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鑑定

「どう思う?」

「先輩の見立てでいいと思いますよ、南北朝期(なんぼくちょうき)相州物(そうしゅうもの)で、ちょい脇気味(わきぎみ)。良い読みだと思います」

個名(こめい)まで行けるか」

「いやぁ、帽子(ぼうし)が無いから流石にそこまではきついですね」


 丁寧な手つきで刀を拭うと、後輩は(なかご)をこちらに渡した。


「特定まで持って行きたいところだが、恥ずかしながらそこまでの資料が家にはない、そっちにはどうだろうか」

「協会にであれば、恐らく現存している資料は全て残されていると思いますよ」

「頼めるか」

「合間を見てになるので時間かかりますけど」

「まだ仕上げるのはしばらく先になるから大丈夫だ」

「それであれば、具体的には?」

「来年の十二月がリミットなんだ」

「そこまではお待たせしませんよ」


 そう言うと、笑ってふくよかな腹を後輩は揺らした。



  ※※※



 礼を言って協会を後にした。

 鑑定書の付かない学芸員の見立てであれば電車賃程度の費用で済む。ただ、今回の様に追加の調査依頼があれば話は別であった。機会を見て、一度奢らなければならないだろう。そしてそれはそれなりに高くつき、しかも研ぎの依頼主に請求する訳にはいかない接待費であった。

(女房と弟子にまた文句を言われるな)

 コートの襟を立てながら、説明に掛ける手間と仕事の内容を秤にかける。当然の様に針は仕事を指した。誇りの重さである、そう考えれば安いものであった。



  ※※※



 帰宅すると弟子が電話の対応をしていた。

 二人いる弟子の片方、今年入ったばかりの子だ。なにやらもう手を付けていると言っている。

 そのまま流しそうになったが、不安を感じて電話を代わるよう指示した。

 はたして電話は問題の神社からであった。

 実際はまだ鑑定の段階であるのに、弟子は先方に対し作業に入っていると答えてしまっていた。

 げんこつを一つくれ、簡潔に説教をする。

 曰く、君はまだ入ったばかりで何も知らないのだ。お客様からの電話は兄弟子か、あるいは、師は外出しているのでと断りなさい。そして相手の用件だけをきちんと聞くのだ、と。

 ついでにその場合のメモの取り方を教え、その話を終りにする。長々と叱っても効果は無い、聞く側がうんざりとすれば、大事な話も右から左にただ流れてしまう。

 感情に任せて叱っては、良い言葉もただの雑音だ。


「覚えておくと良い、刀は研ぐ前にきちんと特定しておく、そしてその時代の姿、その作者の特徴、地鉄(じがね)刃文(はもん)、そういった物を念頭に作者の出来を目指しつつ、出来る限りその一つ格上に見える様な仕事を心がけるんだ」

「本人を狙うのじゃ駄目なんですか?」

「そう思って研ぐとだな、不思議と本人の出来以下に研ぎ上がるんだ」


 納得できたような出来ていない様な顔で弟子は返事をした。

 数十年この仕事をしているが、どうしてそうなるかの説明は出来なかった。



  ※※※



 この刀の一つ格上であれば誰になるか。じっと刃の中を覗き込みながら考えた。

 刃文の良く暴れた、(におい)い口の深い(灯りに透かした際、輝いて見える刃文の(ふち)が広い)乱れ刃(直刃(すぐは)()()(のた)れなどと表現しにくい刃)である。

 武張(ぶば)った姿であり、豪壮この上ない。

 で、あれば目指すところはやはり志津(しづ)か。それも大和(やまと)志津の後期、美濃に移って兼氏(かねうじ)と名を変える直前の頃であろう。

 再び地鉄に目を落とした。大模様(おおもよう)(はだ)はともかく、(きた)()れや()()()(鍛え割れになる前、表面の鉄が薄くなって伸びてしまっている状態、()にマメの様に見える)などが見えないかを精査する。幸いにもそう言った欠点は見当たらない。それが幸運と言えるのか、はたまた不幸なのかは一口に言えなかった。

 欠点が見えないのは良い事であるのだが、その分切っ先に焼きが残っていない事が悔やまれて仕方がない。

 続けて棟鎬(むねしのぎ)の状態を確認していく。丸さや角度の違いから、概算時間を算出する。備水(びんすい)で棟を進めるなら、それだけで三日は掛ってしまうだろう。他の仕事に差し支える程度であった。

