超越者たちの帝国③
突如として始まった皇女様とのお茶会の中で、俺は聞き役に徹することしかできなかった。
「それでですね、是非、ライ様とフレミア様には帝国に来ていただきたいんです」
なにせ相手本物の皇女様である。フローレンス皇女からの言葉に「はあ」とか「ええまあ」とか、そんな相づちを打つことしかできない。頭ではもう少し考えることができているのだが、それを上手く言葉にすることができなかった。
「フレミア様。『大導師』様はフレミア様のことを本当に買っていらっしゃるのです」
「ひゃ、ひゃい。光栄でふ」
フレミアも相手が皇女様とあっては、いつもの騒がしさはどこへやら、借りてきた子猫のように大人しかった。俺よりもさらに緊張しているようで、フローレンス皇女に話しかけられるたびに目をグルグルと回している。
これが『大導師』の狙いだとするなら、その効果は覿面と言えよう。このままでは勢いだけでフレミアは誘いに頷いてしまいそうだった。
「どうですか? 一度帝都の方へ起こし頂けませんでしょうか?」
「えと、あの、その、わ、わか――」
「フローレンス皇女殿下、なぜそんなにも『大導師』様はフレミアに執心なさっているのですか?」
フレミアが変なこと言いかけたとき、リカさんがいつもより大きな声で質問を発した。
幸い、リカさんだけは冷静さを残していて、フレミアが口を滑らせそうになるたびにフォローをしてくれていた。リカさんのおかげで今のところ、変な言質を向こうに取られるのを防いでいる。さすがはリカさん。本当に頼りになる。
ああくそっ、今の俺、すごく情けない。これならティタノマキアと戦っていた方が楽だった。
「特別な理由があるのでしたら、お聞かせいただきたいのですが」
「はい。実は長年、『大導師』様は後継者不足に悩まれているのです」
フローレンス皇女は、自分の目的とは直接関係のないリカさんの問いかけにも、笑顔を崩すことなく丁寧に答えようとしてくれた。
年齢的にはフレミアよりも少し年上なくらいなのに、やはり皇族は皇族ということか。俺たち三人全員を相手にしながら、その立ち振る舞いには余裕がある。
「我が帝国は軍事力を背景にここまで大きくなりました。それには『大導師』様の御力がとても大きいのです。逆を言えば、こうして大きくなった帝国を維持できているのもまた、『大導師』様の威光あってのものです。本当に、それはもう『大導師』様はすごい御方なのです」
言葉に敬意と親愛と込めて、フローレンス皇女は語る。この少しの時間を共に過ごしただけでも、彼女が『大導師』に対して強い敬慕を抱いているらしいことは一目瞭然だった。
「ですが『大導師』様もお歳なので。このまま永遠に帝国の守護者でいることは叶いません。そうなれば、今は従っている諸侯も反抗勢力に荷担するやも知れません。この帝国の平和のためにも、『大導師』様の後継者は必要不可欠なのです」
「それならば、帝国国内で探した方がいいのでは? フレンス王国出身のフレミアが後継者では、従わない者も多いでしょう」
「いえいえ、帝国は力こそがすべての国ですから。その実力をしかと見せつければ、皆新しい『大導師』様に従うでしょう。必要なのは、ただ才能のみなのです。『大導師』様の知恵と業を引き継げる、高いランクの魔導師スキルと魔法スキルを持つ存在、それはほんの一握りしかいませんので」
「ですが、帝国は広い。さすがにまったくの皆無ではないと思いますが?」
「そうですね。実は『大導師』様の後継者候補はフレミア様だけではございません。すでに数人の人間が招集されて訓練を施されています。ですが、その……」
皇女様は言葉を濁すと、声を潜めて続きを口にした。
「……『大導師』様曰く、その者たちでは超越には至れないとのことでした」
「超越には至れない?」
「超越者になるのに、なにか特別な素質が必要なのか?」
聞いたことのない事実に、俺は思わず口を挟んでいた。
「はい。超越者になるには、『大導師』様曰く狂気が必要不可欠なのだそうです。人の領域を超えるほどの努力を自分に課し、すべてをなげうってでもその境地に到達するという狂気が、超越に至るのには必要不可欠なのだと」
「狂気ねぇ」
フレミアを見る。背筋をぴんと伸ばし、脱いだとんがり帽子をぬいぐるみをそうするように強く抱きしめている彼女とその言葉は、とても不釣り合いに見えた。
「フレミアにそこまでのものがあるとは思えないけど」
「いいえ、ライ様。最初に申し上げたとおり、『大導師』様はフレミア様のことを高く買っておられます。さすがはあの悪運の魔法使いの孫娘だと」
「え? 『大導師』様って、おばあさまと知り合いだったの?」
フレミアの魂がようやく戻ってくる。大好きな祖母の話題に身を乗り出した。
初めての手応えのある反応に、フローレンス皇女も嬉しそうな顔になり、その声にも熱がこもり始めた。
「はい。なんでも『大導師』様とフレミア様のおばあさまは、昔、殺し合いをしたことのある間柄なのだそうです!」
「え?」
今なんて?
