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愛を求めて



 星の囁きとは不確かで気ままなものだ。


 それは階梯を登り、超越しても変わることはない。星はこちらの意思に関係なく、時にどうでもいいことを、時に重要な知識を、まるで放り投げるかのように授けてくる。


 より良い一生の指針とするのにこれほど恐ろしいものはなく、しかし破滅も含めた人生をおもしろおかしく生きるという一点においては、それはこれ以上なく頼りになる落書きだらけの地図だった。


 そして今も自分は、遥かなる星に導かれて此処にいる。


 楽しいなぁ、愉しいなぁ、と笑いつつ、少しだけお腹を空かせながら。






       ◇◆◇






「しかし、本当によろしかったのですか? フィリーア様」


 サンドウェルドの町からバレス帝国に向かって出発した馬車を遠目から見送りつつ聖女様に聞くと、怪訝そうな顔を向けられた。


「なんの話ですか?」


「ライ・オルガスのことです。彼をこのまま行かせてしまってよろしかったのですか? 抹殺する腹積もりなのでしたら、早い方がよろしいのではないかと」


「ああ、そのことですか」


 フィリーア様はようやく得心が言ったという顔で、視線をライ・オルガスたちが乗る馬車に向けた。


「構いません。今は見逃して差し上げましょう」


「ほう? またどうして? 彼はドラゴン、世界に仇なす者。システィナ様亡き今、見逃す理由などないと思ったのですが」


「システィナは死んでなどいません」


 冷たい声と共に鋭くにらまれる。金色の瞳はいつもの無感動さをどこかに投げ捨て、猛々しい光を帯びて輝いているようにさえ見えた。


「システィナは生きています。それはこの身がまだ、次の聖女の肉体に移っていないことからも明らかです。システィナが死んだかのような発言は許しません」


「おお、これはこれは。申し訳ございません」


 服の裾を揺らし、ゆるりと頭を下げる。


 どうやら先の質問に答えることよりも、フィリーア様にとってはシスティナ様についての誤解を解く方が重要であるらしい。なんともまあ、可愛げのある御方ではないか。


 自分がこうしてフィリーア様と直接会話できるようになったのは、ほんの一月にも満たない前のことである。その前は彼女を宿すシスティナ様から、そういった存在がいるということしか聞いていなかった。


 意思があるとは聞いていたため、わずかなりとも感情があるとは思っていたが、実際に話すまでは正直あまり期待していなかった。


 人に宿り、時に宿主の身体を借りて自ら動くことはあっても、所詮はスキルである。人間と同じ情緒など望むべくもない。もしも人間と同等の心を持っているのなら、これまでの教会の歴史にその人間らしさが現れていなければおかしいのだが、そんなものは皆無だった。


 たとえば、かつて大陸を恐ろしい疫病が襲ったとき、それ以上感染が広まらないよう教会の手で複数の村が焼き滅ぼされたことがある。


 生まれたばかりの幼子まで徹底的に焼却したその命令を出したのは、他でもない当時の聖女その人であった。噂では聖女本人が出向いて、事を成したとまで言われている。


 他にもそんな事例は珍しくもなく教会の歴史には存在している。人類を滅亡に追いやる可能性のある災禍が襲いかかってきたとき、いつだって時の聖女様は人類を守る最適解を出してきた。十を生かすために一を切り捨てる。そんな冷酷な判断を、彼女はこれまで一度だって誤ったことはない。


 人類の守護者であり世界の管理者。

 まさに人を超える視点を持つスキルだからこそ担える役割である。


 ドラゴンの封印にしてもそうだ。


 話を聞くかぎりドラゴンを封印するには、ドラゴンに殺され続ける痛みを背負う必要がある。憎悪の矛先を自分に向けさせ、発散させ、流した血の量に比例するように封印を重ねていくという。


 それは宿主となった聖女だけが背負う苦痛ではない。肉体を共有する彼女もまた、同じ痛みを感じている。

 

 それは強靱な精神と奉仕の心を持つ聖女たちであって、自死を選ばずにはいられないほどの苦痛だ。けれど六〇〇年という歳月、彼女だけは折れることなく、揺れることなく、初代聖女より託された使命を全うし続けている。他のことには一切目もくれずに、だ。


 尋常な精神力ではない。否、人間の精神力ではないと言うべきか。これだけ見ても、彼女の本質が人間ではない『異物』であることは一目瞭然だろう。


 つまり自分から見て、『聖女スキル』フィリーアはとてもつまらない存在であるということだ。


 物珍しさから舐めてみたいなぁくらいは思うが、ヒトではないというのなら、のどを鳴らすほどの食欲は湧かない。少なくとも、実際にこうして顔を合わせるまで、自分の興味は宿主であるシスティナ様の方にあった。


