#日本人の誇るべき共感性 2
あらすじの数字を修正していたら、いいね欄が閉じていた事に今更気が付いたので開けておきました。
よろしくお願いします。
「つまりじゃな……海外のコメントでは暴力は良くないという正論。
世間一般の常識で思考が止まっておるのじゃな。
これはこれで公平性を兼ねていると言えるが、全てがそこで完結してしまい、人間の思考や感情が入り込む余地がない結論と言えよう」
・間違ってはいないからな
・基準としてなら正しいのは分かる
「じゃが、日本人は暴力は悪いという事を理解した上で、何故この俳優は暴力を振るう事になったのか?
きっかけとなったMCの暴言とはどんなものだったのか?
と、ここまで考えるわけじゃな。
しかし、それだけでなく、ここからが所謂、日本人の共感性というものになるのじゃろうが。
そこから、もし自分が同じ立場なら暴力を耐えれるか?と、そこまで考えてしまうわけじゃ」
・そりゃ考えるよな
・自分だったら絶対我慢できんわ
「うむ、そういう意見が多かったのは相手の気持ちと立場を想像し、自分ならばと考えて共感する。
実のところ、これが出来る民族というのが大多数を占めているというのは、世界各国見渡しても日本人しかおらぬと言われておるのじゃ」
・実感は無いけどな
・そういうもんだと思ってた
「この想像力と共感性から、外国人観光客が困っている所に声をかけられて助けてもらった。
日本人には親切にしてもらったという意見が多い理由が隠されておるのじゃな。
即ち、自分も海外に行って困っていたら助けてもらいたいし、助けてもらったら嬉しい。
だから助けよう……こういう思考になるわけじゃ」
・改めて言われると照れるな
・確かに、もし自分だったらは考えるよな
「これが日本人のマナーの良さに繋がっておるわけじゃが、その最たる例はスポーツであろう。
野球やサッカーの海外のファンは自分のチームにいる間は当たりが優しいが、それが他チームに行ったり、戦績を残せないと一気に反転してアンチになることが殆どじゃ。
国際試合で自国のチームが負けて暴れるなんて話もあったのう。
これは試合に負けたと言う結果のみを見て過程を一切省みないからこそ起こる現象ではないかのう?」
・確かに
・結果しか見てないから怒ると
「一方で日本人は他チームに行ってファンを止める事はあれど責めることはほぼすまい。
また、自国のチームが負けてもその健闘を讃えあい相手チーム共々称賛することが殆どじゃ。
これはその選手の立場になって共感性を覚えた結果、頑張った選手を讃えこそすれ、扱き下ろすなど決して出来ないという感情からであろう」
・頑張って力足りなかっただけだしな
・勝負は時の運とも言うしね
「うむ、その通りじゃな。
ここで最初の話に戻るのじゃが、海外の人は暴力は良くないという結果しか見ておらぬ。
しかし、日本人はMCが先に仕掛けた暴言は許せない。
自分が同じ立場で家族を馬鹿にされたら黙っていない。
だからこそ、俳優さんの行動は間違っていない。
こういう思考になるのではないかな?」
・順序よく説明されると分かりやすい
・これは納得
「世界ではこの考え方は少数派なれど、称賛されているのは間違いなくこの考え方であろう。
だからこそ、日本人という立場の人間は己の共感できる能力に自信を持って欲しいのう」
・了解
・なんだか誇らしくなってきた
「綺麗にまとまった所で本日は終わりにするとするかのう。
それでは、おつかれなのじゃ」
・おつかれなのじゃ
・おつかれ〜




