誠、強さをアピールする
誠は、恐る恐る話しかけてみた。
「マリア、どうしたんだ?」
「あの人、カッコ良かったよ……」
聞かれたマリアは、上の空といった表情で答えた。目がトロンとしており、表情はにやけている。
「おいおい、どうしたんだ。目が恋する乙女になってるぞ」
「うん、そうかもしれないよ」
そう言って、マリアは頬を赤らめた。この娘、普段は周りを元気にする太陽のごとき存在なのだが……今日は違うらしい。
ただいま、工場は休憩時間である。機械は止まっており、誠はいつものように、外国人バイトたちとジュースやお菓子を食べながら他愛のない話をしていたのだが……マリアの様子が、どうにもおかしい。
そこで、誠が代表して聞いてみることにしたのである。
「大丈夫かぁ? 何があったのか、誠さんに話してみ?」
「昨日、誠が言ってた後藤ビルを見に行ってみたよ。裏口に行ったら、やっぱり怖いヤクザいたよ。だから、私怖くてさっさと離れたよ」
「ほうほう、裏口なんかあったのか。じゃあ、今度見てみるか」
「ダメよ! あそこは行っちゃダメ! 本当に怖いヤクザいたよ! 怖かったから、すぐ逃げたよ!」
「そうかそうか。それで?」
「で、裏の道を通って帰ろうとしたよ。そしたら、悪い奴が話しかけてきたよ。お前いくらだって聞いてきたよ」
「失礼な奴らだな。俺がその場にいたら、このハンマーで思い切りパチコーンとやってやったのに」
言いながら、誠はピコピコハンマーを取り出した。それで、己の頭を叩く。
そんな誠には構わず、マリアは話を続ける。
「私、嫌だって言ったよ。大声出そうとしたよ。そしたら口塞がれたよ。腕つかまれて引きずられて、めちゃくちゃ怖かったよ。その時、あの人が現れたよ」
そこで、うっとりとした目になる。
誠は、他の外国人バイトたちと顔を見合わせた。これは、もしかして本気で恋してしまったのではないだろうか。
「それは、どんな奴だ?」
誠が聞くと、マリアは瞳を輝かせて答える。
「イケメンよ。髪は短いけど、それでもカッコ良かったよ。それに筋肉モリモリ、マッチョマンのイケメンよ。その人が、邪魔だテメエら! って言ってくれたよ」
邪魔だテメエらは、ヒーロー側よりヴィラン側のセリフに近くないか……などと思いつつも、誠はなぜか対抗心を燃やしていた。
「ほう、筋肉モリモリでマッチョマンのイケメンか。でもな、俺だって脱げば凄いんだぞ」
そんなことを言う誠に向かい、マリアは冷ややかな言葉を返していく。
「何言ってるよ。誠じゃ相手にならないよ。その人、悪い奴をパンパンパーンてやっつけちゃったよ。凄かったよ」
「何を言ってんだ。俺だって意外と強いんだぞ」
誠が言ったが、マリアは無視して話を続ける。彼女としても、誰かに話したくて仕方ないようだ。
「その人、私の手を握って立たせてくれたよ。早く帰れって言ってくれたよ。この辺はヤク中が多いから、近づくなとも言ってくれたよ。本当にカッコ良かったよ。はあ、もう一度会いたいよ」
切なげに言うマリアだったが、誠の話は別な方向へと向かっていた。
「お前、俺の強さを疑ってるな。だったら見せてやる。これが、鶴の拳だ!」
言いながら、誠はパッと立ち上がった。片足立ちになり、両手を鳥の羽のように広げて見せる。
たちまち、バイトたちがクスクス笑い出した。しかし、誠はその程度でくじける男ではない。
「お前ら、笑ってられんのも今のうちだ。ここから、必殺の飛び蹴りを繰り出すんだぞ。うりゃあー!」
叫びながら、前蹴りを繰り出す……が、その途端に転びそうになり、慌てて体勢を整える。
外国人バイトたちは皆、やれやれという表情だ。こうなると、ますます燃え上がるのが誠のお調子者魂である。
マリアはというと、誠のことなど見ていない。完全に、恋する乙女の表情である。
「あっ、みんな笑ってるな。バカにしやがって……だったら、もっと凄いのを見せてやる。ほら、これが来来拳だ!」