(むしろ金剛(こんごう)(一段階目の荒砥、江戸期以前の刀には基本用いない)でざっと姿を整えてしまうか? いや、しかし金剛は流石に……)

 太刀(たち)を刀立てに戻すと、現在進めている脇差(わきざし)を手に取った。備中水田住国重びっちゅうみずたじゅうくにしげ(なかご)に刻まれた脇差である。江戸中期の作であった。

 先程の太刀よりも新しいにも関わらず、あちこちに傷気のある脇差である。いっそより古く見えたが、江戸以前の物とは姿が違った。なんと表現すべきか、根本的な所で姿が美しくないのだ。洗練されて居ないと言っても良いだろう。そもそも鍛冶師の美的感性、美学がそこまでの段階に至っていないと感じさせる出来栄えであった。

 姿に関しては可能な限りを努力したが、ふくれもあり、下地(したじ)が直せる刀ではなかった。これがいっそ破れたふくれであれば、内部の様子が見えるので、あるいは備水等に戻すかとも考えられたのであるが。

 下地研ぎが終わるまであと三日と言ったところまで来ている脇差である。万が一にも荒い目が入らぬ様気を使わねばならない。この段階で入った荒い目は、決して取れる事が無いのだ。

 細名倉(こまなぐら)に水を打つと、男は慎重に砥石へと脇差を当てた。



  ※※※



 後輩から連絡があったのは、翌々日の事であった。


『先輩、良い資料がありましたよ』

「そうか、それは助かる!」

武蔵國御神宝押形集むさしのくにごしんぽうおしがたしゅうってのがみつかりましてね、ズバリですよズバリ。あれが載ってましたよ』

「うそだろ本当かよ、信じられんな」

『メールで画像を送ってあります、表裏共に載っていましたので参考にしてください』

「ありがとう助かった! 今度銀座で一杯奢るよ」

『楽しみにしてますね、ではでは』


 想像以上の収穫であった。

 早速メールボックスを開く、確かにメールにはJPEG形式の添付ファイルがあった。逸る胸を感じつつも画像をダウンロードする。

 画像は三枚あった。まず古い活字の解説文が、次いで表裏で一枚ずつ、原寸の物と、それを拡大したものが添付されていた。

 鑑定の読みは正確であった。

 当時の極めと同じ、ただ、そこに記された刀匠名に見覚えは無い。メールの本文には名鑑漏(めいかんも)れとあった。野鍛冶(のかじ)(道具鍛冶)に近い作者であったらしい。

 改めて唸り声を上げた。何しろ名刀である、抜群の作で、相州本国上工そうしゅうほんごくじょうこうの出来と言っても良い。欠点があるとすれば姿が武張って垢ぬけない程度、それにしたって研磨状態では如何様にも変化するであろう。

 まだ見ぬ見知らぬ名工がこの世には存在した。その事実に触れただけで、この仕事に携わる価値を感じた。


「……なんだ、号があったのか」


 号とは称号であり、(おくりな)である。その出来を、切れ味を称え、来歴を明らかにする物であった。

 添付された画像には『号 蓮之露』と記されていた。


「これは……はすのつゆ、でいいのか?」



  ※※※



 水田国重も仕上がり、いよいよ蓮之露を砥石に当てる事にした。

 そうは言ったものであるが、南北朝期の古刀である。切っ先さえ完品であれば、その価値は同じ重さの金と比較しても十倍は重い。また、希少な品である事も考えれば、その価値は天井知らずとなるであろう。

 散々悩んだ末に、曲がりを直さぬまま、細名倉(下から五段階目)を一度全体に当てて見る事にした。

(これで鉄の質を暴く、どれどれ――)

 丸く、何処が中心かも解らない程に研ぎ壊された棟を当てる。砥石に滲む砥汁はすぐに黒い物になった。これが白く濁るようでは刀自体が柔らかいか、そこに掛ける力が強すぎると言う事になる。砥石はただ食い込ませれば良いという訳ではないのだ。

(しっとりとしている。鉄の()()(とぎやすさ)は良いが、軟弱と言う事はない)

