超越者たちの帝国④
「――というわけで、俺とフレミアは帝国には行きません」
「え?」
翌日、再び招かれた茶会の席できっぱりと断ると、フローレンス皇女は目を大きく見開いて驚きの声をあげた。
「え? えっ? 来られないのですか? 『大導師』様からのお誘いなのですよ?」
「期待をかけてもらえたのは嬉しいですけど、答えは変わりません。ここもすぐに発たせてもらうつもりです」
もう一度はっきりと断りを入れて席を立つ。
フローレンス皇女は未だに断られた事実が信じられないのか、口を半開きにして固まっていた。
彼女の中ではきっと俺たちが誘いに乗ることは半ば確定事項だったのだろう。『大導師』様からの誘いなのだから断るはずないと信じ切っていたのだ。それはあまりにも妄信的な考えだったが、それがきっと『大導師』に近しい帝国の人間にとっては当たり前の考えなのだろう。
改めて、危うい国だと思う。いや、恐ろしい相手だと思うべきか。
たった一人の人間の存在によって支えられた大帝国。ことカリスマ性という点において、『大導師』は計り知れないものを持っている。他の超越者と同じように世間への露出は少ないため、俺は『大導師』がどのような人物かは知らないが、一度会ってみたいという欲求に駆られる。
けれどフローレンス皇女のこの様子を見るに、会わない方がいいのだろう。関わらないでいいのなら関わるべきではない相手。『大導師』はたぶんそういう手合いに違いない。
「フローレンス皇女。俺たちはこれで失礼させていただきます。騎士になって欲しいって初めて言ってくれたこと、本当に嬉しかったです」
顔を俯かせるフローレンス皇女に別れと感謝を告げ、俺は天幕を後にした。
外に出たところで騎士が襲いかかってくるかと少し身構えたが、彼らは持ち場についたまま身動ぐことなく立ったままだ。
断ったからと言って襲われるということはないようだった。騎士に誘われたことが本当に嬉しかっただけに、このまま何事もなく立ち去りたい。
「お待ちください」
そう思いながら、リカさんとフレミアの待つ天幕へと急ごうとして、しかし後ろから呼び止められる。
振り返ると、フローレンス皇女が天幕の中から俺のことを見つめていた。ふわりと風に乗って、彼女が身に纏う甘い花の香りが漂ってくる。
「ライ様。本当に帝国へは来てはいただけないのですか? 騎士にはご興味ありませんか?」
「騎士になるのは俺の夢です。けど俺がなりたいのは帝国の騎士じゃない。俺の守りたい人たちがたくさんいる、フレンス王国の騎士なんです」
「それはつまり『大剣聖』の後を継ぐということですか?」
「いえ、憧れるものはありますけど、正直そこまでは考えてませんよ。実際に会ったこともないですし」
「わたしはあなたが最強の騎士を目指しているのではと思っていました。そうではないのですか?」
「まあ、最強の称号には男として憧れますけど、俺が目指しているのは最強の騎士じゃなくて、物語に出てくるような格好いい騎士ですから」
「そうですか。……そうですか」
ぽつりとつぶやき、そのあとフローレンス皇女は万感の想いを込めて、同じつぶやきを繰り返した。
「格好いい騎士、ですか。なるほど、あなたはお伽話の英雄を目指しているのですね」
フローレンス皇女は口元に手をあてて、小刻みに肩を震わせた。あまりにも幼稚な夢に笑われてしまっているのだろうか。俺の位置からは彼女の表情はわからなかったが、酷く楽しそうな様子だった。
しばしフローレンス皇女は声を潜めて笑っていたが、やがて顔を上げた。
「ふふっ、あなたの在り方はよくわかりました。損得や名誉のためではなく、夢と理想に生きる御方では致し方ありませんね。きっと万の言葉を費やしても、あなたの意思を変えることはできないのでしょう」
彼女はやはり微笑みを浮かべていた。
ただし、これまで浮かべていた花のように可憐な笑みではなく、そこにあったのはどこか熱に浮かされたとろけた笑みだった。とても年若い少女がするとは思えない、淫靡さすら感じさせる妖しい表情で俺を見つめている。花の香りが、また強くなる。
「ならば……ふふっ、ライ様。わたし、あなたに謝らなければならないことがあるのです」
自分の唇を指で軽く撫でさすりながら、フローレンス皇女は脈絡なく別の話題を切り出した。
「謝る? なにを?」
「実は帝国内の問題を解決するのに、こっそりとあなたを利用しようとしていたのです。わたしがこの場所にいるのは、なにもライ様とフレミア様を勧誘するだけが目的ではありません」
