護施設が併設されていたのである。全ては、誠の部屋でニャムコと遊んでいる時に語ってくれた話だった
◆◆◆
彼女は幼い頃に、交通事故で両親と兄と姉を失った。まだ十歳にもならぬ時に、家族の全てを一瞬にして消え去ったのだ。子供にとって、そのショックはいかほどのものであろうか。
追い打ちをかけるように、両親の財産を親戚一堂が分捕るようにして持っていってしまった。ほとんどヤクザである。
しかも、寅美のことは完全に無視だ。「うちは無理」「隣の人が、子供嫌いなんだよな」などいう言い訳を使い、責任を回避していく。寅美がもう少し可愛げのある少女だったら、展開は変わっていたかもしれない。しかし、家族全員が死亡した直後に、どんな可愛げを出せというのだろうか。
親戚の人たちは、家族が生きていた頃は調子のいいことを言っていた記憶がある。寅美にも「寅美ちゃん、大きいね」などと言い、優しく接してくれていた人もいた。
しかし親戚たちは豪力家の財産を分割すると、すぐに去っていった。寅美のことなど、顧みようともしない。
以来、寅美は何も信じない人間になった。信用できるのは己だけ……という信念のもと、孤独な一匹狼として生きてきたのだという。
事実、小学生の時の写真を見せてもらったが……まるで妖怪のような雰囲気だった。それも、人間界に復讐を誓うタイプのものだ。暗い目で、じっとこちらを睨んでいる。社会を呪う目をしており、「あなたたちには、何も期待してません」とでも言わんばかりの表情である。
誠は、心底から哀れみを感じた。世の中には、想像もつかない地獄をくぐり抜けながらも、社会の目立たぬ場所でひっそり生きている人がいることも知った。
その画像を、何のために見せてくれたのかはわからない。寅美は、ハードな体験を「こないだ、自転車で鳩ひきそうになった」という口調で語る。実際、その過去話も、彼女は笑いながら話してくれたのだ。
「やっぱり、人間に運命ってあるんだよ。私はろくでもない運命に翻弄されてきたけど、とりあえず犯罪にだけはかかわらずに済んだ。これまで、どうにか地味だけど普通に生きてこれた。それだけでも、良しとしなきゃね」
寅美は、そう言っていた。
言うまでもなく、彼女は自分を「可哀想」「自分は被害者です」などという枠に入れ、周囲から同情を買おうとするタイプではない。むしろ、そういう連中を嫌っている。
これらの話は、本当なのだろう。だが、誠はどうしても納得いかないものを感じた。
それだけでも良しとしなきゃ、だと?
それでいいのか?
これまで、寅美の家は武道家か、あるいは傭兵か何かの家で生まれ、両親や親戚一堂から指導を受け鍛え抜いてきたのだろう……などと、誠は漠然と思っていた。彼女は自信に満ちており、何より闇が感じられない。
さらに言うと、これまでは興味もなかった。寅美はうるさい鬼班長としか思っていなかったのである。
ところが、実際は真逆であった。
「私はな、孤児なんだよ。一応、養い親はいるし感謝もしている。けどな……」
こんな調子で、とんでもない不幸を軽く語るのだ。寅美以外の者だったら、確実に裏の世界に行っていたのではないか。
体を必死で鍛え強くなったのも、理不尽な暴力に屈せぬためだ……と言っていた。
さらに児童養護施設にいると、人間の裏側を嫌というほど見ることになる。それも、子供ではなく大人の闇だ。さらに、孤児には不利な点も多い。就職の際など、露骨に差別する企業もあったという。
そんな苦労話を、普通に語っていった。ただ、その瞳の奥には孤独が感じられた。
誠は愕然となりながら、これまで寅美の何を見ていたのだろうか……と思い下を向く。ヤクザにも引かない強者だが、彼女はもともと強かったわけではない。
生きていくため、強くならざるを得なかったのだ──
俺は、何もわかっていなかったんだ。
本当にバカだよ。
そんな心の声が、誠を苛む。
同時に、ある感情が湧いてきた。これまでにないくらい強いものだ。
