超越者たちの帝国①
フレミアがリカさんの過去について知ったのは、サンドウェルドを出発して十日、バレス帝国の領土に入って五日が経過した道中のことだった。
馬車の車窓から顔を出したフレミアの何気ない質問からそれは始まった。
「ねえ、ライと『大剣聖』ってどっちが強いの?」
「へ?」
予想だにしていない質問に、御者席で手綱を握っていた俺は間抜けな声をもらしてしまった。
「突然どうしたんだ?」
「今ね、リカリアーナとライって具体的にどれくらい強いんだろうって話をしてたの。それでほら、王都最強の冒険者である『閃光』は、かの『大剣聖』と同じくらい強いって噂あったじゃない。だから実際、どっちが強いのかなぁと思って」
「そりゃまあ、ヘルメス卿じゃないか?」
「ええ! 実際に戦ったわけじゃないんでしょ! ならそこは自分って答えるべきよ!」
「そうは言われてもな、相手は王国最強の騎士で超越者だぞ?」
超越者――即ち、スキルの熟練度が一〇〇〇に達して規格外の力を手に入れた者だ。能力値は倍加し、その力は文字通り人間を超えていると言われている。
「超越者には超越者でしか倒せないとまで言われてるのに、その中でも最強クラスのヘルメス卿が相手じゃ、俺でも勝つのは難しいと思うぞ」
「そうかしら? なんだかんだ言って、ライもステータスが読めないだけでスキルがないわけじゃないだろうし、もう超越してるんじゃないの? ねえ、リカリアーナもそう思わない?」
「そうですね」
顔は見えないが、今日はフレミアと一緒に馬車の中に乗っていたリカさんの声が聞こえてきた。
「少なくとも、ライさんは一度超越者相手に勝利を収めています。超越者は超越者でしか倒せないというのなら、ライさんは超越者と同等の力を持っているのではないかと」
「なにそれ!? ライってば、超越者に勝ったことあるの!? 一体どこの誰々!?」
フレミアの頭が馬車の中に引っ込む。聞こえてくる声だけでも、フレミアがリカさんに急かしているのが伝わってきた。
「フレミアは元気だなぁ」
こうして旅を一緒にして改めて理解したのだが、フレミアは基本的に心を許した相手には甘えん坊になる傾向があった。旅の間、俺かリカさんのどちらかに必ずくっついていて、眠っているとき以外はおしゃべりに夢中だった。
旅の仲間は人数としては前より減ったのだが、それを感じさせないほどに賑やかな旅路だった。ひとつの馬車で旅をしているので、よりそう感じるのかも知れないが。
「ねえ、リカリアーナ。お願い!」
「そんなに揺すらないで下さい。きちんと話してあげますので」
フレミアの甘える声とリカさんの困ったような声が聞こえてきた。
けどいいのだろうか。俺が倒した超越者というのは、恐らくは人喰いのことだろう。あいつのことを語ろうと思うなら、リカさんの過去に触れなくてはならなくなる。
けれど、この旅のどこかで人喰い本人と遭遇する可能性も否定できなかった。それなら注意喚起のためにも、あらかじめフレミアに色々と事情を話しておくのは必要かも知れない。
どちらにせよ、決めるのはリカさんか。
まあ、言うにせよ誤魔化すにせよ、フレミアならば大丈夫だろう。リカさんの過去や隠しているスキルのことを知っても、気にして態度を変えたりはしない。そういう意味では俺も、そしてきっとリカさんも、この偉そうで甘えん坊なお嬢様のことを信じていた。
それから数分後、馬車の中からすすり泣く声が聞こえてきたかと思うと、それはすぐに大きな泣き声に変わったのだった。
日が暮れ始めた頃、今日の夜営場所を決めて俺が馬車を止めると、扉が勢いよく開き、中から目を赤く充血させたフレミアが飛び出してきた。
「ぶっとばよ!」
フレミアは俺の顔を見るなり、怒った様子で宣言した。
「リカリアーナにいっぱい酷いことして許せない! ライ! あたし、その人喰いって奴が現れたら問答無用でプロミネンスをぶっ放すわ! もう全力全開で爆殺するとここに誓うわ!」
「そうか。落ち着け」
「いいえ、落ち着いてなんていられないわ! あたし、ちょっとそこらで魔法の修行してくる!」
「あ、おい! 遠くには行くなよ!」
「わかってる!」
馬車の中からとんがり帽子だけ取り出して、フレミアは駆けだしていってしまった。
それから少しして、馬車の中からリカさんが出てくる。休憩で止まったときと下の服が違っているのは、フレミアの涙を散々受け止めて濡れてしまったからだろう。俺の隣までやってくると、遠くでちゅどーんちゅどーんと炎を地面から噴き上がらせているフレミアを見て、口元に苦笑を浮かべた。