そう言って、フローレンス皇女が語り出したのは、この陣にいた先輩冒険者が語ったことと同じだった。
国内の情勢が不安定なこと。帝都で暴動が起きていること。その解決が急務であること。『大導師』がその解決に乗り出していること。
「わたし、帝国の皇女たるフローレンス・ハルジオンがここにいることは、帝都で暴れている反抗勢力を通じて帝国内のいくつかの反抗勢力に流してあります。この好機を彼らは決して見逃さないでしょう。遠からず、わたしを狙って彼らはこの場所にやってくるでしょう」
「そこを罠にかけて一網打尽にするって計画か。つまりフローレンス皇女は――」
「囮、ということですね」
「それが『大導師』様の計画なのか?」
「はい、そうです。『大導師』様は生まれつきなんの役にも立てないわたしを、それでも最大限有効活用する策を用意してくださったのです」
誇らしげに語るフローレンス皇女に、囮として危険な立場に追いやられたことに対する不満はないようだった。むしろ逆に感謝すらしている、して当然である、という表情をしていた。
「それでいいのか?」
「これでいいに決まっています」
俺の問いかけに、間髪入れずにフローレンス皇女は答えた。
彼女が普段どういった立場にあるかはわからない。けれどあまりにも歪で、俺は彼女の代わりに会ったこともない『大導師』に不満を抱かずにはいられなかった。
「それで、俺を利用するつもりっていうことは、その反抗勢力の相手を俺にさせるつもりだったってことか?」
「その通りです。色々と調べた結果、どうやら反抗勢力には相当な実力者が協力しているらしいことがわかったので、それとあなたをぶつけたかったのです。そうすれば反抗勢力を片付けられて、さらには『閃光』の実力も見ることができる。我が国にとって得しかありません」
現場に立ち会わせて無理矢理巻き込む。謝るのも当然の身勝手な作戦だった。そしてさらに、それを今ここで俺に語り聞かせるというのがなおさら悪辣だった。
「けれど、引き留められないというのなら仕方がありません。作戦は失敗です。残念でなりません。残念でなりませんが、ええ、致し方がありませんね」
「……俺がいなくなったら、この陣の警備はどうなるんだ?」
「ご安心を。さすがに皇女をみすみす反抗勢力に渡すような真似は致しません。帝国騎士は相応の実力者を揃えましたし、一人、Sクラスの冒険者も護衛として雇い入れています」
「Sクラス冒険者を?」
「ええ。なにぶん目立つ方なので、今は遠い場所に潜伏していただいておりますが、いざとなればすぐに駆け付けてくれる手はずになっています」
「その冒険者がいれば、反抗勢力の実力者は倒せるのか?」
「さあ、どうでしょうか? その冒険者の方も帝都では名の知れた実力者ですが、如何せん、相手の強さが具体的にどれくらいかというのは判明していませんので。最上級の実力者程度であれば、恐らくは勝てるでしょう。けれど相手がそのさらに上、逸脱した者であれば、そのかぎりではないでしょうね」
「相手が超越者の可能性があるっていうのか?」
「なにせ『大導師』様に喧嘩を売ろうという輩なのですからね。それくらいでなければ、話にならないでしょう?」
絶対ではない。けれど、フローレンス皇女の口ぶりは、その可能性がそれなりに高いことを示していた。
「ああ、困りましたね。わたし、ライ様とフレミア様のお二人を連れて帰るか、反抗勢力を壊滅するか、そのどちらかを達成するまでは帰ってくるなと言われているのです。さらに言えば、この先どうなっても反抗勢力に皇女が捕らわれる、なんてことは絶対にあり得ないのだそうです」
それはつまり、いざもしもそうなったときは、そういう風に扱われるということだった。
ああくそっ。今は目の前の少女が、ここにいない『大導師』を思いきり怒鳴ってやりたい気持ちでいっぱいだった。
なんでそれを俺に言うんだ。いや、理由はわかるけど、それはあまりにも卑怯というものだ。なにも知らなければよかったのに、知ってしまったら、見捨てて行くことに後悔が残るじゃないか。
しかもこの陣地には、帝国の情勢に関係のないフレンス王国の人間だっている。今もなかなか進まない検問の結果を待って、幾人かの商隊が苛立ちながら野営の準備を進めていた。その数は昨日よりも間違いなく多くなっている。俺たちがここに到着してから、一組の検問も進んでいないかのように。
