憧れの在処②
「あれはまさかドラゴン……なのか?」
オレのつぶやきにアラド卿は答えることはなかった。
長く生きたアラド卿であっても、ドラゴンと遭遇した経験はないのだろう。目の前に現れたモンスターがドラゴンであるという確信は持てないようだった。
ただ、これがティタノマキアと比してなお、強大な力を持つモンスターであることはオレと同じく本能的に察したようだった。ドラゴンらしき『影』がその目や鼻といったパーツの存在しない、のっぺらぼうの顔をこちらに向けた瞬間、身体が縛り付けられたように動かなくなった。今、また足下の影から触手が伸びてきたら、抵抗できそうになかった。
だが『影』はオレたちに攻撃することなく、空を泳ぐようにして身体をくねらせた。何度も何度も、その場で踊るように暴れ続ける。
意味のわからない行動だった。一体なにをしているのか?
「おい、誰か! 誰か鑑定スキルを持ってる者は残っとらんか!?」
呆然と皆が空を見上げる中、最初に立ち直ったアラド卿がそう声を張り上げた。
すると影に飲み込まれずに残っていた魔法使いの一人が、こちらへと駆け寄ってきた。
「おお、ラミューゼス。お前さんか。よう残っていてくれたな」
「はい。なんとか。ですが、私の鑑定スキルの熟練度では、あのモンスターのステータスを看破することは叶いませんでした」
「そうか。ううむ、どうしたものか」
ステータスさえ看破できれば、相手の名前やレベル、能力値や持っているスキルがわかる。レベルは脅威の度合いを、能力値やスキルは相手の傾向を理解する助けとなる。特にスキルがわかれば、あの異様な行動の意味もわかるかも知れない。
「……どうやら、あの『影』はすぐにどうこうしてくるわけではないようです。今のうちに先に避難を続けましょう。完了するまで待ってくれる保障はどこにもありませんが」
「わかりました」
アラド卿の指示に魔法使いは頷いて、仲間たちに指示を伝えに向かった。影に飲み込まれなかった魔法使いたちはどうやら皆上級の魔法使いのようで、すぐに避難できる態勢は整った。
「アラド卿。影に飲み込まれた者たちは?」
「今はどうしようもできません。影の中でどうなっているかもわかりませんからな」
「……そうですね」
心配する気持ちはあるが、今はアラド卿の言うとおりどうしようもできなかった。オレたちはひとまず、この得体の知れない影の範囲内に逃れ、アライアス魔法学校を目指すことにした。
オレたちが『影』の行為の意味を、その一端でも理解したのは、ちょうどアライアス魔法学校に到着した頃のことだった。
「おい、あの影の雲、さっきより広がってないか?」
魔法使いの誰かが口にした言葉に、オレたちはそろって振り向き確認した。
たしかに怪物の生み出した影の雲が、先程見たときよりはっきりとわかるぐらい大きくなっていた。心なしか、此処からでも見える怪物の姿も近付いているような気がする。
だからなんだと聞かれたら困るが、不吉なものをその場の全員が感じ取ったのは事実だった。
「ラミューゼス。すまんが、命を賭けてもらえるか?」
影の雲の見たアラド卿が、先程の鑑定持ちの魔法使いにそう言った。
オレにはその意味がわからなかったが、ラミューゼス本人は理解できたのか、強ばった表情で、しかしはっきりと頷いた。
「ええ。私もそれしかないと思っていました」
「すまんな」
「いいえ。サンドウェルドには妻も子もいますので」
覚悟を決めた様子のラミューゼスに、アラド卿は懐からなにか液体の入った瓶を取り出して手渡した。
紫色のどろりとした液体は、見るからに身体に悪そうな代物だった。毒と言われても信じることができるだろう。
「アラド卿。それは?」
「ん。それは……」
アラド卿はオレの方を見て、困ったように顔をしかめる。どうやら王国騎士団の人間に見つかると、あまりよろしくはない品らしい。
「アラド卿」
「……スキルブーストポーションでございます」
スキルブーストポーション。禁制品ではないが、使用にはいくつもの許可を必要とする劇薬だった。
効果は一時的なスキル効果の上昇。けれど副作用がすさまじく、使用後は確実に昏倒する。下手をすれば死ぬ可能性すらあるという代物だった。
アライアス魔法学校ならば、高級なポーションもいくつかあってもおかしくはないが、まさかスキルブーストポーションとは。オレは今一度、ポーションを渡されたラミューゼスを見た。彼はオレがなにかを言う前に、瓶に蓋を開けて中身を呷ってしまった。
「この者に闇を切り開く英知を。灯台の灯火を」
さらにアラド卿が合わせて詠唱を口にする。
「ライトアイズ」
「鑑定スキル発動!」
国内屈指の補助魔法の使い手として知られるアラド卿によって、視力を強化されたラミューゼスが、鑑定スキルを再び『影』に向かって行使した。
「見え、ました。名前は……ディザ、スター」
ドラゴンではない。オレたちはラミューゼスの言葉に耳をさらに傾ける。