「ですから、殺し合いをした関係です。『大導師』様はそれはもう嬉しそうに教えて下さいました。真剣に殺そうとして殺せなかった相手は、愛しの『大剣聖』と悪運の魔法使いだけだったと。あの魔性じみた生存能力が継承されているのなら、きっとフレミア様はどれだけ苛烈な修行を施しても、自分の後継者になるまで決して死にはしないだろうと期待を寄せられています」
「あわ、あわわわっ」
フレミアが顔を真っ青にして震え始める。
超越者になるのに必要なのは狂気。けれど新たなる『大導師』を生み出すのに必要なのは、受ける方の狂気ではなく、鍛え上げる方の狂気らしい。後継者となる相手に必要なのは、ただ、それに耐えることのできる生存能力なのだと。
ようやく俺たちは理解した。どうしてそこまで『大導師』がフレミアに執着しているのか。高いランクの魔法スキルや魔導師スキルはもちろんだが、それよりも彼女はフレミアの悪運スキルこそを重要視していたのだ。
ならば、フレミアを決して『大導師』に引き渡してはいけない。引き渡したが最後、フレミアは殺されるか、よしんば生き残ってしまった場合は新たなる『大導師』になってしまうだろう。
「あら? フレミア様、顔色が悪いですよ? お加減でも悪くなりましたか?」
そしてフローレンス皇女は、自分の失言に気付いていないようだった。脂汗を流すフレミアを見て、おろおろと慌て出す。
「どうしましょう? 連れてきた騎士に治癒魔法を使えるものはいますが、医師はおりません。慰めにしかならないかも知れませんが横になった方がよろしいのでは? いえ、それよりも帝都まで早馬に乗って運んだ方がよいかしら?」
「だ、大丈夫! あたしは平気だから! 元気いっぱいだから!」
心配する皇女様に、フレミアは引きつった笑みで元気だとアピールする。
それを見て、フローレンス皇女は安堵の吐息を吐いた。
「それはよかった。ですが無理はなさらないでくださいまし。わたしの寝所でよろしければ、いつでもお貸し致しますので」
「う、うん。ありがとうございます」
「お気になさらず。わたしは『大導師』様から、あなたを必ず連れ帰るように厳命されている身ですから。それまではフレミア様の心身の安全は、わたしが全身全霊をもって保証させていただきます!」
今、自分の話した真実の所為で、その可能性がほぼ皆無になった事実にはどうやら気付いていないらしい。どう考えても先程の話はフレミア本人は言ってはいけない話だろうに。
「リカさん。このフローレンス皇女だけど、少しあれじゃないか?」
皇女様には聞こえないように、俺はリカさんの耳元で囁いた。
リカさんもぴくぴくと長い耳を震わせ、小さく同意の頷きを行った。
「はい。どうも相手の感情を読み取る力と言いますが、空気を読むのが苦手なようですね。噂通りではありますが」
「噂?」
「帝国の第三皇女は、社交性に欠けていて、人前に出ることがほとんどないと聞いたことがあります。あと噂として聞いているのは、彼女は十人以上いる皇族の中ではちょうど真ん中ほどの姫君なのですが、その皇位継承権は一番下だと聞いています。なんでも生まれ持ったスキルがあまりよろしくないのだとか」
あまりよろしくない、というのはリカさんが皇女様を気遣ったかなり大人しい表現だろう。だいぶ酷いというのが正しい言い方なのは間違いなかった。
たしか先程Dランクの家事スキルが一番高いランクのスキルだと言っていた気がする。つまり他のスキルを持っていたとしても、最低ランクであるEランクということだ。当たり前のように高いランクのスキルを有する王侯貴族の中で、彼女ほどの低い才能は逆に珍しい。そういった姫が城内でどのような扱いを受けているかは想像に容易かった。
「この危険な情勢下で、わざわざ使者として使われているくらいです。彼女の価値は『大導師』の中でもかなり低いとしか」
「けど、それでも皇女は皇女。使者としてはこの上なく有用だよな」
皇女を使者として立てたというのに、これを無碍に扱うなんてことはさすがにできない。そんなことをすれば、それこそ向こうに強引な手段を取らせる大義名分を与えてしまうかも知れない。