「さあ、ライ様。そのような状況ですので、どうぞお早く出発してくださいまし。あなたをこれ以上、我ら帝国の事情に巻き込むことはできません。さあ、急いで。去りゆくあなた方を、わたしは決して追いかけたりはしませんので」
フローレンス皇女はふわりと黒いドレスの裾を翻し、見送るように頭を下げた。
「ですがもしもこんなわたしをほんの少しでも哀れに思って下さるのなら、こんな事態に巻き込まれてしまった無辜の民を哀れに思うなら、あなたがそういう優しい英雄様ならば、どうかほんの一瞬、今このときだけ、わたしの騎士になっていただけませんか?」
そして罠にかけた獲物に止めを刺すようにそう告げた。
最初は損得と名誉で。それが無理なら情に訴える。
これがフローレンス・ハルジオンという皇女。なんの才能にも恵まれず、期待もされてこなかっただろう皇女が行き着いた在り方なのか。
認めざるを得なかった。俺はすでに彼女の甘い罠に絡め取られていたのだ。どこまでが『大導師』に吹き込まれた策略なのかはわからないが、それでも背筋がひんやりと冷たくなる程度には恐ろしい相手だった。
「反抗勢力と言っても、俺にとっては関係のない相手だ。積極的に戦ったり、殺そうなんて思わない。……俺がするのはあんたの護衛と、ここにいる関係のない人たちの身の安全の確保だけだ。それでいいか?」
「はい。もちろんですとも」
顔を上げて、フローレンス皇女は満面の笑みで頷いた。
それをもう見ていたくなくて、俺は彼女に背中を向けた。
「……なあ、皇女様」
「はい、なんでしょうか? わたしの騎士様」
「騎士じゃない。俺はまだ、ただの冒険者だよ」
その呼び方をやめてくれと責めながら、俺は振り返ってこれだけを最後に伝えた。
「だから素直に依頼してくれればよかったのに。少しの間、わたしのことを守って欲しいって。そうすれば、俺は……」
「なるほど。申し訳ございません。そこを失念しておりました」
フローレンス皇女は俺の今更のつぶやきに、しまったと言わんばかりの顔をして、
「そうですよね。これは依頼になるのですから、きちんと報酬を用意しておかなければなりませんね」
そんな見当違いの反省を始めた。
「それでは、ライ様のお望みのものをおっしゃってください。わたしに叶えられるものであればなんでも用意させていただきますので。お金でも、地位でも、知識でもなんでも。あ、もちろんそれとは別に、今回のことでわたしをどうこうしたいということであれば、それは別でつけさせていただきますので大丈夫ですよ」
彼女はそんな自分こそが正しいのだと信じ切った様子で、俺の気持ちはやはり最後まで汲み取ることなんてせず、花のように可憐に微笑んでいた。
「抱かれますか? 痛めつけられますか? それともわたしを、もしかして殺してくれるのでしょうか?」
一人、咲き誇ることしかできない棘だらけの花のように。
◇◆◇
リカさんとフレミアのところに戻り、事情を説明すると、二人は不満と怒りを露わにした。
「なるほど。そういう手合いでしたか。人畜無害を装っておきながら、その正体はギルドマスターのような人間だと。正直、フローレンス皇女は見捨てるべきだと思いますが、関係のない方々まで巻き込まれているとなると残るしかありませんね」
「うー、それなら事情を話して一緒に逃げましょうよ!」
「そこでフローレンス皇女に出てこられたら、俺たちよりも向こうの話を信用される可能性の方が高い。第一、いざとなったら平然と商人たちを人質に使いそうだからな。こっそりとそれをやられたら、いくらなんでも厳しいんだよ」
「むー! けど! けどむかつく! なんとかぎゃふんと言わせたいわ!」
「フレミア。気持ちはわかりますが、一番腹を立てているのはライさんなのです」
頬を膨らませるフレミアを、リカさんが宥める。
しばらくフレミアは文句を口にしていたが、やがて諦めて協力してくれると言ってくれた。
「悪いな、フレミア。リカさんも」
「構いません。それにせっかくですから、こちらもフローレンス皇女を利用させていただきましょう。報酬をなんでも用意してくれると約束したのですから、莫大な報酬を要求しても文句は言えないはずです」
「お金か。まあ、あった方がいいか」
「ちょっと待って、ライ。どうしてあたしを見ながら言ったの?」
「リカさん。どれくらい要求したらいいと思う?」
もー、と言って突進してくるフレミアを抑えながら、俺はリカさんに聞いた。ギルド職員であるリカさんなら、こういうときの相場に詳しいだろう。