 けれど……今はどうか。


「それでフィリーア様、ライ・オルガスを見逃す理由とは如何なるものなのでしょうか?」


「別に、ただの気まぐれです」


 最初の質問に戻ると、フィリーア様はなにかを誤魔化すように視線を逸らしながら言った。


「あれは今回、珍しく良き行いをしました。ディザスターを討伐し、窮地にあった人々を多く救ったのです」


「ですがそれは小さな視点での話でしかありません。もっと大きな視点の話をすれば、ライ・オルガスは最優先で仕留めるべきなのでは? それこそディザスターが砦を破壊し、ひとつやふたつ町を飲み込んだとしても、それを放置してでも優先するべき標的だったのではと自分は愚考するのですが」


「それは……いえ、いえ、正しく愚考なのです。ライ・オルガスも今は人の皮を被っていますが、絶命の間際となれば、本人の自覚のあるなしにかかわらずその獣の本性を露わにすることでしょう。今、地上にドラゴンを顕現させるわけにはいきませんでした」


「なにをおっしゃられる。いずれ抹殺するのは確定事項。であれば、フィリーア様。彼を目の前にして尻込みしてしまうだろうシスティナ様がいない今こそが好機だったはずです。ここが唯一、あなたがずっと警鐘を鳴らし続けることしかできなかった、その本懐を果たせる好機だったはずです」


「…………」


「なにを臆しているのですか? まさか彼が本当に殺すべき存在であるか迷っているわけではありますまい?」


「もちろんです。ドラゴンは敵、抹殺すべき対象。それは絶対の真実です!」


「ではなぜ見逃されたのですか?」


「それは……」


「……フィリーア様。まさか、まさかとは思いますが!」


 追求を前に、本人も気付いていないであろううちに後退っていたフィリーア様に、顔を近付けて囁く。


「まさかとは思いますが、彼を殺すことでシスティナ様に嫌われることを恐れたわけではありませんよね?」


「っ!?」


 今、システィナ様がどのような状況下であれ、自分の預かり知れないうちにフィリーア様がライ・オルガスを殺したとなれば、彼女は怒り狂うだろう。今の曖昧なものではなく、明確にフィリーア様へと憎悪を向けるはずだ。


 それが嫌だから殺さなかった。見逃した。世界平和よりも自分の都合を優先した。


 まるで人間のように。


「……なにを馬鹿な、そんなことあるわけがないでしょう?」


 フィリーア様はしばしの沈黙のあと、毅然とした態度でそう言い返してきた。


「たしかにシスティナは我が愛しき聖女。けれど、世界の安寧こそが最優先です。一個人の感情など、世界平和の前には考慮するに値しません」


「ええ、ええ、そうでしょう。そうでしょうとも」


 フィリーア様の主張は正しい。守護者としてどこまでも正しい意見だ。


 だから自分も笑った。正しい彼女を祝福するべく、従者として最適な助言を口にする。


「答えは出ましたね、フィリーア様」


「答え? それは一体どういうことですか?」


「ははは、誤魔化さずともよろしいのですよ。他でもない、あなたが今おっしゃられたことではないですか。世界のためならば、一個人の存在など考慮に値しない。つまり――要らないでしょう、システィナ・レンゴバルトは」


「あなた、システィナが要らないとはどういうことですか!?」


 フィリーア様が怒りを露わにすると同時に、身体から黄金の光があふれ出る。


「どういうこともなにも、そのままの意味ですよ。あなたは今、システィナ様がいなくても聖女様としての力を振るえているではないですか」


 聖なる輝き、ドラゴンをも封印する大いなる聖女の力だ。そう、すでに『ライ・オルガスを守る』などというシスティナ様との契約は消えかかっているのだ。恐らくは数日もしないうちに完全に消え失せるだろう。そうすれば、フィリーア様を縛るものはなにもなくなる。フィリーア様はその意思で、聖女としてのすべての権能を振るうことができるのだ。


「ならば、システィナ様は必要ありません。いえ、彼女がいるとライ・オルガスを殺せなくなるという点を鑑みれば、むしろ邪魔でしかない。世界を救う最大の障害でしかないのです」


