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憧れの在処⑦



 ディザスターの核が消し飛んだことで、すべての影が消えていく。


 月光の明るさを、今ほど身に染みて感じたことはない。みんなが歓声を上げて、オルガスと聖女様を讃えている。


 喜びと安堵の笑みを皆が浮かべる中、一人、聖女様と共に現れたエルフの男だけは雰囲気が異なった。オルガスが戻ってきたときには姿を消していたのに、いつの間にかオレとリスティマイヤの隣に立ち、不穏な独り言をもらしている。


「ふふっ、喜ぶのはまだ早い。本番は此処からですよ」


「どういうことですか?」


 知り合いらしいリスティマイヤが、刺々しい声で尋ねた。


「まだディザスターは倒せていないということですか?」


「いいえ、ディザスターは完全に消えました。けれど、あのモンスターはそもそも倒されることが本来の役割なのです。悪意をもって相手を煽り、憎しみを自分に向けさせ、そして殺される。そうすることで影たる自身を生み出している本体を招来する眷族なのですよ。上手く鑑定スキルで読み解けば、あれにダンジョンマスターと共に召喚魔法のスキルがあることがわかったでしょう」


「なんだと!? それは本当か!?」


「ええ。我が友に誓って」


 リスティマイヤの方を見ながら、エルフの男は言い切った。召喚魔法とは此処とは異なる場所から、なにかを自分の許へと転移させる力をもったスキルである。熟練度が低い場合は小さな無機物を、高ければ巨大な生物を召喚することが可能である。


 あのディザスターが召喚士。であれば、召喚されるものが無害なものであるはずがない。

 

「とはいえご安心を。それは戦いが続くという意味ではありません。ディザスターの『門』の機能が完全に機能するには、侵蝕できた世界はあまりにも狭すぎる。この百倍、千倍とダンジョンを広げることでようやく本体を招くことができる。今のこれでは、ほんの一瞬、瞬きの間、その深淵を垣間見せることしかできないでしょう」


 だがそれこそがこの上なく喜ばしいことだと言わんばかりに、男は目を輝かせてそのときを待ちわびている。


 そして異変が起こった。


 影が消え、静寂に沈んだ闇の中に異音が響いた。

 ちょうどオルガスがディザスターを倒したその空間に不自然な亀裂が入り、この世界の一部分が欠け落ちた。


 そして真なる邪悪がその顔をのぞかせた。





「        」





 なにも、りかい、できなかった。


 それが生物の瞳であることはわかった。紅い、血のような瞳だ。けれどそれ以外のなにもかもが理解できなななかった。まるでそこだけ世界の焦点がずれているような、あるいはそこだけ孔が空いているかのように、不自然に歪んでいる。


 ちちち違う。それを理解することをオレが拒んでいるだけだ。あれを理解した瞬間、きっとオレはオレではなくなるのだろう。


 この世には触れてはいけないものがあり、踏み込んではいけない領域がある。あれはその最たるもの。この世在らざる『魔』の領域を統べる、邪悪なる王である。


 それに本来名などない。あるわけがない。この世界に生きる人間が、それの名前など理解できるはずがない。そんなことを試みれば発狂するだろう。今、こうしてあれを前にして意識を保っているだけで自分を自分で褒めてやりたい。他の者は皆、邪悪な瞳がこの世界にのぞかせた瞬間に意識を失っていた。


 あああああだがもう無理のようだ。これ以上、意識を保ち続けるときっと自分は呪われっれれれる。魂と呼ぶべきものが、そしてステータスがあれに汚染されて歪んで堕ちて朽ちて変質するだろう。


 自分を守るために、強制的に意識を閉じる。

 最後に見たのは、こちらを庇うように立つ男と女の後ろ姿だけ。


 そして理解する。それを理解できないことを理解して、これまでの人々が名前のない怪物に与えた名前を思い出す。


 そう、あれが、あれこそが本当の……


「ドラ、ゴ……ン……」






       ◇◆◇






 次に目を覚ましたのは、アライアス魔法学校の講堂の中だった。


「むにゃむにゃ……おにーさま……」


 すぐ近くでルゥナが寝息を立てていた。夢でも見ているのか、幸せそうな顔で寝言をつぶやいている。


「どうやら無事なようだな」


 怪我のないルゥナの寝顔を見て胸を撫で下ろす。

 