「いえ、ライさん。金銭ではなく、今回は別のものを要求したいと思います」
「別のもの?」
「はい。ずばり帝国がタトリン村の図書館から回収したであろう本です。すべてかどうかはわかりませんが、間違いなく一部は回収しているでしょうから、もしかしたら私たちの求めるドラゴンに関する本が、そちらに紛れ込んでいる可能性はあります」
「なるほど。その手があったか」
回収されていることは承知でタトリン村を目指していたのだが、その帝国から本そのものか、あるいはその閲覧の権利をもらえるのなら、俺たちの目的とも合致する。この半ば強引に引き受けさせられた護衛任務にも力が入るというものだ。
そのあともいくつかのことを話し合う。
「ライさん。フローレンス皇女はあなたやフレミアを帝国と反抗勢力の争いに無理矢理巻き込み、恐らくはなし崩し的に帝国の陣営に引きずり込もうとしてくるでしょう。反抗勢力に対しては、可能なかぎり目立たない方がよろしいかと思います」
「あんまり傷つけたりはしないようにか。逆に苦手だな」
「いざとなればあまり気にしないでよろしいかと。帝国の反抗勢力は反抗勢力で、犯罪組織と繋がっていたりしてあまりまっとうとは言えませんので。なりふり構わず帝国の人間以外にも刃を向けてくるような手合いなら、手加減は必要ないでしょう」
正直、内心としては複雑だったが、そこは割り切るしかないだろう。王都でやっていたモンスター討伐が懐かしく思えてくる。
「フレミアは私と常に一緒に行動してください。フローレンス皇女なら、どさくさに紛れてあなたをさらうくらいは平気でしてくるでしょう」
「わかったわ」
「あとは、協力しているというSクラス冒険者の方でしたか? その方と可能なら一度話したいところですね」
「唯一、帝国の人間じゃない実力者だからな。できればいざというとき協力して欲しいよな」
「はい。ただ、Sクラス冒険者は変人が多い傾向があるので、難しいかも知れませんが」
「え? そうなの?」
そのSクラス冒険者を祖母に持つフレミアが驚いた顔をする。
「最高クラスの冒険者に上り詰めたんだから、みんなおばあさまみたいに立派だとばかり思ってたわ」
「フレミア。残念ながら、大抵の冒険者はSクラスに上り詰める前に、騎士団などからの勧誘でそちらに移ります。好条件の勧誘を無視してわざわざ冒険者で居続けるのは、なにか特別な目的があるか、純粋に組織に縛られるのが嫌いか、どちらにせよ気難しい相手が多いのです」
「そうなんだ。その人がいい人ならいいわね」
「ライさん、その冒険者の方の名前は聞いていませんか? 帝国の冒険者の方はあまり知りませんが、Sクラスならば聞いたことのある方かも知れません」
「ああ、そこは教えてもらってるよ」
俺も唯一協力できる相手だと思ったため、そこはきちんと聞いていた。フローレンス皇女も簡単に答えてくれたのだが、生憎と俺は知らない人物だった。
「ここにいるSクラス冒険者はケーニッヒって冒険者だ。帝国では有名な冒険者らしい」
「……『不死身』のケーニッヒですね」
「リカさん。知ってるのか?」
俺の質問にリカさんは頷いた。
「はい。噂を聞いたことがあります。帝都にあるダンジョンに単独で狂ったように潜り続けた結果、Sクラス冒険者になった人物で、あまりにも無謀なダンジョン探索にもかかわらず必ず戻ってくることから、『不死身』と呼ばれている冒険者です」
「ダンジョン専門の冒険者がどうして護衛に?」
「恐らくは『大導師』繋がりでしょう。かの冒険者は『大導師』のお気に入りらしく、『不死身』の二つ名も、いつも身に纏っているという異形の全身甲冑も、『大導師』によって与えられたものだと聞いていますので」
「最初からあっち側ってことか」
フローレンス皇女が気兼ねなく教えてくれたわけである。
「協力してもらうのは無理か」
「……そう、ですね。厳しい、と思います」
どこか上の空で答えるリカさん。俺の気のせいではなければ、ケーニッヒの名前を聞いたときからリカさんはなにやら思い詰めた顔をしていた。
「リカさん? どうかしたか? その『不死身』のケーニッヒになにか思うところでも?」
「いえ、大したことではありません。本当に、大したことではないのですが」
そう前置きした上で、リカさんはかの冒険者のことを気にしていた理由を口にした。
「……人喰いに殺された私の昔の知り合いに、同じ名前の男の子がいたもので」
今更ですが、皇女様はサブヒロイン枠ではなく、帝国のやべぇ奴枠です。




