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悪党とバカと不思議な黒猫  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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23/33

賢人、頭を抱える

 昼過ぎのトレーニングルームは、今日も異質な空気が漂っている。

 その空気の源である賢人は、凄まじい勢いでバーベルを挙げていた。今、ベンチプレスに取りかかっている。

 バーベルの重さは、ちょうど百二十キロだ。普通の人間では、持ち上げることはおろか、動かすことすらできない重量である。

 そんな重さのバーベルを、賢人は五回も挙げる。次いで重量を落として百キロにし、インターバルをとることなく挙げていく。

 

 ベンチプレスが終わると、今度は別の場所へと移動する。背中にバーベルを担ぎ、スクワットを行うのだ。

 バーベルの重さは百四十キロである。こんな重量を担いだ状態で、賢人はスクワットを十回行う。常人ならば、下手をすると背骨や腰骨を折っていてもおかしくない重さだ。

 賢人は、そんなバーベルを担いでしゃがみ込む。次いで、気合いとともに立ち上がる。その動作を、気力を振り絞って繰り返していくのだ。

 このスクワット、トレーニングの中でもキツさはトップクラスである。そもそも、見栄えを気にする若者たちは下半身を鍛えない。上半身のトレーニングさえしていれば、それなりの体にはなれる。

 だが、賢人はスクワットを欠かさない。なぜかといえば、これほど恐怖を打ち消し無心になれる種目はないからだ。


 スクワットが終わっても、賢人のトレーニングは続く。ダンベルを用いたベンチプレス。足を鍛えるレッグカール。さらに設置されている鉄棒にぶら下がり、懸垂を行う。全身の筋肉をくまなく鍛え上げるトレーニングメニューだ。

 このハードなトレーニングを、賢人は険しい表情で黙々とこなしていく。トレーニング間のインターバルでも、スマホをいじったりはしない。ひたすら、目の前の種目に集中している。

 そんな賢人を、トレーニングルームのトレーナーも「この人、凄いな」とでも言いたげな目で見ていた。

 

 今日の賢人は、いつにも増して激しいトレーニングを課していた。なぜかといえば、己に生じた迷いを消し去るためだ。

 このところ、雑念に悩まされている。今頃になって、教会のことなど思い出していた。さらに、不思議な黒猫をまたしても目撃し、あの外国人女性と再会してしまった。

 そうしたもろもろのことが、賢人を動揺させている。命を懸けた大仕事を前にして、こんなことでいいわけがない。

 だからこそ、肉体をいじめ抜き雑念を振り払う必要があった。




 トレーニングを終えた賢人は、いつもの通りまっすぐ家に帰る。狭いアパートで、西日が強く射す部屋だ。そのため家賃も安い。部屋は殺風景で、生活に必要なもの以外は何もない。壁に教会の写真が貼ってある点を除けば、刑務所の独房のようである。

 賢人は、ここで遅い昼食をとる。食べながら、頭の中では様々なことを考えていた。

 そろそろ、計画を実行に移さなくてはならない。スケキヨマスクを被った青年がバカをやってくれたおかげで、ヤクザたちは警察署の留置場にて勾留されている。

 この場合、最長で二十日間の勾留期間を経て、検事が起訴するかどうかを決める。しかし、あくまでも最長だ。軽い罪の場合、数日で釈放されることも珍しくない。

 あの青年を殴った罪は……一応、暴行と傷害罪である。さらに、公務執行妨害罪も付いている。決して軽い罪ではないだろう。だが、判断するのは自分ではなく検事だ。

 最短の場合、そろそろ出てきてもおかしくない頃だ。

 