「レベル……能力値……くそっ、見えない! スキル、せめてスキルを……!」
ラミューゼスは鼻から血を流すほどに力みながら『影』を見つめる。彼の視界に今なにが映っているのか、彼は謎に包まれた敵の秘密を暴こうと、その影の闇に挑み続け、
「スキル……ダンジョン、マスター。あれは、ダンジョンマスターのスキルを持っています!」
その言葉を最後に、血を吐いてその場に崩れ落ちた。
「誰か、ラミューゼスを!」
「はい!」
アラド卿は倒れたラミューゼスを運ばせたあと、オレに声をかけた。
「ニルヴァーナ卿。このことは」
「わかっています。言いませんよ」
言えるわけがない。
「それよりもアラド卿、どう見ますか? 相手はどうやらドラゴンではなく、ディザスターという新種のモンスターのようです。しかもダンジョンマスターとは」
「ええ。ダンジョンの中ではなく、ダンジョンの外でダンジョンマスター持ちのモンスターが発見されたのはこれが初めてでしょうな」
ダンジョンマスターとは、ダンジョンと呼ばれる迷宮の奥に潜むダンジョンの主が必ず持っているスキルのことだ。ダンジョンを作成する力を持つモンスターの異常個体こそダンジョンマスターであり、このダンジョンマスタースキル持ちのモンスターを倒すと、そのダンジョンは消滅するなど、ダンジョンマスターとそのダンジョンは密接に結びついている。
そういった情報は、これまでのダンジョン探索によって確認されている。ダンジョンマスターといえど、生まれながらにダンジョンを持っているわけではないので、冷静に考えればダンジョンの外でそのスキル持ちと遭遇することもあるだろう。
つまりあのディザスターは、ダンジョンを未だ持たないダンジョンマスター。これからダンジョンを……
「アラド卿。もしやあのモンスターの得体の知れない行動の意味は……?」
「うむ。私も同じことを考えていました。あのモンスターは今まさに、ダンジョンを産み落とそうとしているのかも知れません。しかも本来地中深くに生まれるはずのダンジョンを、この地上に」
影が広がっていく。得体の知れない場所へと繋がる天井と地面が、この世界に広がっていく。
ディザスターは、この土地をダンジョン化している!
そしてその考えを証明するように、広がっていく影の雲から次々に黒い影が落ちてきて、影の沼からも同様に黒い影が這い出てくる。
ディザスターの様子を確認していた魔法使いが、泡を食った様子で報告してきた。
「あ、アラド卿! モンスターです! ディザスターの生み出した影から、無数のモンスターが出現しています!」
「ダンジョンモンスターだ。やはり、あのディザスターはダンジョンを作っている!」
「ダンジョンモンスターは、ダンジョンから外へは出られない。ですがあのまま影が広がっていくとすれば……」
ディザスターの生み出す天地の影に囲まれた部分はダンジョンになる。とすれば、あの影にこのアライアス魔法学校が飲み込まれれば、その瞬間にあの無数のモンスターたちは襲いかかってくるだろう。
いや、最悪このアライアス魔法学校は捨てればいい。ティタノマキア出現によって、最初から生徒たちの多くは避難しているし、幸か不幸か動けない人間はすでに影に飲み込まれてしまった。皆、レベルも高い。逃げるだけなら簡単だ。
けれど、アライアス魔法学校の後ろにはサンドウェルドの町がある。住民たちに迅速な避難など望めないだろう。
「……サンドウェルドの町に伝令を。すぐに避難を始めるようにと。それと事情を説明し、有志を募れ。レベル三十以上の者は、今すぐこのアライアス魔法学校に集まるように、と」
アラド卿は覚悟を決めた様子で、その場に集まった者たちに告げた。
「我々はここでサンドウェルドの町の住人が逃げ切るまで応戦する」
「こ、この面子でですか!?」
「そうだ。それしかない」
今、ここに集まっているのはティタノマキア封印で弱った面々ばかりだ。
そもそもアライアス魔法学校には、本当の意味での戦闘職の魔法使いはいない。いるのは研究職の魔法使いたちであり、生徒に戦闘技能に教える教師も、退役した騎士だったり、元宮廷魔導師といった肩書きの者ばかりだ。
本当に強い魔法使いは王都に招集され、宮廷魔導師になったり、騎士になったりする。いくらアライアス魔法学校自体が昔の砦であり、防衛に適しているといっても、兵がこれでは心許ない。サンドウェルドの町で募っても、焼け石に水だろう。
だがやらなければならない。腐ってもここにいるのは魔法使いたち。戦う術を持った者たちだ。
それでも不安を隠せない者たちに、アラド卿はちゃかすように言った。
「なぁに、ディザスターを倒すなどと無謀なことは言わん。我々は彼が到着するまでの時間を稼げばいい」
「彼?」
「そうだ。彼だ」
期待を込めて。希望を信じて。
「『閃光』のライ・オルガス卿がティタノマキアを倒して戻ってくるまで、我々は我々のできることをするとしよう」
ここにサンドウェルドの町の防衛戦は始まりを告げた。