「リカさん、だいぶフレミアを泣かせたみたいだな」
「ええ。これからのこと考えて、人喰いのことだけではなく、私が咎持ちであることや故郷の地を追放されたことも話したら、たくさん泣かれて、たくさん私のために怒ってくれました」
「そっか。……よかったな、リカさん」
「はい」
リカさんは嬉しそうに目を細めて頷いた。
「怖がられることも覚悟してましたが、フレミアはまったく気にしませんでした」
「そりゃそうだ。リカさんが優しい人だってこと、フレミアだって知ってるからな」
「優しい人、ですか……」
俺がそう言うと、なぜかリカさんは表情を曇らせた。
「リカさん? どうかしたか?」
「……ライさん、不躾で申し訳ありませんが、ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
俺が首を縦に振ると、リカさんはしばし躊躇ったあと、口を開いた。
「たとえば、目の前で大切な人が危機に陥っていたとして、その人を助けるためには非道な手段を取らないといけないとしたら、ライさんならどうしますか?」
「非道? それってたとえば?」
「たとえば、自分を慕ってくれる子や、なんの罪もない人を皆殺しにするといったことです」
「それは……」
そんな場面を想像して俺は顔をしかめた。
リカさんの質問は酷い質問だった。つまりはどちらかを助けるためにどちらかを殺すという残酷な二者択一だ。
これが本当に大切な人と、まったく関係のない他人であれば、あるいは俺も大切な人のために非道な手段を選ぶかも知れない。けれどリカさんの口ぶりは、その切り捨てるべき誰かもまた大切な存在であるような口ぶりだった。
ならば切り捨てられるわけがない。俺なら、たとえ不可能なことだとしてもどちらも……
「ごめんなさい、ライさん。嫌な質問をしました」
俺が答えるために口を開きかけると、遮るようにリカさんの人差し指が唇にあてられた。
「ライさんの答えはわかっています。けれど、お願いします。今はそれを言わないでください」
「……リカさんは優しい人だよ」
「ありがとうとございます。ライさんがそう言ってくれるのなら、私もそうありたいと思います」
困ったような顔で、それでもリカさんは俺の言葉に笑みを浮かべてくれた。
無理しているのはわかる。この里帰り、リカさんにとっては色々な意味で辛いことなのだ。
帝国自体も、かつてリカさんが逃げまどっていた因縁のある土地である。帝国領に入ったあと、町に寄ることなくひたすらタトリン村をまっすぐ目指しているのも、リカさんがもしかしたらこの国の騎士に自分が見つかった場合、追い回されるかも知れないと不安がっていたからだ。ずっと御者を努めていたのに、今は馬車の中に半ば隠れているのも、目立たないようにという配慮である。
それでもリカさんは俺のために一緒に来てくれた。
力になってあげたい、と思う。不安を取り除いてあげたいとも。
けれど今の俺には、その恩返しの方法が思いつかなかった。
「さあ、食事の支度をしましょう。手伝って下さいますか?」
「もちろん」
俺たちはフレミアの奏でる魔法の音を耳にしながら、夕食の支度を始めるのだった。
せめて出来るかぎり傍にいて、いざというときは守ってあげよう。もしかしたら、俺が原因でいざこざに巻き込んでしまうかも知れないけれど、それでも今のリカさんを一人きりにするわけにはいかなかった。
そういう意味では、フレミアの存在は本当にありがたかった。
彼女がいるだけで、少しだけ不穏な空気も和らげることができていたから。
俺たちの都合に巻き込んでしまっていることは、本当に申し訳ないのだが。
◇◆◇
「それで、さっきの話しの続きなんだけど」
たき火を囲んだ夕食の席で、もぎゅもぎゅと焼いた肉を豪快に頬張りながら、フレミアは思い出したようにそう切り出した。
「ライが超越者を倒したことがあるなら、やっぱりライも超越者よ。きっと『大剣聖』にだって勝てるに違いないわ」
「その話か」
どうやらフレミアは俺のことを大変買いかぶってくれているらしい。それ自体は嬉しいのだが、そこはそれ、騎士を目指す俺にとって王国最強の騎士たる『大剣聖』ヴァン・ヘルメス卿は憧れの存在である。
まだ顔を見たこともない最強の騎士と自分を比して、自分に軍配が上がるとはどうしても思えなかった。
「フレミア。ライさんが倒したかつて人喰いは、超越者の中でも戦闘力では弱い部類でした」