言った直後、誠はさらに意味不明なポーズをする。客に丼を差し出す店員のような動きだ。
「誠、それなんだ?」
聞いたのは、タイ人バイトのソムチャイである。
「わかんないのか? これが来来拳だよ。中華料理屋の店員が、客にラーメンを運ぶ動きから編み出された必殺拳法だ。この動きで、相手の金的を狙う。これで、どんな相手もイチコロさ」
得意げな表情で語る誠だった。しかし、彼は気づいていない。外国人バイトたちが、笑いを堪えつつ彼から目を逸らし始めたのだ。
そんな状況にもかかわらず、誠の行動はさらにエスカレートしていく。
「実を言うと……この来来拳より、もっと強力な技がある。それが、この整理拳だ!」
言うと同時に、誠はまたしてもおかしな動作を始める。手を小刻みに動かし、何かを配っているかのようだ。
「何だそれ? わかんないだ?」
ソムチャイが聞く。ただし、誠の背後にいる者のことは見ないようにしていた。
そんなおかしな動きには気づかず、誠はまたしても得意そうに語り出す。
「これはな、整理券を配る係員の動きを見て編み出した必殺拳法だ。この動きで、相手の急所を攻撃する。これで、どんな奴でも余裕だね。ただし、ウチの班長には効かないけどな」
その時、後ろから誠の肩をガシッとつかむ者がいた。
誠は、一瞬で悟る。つかまれた感触、凄まじい握力、背後に漂う殺気……そう、豪力寅美班長が後ろにいるのだ。
「小林誠……ずいぶん元気そうだな。エネルギーが有り余っているのか。まあ、若いから仕方ないか」
低い声が聞こえてきた。誠は、愛想笑いを浮かべる。
「い、いやあ……まあ、何というか若さゆえの過ちというんですか。はははは」
「そうかそうか。そんなに暴れたいのか。なら、私が相手をしてやる。かかってこい。ほら、今の何たら拳法で私と闘え」
言った途端、肩をつかむ手に力がこもった。誠は悲鳴をあげそうになりながらも、どうにか答える。
「い、いやぁ、かかっていくだなんて、そんな……ところで、やっぱり寅美班長の彼氏は強いんですか? 寅美班長とどっちが強いんですか?」
話題を逸らそうと、誠はとんでもないことを口にした。寅美とスパーリングするよりはマシだと思ったからである。
しかし、この発言は寅美の怒りの炎に油を注いだだけだった。
「彼氏だとぉ……それは、どういう意味だ? どうせ私のような女には、彼氏などいないだろうという前提の元に質問しているのか?」
「とんでもない! 寅美班長みたいに強くて、しかも頼もしい女性が好きだって男は絶対にいます! ジャングルの奥地まで探せば、きっと見つかりますよ!」
「ジャングルの奥地、だと……」
誠の肩をつかむ手に、さらに力がこもる。
「いでででで! あ、あの、大丈夫です! 寅美班長は、いつか絶対に相応しい相手と出会えます! いや、ひょっとしたら、もう出会ってるのかもしれません!」
たいへん元気よく答えた誠だったが、こんなセリフで寅美の機嫌が治るはずもない。
「適当なことを言うな! このバカ者が! だいたい、お前は仕事を何だと思ってるんだ!」
この後、誠はたっぷりと説教されたのである。
「やれやれ、また寅美班長に叱られたよ」
ブツブツ言いながら、誠は帰る支度をする。なんだかんだ言っても、この男は立ち直りが早い。寅美の説教程度では、ビクともしないのである。
「さて、今日はどのルートで帰ろうかな」
そんなことを言いながら、誠は服を着替えた。が、そこであることに気づく。
「そういえば、あの黒猫は……」
そう、尻尾が二本ある黒猫のことを思い出したのだ。
あの猫は、毛並みも綺麗だし野良猫らしさが感じられない。どこかの家に飼われているのだろうか。
いや、それ以前に……あんな奇妙な猫がいたなら、SNSなどで話題になっているはずだ。
なのに、全く噂を聞かない となると、あの猫の存在はほとんど知られていないのか。
「後で、探してみるか」
そんなことを呟きながら、誠は歩き出した。