「システィナが、わたくしの障害……?」


「はい。宿主の意思が介在せず、フィリーア様の自由意思で力を振るえる状態。つまり現状こそが、世界を救うという使命を全うのに、最もふさわしい状態なのです」


 自分で言うのもなんだが、一部の隙もない指摘だったと思う。フィリーア様もごくりと息を呑み、なにも言い返せずにいるのがその証拠だった。


「フィリーア様もどうやらご理解いただけたようですね。ならば、もはやシスティナ様の意思を取り戻す必要性などどこにもありません。その方法を探すこの巡礼は、この地で終わりました」


 頭を垂れ、臣下の礼を取り、フィリーア様に手を差し出した。


「さあ、王都に帰りましょう。いえ、フレンス王国の王都に留まっていたのは、あなた様ではなくシスティナ様のご意志でしたね。やはりここは聖地にご帰還するべきでしょうか」


「いえ、それは、それはダメ、です」


「ああ、そうですね。まずはライ・オルガスを追って抹殺すべきでしたね。そう、これが最善。もしかしたらシスティナ様はフィリーア様が感じ取れないだけで、未だにその身体に居座っているかも知れません。であれば、素早くライ・オルガスを仕留め、その結果をもって彼女の息の根も止めるべきです」


「な、なぜ、ライ・オルガスを殺すことがシスティナの息の根を止めることになるのですか?」


「簡単なことです。お二人の感覚はつながっている。ならば、愛する者をその手で殺した感触に、システィナ様は耐えられないでしょう。肉体があれば自死を選ぶのは想像に容易い。けれど、その肉体の所有権を戻せない以上、その心を殺すしか他にありません。まさに止めを刺せるというわけです」


「なりません!」


 と、反射的にフィリーア様は大声をあげた。


「なりません! あり得ません! そ、そんなことはできません!」


「おや? どうしてですか? あなた様の使命を思えば、選択肢はひとつしかないように思えますが」


「それは、それは……だって、システィナがいなくなるなんてこと……」


「好都合ですよね?」


「好都合、ええ、好都合であるはず……なのに、それはダメだと……ああ、なぜ? なぜ? なぜわたくしはそのように考えているのですか?」


 美しい髪を取り乱し、混乱するようにフィリーア様は叫ぶ。


 そのように慌てふためく様は、まさに人間の小娘のようであった。


「システィナを殺すなんてダメ。ダメです。彼女はわたくしの聖女、これより永劫を共にする相手なのです。それをよりにもよって、わたくしの手で、だなんて、そんなのはあり得ない! それに、そう、システィナがいなくなった理由もまだわかっていないのです。不確定な異常事態! そう、これは異常事態なのです!」


 我が意を得たりと言わんばかりの笑みを浮かべて、フィリーア様は訴えてきた。


「この異常事態をさらに加速させるような真似は慎むべきです! あなたの意見にも一理ほどはありましたが、今優先すべきはライ・オルガスの抹殺ではなく、この異常事態の究明なのです! システィナのことは、ええ、そのあと! そのあとに考えましょう!」


「なるほど」


 ああ、なんと支離滅裂で狂おしいのか。自分はもう一度頭を、今度はより深々と下げた。


「感服いたしました、フィリーア様。まさに、まさにあなた様のおっしゃられているとおり! 自分の浅はかな考えで混乱させるようなことを申し上げて、誠に申し訳ございませんでした」


「そうです。は、反省なさい。システィナだったら、その首、刎ねているところですよ」


 問題を先送りにしただけなのにもかかわらず、フィリーア様は大きなことをやり遂げたように胸を撫で下ろし、近くの木にもたれかかった。


「ふぅ……あなたが馬鹿なことを言った所為でわたくしは疲れました。徒歩で帝国に向かうのはやめにします。急ぎ馬車を用意なさい」


「仰せのままに、我が恩人。我が主よ」


 恭しく命令を承ると、その場に座り込んでしまったフィリーア様に背を向け、


「おっといけない」


 いつの間にか口の端からもれていたよだれを、そっと拭った。


 自分が食欲を刺激されていたことがばれていないかを確認するために、フィリーア様を盗み見る。けれど彼女は木にもたれかかり、ぼうっと空中を見つめていた。焦点の合わない視線は、まるで思考を放棄しているかのような有様だった。


 事実、彼女は今必死に現実から目を逸らしているのだろう。真実に意識を傾けないようにしているのだ。


 自分の意見は間違いなく、救世の使命の上では正しい意見だった。きっと先代聖女に宿っていた頃のフィリーア様ならば、迷わず自分の意見に頷いていただろう。いや、そもそも意見する前に自分で気付いて実行に移していたはずだ。


 ならばなぜ今はそれをしないのか?


