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夢の在処①



 最初にその鼓動を感じたのはいつだったか?


 気がつけば傍らに、あるいは自分の中にあったソレ。

 先生のときにも一瞬垣間見えたその存在を明確に感じたのは、やはりあのときが初めてだろう。


 院長先生の病気を治すために向かった薬草探し。図らずもヒュドラと戦うことになった、あの始まりの冒険。システィナがヒュドラに身体を喰われる光景を見て、ソレはどこからともなく沸き上がってきた。


 殺意と憎悪を伴った破壊衝動。感じたのは、冷たく燃えさかる闇の鼓動だった。


 その鼓動に突き動かされるままに身体を動かした結果、俺はヒュドラを叩きのめすことができた。一息では殺してやらないと、怒りのままに蹂躙することができたのだ。


 そのときの俺の姿が如何なるものだったのかは分からない。


 システィナとはあれ以降まともに口を利けず、あるいは見ていたかも知れない黒騎士は帰ってこなかった。


 けれど……今なら確信をもって言えた。


 再び巡り会ったヒュドラを倒したあの日から、俺は以前ヒュドラと戦ったときの記憶を思い出すことができるようになったから。


 だから分かる。あの瞬間の俺は、人の姿をしていなかった。


 身体は漆黒の鱗に覆われて、手には鋭い爪が生えていた。視界は高く、ヒュドラの巨体すら見下ろすことができる大きさにまで身体は変化していた。背中からは翼が生え、視界の端で第三の腕となってヒュドラに叩きつけていたのはきっと尻尾だろう。


 自分の姿を客観的に見ることはできないから、俺がわかるのはそんな部分的な形だったけれど。それは間違いなく人の姿からかけ離れた獣の姿だった。


 闇の鼓動によって身体が変化したのだろうか?

 あるいは、ライ・オルガスとは生まれながらにそういうもので、ただ戻っただけに過ぎないのか?


 その疑問に答えは出ない。俺を生んでくれた母さんはもういないから、俺が生まれたときの姿を聞くこともできない。


 もちろん、俺は自分が人間だと信じている。


 けれど……


『――お前は本当に、人間なのか?』


 自分を見つめる、その恐怖の眼差しを覚えている。

 人間ではなく怪物を見る目で自分に問う、その言葉を覚えている。


 そして……よくよく思い出してみれば、あれが初めてでもなかった。


 グィンゲッツに問われる前から、俺はもうずっと前から同じことを尋ねられていたのだ。


 ステータスが読めない俺に対して向けられた周りからの視線。蔑みの中に混ざった、哀れみの中に混ざった、あるいは称賛の中に混ざった小さな疑問。お前という存在が理解できないという未知への恐怖が、たしかに俺に向けられる視線の中にはあったのだ。


 それに気づけなかっただけ。あるいは、気づかなかったふりをしていたのか。


 きっとそうなのだろう。俺はずっと目を逸らしていただけだ。聞こえないように耳を塞いでいただけだ。

 

 けどそれはもうやめにしよう。もう前に進まないといけない頃合いだ。


 そう思って、だけど恐怖はまだ残っている。


 真実を追い求める。そう決めた。だから俺はきっと、いずれ真実に辿り着くだろう。


 だけど、その真実が明らかになったとき、それが俺の望んだものだとは限らない。俺が人間じゃなくて、人間の振りをしている怪物だという可能性は捨てきれなくて。そしてそうなったとき、俺の周りにいる人たちが俺のことをどう思うかもわからない。みんながみんな、親父さんのようにはいかないだろう。


 怖がられてしまうだろうか?

 嫌われて、しまうだろうか?


