憧れの在処⑤
「くそっ!」
あせりながら、目の前にいるモンスターを叩きつぶす。
すぐにでも救援に行かなければならない。ディザスターのブレスの直撃を受けた者たちの生存は絶望的だが、学校の中にいる非戦闘員の護衛には誰かが向かわなければならない。城壁を失ったことで、敵モンスターの侵入を許してしまっているのだ。
だがこの正門も放置することはできない。どうすれば……。
「とう!」
オレが迷っていると、いきなり頭上から三人の男たちが正門前へと降り立った。城壁上の魔法使いたちの護衛を任せていた冒険者たちだ。
「よう、騎士様。持ち場を替わるぜ」
「ここは俺らに任せて、あんたはあっちに行ってくれ」
軽い口調で彼らは言ったが、レベルが四十に満たない彼らにこの場所は危険極まりない。
「貴様ら……」
それは彼らも重々承知のようだった。冒険者など、自分の命が危険に晒されれば尻尾を巻いて逃げるものだとばかり思っていた自分を恥じる。彼らには命を賭す覚悟があった。立場は違えど、まさしく彼らは戦士であり男であった。
「すまん! 任せたぞ!」
仲間たちに門を任せ、オレは火の塔があった方に回った。
そこは予想以上に混乱していた。なんとかブレスの影響を受けなかった者たちも、押し寄せるモンスターの大群に対してなにもできずにいた。多くのモンスターが城壁の内側に殺到し、学校内に足を踏み入れようとしていた。
だがそれでもギリギリのところで侵入を阻むことはできていた。
「ここは通さんぞ!」
学校の入り口前に陣取り、モンスターの圧力を押しとどめていたのはアラド卿だった。
あの混乱の中、すぐに入り口まで駆け付けていたのだ。補助魔法で透明な防御壁を作り出し、これを壁にして持ち堪えている。
「アラド卿!」
オレは蠢くモンスターの群れへと、背後から斬り込んだ。
こちらに気付いたモンスターが、オレを囲むようにして動き、四方から攻撃を仕掛けてくる。この状況下でいちいち避けている暇はない。我が家に代々伝わる名剣の切れ味と騎士甲冑の硬さ、筋力と耐久力でごり押しする。
それでもわずかな距離を進むのに、多大な労力を必要とした。
斬っても斬っても、モンスターが横から割り込んできて立ち塞がる。
このままではアラド卿がもたない。
「この、邪魔をするな!」
「坊ちゃま、後ろです!」
「っ!?」
ルゥナの声がして、オレは反射的に剣を後ろに振っていた。
金属同士がぶつかり合う音。後ろを振り返れば、いつの間にそこに現れていたのか、両腕が剣となったこれまで見たことがないダンジョンモンスターが迫ってきていた。
再びの進化。しかも今回の進化は、根本的なレベルアップも起こっているようだった。剣を押し返そうと力を込めてもはねのけることができなかった。無理矢理つば迫り合いへと持ち込まれたあげく、じょじょに押し込まれていく。
他の個体とは桁が違う。モンスターは片腕でオレを押し込んだまま、もう片方の腕を振り下ろした。
甲冑をごと刃がオレの身体を切り裂き、鮮血が舞った。
「坊ちゃま!」
ルゥナの悲鳴。きっと、アラド卿の後ろから見ているのだろう。今のこの格好悪いオレの姿を。
「このグィンゲッツ・ニルヴァーナ様を――」
込み上げる怒りを我慢することなく、オレは力の限り吼えた。
「――舐めるなよ貴様ぁああああああ!!」
血で甲冑を赤く染めたまま、オレは剣を力ずくで跳ね返し、その勢いのまま剣を振り切った。巨体が上下に両断され、骸となって地面に転がる。
「ルゥナ! 今行くぞ!」
そして再び、アラド卿の許へ――ルゥナたちの許へと急ぐ。
「どけ貴様ら! 邪魔をするな!」
立ち塞がるすべてを破砕し、突き進む。
「くっ、もう……持たぬ……!」
だがオレが辿り着くより先に、アラド卿の魔法が限界を迎えた。
最後の防波堤であった防御壁が消え失せ――
「しゃがみなさい!」
幼くも力強い魔法使いの声がした。
オレがその場に伏せるのと同時に、炎の魔法が紡がれる。
「プロミネンス!」
横合いから放たれた熱線が、集まっていたモンスターをまとめて薙ぎ払っていく。
「見なさい! これがあたしの今の全力よ! 一網打尽なんだから!」
フレミア・マルドゥナはボロボロのローブを翻し、誇らしげに胸を張った。
魔法使いの面目躍如、彼女の一撃はまさに起死回生の一撃となった。敵の向上した魔法抵抗力を貫いて、フレミアは文字通り、城壁内にいたモンスターすべてを焼き払ってしまった。
「フレミア・マルドゥナ! 無事だったのか!」
てっきりディザスターのブレスで死んでいたものと思っていた少女の登場に、オレは称賛よりも驚きを口にしてしまった。
「まあね! ディザスターのブレスが来る直前、風もなかったのにおばあさまのとんがり帽子が頭の上から滑り落ちたものだから、反射的に追いかけて塔の上から落下していたのよ! それで間一髪、あの攻撃を回避できたわけ!」
たしかに、フレミア嬢は帽子や身体のあちこちに泥や葉っぱを付着させていた。恐らくは塔から落ちて、中庭の茂みの上にでも落下したのだろう。
だがにわかには信じがたい幸運だった。当たれば跡形も残らない攻撃を、そんな嘘みたいな話で回避してしまうなんて……