 簡単だ。彼女は変わってしまったのだ。


 壊れてしまったと言い換えても良いかもしれない。世界を救うスキルでしかなかった彼女は、そうでなければならなかった彼女は今、急激に人間性というものを獲得しつつある。


 いや、もしかしたら芽生えはもっと前からあったのかも知れない。


 これまでの主従のようであった宿主たちとは違い、反発し、反抗し、あまつさえ世界を救うことよりも大事な人を守ることを優先させた宿主は、きっとシスティナ様が初めてだろう。それこそお互いに軽口を叩き合い、時に言い争うなんて間柄は、まるで友人かなにかのようではないか。


 初めての連続だっただろう。困惑は必死だっただろう。だから彼女は否応なく変わらざるを得なかった。システィナという理解不能な相方を理解するために、彼女は感情というものを知らず知らずのうちに育み始めていたのだ。


 そしてそれは、システィナ様の存在が感じられなくなった事件を経て顕在化した。失ったことで初めて、彼女は愛という感情を知ったのだ。


 そう、愛だ。


 世界を回す無謬の機械であった彼女を壊し、狂わしているものの正体は愛なのだ。そもそもの話、なにかがなにかに狂う理由など空腹か愛でしかありえない。


「フィリーア様。あなたは知らず知らずのうちに、システィナ様に愛を注がれていた。世界よりも優先したいものを手に入れてしまっていたのです」


 フィリーア様はきっとライ・オルガスを殺せないだろう。そうすればシスティナ様を二度と取り戻すことができないと、本能的に理解しているがゆえに。


 けれど、自分は見た。未来を視たのだ。


 ライ・オルガスとフィリーア様が戦う星を見た。フィリーア様が憎悪を込めてライ・オルガスを殺そうとする未来は必ずやってくる。


「ああ、リカリアーナ。我が友よ。やはりこの予言ばかりは避けられやしないよ」


 使命感から敵意こそ向けはするものの、これまで一度だってなにかを、誰かを憎んだことのない純粋なる乙女が、憎悪に狂う瞬間は必ずやってくる。


 それはすでに確定した未来。絡み合った因果の行く末だ。


 システィナ・レンゴバルトという本来聖女の器として選ばれるべきではない少女が、その祈りの強さから聖女の器として選ばれてしまったときにはすでに。


 ――否、そもそも彼女がそれほど祈りを強くした原因である、ライ・オルガスのステータスが読めないものであったときにはすでに、これは確定していた未来なのだろう。


 いつかはわからない。直接的な理由はわからない。


 けれど、今の彼女を見れば、その原因の一端は明らかだった。


「……システィナ。どこにいるのですか?」


 宿主を求めてその名を囁く彼女の姿は、まるで親の姿と愛を追い求める迷子の子供のよう。


「寒い。寂しい。わたくしを一人にしないでください、システィナ……」


 見ていてよだれがあふれ、お腹が空いてならない存在。

 自分の愛してやまない、美味しそうな人間そのものだったから。

 





 ――そのとき、星詠みスキルが未来を謳った。






 まぶたの裏に漠然と、未来の情景が過ぎる。


 対峙する自分の謎を追い求める少年と、芽生えた感情に振り回されている乙女。それに、ああ、我が友の姿も見える。どうやら彼女は先の戦いでの自分に、強い失望と動揺を残しているらしい。そしてそれを加速させるもう一人の姿もある。


「しかし……ふむ、不思議なこともあるものだ」


 その見知らぬ誰かなのだが、甲冑に隠れて顔こそ見えないものの、あれは間違いなく自分がかつて食べたことのある誰かである。生きているかどうかは別として、死んだはずの誰かが動いているのだ。


「……ああ、まったく」


 星の囁きとは不確かで気ままなものだ。

 けれど時に誰かの悪意を感じてしまうほどに、人の未来に干渉してくる。


 それを指して運命というのなら、きっと神様はどうしようもなく、人間というものを愛しているのだろう。


 自分も含めて――この世界は、神様の愛であふれている。


 だから心からの感謝を込めて。


「ありがとう! このステータスを持って生まれてきて、本当によかった!」


 今日も自分は、あの星へと祈りを捧げるのだ。


 くぅくぅ、と少しだけお腹を空かせながら。



 


次回、主人公視点で帝国編スタート。


2017/8/31追記

タイトルを『Eクラス冒険者は果てなき騎士の夢を見る ~先生、ステータス画面が読めないんだけど~』に変更させていただきました。旧タイトルはサブタイトルとなります。

加えて、これまでの作中の設定、冒険者「ランク」を冒険者「クラス」に変更させていただきます。


詳細は活動報告をご覧下さいませ。

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