俺の複雑な心境を察してくれたのか、助け船を出すようにリカさんが言った。
「超越者でも格というものがあります。人喰いはライさんと戦った数年前に超越したばかりの超越者。さらに言うなら、戦闘系スキルの類を一切持っていないようでした」
「そうだな。たしかに強かったし、それ以上に面倒臭い相手だったけど、正直、あいつが今どれだけ成長していても、戦って自分が負けるイメージは湧かないな」
逆に前回倒しきることができなかったように、あれを滅ぼせるイメージもなかなか湧かないのだが。
「超越者の戦闘能力は、超越したスキルによって変わると聞きます。そういう意味では、剣士スキルをもって超越した『大剣聖』の力は、人喰いよりも格上だと思いますよ」
「じゃあ、リカリアーナはライが『大剣聖』に負けるって言うの?」
「そうは言いません。……ええ、そうですね。私もなんだかんだ言って、最後にはライさんが勝つと信じていますよ」
「まいったな」
二人にこうまで言われて、さすがに俺の方が弱いなんて言えなかった。
「正直、今ヘルメス卿と戦って絶対に勝てるとは言い切れないが、いつかは超えたいと思ってる相手だ。――戦えば、勝つのは俺だよ」
「そうよ! その意気よ!」
フレミアは俺の啖呵に嬉しそうな顔をした。それからほっと胸を撫で下ろす。
「よかった。これで安心だわ」
「おいおい。言っておくが、別にヘルメス卿と敵対してるわけじゃないんだし、実際に戦うことなんてないぞ。ましてや、今いるここはフレンス王国じゃなくてバレス帝国なんだから」
「わかってるわ。だからよ」
「だから?」
「そう、あたしが心配してるのは『大剣聖』ヴァン・ヘルメス卿じゃなくて、同じくらい強くて、なおかつ超越者殺しなんて呼ばれている『大導師』の方だもの。『大剣聖』に勝てるなら、『大導師』にだって勝てるわよね」
俺とリカさんは顔を見合わせた。なんか知ってる? いえ、なにも知りません。と視線だけで会話をする。
……嫌な予感がするなぁ。
「なあ、フレミア。なんで『大導師』のことをそんな警戒してるんだ?」
恐る恐る尋ねると、フレミアは目をぱちくりさせて、
「あれ? 言ってなかったかしら? あたし、自分のステータスが分かってすぐ、『大導師』から後継者になる気はないかって誘われたことがあるの。ほら、あたしのステータスのスキル構成って、悪運を除けば『大導師』が生まれ持ったステータスとまったく同じだし。魔導師スキルのランクがひとつ低いけど、それはどうとでもするから王国を裏切れ、って」
「いやいやいや、仮想敵国の超重要人物のステータス構成なんて知らないから!」
ただ、Aランクの魔法スキルとBランクの魔導師スキル、さらにはランクは低いが別の魔法スキルを持ったフレミアが、それこそ国に一人しかいないレベルの珍しいステータス持ちなのは知っている。悪運というとびきり特殊なスキルを踏まえれば、世界に、いや、歴史上一人というレベルの珍しさだろう。
「それでフレミア、お前はなんて答えたんだ?」
「あたしは会ってもいないわ。実際に会って優しく断ったのはおばあさまよ」
「そうか。噂のフレミアのおばあさんか。ならさぞ穏便にお断りを――」
「ふざけるな。一昨日来やがれクソババァ。誰が貴様みたいな人格破綻者に可愛い孫娘を預けるか、ってあたしのために怒ってくれたの! おばあさま、すごく優しい!」
「…………」
「けど諦めてないみたいで、おばあさまが亡くなってから再三誘いが来てるのよね。この前も一度帝都まで遊びに来ないかって直筆の手紙が来たし。あたしにその気はないんだけど、帝国に来てる今の状況は勘違いされそうで、ちょっと不安だったの」
でもこれで安心ね! と言わんばかりに、ご飯を口いっぱいに詰め込むようにして頬張り始める彼女を、俺とリカさんは無言のうちに見つめていた。
忘れていた。自分のことやリカさんのことを考えるあまりに、俺たちはとても重要な事実を見落としていたのだ。
フレミア・マルドゥナ。御年十二歳の女の子。
悪運のマルドゥナと呼ばれた一族の末裔にして、自称未来の大魔法使い。
「だからね、ライ。もしも無理矢理さらわれそうになったときはお願いね!」
もぎゅもぎゅごくんと美味しそうにご飯を食べている目の前の少女こそ、俺たちなんかよりもよほど強力無比な、我らのトラブルメーカー様であったことに……。
――『大導師』の使いを名乗る帝都からの使者が現れたのは、そのちょうど翌日のことだった。