『――触らないでください。おぞましき怪物め』


 あの冷たい金色の瞳をしたシスティナのように、みんな俺のことを――……。






       ◇◆◇






「おい、聞いているのか! ライ・オルガス!」


「っ!?」


 大きな怒鳴り声がして、俺は我に返った。どうやら思考の海に沈んでいたらしい。


 前を見ると、たき火を挟んだ向こう側から、グィンゲッツが苛立った様子で俺のことをにらみつけていた。


「大丈夫ですか? ライさん」


 横に座ったリカさんが、心配そうな顔で声をかけてくれる。グィンゲッツの隣に座ったルゥナも、グィンゲッツを宥めつつこちらを心配げに見ていた。


「悪い。なんかぼーとしてた」


「ぼーとするな! 作戦会議中だぞ!」


 グィンゲッツが怒鳴り散らすも、俺は悪いともう一度口にするしかなかった。明らかにこの状況で話を聞いていなかった俺が悪い。


「本当に悪かったって」


「ちっ、では話を続けるぞ」


「ああ」


 話――つまりはティタノマキア退治のことである。


 ミリエッタと別れてからも旅は順調に進んでいた。ミリエッタとの別れのときの会話に思うところがあったのか、グィンゲッツも態度こそ悪いが、俺との間に積極的に諍いを起こすことはなかった。目的地であるサンドウェルドには明日、当初の予定よりも一日早く到着する。


「リカさん。ティタノマキアの封印はまだ施されたままなんだよな?」


「はい。冒険者ギルドからの情報では、封印が過不足なく働いているようです。ただ、予想よりも魔法使いの消耗が激しく、封印は半月ではなく十二日ほどにまで縮まっているとのことです。つまりはあと五日となりますね」


「騎士団の情報も同じだ。つまり選択肢はふたつということだな」


 別口で情報を仕入れたグィンゲッツも同意し、指を二本立てた。


「ひとつは到着次第、ティタノマキアの封印を解かせて討伐する。もうひとつは封印の限界を待ってから討伐を行う」


「当然、討伐は急いだ方がいいよな?」


「封印が機能しているといっても、その間、学園の魔法使いたちは消耗し続けているからな。限界まで酷使させれば、あるいは数人は今後使い物にならない可能性もある。早いに越したことはないだろう。アライラス魔法学校の人員は貴重だからな」


 サンドウェルド近郊に位置するアライラス魔法学校は、大陸有数の魔法学校であると同時に、フレンス王国の魔法研究所のひとつでもあった。宮廷魔導師たちが王都で魔法研究を行ってはいるのだが、成果という意味ではこちらの研究所の方が上らしい。


 そもそもバレス帝国に近しいサンドウェルドという土地に魔法学校があるのは、ここの土地が魔法使いの育成に適しているからだ。


 魔法使いは後衛職のため、レベルアップやスキルの熟練度上げが、前衛で戦うような戦士たちと同じようにはいかないらしい。土地によって生息するモンスターの傾向は異なり、モンスターの中には魔法で倒しやすい倒しにくいという相性もある。そういう意味で、サンドウェルドは魔法使いの育成に適しているのだそうだ。


 名門と呼ばれる魔法使いの家柄は子供を絶対にアライラス魔法学校に行かせるし、貴族ならば本邸はともかく別邸をサンドウェルドに持っている者も少なくないという。フレミアがここに住んでいるのも、マルドゥナ家が代々魔法使いの家系だからだろう。


「だが今回は国の大事だからな。数人、貴重な人員を使い潰しても確実性を求めた方がいいかもしれん。到着したあと、封印の限界までしっかりと準備を整えて戦いに臨むというのも間違いではない」


 グィンゲッツはもうひとつの選択肢の利点を述べた。


「まあ、どちらにせよ、貴様が問題なくティタノマキアを討伐できることが前提だがな」


「ライさんでは無理だとでも?」


 リカさんがグィンゲッツをにらむ。美人から氷のような眼差しを向けられ、グィンゲッツはやや怯むも、偉そうな態度を崩すことなく鼻を鳴らした。


「無理なら無理でいいがな。そのときはこのグィンゲッツ・ニルヴァーナ様が代わりにティタノマキアを討伐するだけだ」


「坊ちゃまでは無理だと思いまあいたっ!」


 グィンゲッツに軽く頭をはたかれ、ルゥナが痛そうに頭をさする。


「痛いです。坊ちゃまは筋力の能力値に恵まれているのですから、軽くでもあまり叩かないでください」


「お前が舐めたことを言うからだろうが!」


「ですが事実であうっ!」


 今度はおでこにデコピンをもらって、ルゥナが涙目になる。


 旅を一緒にしてきてわかったのだが、このメイド、なかなかどうして坊ちゃまへの失言が多い。それだけ気心が知れているということなのだろう。


 グィンゲッツも意外と言えば意外で、男に対しては基本的に俺に対する態度を少し柔らかくしただけの尊大なものだが、女子供にはミリエッタほどではないが一定の配慮を見せた。リカさんに対しても、ギルド職員ということに対しては少し思うところがあるようだが、それでも多少突っかかられても声を荒げない程度には自制している様子だった。


