憧れの在処③
ディザスターに対する防衛準備は迅速に進められた。
さすがはアライアス魔法学校の校長を務めるアラド卿である。過去、複数の戦争に参加してきた彼は、年を感じさせないほどの精力さで次々と指示を出していった。サンドウェルドの町に避難指示を飛ばすと共に戦力をかき集め、ふさわしい位置に配置する。
集まった戦力もかなりのものだ。自分たちの暮らす町を守るのだという義侠心に燃える若者だけではなく、隠居していた名門出の老魔法使いたちが、アラド卿の頼みならばと重い腰を動かして参戦してくれた。
結果として、自分やアラド卿も含めてレベル五十以上の人間が全員で五人と、一地方では考えられない戦力が集まった。ただし、それ以外の人間はは平均にして三十五といったところだ。総勢四十二名。それがこちらの戦力だった。
そして問題もある。戦力のほぼ全員が魔法使いということだ。
襲いかかってくるモンスターの大群に対し、なるほど魔法使いというのは効果的な戦力だ。その一撃は複数の敵をまとめて葬り去れるだろう。
だが魔法には詠唱時間を必要とする。その時間を稼ぐための前衛が一緒にいなければ、その真価を発揮できない。そしてこの前衛の数が少ないというのが大きな問題だった。
魔法使い三十三名に対し、前衛をこなせる戦士職がわずか八名。圧倒的に足りない。
だがこればかりはどうしようもなかった。オレが誰よりも前に出て、敵を捌くしかないだろう。他の七人にはそれこそ魔法使いの傍で護衛に専念させておくしかない。
他には魔法使いたちを三人一組で組ませ、それぞれの詠唱を補う形での連続詠唱を行わせる作戦が練られた。研究職の人間が、どれだけ迫ってくるモンスターに対して冷静に作戦に徹せられるかは疑問だが、そこは彼らの胆力に賭けるしかないだろう。
それとは別に、魔法使いたちの中でも火力に秀でた四人には特別な舞台が用意された。
アライアス魔法学校にある四つの塔は、それぞれ火、水、地、風の魔法の威力を向上させる特別な造りが施されているらしい。ちょうどレベル五十を超えた三人の魔法使いが水、地、風の属性の魔法をそれぞれ操るため、ここに配置される形になった。
残る火の塔には、当然残ったアラド卿が赴くと思いきや、別の人間が指名された。
「私はたしかに火属性魔法は扱えますが、ランクが低く補助魔法の方に特化してますからな。私よりは彼女の方がいいでしょう」
そうアラド卿が指名したのは、集まった有志の中でもレベルが低く、加えて言うなら年齢も身長も低い少女だった。
「待たせたわね、ニルヴァーナ卿! あたしこそが偉大なる大魔法使いを祖母に持つ未来の大魔法使い、フレミア・マルドゥナよ! あたしが来たからにはもう安心! モンスターを絶対にみんなのところへは行かせはしないんだから!」
黒いとんがり帽子に黒いボロボロのローブをまとった小さな少女は、むふん、と平らな胸を張って自信満々に言い切った。
マルドゥナ。その名は有名でオレも知っていた。かのドラゴンに呪われた家には、最近、恐るべき魔法の才能を持った子供が生まれたと聞く。魔の森のダンジョンを発見したという悪運の申し子が、目の前の少女なのだろう。
「アラド卿。本当に大丈夫なのか?」
「ご心配はわかりますが、フレミア嬢は間違いなく火属性の魔法使いとしては、ここに集まった誰よりも優れていますよ。レベルも現在三十二レベルですが、知力の能力値にとても恵まれている。こと魔法の火力だけを言えば、レベル四十以上の魔法使いに匹敵するでしょう」
「ですが……戦士でもない子供を、しかもこのような童女を戦いに参加させるというのは……」
「ちょっと、子供扱いしないでよ! あたし、この前誕生日が来て十二歳になったんだから!」
「十二歳はどう考えても子供だろう」
オレはフレミア嬢の前でしゃがみこんで視線を合わせる。
「怖くないのか? 死ぬかも知れないんだぞ?」
「怖くないわ」
フレミア嬢ははっきりと言った。その瞳は弱く幼い子供とは違った。
「たしかに、今回の戦いがディザスターとかいうモンスターを倒すための戦いなら、さすがのあたしも逃げるわ。けど違う。ライが戻ってくるまでの時間を稼ぐための戦いなんでしょ?」