「本人もこんなこと任されたのは初めてなのか、すごくやる気みたいだしな。まあ、慣れてないからかすごく空回りしまくっているけど」
「フレミア様。美容と健康には早寝早起きが重要です。わたしもですね」
フローレンス皇女はフレミアに対し、なぜか今、美容と健康についてあれこれと語っていた。フレミアは死んだ魚のような眼差しで話を右から左へと聞き流している。
うん、ある意味すごい相手である。あのフレミアをあそこまで黙り込ませられる者はなかなかいないだろう。
とはいえ、さすがに助け船を出してやらないと、このままではフレミアが我慢の限界を迎えて癇癪でも起こしそうだ。
「あの、フローレンス皇女。フレミアが誘われる理由はわかりましたけど、俺が誘われているのはなんでなんですか?」
「ライ様ですか? それはもちろん、あなた様がとてもお強いからです」
話しかけると、フローレンス皇女は俺の方を向いて、なぜかうっとりと頬を抑えた。
「あなた様の噂は帝都にも届いています。ヒュドラ退治にティタノマキア退治、さらには得体の知れないそれ以上のレベルのモンスターも倒したとか。まるでお伽話の英雄かなにかのよう。そのような英雄はもう、我が国に迎え入れるしかないと『大導師』様はおっしゃっていました。もちろん――」
そのとき、ひんやりとした感触が俺の手に触れていた。
気が付かないうちに、俺の手はフローレンス皇女に握りしめられていた。
「もちろん、わたしもそう思います」
「あ、あの、フローレンス皇女!?」
いきなり指を絡められて顔が熱くなる。
やめてもらおうとしたが、フローレンス皇女は手を離すことなく、もう片方の手もそえてさらに強く握りしめてきた。
そして吐息がかかるほどに顔を近付けてくる。
甘い花の香りが、強く、強くなって……。
「ライ様。いと強き御方。どうかその御力を我が国にお貸しください」
とろけるような甘い声で、フローレンス皇女は囁いた。
「それが叶うなら、『大導師』様は将来の近衛騎士団長の地位を約束するとおっしゃられています」
「……え? 俺を、今、なんて……?」
「はい。ですから騎士団長です」
フローレンス皇女は花のように微笑んで、もう一度繰り返した。
俺がずっと望んで止まなかった言葉を。
「ライ様。どうかわたしの騎士になってくださいませんか?」
◇◆◇
その夜、結局俺たちはフローレンス皇女の陣に逗留することになった。
勧誘への返答は保留にさせてもらっている。
「ねえ、ライ。どうする?」
「どうするって言っても」
用意してもらった天幕の中、リカさんが眠る準備を整えてくれる横で、俺とフレミアは顔を突き合わせて思い悩んでいた。
けれど悩みの内容は違う。フレミアはあくまでもどうすれば穏便に断れるのかを悩んでいて、俺は勧誘そのものに対して悩んでいた。
「ライ。あたしはやっぱり断るわ。世界最高の魔法使いに誘われて、まったく嬉しくないと言えば嘘になるけど、あたしは代々フレンス王国に仕えるマルドゥナの人間だもの。王家からの信頼と期待を取り戻そうとしてきたご先祖様のためにも、やっぱり帝国の人間にはなれないわ」
フレミアは迷いのない顔で言った。
幼くとも貴族は貴族。その誇りは彼女の中で燦然と輝いているのだ。
「決して『大導師』が怖いわけじゃないわ。もう一度言うわよ? 別にあたし、怖いわけじゃないから!」
これで涙ぐんでいなければ完璧だったのだが。
「わかってるよ。向こうに諦めてもらえるように、きちんと協力するから」
「ありがとう! ライ、大好き!」
よほどフローレンス皇女の語る未来が恐ろしかったらしく、フレミアは命の恩人でも目の前にしているかのような満面の笑みで抱きついてきた。
「はいはい。俺も大好きだよ」
小さな子供をあやすように頭を撫でてやる。本当に、手間のかかる妹みたいなお嬢様である。
「けどライはどうするの? 皇女様はライのことを騎士にしてくれると言ってたけど」
「俺は……」
「ライ。ずっと騎士になるのが夢だったんでしょ? 引き受けないの?」
「…………」
俺は言葉を返せなかった。
騎士になる。それが俺の夢なのは間違いない。
ならば、騎士になれるこの好機を逃すなんてあり得ない選択肢のはずなのに、俺は素直に喜べずにいた。