 そのあとルゥナを起こさないように起きて周りを見回す。講堂の中では多くの人が眠っていた。全員に毛布がかけられているところを見ると、誰かがここに運び込んだのだろう。


「ん?」


 そこでオレは気付く。自分の身体に傷ひとつないことに。


 モンスターとの戦いでかなりの傷を負ったと思ったのだが、すべての傷が完全に塞がれていた。体力も有り余っている。他のみんなの姿を見れば同様だった。傷ついたものは誰もいない。


 それだけではなく、ディザスターが姿を現す前に影に飲み込まれた者たちの姿までこの場所にはあった。あの壮絶な戦いが嘘のように、全員が生きてここにいる。


「やっぱりお前が一番最初に起きたか」


 いや、それは語弊があった。一人だけ、全身ボロボロの男が壁に背中を預けるようにして座っていた。


「オルガス。お前に聞きたいことが」


 自分で巻いたのだろう。包帯で酷い有様になったオルガスが、オレに対し、しぃ、と唇に手を当てた。彼にもたれかかるように、ミリエッタさんとリスティマイヤが眠っていた。


 オルガスは二人を優しくどかすと、オレの方へとやってきて、講堂の出口を指さした。外で話そう、ということなのだろう。


 オルガスについて外へ向かう。オルガスは傷が痛むのか、外まで出るのに時間をかけていた。


 外はまだ薄闇に包まれていた。わずかに東の空が明るくなり始めているのを見ると、もうすぐ夜明けという頃合いか。あれからそう長くは経っていないらしい。


 城壁近くまで来たところで、オルガスは足を止めて近くに転がっていた瓦礫の上に腰掛けた。


「ここまで来ればいいだろ。それで、やっぱり聞きたいのはあのあとどうなったかだろ?」


「ああ。あれは――」


 思い出して身震いしながらも、オレは尋ねた。


「ドラゴンはどうなった?」


「どうもこうも、なにもなかったよ。目が現れたと思ったら、瞬きの間に消えた。あの亀裂も今はない」


「瞬きの間……あれは、そんな一瞬のことだったのか」


「ああ。で、気付いたらお前を含めて全員気を失ってたから、慌てて講堂に運び込んだんだ。治療は、まあ、お察しのとおり聖女様がやってくれたよ。どこからか数十人近い倒れた人間を引きずってきてあそこに放り込んだのも聖女様だ」


「そうか。聖女様は?」


「全員の治療を済ませたらいなくなってた。いや、俺だけ治療してくれなかったけどな」


 そこは不思議な話である。なぜ一番の功労者であるオルガスだけ治療されていないのか。けどオルガスはあまり気にしていないようだった。それが当たり前だという顔である。


「傷は大丈夫なのか?」


「ああ。数日休めば治る。なんなら、あとで治癒魔法が使える人を探すさ」


「そうか」


 軽い調子のオルガスを見て、ようやくオレは実感することができた。


「そうか。……戦いは終わったんだな」


「ああ、Sランククエスト、ティタノマキア退治。そこからのディザスター退治。俺たちの勝利だ。あれのお蔭で死んだ人間もいない。まさに完全勝利だ。やったな」


「まさにだ。信じがたいことだがな」


 あれほどのモンスターを相手に死者が一人も出なかったのは奇跡だ。いや、聖女様のお力か。あの御方がいなければ、たとえディザスターを倒せても死者は免れなかっただろう。


 もちろん、ディザスターを倒してくれたオルガスの功績は計り知れないが。


「いてて」


 そのオルガスは、話の途中で痛みにうめいていた。


「本当に大丈夫か? 傷の手当てくらい、オレでもできるぞ? せめて包帯を綺麗に巻いてやろうか?」


「大丈夫だって。ていうか、お前に傷の治療をされることにじゃっかんの抵抗があるんだが」


「そうか。そうだな」


 命の危機ならともかく、オレもそれ以外でオルガスの治療なんて進んでやろうは思わない。オルガスも同じだろう。オレからの治療なんて受けたいとは思っていない。ひとしきり傷にうめいたあと、視界の隅でかすかに光ったものを見て、おっ、と顔を上げた。


