夢の在処②
サンドウェルドには予定通りの時間に到着した。
夕焼けの色に染まったサンドウェルドの町は牧歌的に俺の目には映った。建物の集まった街の中心から離れて、いくつもの農場が広がっている。街の入り口から見回したとき、通りを行き交う人に交じって家畜の姿が普通に見られたのはこの町が初めてだった。
「ふんっ、田舎の町だな」
馬車から降りることなく、窓から顔だけ出して町を見たグィンゲッツは、サンドウェルドの感想をそう一言で片付けた。
「おい、ライ・オルガス。早速アライアス魔法学校に行くぞ」
「わかってる」
あらかじめ話していたとおりに、そのままサンドウェルドの町の中を横切って、近郊にあるアライアス魔法学校を目指す。
どこがそうなのかは誰に聞くまでもなく一目瞭然だった。町のすぐ傍に、ぽつんと目立つ大きな建物が建っている。分厚い城壁に囲まれた、威圧感のある建物だ。昔の戦争で使っていた砦をそのまま利用しているという。
アライアス魔法学校の門番を務めていた兵士は、訪ねてきた俺たちをすぐに学園長室へと通してくれた。馬車のお世話をルゥナに任せ、俺とリカさん、グィンゲッツの三人で石造りの廊下を早足で進んでいくと、昔は指揮官の部屋だったであろう立派な扉が現れる。
「ここが学園長室です。どうぞお入り下さい」
兵士に扉を開けてもらい、中に入る。
多くの古びた書物を詰め込んだ本棚に囲まれた部屋の中心で、安楽椅子に腰掛けて書類に向き直っていたのは、髭をのばし、古びたローブをまとった一人の老人だった。
「学園長。王都から派遣されてきた、ティタノマキア討伐隊の皆様をお連れいたしました」
「おお、お待ちしておりました。私がアライアスの学園長をしている、ルーフェン・アラドでございます」
椅子から立ち上がり、被っていたとんがり帽子を脱いで一礼するアラド卿。彼は俺たちを見て、皺だらけの顔で笑った。
「予定よりも早い到着、なんともありがたいことでございます。お恥ずかしながら、我々は約束の期日までティタノマキアを封印することはできそうにありませんでしたからな」
「王国騎士団のグィンゲッツ・ニルヴァーナだ。話は聞いています。予定よりも三日縮まったそうですね」
相手が貴族ということで、グィンゲッツは騎士然とした態度で尋ねた。
アラド卿は髭をしごきつつ頷くと、予想外のことを言い出した。
「厳密には予定よりも十八日縮まった、というのが正解でございます。元々、今回ティタノマキアの施した封印は、一月の間モンスターを封印する術式でしたからな。最初に報告した半月、という数字は、まあだいぶ余裕を持たせてもらったわけです」
「半分以下ではないか」
「ふぉっふぉっふぉ。これが今回は幸いしましたな。正直に一月持つと報告していれば、動きののんびりとした騎士団のことです。あなた方は封印が解けるまでに到着しなかったかも知れません。なぁに、地方暮らしの知恵のようなものでございます」
悪びれもなく笑ってとんがり帽子を被り直すアラド卿に、騎士団所属のグィンゲッツは青筋を浮かべた。
それを見て、俺はグィンゲッツの前に出た。
「すみません。自己紹介が遅れました。俺は冒険者のライ・オルガスです。こちらは冒険者ギルドのリカリアーナ・リスティマイヤ」
俺の紹介に、軽く頭を下げるリカさん。その耳に少しだけ注目したあと、アラド卿は俺のことを観察するように見てきた。
「ではあなたが噂のヒュドラ殺しの『閃光』殿ですかな?」
「そういうことになります」
「左様でございますか。いや、頼もしい。我々では封印するので手一杯でしたが、それでもティタノマキアは所詮ヒュドラよりも格下のモンスター。どうか速やかな討伐をお願いしたい、オルガス卿」
お、オルガス卿って。
「あの、俺はただの冒険者で。そんな卿なんて付けられる立場じゃないんで」
「そうでしたか。私が聞いた話では、かの『閃光』はすでに騎士団に所属していると聞いていましたが」
「い、いや! そんなことはないですから!」
「それは申し訳ない。なにせこの辺りは王都からは離れていますからな。『閃光』の噂も色々と尾ひれがついているようですなぁ。ですが、先のヒュドラ討伐に続いてティタノマキア討伐ともなれば、王国騎士団も放っておきますまい。すぐに噂も本当になるでしょう。今のうちに慣れておいた方がいいですぞ、オルガス卿」
「いやぁ、そんな――いでっ!」
グィンゲッツに脇腹を肘で小突かれる。