 ところどころにある棟焼きも、硬さの差異は然程感じさせない。しかし、きちんと主張はしている。

 焼きと地の硬さが近い事は名刀の条件の一つでもあった。

 ざっと全体を当てた後に、それぞれの部位を更に精査した。

(……やはり曲がりを直さなければなるまいか、これをそのまま研いではムラが大きくなりすぎてしまう。()め木を使うのは、ここと、ここと)

 確認した曲がりに印をつけて行く、正確に何処で曲がっているのかを見分けられなければ、直す際に余計な負荷を刀に掛けることになる。

()じれは、然程ないか。だがまだ解らんな)

 たいていの刀には捻じれがあった。(なかご)から見て、徐々に左へと全体が捻じれる様に刀は出来ている。名人の物ほどそれが元から先まで緩やかに僅かであり、逆に現代工の物は途中で捻じれが反対になる事もあった。

 曲がりやムラは直せるが、捻じれだけは直す事が出来ない。もしこれを直そうとすれば、一回りも二回りも姿を小さくすることになるであろう。そして、それだけ減らしても良い事は何一つないのだ。

(しかしあれだな、かつて研いだ人間の中に、名人が何人かいた様子だな)

 刀を砥石に当てる際に、絶対に守らねばならぬ掟が存在する。むしろ、本来刀とは掟通りに研げばそれで良くなっていく物であるのだ。ところが、途中にそれを知らぬ素人上がりの人間が入ると、基本を抑えていないために姿を大きく壊してしまう。

 この刀の場合、確かに大きくおかしくなってはいるが、まだそこには古き研ぎの掟が確かに息付いていた。

(棟を金剛から始めよう)

 そしてそれは、男の決断を(うなが)道導(みちしるべ)にもなった。

 掟通りに研げる。

 そのまま施せば、確実に蘇る。

 確信を、男は試し当ての段階で得ていた。

(よし、いいぞ。これならいける。かつての掟が残されているのであれば、荒い砥石を当てても然程姿が変化すると言う事は無い)

 それは(まち)、切っ先、刃方三(はかたみ)(かど)などの、決して研ぎ落としてはならない所を当てずに済むと言う事であった。これらの位置が内側に入り込まなければ、姿は健全なままに保たれる。むしろ、余分を研ぎ落とす事によってより健全に見せられると言っても過言ではない。

 舐める様に、あらゆる瑕疵(かし)を見落とさぬ様に、確実に砥石へと当てて行くために男の目が刀の隅々まで這いまわり、最後のナルメ(切っ先の仕上げ)までの段取りを組み上げて行く。

(この鎬筋の錆は取れるか。この横ずれは何処から当てる。このムラは曲がりを取れば目立たない)

 片側をじっくりと観察し、表裏を返した瞬間の事であった。

(――――っ!?)

 心臓が冷や水を浴びせられた時の様に跳ねた。

 ちか、と、その目に刺さる違和感があったのだ。

 息を飲んで目を凝らす。およそ鍔元三寸、区より9cm程のところだ。

(――何だ?)

 ざっと男の顔から血の気が引いていた。

 男の記憶には、そのように発見される瑕疵の正体に心当たりがある。気のせいであってほしい、気のせいでなければいけない。もしそんなものがあれば、この刀は研ぐに値しない。

 否、既に帽子が無い時点で値しない。だから、そうではない。男はこの刀を研ぐと心に決めている。故に、その焦燥は研ぐ研がないではなく――


「…………あぁ!」


 刀を握ったまま、男は拳を額に打ち付けた。

 突然響いた異音に、近くで仕事をしていた弟子が、何事かと目を剥いて硬直する。苦渋に満ちた呻きが男の口から漏れていた。


「先生どうしたんですか」

「ちっ……くしょう」


 ばりばりとかみしめた奥歯が音を立てる、弟子の問いにもすぐには言葉が出てこない。

 男の目は、か細いが確かな傷を刀身に見つけていた。


「先生?」

「――刃切れだ、くそっ」


 男の言葉に、弟子も研いでいた刀を置いて天井を仰いだ。


「なんてこった」


 目に見えるだけでおよそ六分。であれば、見えない割れまで含めれば七分か八分にまで至るであろう、刃先から垂直に鎬に向けて入った瑕疵。

 刀と言う物は、刃の側からの衝撃には滅法強く出来ている、だが、この傷はその強みを失った証拠であった。

 人でいうなれば、背骨を折ったにも等しいそれ。致命傷がそこに存在していた。

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