「ライ? お前、ライ・オルガスを知っているのか?」
「ええ、知ってるわ。なにを隠そうライとは一緒に冒険して、マルドゥナダンジョンを発見した仲だわ!」
「そうだったのか」
フレミア嬢がオルガスの名前を呼ぶ声には、はっきりとした信頼が込められていた。彼が戻ってくればディザスターも倒せる。彼女は本気でそう信じているのだろう。
「だがオルガスは今、別の場所でティタノマキアと戦っている。あのティタノマキアとだぞ? 負けるとは言わないが、倒すのには時間がかかるだろう。加えて、無傷で終わるとも思えない。その上でディザスターを倒すというのは、はっきり言って無謀だろう」
彼女を諦めさせるためにはっきりと事実を突きつける。この戦い、アラド卿はオルガスが戻ってくるまでの戦いと言っていたが、そもそもオルガスがいつ戻ってくるかはわからないし、戻ってきたとしても戦える状態かはわからないのだ。
無論、サンドウェルドの住人が避難する時間を稼ぐという行為は必要であり尊いと思う。誰かがやらなければならないというのなら、自分やアラド卿がやるべきだろう。
けれど彼女には出来れば、他の皆と一緒に逃げて欲しい。騎士が戦うのは国のため、そこに住まう人のため。即ち、この国の未来を作っていく子供たちのためなのだから。
「いいか? フレミア・マルドゥナ。これは貴様が思っているよりも遥かに危険な戦いだ。最悪、オルガスがこの状況を見たら逃げるかも知れないしな」
「ライは逃げたりなんかしないわ」
オレの脅しを含めた言葉に、けれどフレミア嬢は怯えることなく頬を膨らませた。
「あなた知らないの? ライはね、アホだけどすごく家族想いなのよ」
「だからなんだ?」
「今このサンドウェルドにはライの妹であるシスターミリエッタがいるわ。ライのことを心配して駆け付けたんだって。ここに来るときに一緒になってすごく驚いたわ。それを言うなら、ライがいるっていうことにもすごくすごく驚いたんだけど」
「ちょっと待て。ミリエッタさんもここにいるのか?」
「いるわよ。あとルゥナってメイドの人も一緒よ」
「あ、あいつ……」
この状況だ。命じなくても逃げているものだとばかり思っていたが、まさかここに来ているとは。
「あ、もしかして、あなたがルゥナの言っていた坊ちゃまね? なら顔を見せてあげなさい。あの人、あなたのことすごく心配してたんだから」
「……そうだな。あとで会いに行くとしよう」
それで尻を蹴飛ばしてでも避難させよう。
「それで話を戻すけど、ライはね、家族を決して見捨てたりはしないわ。だから逃げない。絶対に戻ってくる。それで、あのディザスターとかいうモンスターも格好良く一撃粉砕よ!」
「……そうか」
一撃で倒す。ああ、それができたらどれだけいいか。さすがにそれはフレミア嬢の妄想に過ぎないが、それでも彼女が本気でオルガスのことを信頼していることは理解できた。きっと彼女はてこでも動かないだろう。
「わかった。なら頼むぞ、フレミア・マルドゥナ」
「任せて! みんな丸ごと守ってみせるわ! ついでにモンスターをたくさん倒して、しっかりと時間を稼いで、それでこの学校への入学金と授業料をタダにしてもらうんだから!」
胸を叩いて引き受けるフレミア嬢。オレは彼女のすぐ後ろに立った、彼女の父親らしき男性に軽く頭を下げ、アラド卿と一緒にこの場所を後にした。
しばらく廊下を進んだあと、アラド卿に聞く。
「アラド卿。実際問題、この戦いをどう見ます?」
「まあ、三十分時間を稼げれば良い方ですかな」
アラド卿はそう言って、足を止めて廊下の小窓から外を見た。
ディザスターの生み出す影はどんどんと大きさを増している。その勢いは最初よりも増していた。大地と空とが汚染され、漆黒の影に包まれていく様は、まるでこの世の終わりかなにかのようだった。
観測班の報告では、あの影がこのアライアスに届くまで残り三十分ほどだという。そこから三十分、つまりはあの影とそこから生み出されたモンスターがサンドウェルドの町に届くまで、残り一時間ほどだということだ。