「こちらに討伐を急いでもらうための世辞だ。いちいち反応するな、鬱陶しい」
「わ、わかってるって」
ただお世辞でもそんなことを言われたことはほとんどなかったので、純粋に嬉しかっただけである。
それに討伐をできるかぎり早く行うという方針は、すでに前もって俺たちの中で決めて共有していたことだ。
「アラド卿。俺たちは明日、ティタノマキアの討伐を実行に移そうと思っています。封印は明日まで持ちますよね?」
「ふむ。明日ですか。まあ、今日はもう遅い。それは致し方ないでしょう」
アラド卿は好々爺とした表情を潜め、真剣な顔で俺たちに向き直った。
「ですがあなた方が思っているよりも、我々の消耗は激しい。それをどうか覚えておいていただきたい」
「少しおかしいですね」
学園長室を後にし、アラド卿が学内に用意してくれた客室へと移動する途中で、リカさんがそう切り出した。
「本来、一月持つ封印が半分以下しか持たないなんて、今回のティタノマキアは通常の個体よりも強力な個体なのかも知れません」
モンスターの中には突然変異して、他の個体よりもレベルが高かったり、強力なスキルを覚えていたりする個体が存在する。それがあまりにも通常の個体とはかけ離れていた場合、その個体は別のモンスター名すら付けられて分けられることもある。
今回、ティタノマキアに施されている封印は、純粋に相手の力量によって封印していられる期間が増減するタイプなので、アラド卿の説明が事実なら、今回のティタノマキアが異常個体である可能性は高かった。
あるいは、と考えたところで、グィンゲッツが気にくわないという表情で口を開いた。
「ふんっ、どうだがな。あのアラド卿は食えないことで有名な老人だ。まだまだ余裕がありましたというよりも、力のかぎり振り絞ってティタノマキアを封印していました、という方が陛下への心証はいいだろう。話半分に聞いていた方がいいとオレは思うがな」
「もちろんその可能性もあります。ですが、サンドウェルドの町を見ましたか?」
「町? この町に見所なんてないだろう?」
「そういうことではなく、人々の顔です。私の目には相当あせっているように見えました」
「そういや、開いていない店とかも結構あった気がするな」
リカさんの言葉に、俺も町の様子を思い出す。夕方だから人の姿が見られないのかと閑散としたとおりを見て思ったが、もしかしたら違うのかも知れない。
「町の近くでティタノマキアが現れたのです。いくら封印しているといっても、もしかしたら封印が解けて暴れるかも知れない。となれば、伝手がある人間は早めに避難していることでしょう。ですが、それにしては避難している住人やこの学校の生徒の数が多いように見えます。私たちが思っているよりも、ティタノマキア封印は限界であるのかも知れません」
「それこそ住人が察するくらいには、か」
静かな魔法学校。閑散としたサンドウェルドの町。本来、ティタノマキアレベルのモンスターが自分たちの暮らしている町の近くに現れるというのはこういうことなのだ。ヒュドラが現れてもほとんど混乱がなかった王都がおかしいのである。
「やっぱり早く来て正解だった」
俺は廊下にあった窓から外を眺めながら、拳を強く握りしめた。
「できるかぎり早くみんなの不安を取り除いてやろう。ティタノマキアの討伐は、明日の朝に行う。悪いけどリカさん、武器とかのサポートを頼むな」
「お任せください」
「そうと決まれば、今日は早めに眠ろう」
「おい」
方針を固め、部屋に行こうとしたところをグィンゲッツに呼び止められる。
「どうしたんだ?」
「……オレはティタノマキアの討伐に協力しなくてもいいのか?」
「え? 本当に手伝ってくれるのか?」
「か、勘違いするなよ。貴様らだけではもしかしたら打ち損じる可能性があるかと思っただけだ! それに、貴様のことを麗しのミリエッタさんからも頼まれているしな! だから……貴様がどうしてもと言うのなら、手伝ってやってもいいが?」
「グィンゲッツ。お前……ありがとな。助かるよ」
「ああ、そうだろうそうだろう。なにせオレはニルヴァーナ家次期当主、グィンゲッツ・ニルヴァーナだからな!」
「おう。じゃあ、戦場に関係ない人が近付いてこないように見張ってもらってていいか? リカさんにやってもらおうと思ったけど、お前が王国騎士の白甲冑を着てそれをやってくれるなら、絶対にみんな従ってくれるだろうしな。俺も気兼ねなく、全力で戦えるってもんだ」
「…………」