 オレもそちらへ視線を向ける。彼方にそびえる山から、今まさに朝日が昇ろうとしていた。


 長い戦いの夜が終わり、朝がやってきたのだ。


 それを合図としたように、後ろの講堂がにわかに騒がしくなる。どうやら皆が起き始めたらしい。混乱していることだろうし、すぐに戻ってやった方がいいだろう。


 けれど、その前にひとつオルガスに聞いておきたいことがあった。


「なあ、オルガス。お前、騎士になるのが夢だったな?」


「そうだよ。俺は騎士になりたい。お前に馬鹿にされても変わらずな」


「それはなぜだ? どうしてお前は、そんなにも騎士に憧れる?」


 オレには理解できなかった。たしかに騎士とはフレンス王国において少年少女の憧れだ。けれど、現実問題として騎士は王家に仕えて戦う兵士の一種でしかない。つまらない現実も多くある職業だ。


「お前ほどの力があれば、騎士などよりももっと高い場所まで行けるだろう。誰かに指図などされることなく、自由に生きられるはずだ」


 英雄――まさにそう呼ばれ、誰からも尊敬される存在に。


「……あ~、それは、だな」


 オルガスはオレの問いかけに、照れたように頬を掻く。


「まあ、色々と理由はあったりはするんだが、やっぱり、うん、一番の理由としてはだな」


「理由としては?」


 ライ・オルガスという男が、それでも騎士に憧れる理由とはなんなのだと、オレは聞き逃すまいと耳を傾ける。



「か、格好いいから」



「…………」


 どうやら聞き間違えではないらしい。オルガスが騎士を目指す一番の理由は、なにか大それた理由でも、決して違えてはいけない約束などでもない、ただ純粋に、格好いいからという、それだけの理由らしい。


 オレが憧れた理由と、同じように。


「なんだよ? 笑うなら笑えよな」


「いや、笑わないさ」


 オレは顔を赤くしたオルガスを見て、それから大きく鼻を鳴らして言った。


「ああ、そうだ。騎士は格好いいのだ。冒険者などよりも遥かに格好いい」


「それは否定しない」


「ふんっ、まさか貴様と意見が一致する日が来ようとはな」


「そこは仕方ない。だって実際に格好いいからな。白い甲冑とか夢だよまさに」


「ふふんっ!」


「おい、これ見よがしに甲冑のアピールはやめろ」


「オレほど騎士甲冑の似合う男もいない。見とれたければ見とれてもいいぞ?」


「はぁ!? 俺の方が絶対に似合うし! 今に見てろ。すぐに追いついて、俺もそれを着てみせるからな!」


 オルガスは悔しそうにオレを見ると、立ち上がって講堂に戻り始めた。ボロボロの身体で、それでも夢を目指して歩いていく。オレはその背中を見て、そんな風に感じた。


「……オルガス。オレはやはり貴様のことが嫌いだ」


「知ってるよ。安心しろ。俺もやっぱりお前のことは好きになれないから」


 オルガスが軽く手を振りながら、講堂へと消えていく。


 そうだ。これでいい。お互いに気にくわないものは気にくわないのだ。その在り方には憧れるものはあれど、それでも、あれは敵だ。男ならばいずれ超えなければならない壁なのだから。


 今に見てろ、とオルガスは言った。

 ああ、馬鹿者め。とオレは思う。それはこちらの台詞なのだ。


 けれど――今だけは。


 騎士として、一人の男として、オレは去っていく恩人に向かって、静かに頭を下げ続けたのだった。






       ◇◆◇






 ディザスターとの戦いから数日後、オレはルゥナと一緒に王都へ戻ることになった。


 オルガスとリカリアーナはまだサンドウェルドに残るらしい。どうやらこのまま帝国へと向かうつもりらしい。彼の旅路は気になったが、誰か役職あるものが一人は報告に戻らなければならない。当初の予定どおり、旅の仲間はここで一度解散となった。


 代わりと言ってはなんだが、ミリエッタさんが一緒に来ることになった。最高である。


 まあ、なにか進展があったわけではないのだが。オルガスから頼まれたのか、ルゥナがことある事に邪魔してきた。本当になんなんだお前は? 主の幸せを考えるのがメイドの努めではないのか?