自分とドラゴンのことを調べる旅の最中だからというのもあるが、それよりも枷となっているのは、誘われたのが帝国の騎士というところだった。
俺は立ち上がり、天幕の外を覗き込んだ。
用意してもらった天幕は、フローレンス皇女の使っている天幕の隣だった。と言っても、彼女のそれとはかなり距離が開いており、豪奢な彼女の天幕の周りには五名の騎士が控えていた。フルフェイスの兜で隠されており、その人相や表情は読み取れない。
だが全身を覆い隠す燃えるような紅の鎧は、帝国騎士の中でも皇族の護衛を任される、栄誉ある近衛騎士の証である。槍を片手に直立不動で警戒している彼らは、しかし周りの兵士たちからは腫れ物を見るような目で見られていた。
「帝国騎士、か」
フレンス王国の人間にとって、騎士というのは栄光の象徴であり憧れの的だった。
少年ならば誰もがあの白い輝きをまといたいと思い、少女ならば誰もがそのお嫁さんになりたいと一度は思う。
けれど帝国では違う。騎士は栄光の象徴ではあるが憧れの的ではない。むしろ逆、その血で塗り固められたような鎧へ向けられるのは畏怖でしかなかった。
帝国で騎士になるということは、即ち個人の人格を削ぎ落とし、その代わりに皇帝への絶対の忠誠心を磨き上げたということだ。彼らは皇帝陛下の命令ならば、喜んで家族友人でも殺すという。そこに理由も正義も必要としない。命令だから殺すのだ。
『殺戮人形』――それが国内国外問わず、帝国騎士へと捧げられた異名だった。
その忠誠心こそ見事だと思わなくはないが、それでも俺は他の兵士たちがそうであるように、その紅の姿に憧憬を抱けなかった。
けれど騎士は騎士だ。しかもいずれは騎士団長にまでしてくれるという。
このまま冒険者を続けて、なれるかどうかわからないフレンス王国の騎士を目指すよりも、ここはフローレンス皇女の誘いに乗った方が……。
「よくはないか」
素直な気持ちを言葉にする。やっぱり、そうだよな。
色々と考えた結果、俺は誘いを断ることにした。
俺は騎士になりたい。けれど騎士が憧れるほどに格好良いものに思えたから騎士になりたいのであって、騎士ならばなんでもいいというわけではないのだ。
遠い日に交わしたいくつもの約束がある。
俺は、約束の騎士になりたいのだ。
「ライさん。よろしいのですか?」
天幕に戻ってきた俺の顔を見て、リカさんは俺の答えを察したようだった。
「ああ。決めたよ。俺もフローレンス皇女の誘いは断ることにする」
「そうですか。……こう言ってはあれですが、少しだけ安心しました。私にとって、帝国の騎士は恐怖の象徴でしかありませんでしたから」
俺が自分で答えを出すまで、自分の気持ちを隠していたリカさんは、昔を思い出すようにしながらそう零した。
「ずっと追い回されていましたから、正直、いい印象は持っていません」
「そっか。なら尚更断るって答えで良かったよ」
「いえ、ライさんが勧誘を受けるというのなら、私はそれで構いませんでした。本当ですよ?」
「それは別に疑ってないけど、リカさんに少しでも怖がられるのは嫌だからな。やっぱり騎士になったときは、リカさんにも笑顔で祝福してもらいたいよ」
「はい。そのときはきっと。……ええ、そうですね。ライさんにはやはり帝国の紅の甲冑よりも、王国の白い甲冑の方が似合うと思いますよ」
「ありがと、リカさん。俺、改めてフレンス王国で騎士になれるようがんばるよ」
「応援しています。ずっと傍で応援していますから」
「ああ。じゃあ明日すぐにフローレンス皇女に断りを入れて、リカさんの故郷に向かおう」
「はい」
「ねえ」
見つめ合う俺とリカさんを見て、いつの間にか毛布にくるまって寝転んでいたフレミアが、呆れ顔で声をかけてきた。
「もしかして二人って付き合ってるの? あたし、もしかしてお邪魔虫でした?」
俺とリカさんは頬を赤く染めると、気恥ずかしくなって視線を逸らし合い、それからにやにやと笑うフレミアにする必要もないいい訳を述べ始めるのだった。
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