 それでもルゥナほど気安く接している相手は他にない。グィンゲッツは否定していたが、主従の垣根を越えて喧嘩することができるというのは相当な仲の良さだと思う。


「ふんっ。どちらにせよ、サンドウェルドに到着するのは明日の夕方頃になるだろう。最短でもティタノマキアの討伐に動くのは明後日ということになる。それまでには方針を決めておけよ、ライ・オルガス」


「わかった」


 俺はグィンゲッツの言葉に頷いた。


 頭の片隅で、まだ別のことに意識を少し持って行かれたまま。







 翌日、俺とリカさん、グィンゲッツとルゥナというペアで馬車を進めていた。


 道行きは順調だった。モンスターともほとんど遭遇しない。サンドウェルドに到着する予定時間に変更はないだろう。


 ならば、さてどうするか。


 聞けば、他に現れた最上級モンスターの討伐も順調に進んでいるらしい。


 海に現れたリヴァイアサンを討伐するのに赴いた騎士団は、リヴァイアサンを仕留めることこそまだできていないが、すでに数度撃退しており、討伐は時間の問題だという。国の北側を任された『大剣聖』はすでに二体を片付け終わっており、念のため騎士団の助力に向かっているところなのだとか。


 各地で暴れていた他のモンスターたちも、騎士団と上級冒険者たちの活躍によってほとんどが討伐し終わっている。Sランク冒険者も多く出動したとのことで、街の酒場では、早速彼らの活躍を謳う吟遊詩人たちが大人気になっているという。


 あとはティタノマキアだけ。ここさえ片付けば、国内の問題はひとまず落ち着く。


 責任重大だが、正直に言ってティタノマキアを普通に倒す自信はあった。手こずるかも知れないが、それでも負けることはないだろう。準備も自分が他を気にせず戦える場所と、ある程度の武器があれば他は特に必要としない。だからやはり到着してすぐ討伐で問題ないだろう。