グィンゲッツは俺の言葉に、一瞬ぽかんと口を開けてなぜか驚いて、
「……ティタノマキア討伐を直接手伝わなくてもいいのか?」
「ああ。そこは大丈夫だ。俺だけで十分倒せるから。任せとけ」
それが恐らくは切っ掛けだった。グィンゲッツの俺を見る眼差しが、みるみるうちに敵意にまみえていく。いや、それは敵意というよりも、もっと別のもののように見えた。
「……そうか。必要なのはオレの力ではなく、騎士としての記号の方だけなのだな」
「グィンゲッツ?」
グィンゲッツはしばらくなにかに耐えるように歯を食いしばっていたあと、
「さすがは『閃光』と呼ばれていい気になっているオルガス卿だな! 他の人間の力なんて要らないと見える! いや、むしろ邪魔か。貴様の戦場に――」
顔を歪め、吐き捨てるように言った。
「怪物同士が暴れ回る戦場に、オレのような普通の人間が入る余地などないのだろうな!」
「っ!? あなた!」
リカさんが声を荒げて、グィンゲッツに手を伸ばした。
だがグィンゲッツは素早い身のこなしでリカさんの手を避け、大きく距離を取った。そのあと腰の剣の柄に手を触れて身構えていた。
上等だとリカさんも武器に手を伸ばそうとするが、俺はその手を横から伸ばして止めた。
「いいんだ。リカさん」
「ですが!」
「ありがとう。本当に大丈夫だから」
「……わかり、ました」
リカさんは怒りをなんとか押し殺し、手を下ろしてくれた。
一方でグィンゲッツも武器から手を離したが、俺への敵意を隠そうともせずににらみつけていた。
「グィンゲッツ。一緒に旅をしてきて、少しはお互いに協力できるような気がしてたんだがな」
「…………」
「どうしてだ? どうしてお前はそんなに俺のことを嫌ってるんだ?」
これまで避けてきた質問をぶつける。するとグィンゲッツはより怒気を高めて、俺を親の仇のような目で見てきた。
「わからないのか! ああ、貴様にはわからないのだろうな! オレがこれまでどれだけの想いで努力してきて、それを貴様に踏みにじられてどれだけショックだったか! 強い貴様は想像もできないだろう!」
「俺だって努力はしてる。お前に負けるつもりはない」
「ああ、見ていたさ! 貴様にたしかに努力しているようだな! 毎日毎日飽きもせずに馬鹿のように修行をしていた! だがその上で言ってやる! 人間は、普通の人間は、努力だけでは今の貴様ほどには強くなれない! ティタノマキアを単独で討伐できるだなんて、そんなのは明らかにおかしいのだ! 貴様は、間違いなく、生まれながらにして普通ではない!」
「俺が普通じゃないから、お前は俺を嫌うのか?」
ステータス画面が読めないから。ただそれだけで。
「だとするなら、悪いな。グィンゲッツ。お前をティタノマキアの討伐には連れて行けない。連れて行きたくない」
「っ! 勝手にしろ!」
グィンゲッツは怒りをぶつけるように近くの壁を殴りつけると、背中を向けて去っていってしまった。
その姿が見えなくなるまで見つめ続けたあと、ガシガシと頭を掻いた。
「あ~あ。結局こうなったか。旅を始める前の不安が的中しちゃったな」
「ライさん……」
「悪いけど、リカさん。戦場の見張りもお願いしていいか?」
リカさんは首を縦に振ってくれた。そのあと、
「ごめんなさい。私が声を荒げてしまったばかりに、火に油を注いでしまったのかも知れません」
「いいさ。たぶん、リカさんは関係ない。グィンゲッツが怒ったのは俺が理由だと思う」
けど俺にはどうしてグィンゲッツがあんなにも激昂したのか、その理由がわからなかった。グィンゲッツが俺をにらむ眼差しに込められた感情の正体に思い至らない。どこかで見た記憶もあるけれど、それがなんなのかまではわからなかった。
俺が普通じゃないからという理由だけじゃない気がする。もっとなにか別の理由があるような。グィンゲッツが俺を認められない、もっと根本的な理由があるような……。
「ルゥナに一度聞いてみた方がいいかもな」
「そうですね。ルゥナさんならば、わかるかも知れません」
けれどルゥナに聞きに行く余裕はなかったのだった。
――ガァアアアアアアアアアアアアアッ!!
突然の咆吼と共に、地面が揺すり上げられる。
直感的にわかった。今のは巨人が目覚めた声。
封印されていたはずのティタノマキアが、解放された音なのだと。
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