 そんなこんなで王都に戻り、陛下に事の次第を報告し、その成果をもってオレは騎士団に戻ることを許された。


 フレンス王国を襲った危機は、英雄と騎士、そして冒険者たちによって救われたのだ。


 そうしていつもどおりの日々が戻ってくる。


 仲間の騎士たちと一緒に今日も今日とて訓練に励む。伝統によって形作られた最高の訓練を、最高の教師の下みっちりと受ける。スキル熟練度は順調に上昇していき、週に数度のモンスター退治によって経験値も入ってくる。


 とはいえ、オレのレベルは五十を超えている。五十を超えると、その辺りのモンスターを適当に倒しているだけではレベルアップができなくなる。この前のような激戦を潜り抜けなければ難しい。


 だがそれでも騎士団の訓練をきちんと受け続ければ、ゆっくりとだがレベルは上がっていくだろう。周りからは期待されているし、特別な任務も回してもらえる。三十歳を超える頃には、レベル六十も見えているかも知れない。


 焦る必要はない、と先輩の騎士たちは言う。

 一歩ずつ一歩ずつ、決められた修行をこなせば強くなれる、と。


 それは真実だろう。それは歴史が証明している。このまま行けば、オレは国でも有数の騎士になれるだろう。


 けれどオレが目指しているものはその先なのだ。


「ニルヴァーナ卿。まだ訓練を続けるのか?」


「ああ。もう少しだけやっていく」


「そうか。ではまた明日な」


 知り合いの騎士たちが、決められた時間、定められたノルマをこなして一人、また一人と訓練場から去っていく。やがてのんびりと修行をしていた騎士も去っていき、訓練場に残ったのはオレだけになった。


 ノルマが終わっていないわけではない。そんなものは誰よりも早く終えてしまった。


 今、オレがやっているのはそれ以外の修行だった。騎士として強くなる上では必須ではないとされる類の修行。剣を振りながら、これになんの意味があるのかは、実際のところオレにもわからなかった。


 けれど……思い出すのは一人の男の背中。あの遠い背中を思い出すたびに、これだけでは足らないのだという焦燥感が胸を焦がすのだ。他の者と同じではまったく足らない。もっと。もっと。強くなるために努力しなければという思いに駆られる。


 ただでさえきつい訓練のあとに、休むことなく続けた自主訓練。

 身体が汗にまみれ、これ以上は明日に差し支えると感じたところで切り上げる。


 棒のようになった足を引きずって目指すのは、訓練場の横に併設された井戸だった。


 とにかく身体が熱を持っていて気持ちが悪かった。オレは不作法に、訓練着のままくみ上げた水をかぶった。もうすぐ冬が近いため、井戸の水が冷たく冷えていた。それを三回ほど頭からかぶったところで、ようやく頭の熱も下がってくる。


 そこでようやく気が付いた。井戸を挟んで向かい側に、オレと同じようにずぶ濡れになった男がいた。同僚であるニルド・クリストファ卿だ。


「…………」


「…………」


 お互いに、まさか訓練場に自分以外の誰かが残っているとは思っていなかったようで、お互いの顔を見てしばし黙り込んでしまう。


 そして鏡を覗き込んでいるように、まったく同じ格好、同じ表情をしていることに気付く。


 そういえば、前に冒険者ギルドで騒ぎを起こしたあとに、クリストファ卿はあのオルガスの幼なじみだと聞いた覚えがある。ならば、こうして居残ってまで一心不乱に修行をしていた理由もまた、同じなのだろう。


 オレたちは、同じタイミングで吹き出すように笑った。


「やあ、ニルヴァーナ卿。もしこのあと暇だったら、一緒にお酒でもどうかな?」


 ひとしきり笑ったあと、クリストファ卿がそう切り出した。


 彼とは年齢が同じということもあり、騎士学校の時代から一緒に行動することは多かったが、学校の食堂以外で食事を一緒に食べたり、休みの日にどこかへ出かけたりしたことはなかった。オレと同じAランクの剣士スキルを持ち、けれどオレよりも少しだけ強かった彼は、いつだってオレにとっては目の上のたんこぶだったから。