 そうなると、期限はあと三日ほどか。とにかく三日以内に実行する。

 賢人の心に、再び緊張感が広がってきた。失敗すれば、命を失うのだ。

 そう、賢人は何も持っていない人間だ。失うことのできるものは、命以外に残されていない。

 命を失う……そう思った時、彼の脳裏に浮かぶのは山田の死に様だ。自分も、あんな風に死ぬのだろうか。

 途端に、恐怖が彼の心を覆っていった。怖い。怖くてたまらない。

 その瞬間、賢人は壁に視線を移す。貼ってある教会の写真を、凄まじい形相で睨みつけた。


 冗談じゃねえよ。

 死んでたまるか。

 やってやる。


「俺はクズじゃねえ。それを、俺自身の手で証明してやる」


 言いながら、拳を握りしめる。立ち上がり、虚空に向かいパンチを放った。

 その時、またしても思い浮かんだもの……それは、あの女だった。


(うん、いいよ。約束だよ)


 彼女は、賢人の放った意味不明の言葉を、ニッコリ微笑み受け入れてくれた。

 今、死ぬわけにはいかない。死んでしまったら、二度と会えなくなる。


 次の瞬間、はっと我に返った。自分は何を考えているのだ。あの女とは、二度と会うことなどない。仮に会ったところで、その後に何がある?


 何もない──


 そう、賢人には何もないのだ。

 思わず苦笑する。雑念を振り払うため、普段よりもさらに激しいトレーニングをした。体をいじめ抜き、下らないことを忘れ去ろうとした。

 にもかかわらず、未だに消えてくれない。


 まあいい。

 いずれにせよ、ここを去れば忘れられるはずだ。

 時間が解決してくれる。


 そう考え、己を納得させた。そろそろ、偵察に出かける時間だ。気持ちを切り替えよう。 




 狂言町に到着した賢人は、双眼鏡を手にして偵察を開始した。今は午後三時であり、学校帰りの学生や主婦らの姿が目立つ時間帯だ。狂言町の昼の姿である。

 あちこちを見ていた賢人だったが、その目はあるものを捉えた。見た瞬間、苦笑してしまう。


「また、あいつらかよ……」


 思わず声に出していた。

 賢人の言う「あいつら」とは、大通りにて佇んでいる女の子三人組だ。三人とも派手な化粧をしており、いわゆるギャルであろう。大きい子と中くらいの子と小さい子という組み合わせが面白い。見ていると、生きているのが楽しくて仕方ない……という感情がこちらにまで伝わってくる。

 この三人組を、賢人はほぼ毎日のように見かけている。何が楽しいのか知らないが、ここで集まり何やら喋っては、暗くなると帰っていくのだ。おそらく、三人とも地元の子なのであろう。

 そんなことを思いつつ三人組を見ていると、賢人はなんとも言えない気分になってきた。自分には、あんな健やかな青春があっただろうか……いや、なかった。

 あの年頃には、児童養護施設を飛び出し裏街道を歩いていた。無我夢中で、必死で生きてきたのだ。最終的には少年刑務所に入れられ、今はまた犯罪の計画を立てている。

 賢人の心には、ぽっかりと大きな穴が空いている。そこは、完全に死んでしまった部分だ。これは、孤児だからという理由だけではない。おそらく、この穴を埋める術などないのだろう。生涯、こんな心を抱えたまま生きていくしかないのだ。

 ある意味、あの三人が羨ましかった。あんな風な穏やかで平和な青春を過ごしたかった。


 そういえば、あの三人組と揉めていた青年がいたのを思い出す。賢人は、あの青年をイタズラ小僧と勝手に名付けていた。

 あいつは今、何をやっているのだろうか。

 制服らしきものを着た姿で歩く姿をよく見かけたが、してみると、この辺りに職場があったのだろうか。ただ、あの調子では職場でもかなりのお調子者なのだろう。バカばかりやっていて、辞めさせられてしまったのかもしれない。

 散々に騒ぎを起こしてくれたが、賢人の計画において、大きなプラスになる動きをしてくれたのも確かである。計画が成功したら、分け前をあげたい気分だ。まあ、計画が成功した時点で、賢人は狂言町から姿を消す。したがって、二度と会うことなどないであろう。


 そんなことを考えていた賢人だったが、次の瞬間にとんでもないものを目にする。


「あのバカ、何を考えてるんだ……」


 賢人は、思わず頭を抱えていた。






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