もちろん、住人の避難は進められているが、よしんば全員が町から出られたとしても、逃げた住人が近くの町に到着するよりも早く、広がり続ける影に追いついてしまうだろう。
全員が助かるには、この一時間の間にオルガスが戻ってくるしかない。フレミア嬢にああだこうだ言ったが、それしかないのだ。
「ニルヴァーナ卿。私も逆に聞きたい。この一時間でオルガス卿は戻ってくると思いますかな?」
「……報告によれば、オルガスがヒュドラを倒すのにかかった時間は一時間に満たなかったと聞きます。再生力に秀でたヒュドラが相手でそれでしたので、それよりも早く戻ってくる可能性は大きいでしょう」
「ですがティタノマキアは知能が高い。いざとなれば、逃げてしまうかも知れません。そしてオルガス卿がこちらの異変に気付かずそれを追いかけていってしまえば……」
「間に合わないでしょう」
「せめてこちらの状況をお伝えできればよいのですが、あの影はディザスターを中心にして、円形に広がっています。オルガス卿のいる方に向かうには影の中に入るしかない。少なくとも、突破まで一時間以上かかるでしょう。結局、我々ができることはオルガス卿が早々にティタノマキアを倒し、こちらの窮地に気付いて素早く駆け付けてくれることだけですな」
一番の問題である、オルガスがディザスターを倒せるかどうかは口にしなかった。そこはもう、論じるに値しないということだ。
信じるしかないのだ。ライ・オルガスの力を。
「どうか願わくば、かの『閃光』が真に英雄であることを」
そう、この場にいる誰もが英雄の帰還を願っている。
指揮を執るために中央の塔に向かったアラド卿と別れ、オレは自分の持ち場である入り口正面の門を目指していた。
「坊ちゃま」
その道中、ルゥナと遭遇した。その手には預けておいた白い甲冑があった。
「ルゥナか。お前、それを届けるためにわざわざこんな危険な場所まで来たのか? さっさと逃げればいいものを」
「いいえ。逃げるつもりはありません。ルゥナは最後まで坊ちゃまと一緒にいます!」
「母様のことなら気にするな。ここでお前が逃げても叱責を受けないよう、オレが母様に向けて一筆書く。それを持ってさっさと逃げろ」
「逃げません! ルゥナは奥様に言われたから、それだけの理由でここにいるのではありません!」
ルゥナは大声ではっきりとそう告げた。その潤んだ眼差しが『本当にわかりませんか?』と訴えかけてきているようだ。
まったくもって頑固者である。母様はともかく、オレなどいい主ではないだろうに。
「そうか。ならば勝手にしろ」
「はい、勝手にします」
ルゥナは頷いて、オレに甲冑をつけ始める。カタカタとその手が恐怖に震えていることに、当然オレは気がついた。
「大丈夫だ、ルゥナ。オルガスは戻ってくる」
「……坊ちゃまは、オルガス様を信じているのですね」
「ふんっ、信じてなどいるものか。信じてなどいないが」
それでもひとつだけわかっていることがある。
認めたくはないのに認めてしまうほどに、オレはあいつのことをずっと追いかけていたのだから。
……最初は、ただ困惑だけがあった。
騎士学校の入学試験の試合で負けたとき、最初はその事実を受け入れられなかった。オレは最高のステータスを持ち、なおかつ伝統と歴史によって築き上げられた『最高の努力』をし続けてきたのだ。そんなオレが負けるという事実が理解できなかった。
次に恐怖した。
ニルヴァーナ家次期当主として、またいずれ『大剣聖』の後を継ぐべく努力し続けてきたオレを一蹴したその理不尽なまでの強さに恐怖を抱いた。どうしたらそんなにも強くなれるのか理解できなくて、あいつのステータスにその理由を求めたのに、そこにも理由がないことがより恐怖を倍増させた。
吐き気がした。めまいがした。頭痛がした。自分のこれまで培ってきた常識が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
ステータスがすべて――ずっと信仰してきた事実が間違っているのではないかと、そんな風に感じられた。
けれど、それは決して認めてはいけないことだった。
だってそうだろう?