「ああ、構わないとも。きっと今のオレたちなら、同じ相手に対して愚痴をこぼしながら、楽しく酒を飲めるだろう」


 けれど今はそんな隔意は覚えなかった。同じ騎士であり、好敵手であり、そして同じ目標を抱く者同士、きっとこれからは仲良くなれるだろう。


 そう思っていると、不意に横合いから声がかけられた。


「なんじゃ。もう訓練は終わりなのか?」


 クリストファ卿と一緒にぎょっとなって声のした方を振り向く。

 そこには訓練着に着替え、訓練用の剣を携えた『大剣聖』閣下の姿があった。


「せっかく楽しそうなことをしておるから、ちょいと訓練をつけてやろうと思ったんじゃが、終わりなら仕方ないのぅ」


「い、いえ! まだまだ行けます!」


「そうです閣下! 是非ともご教授お願い致します!」


 慌てて立ち上がり、近くに立てかけておいた剣を手に取る。年に数度、閣下の時間が空いたときにしか受けられない直々の指導、疲れているからといって受けないなんて選択肢はない。


「その心意気や良し。いつも以上に揉んでやろう。さあ、付いてきなさい。クリストファ卿とニ、ニ、ニ……」


 閣下はクリストファ卿の顔を見て、すぐにその名を呼ぶ。けれどオレの名前のところで、やはりいつものように言葉を詰まらせた。


 オレはまだ閣下に名前を覚えてもらえていない。そんなことは百も承知だった。悔しいがそれが今のオレの評価なのだ。閣下も名前を思い出すのを途中で切り上げて、そっちとか大きい方とか、そういう風に呼ぶ。


「そう、たしかニル……」


 いつもならそうだったのだが、なぜか今日は少しだけ閣下は思い出すのに費やす時間を増やし、そしてポンと手を叩いた。


「おお、そうじゃ。ニルヴァーナ卿だったな」


「はっ――はいっ!」


 突然名前を呼ばれ、オレは声を上擦らせてしまった。


 別にオレの評価が上がったとかそういうわけではない。あくまでも偶然でしかない。そうわかっているのに、なんだか涙が出そうになった。


「そうです。オレはグィンゲッツ・ニルヴァーナです! 誰よりも強くなって、いずれ、いずれあなたの跡を継いでみせる男です!」


「おい、待つんだ。ニルヴァーナ卿。それはボクの台詞だぞ」


「いいや、オレだ!」


「ボクだ!」


「おお、そうかそうか。なら厳しく指導せんとのぅ」


 顔を突き合わせてにらみ合うオレたちを見て、閣下は楽しそうに笑った。その身体から、オレたちを威圧するような気配を漂わせ始める。


「なにせ最強の名を継ぎたいというのだからな。覚悟はできているじゃろうな? 小僧ども」


「「もちろんです!!」」


 閣下の言葉に大きな声で返事をして、オレたちは剣を強く握りしめた。


 強く。強く。誰よりも強く。

 騎士ならば当然の、男ならば当然の夢を追いかけて、オレたちは最強の騎士に挑んでいった。


 




       ◇◆◇






「あ、起きましたか? 坊ちゃま」


 気が付くと、空は夕焼けの赤に染まっていて、オレはなぜか王城のすぐ近くにある広場のベンチでルゥナに膝枕されていた。近くにはうちの馬車が止められている。


「ここは? オレはどうしてお前に膝枕なんぞをされているんだ?」


「覚えていらっしゃらないんですか? 坊ちゃまは、『大剣聖』様との訓練の途中で気を失ってしまったのですよ。それで慌ててわたくしが迎えに上がった、というわけです」


「そうか。そうだったな」


 クリストファ卿と競うようにして閣下の訓練に励んでいたのだが、どうやら最後まではついていけなかったらしい。


「オレの記憶がたしかなら、ほぼ同じタイミングでクリストファ卿も気絶していたと思うのだが、クリストファ卿はどうした?」


「クリストファ卿でしたら、あちらも迎えに来た方に抱きかかえられて帰られました。いえ、帰られたというよりはお持ち帰りされたと言った方がいいでしょうか。わたくし、動くぬいぐるみというものを生まれて初めて見ました」


「なんだそれは?」


 クリストファ卿には人形師スキルを持つ知り合いでもいるのだろうか?