「ふふん、マルドゥナ家の悪運を舐めてもらっては困るわ! あ、ちなみに一緒にいたお父様も無事よ! あたしの下敷きになったから動けないけど!」
フレミア嬢の護衛をしていたマルドゥナ卿も無事らしい。恐るべしは悪運の一族ということか。ここぞというときの呆れるほどの運の良さに、しかし今は素直に感謝しよう。彼女がいなければ、モンスターたちの魔の手がルゥナたちに届いていた。
「坊ちゃま! 大丈夫ですか!?」
「来るな!」
オレの傷を見て駆け寄ろうとしてくるルゥナに制止を呼びかける。
「そこにいろ。まだ終わっていない」
城壁内のモンスターは一掃した。けれど、次々とモンスターたちがやってくる。先程よりも強く、硬く、恐ろしくなって。
もはや視界内に最初見たモンスターはいなかった。獣型は鋭利なフォルムに進化し、ゴブリンもどきは一回り巨大になり、手に影で出来た武器を持った。空からは翼を生やしたモンスターが襲いかかってきて、奥からはゆっくりとレベル五十に迫ろうかという悪鬼が歩いてくる。
「フレミア嬢! 今のをもう一発行けるか!」
「任せなさい! 今のあたしならどれだけモンスターが来ても――あ、あれ?」
フレミア嬢の身体が不意にふらつく。
その理由にすぐに思い当たった。アラド卿がかけたマジシャンズロッドの効果が切れたのだ。それはつまり他の皆にかけられたマジシャンズロッドの効力が切れたことも意味していた。
ギリギリのところで保っていた均衡が、ここに崩れた。消失した城壁から押し寄せてくるモンスターの数が倍増する。
「フレミア嬢! 出来るかぎりでいい! 援護してくれ!」
「わ、わかったわ!」
オレは前に出て、フレミア嬢は下がった。
アラド卿が非戦闘員を庇い、援護のための呪文をかけてくれる。
かけられた魔法がなにか確かめる時間すらなかった。アラド卿を信じて、襲いかかってくるモンスターに身体ごとぶつかっていく。敵の攻撃が後ろに行かないように自分の身体で受け止め、がむしゃらに剣を振るう。ここから敵を押し返す打開策などない。元より誰も彼もが全力を出し切っているのだ。
フレミア嬢も必死になって魔法を紡いだ。また進化したモンスターたちは、一撃で倒れなかった。マジックポーションを飲む暇もなく、フレミア嬢は同じ呪文を繰り返す。瞬く間に戦場が、炎に包まれた灼熱地獄へと変わっていく。
地獄じみた光景は、この場所に限ったことではなかった。
敷地内のどこもかしこもが、ディザスターの一撃を皮切りに、絶望的な状況に転がり落ちていく。
そのとき耳に響いた雄叫びは、果たしてオレの口から出たものか、それともここ以外の他の場所で誰かがあげたものか。それすらも定かではない混沌の中、オレは決して後ろには行かせないと、ただそれだけを考えながら戦った。
何度も攻撃を受けた。だが全身を襲う激痛は遠い彼方の出来事のようで、考慮には値しない。身体が動くかぎり、否、動かなくなっても戦うのだ。
……そうしてどれだけの時間戦っていたのか?
気が付くと、あれだけ視界を埋め尽くしていた黒い影がいなくなっていた。
敵の攻撃を凌ぎ切ったのだと、そう喜ぶ者などこの戦場には一人もいなかった。慌ててここから離れていくダンジョンモンスターたちの代わりに、彼方で輝く闇がその存在を主張する。
こちらの奮戦も、祈りも、なにもかもを無に帰す残酷な死神が狙いを定めていた。ディザスターはこの戦いに幕を引くべく、先程よりも強力なブレスを放った。逃げ切ることのできなかった影の獣たちが、触れた端から塵芥になって呑み込まれていく。
ブレスが放たれてから着弾するまで、実際には数秒にも満たない時間しかなかっただろう。だが極限状態にあったオレたちには、酷く長い時のように感じられた。
だがその引き延ばされた感覚を有効活用することもできず、誰もが声もなく立ちつくし、その場で闇の到達を待つことしかできなかった。
オレたちはよくがんばった。と、そんな小さな誇りだけを胸に、終わりのときを静かに受け入れようとして……。
光が闇を切り裂いた。
ディザスターのブレスに対して真正面から撃ち放たれた光の斬撃が、その進路を無理矢理別の方角へとねじ曲げる。必滅のはずだった闇の息吹は、自らが生み出したモンスターだけを消し飛ばして彼方へと消え去っていった。
なにが起こったのか。最初、誰もわからなかった。
けれどすぐに全員が理解した。
いつそこに現れたのか、崩れかけた城壁のすぐ目の前、闇のブレスを真正面から受け止めるその場所に、一人の男がこちらを背中に庇うようにして立っていた。
「……ああ」
声が、もれた。
かなり無茶をして駆け付けたのだろう。全身傷だらけで、背中はべったりと血で濡れていた。
けれど……その背中から感じられる頼もしさはなんなのか?
この場を支配していた絶望が、どこかへと消えていくのを感じた。
彼のことを知っている者も、知らない者も、等しくその背中を瞳に焼き付け、唯一の希望が帰ってきたのだと理解する。
そして、誰もが待ち望んだ言葉がかけられる。
「――待たせたな。あとは俺に任せとけ」
ライ・オルガスが、絶望の戦場に帰還を果たした。