オレがそれを認めてしまったら、その信仰に従って妹が捨てられた事実はどうなるのだろうか?
生まれもったステータスがすべて。だからこそオレはニルヴァーナ家の次期当主に選ばれ、妹は捨てられた。それは罪深いことではあるが間違ったことではない。決して間違ったことではないのだ。
たとえ母様があれ以来、妹を捨てるように指示をした父様を憎んでいるとしても。ニルヴァーナ家の次期当主になる努力を続けるオレのことを悲しそうな目で見るようになったとしても。それでも間違っていなかった。あれは家を存続させる上では仕方がないことで、どうしようもないことだったのだ。
そう思って、オレは妹が捨てられた事実を受け入れた。この指に触れた温もりを、あの笑顔を振り切ることができた。オレはニルヴァーナ家の次期当主であるグィンゲッツ・ニルヴァーナだと、そう大声で言うことができるようになったのだ。
けれどステータスがすべてではないと認めてしまえば、オレの世界が終わってしまう。
尊敬する父親は血の繋がった娘を捨てた悪漢に成り下がり、母親は腹を痛めて生んだ我が子を奪われた哀れな母親になってしまう。そしてオレはその事実を前にして、自分可愛さに妹を見捨てたクズになってしまう。もう二度と、誰にもオレはオレだと自信をもって言えなくなる。
だから否定した。あれはなにかの間違いだったのだと、お前が間違っているのだと、そうオルガスを糾弾した。いずれ本当の意味ですべてを否定するために、もっと努力して、強くなって、それでオルガスを叩きのめして自分の正当性を取り戻そうとした。
けれど、また負けた。完膚無きまでに敗北した。
再び揺らぎ始めた信仰。ミリエッタさんに対してこれまで以上に妹を重ねてしまったのも、ある意味ではそれが理由だろう。
理不尽の権化。オレの世界を壊す破壊者。
グィンゲッツ・ニルヴァーナにとって、ライ・オルガスとはそういうもので。
ああ、だけど……本当は気がついていた。
嫌いだった。憎んですらいた。けれどルゥナの言うとおり、同時に嫉妬していたのも事実なのだ。
ニルヴァーナ家の次期当主、グィンゲッツ・ニルヴァーナとしては決して認めてはいけない怪物だとしても。
一人の男、グィンゲッツとしては、あの強さに憧れるものがあったから。
かつてのあの英雄のようだと、そう……。
「ふんっ、あいつの強さだけは本物だ」
その言葉を口にすることに、鈍い胸の痛みと奇妙な爽快感を覚えた。くそったれ。くそったれ。くそったれ。と思いながらも、オレは続けた。
「あいつは強い。オレよりもずっと強いんだ。それこそ、オレが敬慕する『大剣聖』閣下に匹敵するほどに強いんだよ馬鹿じゃねえのか。それだけは、悔しいが間違いないことだからな認めてやるよくそったれ」
ルゥナはオレの悪態混じりの言葉を聞いたあと、笑みを零した。
「ではわたくしは、ライさんを信じている坊ちゃまを信じることにします」
それから震えの止まった手で、ルゥナは甲冑をひとつずつつけていってくれた。
道中もルゥナの手によってピカピカに磨き上げられた甲冑を身につけるたびに、背筋が自然と伸び、強い思いがこの胸に沸き上がる。最後に白い兜が頭にかぶせられ、剣を持った瞬間に、オレは自分の中でスイッチが切り替わるのを感じた。
それは遥か昔から脈々と受け継がれてきたもの。証たる白と共に託された、騎士の魂。
罰を言い渡され、また荒れ狂うこの心ではふさわしくないと自省していたというのに、甲冑は身にまとった瞬間からそうあれと強制してくる。民草の希望と憧憬で形作られたこの姿は、いついかなるときもオレの弱さを許さない。
「行ってらっしゃいませ、坊ちゃま。ご健闘をお祈りしております」
「ああ」
だから今だけは悩みを忘れ、オレは見送るルゥナに答えた。
「任せておけ。オレは騎士だからな。あの馬鹿が戻ってくるまでは、お前たちはオレが守ろう」
それが誇りだ。貫かねばならない在り方だ。
オレは砦を出て、迫る影の大群の最前線に立った。
一人の騎士として譲れないもののために。
この背にある、守るべきもののために。