「リカさん。ティタノマキアを討伐したら、少し好きに動かせてもらってもいいか?」


「構いませんが、なにかされたいことでもあるのですか?」


「ああ。ちょっとフレミアに会いに行こうと思ってさ」


「フレミアにですか。なるほど。ライさんが会いに行けばあの子も喜ぶでしょう。逆に近くまで来て会いにこかなかったと分かればむくれるでしょうね」


「その光景がすぐ目に浮かぶな。まあ、フレミアに会うのはただ純粋に顔を見にいくだけの理由じゃないんだけど」


「なにか用事でも?」


 リカさんに問われ、俺は、あーと言葉を濁してしまった。


「えっと、だな。それは」


「……最近悩まれていることに関係したことですか?」


「やっぱりばれてたか」


 当然といえば当然か。ずっと馬車の御者席で隣にいたのだから。

 馬車の旅でやれることも少なく、色々と考え込んでしまうことも多かった。


「私でよろしければ相談に乗らせて下さい。お一人で悩まれるよりは、もしかしたらなにか助けになるかも知れません」


 そう言ったあと、リカさんは視線を自分の太股の上に落とす。


「もちろん、無理にとは言いませんが。こんな私ですので、あまり頼りにはならないと思いますし」


「そんなことない! リカさん以上に色々と頼りになる人はいないさ!」


「本当ですか?」


「ああ、本当だよ。今回だってリカさんがついて来てくれて嬉しかった」


 他にも色々とリカさんには頼らせてもらっている。逆に頼りすぎていると思っているくらいだ。


 だからこれ以上頼ってしまうのが申し訳なかったのだが……。


「であれば、どうか。お話下さい。私はライさんの助けになりたいのです」


「……ありがとう。それじゃあ甘えさせてもらうよ」


 こちらを見つめるリカさんの顔を見て、俺は話すことに決めた。


 まずはどこから話せばいいか。俺が今抱えている悩みは、俺の人生そのものと言ってもいいことだから。


「そうだな。長い話になるけど、いい機会だから全部話させてもらっていいかな?」


「はい。なんなりと」


 悩んだ末、俺はすべてを話すことにした。以前、ロロナちゃんにした話と、そして話せなかった初めての冒険の話もすべて。


「……ということがあったんだ」


 真上にあった太陽がだいぶ傾いた頃、ようやく昔話は終わった。


「そうですか。ライさんの過去にそのようなことがあったのですね」


 リカさんは俺の話を一瞬たりとも聞き逃さないように、ずっと真摯に耳を傾けてくれていた。俺の話に喜び、怒り、悲しんでくれて、終わったときには、頬を上気させてほぅと長く吐息を吐き出した。


「話していただきありがとうございます」


「なんでリカさんがお礼を言うんだよ。ありがとうはこっちの台詞だって。それに本題もまだ言ってないし」


「そうでしたね。すみません。ついライさんのお話に夢中になってしまいました。特に黒騎士という輩が気に掛かりますね」


 リカさんは俺の話に登場する黒騎士がお気に入りのようだった。一転して、鋭い眼差しで考え込んでいる。やっぱりあれだろうか。白甲冑は憧れだが、黒甲冑もあれはあれでいいものだからな。


「と、すみません。また話の腰を折ってしまいました」


 リカさんは我に返ると、俺に向き直った。


「それでライさんのお悩みとは如何なるものなのでしょうか?」


「ああ。それはさ」


 俺は二度のヒュドラとの戦いと、ボンマックの一件で自覚した、自分の中にある力と自分の身体に起きた変化について説明した。そしてその理由が自分の読めないステータスにあるだろうということも。


 自分が怪物かも知れない事実を、親父さん以外の人に初めて打ち明けたのだ。


「なるほど。そしてそんな自分をライさんは、ドラゴンと関係あると予想しているのですね?」


「ああ、なんでだろうな。このことを考えたとき、リカさんとフレミアと一緒にいったダンジョンで聞いた、あのドラゴンらしき声のことを思い出した。もちろん、違うかも知れないけど、なんとなくそんな予感がするんだ。俺はドラゴンと関係があるのかも知れない。いや――」


 関係があるどころか、あるいは――


「俺はドラゴン……なのかも知れない」


 口にしたあと、恐る恐るリカさんの顔色をうかがう。その顔に恐怖の色が浮かんでいたらどうしようと思いながら。


「そうですか。であれば、たしかにフレミアに聞くのが一番かも知れません。マルドゥナ家ならば、我々の知らないドラゴンの情報を知っているでしょう」


「……あれ?」


 リカさんは真剣な顔をしていたが、俺を恐れている様子はなかった。あっけないほどにいつもどおりのリカさんだった。


「ですが、フレミアの様子を見るに確定的なことを知っているとは思えません。とはいえ、他にドラゴンの情報がありそうな場所は……もしかしてあそこならば、あるいはドラゴンに関する情報もあるかも。サンドウェルドからなら帝都を通って向かえば……」


「……あの、リカさんは俺が怖いとは思わないのか? 嫌いに、なったりとか?」


「? なぜですか?」


 リカさんが心底不思議そうな顔で首を傾げる。


「いやだって、俺、人間じゃないかも知れないんだぞ? ドラゴンかも知れないわけで」


「ああ、そういうことですか」


 リカさんは納得がいった様子を見せたあと、



「それがどうかしましたか? 私はライさんのことが好きですよ」



 いつかのお返しのように、そう言って微笑んだ。


 ……ずるい。そんなことを言われたら、泣きそうになってしまうじゃないか。


「そ、そっか」


 俺は顔を明後日の方向に向けると、感情を悟られないように咄嗟に思い浮かんだ言葉を、特に考えることなく口にする。


「まあ、それよりもきっと俺の方がリカさんのこと好きだけどな!」


「ひゃいっ!?」


 変な声が聞こえた。おお、あのリカさんが盛大に動揺しているようだ。


 気になる。とても気になるのだが、生憎とそのときリカさんがどんな表情をしていたのかは、残念ながら涙を堪えるのに必死で、とても盗み見る余裕はなかった。


 ……結局、それから俺たち二人はお互いの顔を見られないまま、サンドウェルドまで無言で過ごすことになるのだった。



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