 ……まあ、酒を飲み交わすのはまた今度ということでいいだろう。


「あと質問に答えてないぞ。お前はなぜオレを膝枕しているんだ? 馬車を用意してきたのなら、そちらに乗せて屋敷まで運んでくれればいいものを」


「それは……なぜでしょうか? なんとなく、こうしたくなったので」


「なんだそれは?」


「ご迷惑でしたか?」


「……まあ、今の時間帯なら同僚に見られることはないだろう。偶にはこういうのも許してやろう。感謝しろよ」


「はい、感謝します。坊ちゃま」


 なにがそんなに嬉しいのか、ルゥナはにこにこと笑顔だった。よくわからない奴である。


 だが……そうだな。考えてみれば、ちょうどいいのかも知れない。こいつにひとつ頼みたいことがあったのだ。


「ルゥナ。オレのメイドたちにお前から伝えて欲しいことがあるんだが」


「はい。なんでしょうか?」


「ああ。これまで赤い髪に染めるように言いつけておいた件だが、今後はもういいと伝えておいてくれ」


「え?」


 ルゥナは心底驚いた様子だった。


「ど、どういうことですか? 坊ちゃま、あ、赤髪が好きなのでは?」


「ああ、好きだが、それを周りに強要するのはもうやめだ」


「それは……」


 ルゥナは動揺さめやらぬ様子で、恐る恐る聞いてきた。


「もう妹様のことがどうでもよくなった、ということですか?」


「馬鹿を言え! そんなわけであるか!」


 オレは上半身を起こして怒鳴りつけた。


「いつだって、いつまでだってオレは妹のことを気にし続けるだろう。そんなのはお前ならわかるだろうが!」


「ではなぜ今になって、そのようなことを?」


「ふんっ、別に深い理由などない。メイドたちを赤い髪に染めさせたところで、楽になるのはオレの心だけだと気付いたからだ。本当に妹のことを思うのなら、オレはもっともっと強くなって、それでどこかにいる妹が名乗り出たくなるような立派な騎士になるべきだと思っただけだ」


「それは……ええと、つまり」


 ルゥナは少し考えたあと、なぜか安堵の笑みを零した。


「それって妹様本人が、坊ちゃまの妹である自覚があることが前提ですよね?」


「いいや、違う。たとえ知らなくとも、このグィンゲッツ・ニルヴァーナ様の血を分けた妹であれば、必ずオレの勇姿を見て自分がそうだと気付くはずだ。うむ、間違いない。そうは思わないか?」


「そうですね。はい。わたくしもそう思います」


 ルゥナはオレの手を優しく握った。


「坊ちゃまはいずれ騎士団長になられる御方なんですから! その妹様ならば、きっと誰もわからない坊ちゃまの素晴らしさに気付くに決まっています!」


 ルゥナは力強く頷いて、本当に嬉しそうに笑った。


 ……なんだか気恥ずかしい気分になる。ルゥナを相手にこんなくすぐったい気持ちになったのは初めてだった。つないだ手が熱い。


 だがルゥナの方は気にした様子もなく、オレの手を握りしめたまま離そうとはしなかった。


「ですが、坊ちゃまのメイドたちは残念がるかも知れませんね」


「なぜだ? お前はみんな迷惑していると言っていたではないか?」


「ええ、赤髪に強引にさせられてますからね。ですが、その代わりに染料代として坊ちゃまは給料を増やしてあげているじゃないですか。皆さん、上手くやりくりして自分のための服やお化粧とかを買ってますから。赤色の染料って安めですし」


「そ、そうなのか」


 あまり知りたくなかった事実だった。


「まあ、いい。給料はそのままにしておいてやる。それで精々、オレのために着飾れと伝えてやれ」


「かしこまりました」


「ルゥナ。お前にも同じ額を渡してやる。赤髪にしろを言わなければ受け取るだろう?」


「あ、いえ、わたくしは遠慮させていただきます」


「なぜだ?」


 ルゥナはオレの質問に少し考えこんだあと、何度か深呼吸をして、それから秘密を打ち明けてくれた。


「実はわたくし、奥様から染料代を頂いているのです。しかも金色の染料は高いので、結構な額を毎月頂いていたりします。だからさらに追加をいただくことはできません」


「はあ!? お前、髪を染めていたのか!?」


「はい。坊ちゃまには内緒でしたが、実はそうなんです」


 驚くオレの顔を見て、ルゥナはどこか期待する眼差しで、さらなる秘密を告白するように聞いてきた。


 その金色の髪を、夕焼けによって鮮やかな赤色に染めながら。


「ねえ、坊ちゃま。わたくしの地毛って、一体何色だと思います?」






今回でエピソードは終了です。

よろしければ、感想・評価お待ちしております。


次回、少しだけ今回のエピソードのラストより時を戻しまして、主人格視点でのあの場面から始まる予定です。

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