これまでは、誠のイタズラ好きという硬い地盤により、表面にでてこなかったものだった。しかし今は、マグマが吹き出すがごとく誠の全てを変えていく。
誠は、この瞬間に命を懸ける気になっていた。
そんな誠の変わりようには全く気づかず。寅美は冷めた口調で語り続ける。
「お陰で、こんなガタイだよ。ほとんどの人間は、私とはまともに話さず逃げていく。お前はバカだが、私に対し正面から向き合ってくれたな。ありがとう」
その時、誠は床をドンと叩いた。その瞳には、何だかよくわからない炎が燃え上がっている。鬼班長の寅美も、さすがに面食らっていた。
実のところ、誠はこれまで寅美に正面から向き合った覚えなどない。むしろ逃げ回ってばかりいた気がするが、今さらそんなことはどうでもいい。
誠は、思いっきり息を吸う。直後、恐ろしいセリフを吐いた──
「俺が……俺が寅美さんを幸せにします!」
「は、はあ!? ななな何を言っているんだ!?」
さすがの寅美も、この発言には愕然となった。が。それは一瞬である。すぐに言い返したが……完全に動揺していた。
とはいえ、寅美は怖いし強い。下手をすると殴られ、全治一ヶ月くらいの重傷を負うかもしれなかった。事実、今も頬を赤く染めながらも拳を握っているのだ。
しかし、誠は引かなかった。引けるわけがなかった。彼は、生まれて初めて真剣に女性に告白したのだ。その想いは、誠の中で真っ赤に燃え上がっている。
寅美は拳を構えている。その体からは、殺気……とまではいかないが、闘気らしきものは漂っている。自分など一撃だろう。
それでも、誠は言おうとした……が、そこで先ほどの言葉の間違いに気づいた。
「いや、今のは間違えました。幸せにできるどうかはわかんないけど、笑いの絶えない楽しい家庭にするよう全身全霊を尽くします。何なら主夫もやります。もし嫌だというなら、その拳でぶん殴ってください。俺は、絶対に警察には訴えません」
言いながら、誠はにじり寄っていった。たとえ前歯が折れ鼻骨が砕けようとも、引く気はなかった。おそらく、誠の人生の中でも最高の漢気と度胸を発揮した瞬間であろう。
そして、寅美の拳は降ろされた。彼女はうつむいている。今や、その顔は耳まで赤くなっていた。
「楽しい家庭、か。それは魅力的な提案だが……私はデカイし、こんな顔だ。両親に紹介できるのか?」
それでもなお、か細い声で尋ねてきた寅美。対する誠は、普段とは真逆の表情で答える。
「両親なんか関係ないです。反対されたら、縁を切ってやりますよ。俺は、今やっとわかりました。寅美さんに楽しい家庭というものを知ってもらうため、この工場に来たんです。それこそが運命だったんですよ。俺は、そう信じます」
とんでもないスケールのことを言いながら、さらに近づいていく誠。
対する寅美は、殴りはしなくとも、突き飛ばすなり絞め落とすなりできたはずだった。「来るな!」と一喝することもできた。そうすれば、重い罪にはならない。
しかし、彼女はうつむいたままだ。その体は震えている。
やがて、誠の手が寅美の肩に触れた。
その時、成り行きを見守っていたニャムコが、嬉しそうにニャアと鳴いた。
◆◆◆
そして今、結婚式は滞りなく終わった。誠が何かやらかすのではないかと皆は心配していたが、さすがに結婚式ではおとなしくしていた。神妙な顔で、意外と器用に全てをこなしていく。むしろ、寅美の方がガチガチに緊張していた。動きは固く、まるでロボットのようだ。
皆は、笑いをこらえるのに必死であった。
ところが、最後に事件が起きる。寅美がブーケトスを行った時、一瞬ではあるが突風が吹いたのだ。その風は強く、皆がバランスを崩したほどである。
当然、ブーケもすっ飛んでいった──
「何これ? どうなってるよ?」
マリアが、慌てて追いかける。彼女はブーケよりも、この結婚式をおかしなことにしたくなかったのだ。
しかし、その足は途中で止まる──




