巡礼の始まり②
「ではグィンゲッツさん。お兄ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
「ええ。ミリエッタさんの頼みであれば、仕方ありませんね」
心配性な兄のことを任せて、今度こそ旅の仲間と別れると、バランドールの街の指定された教会に移動する。
レチェッド大聖堂はバランドールの中で最も格式のある聖堂として知られていた。白亜の美しい建物の周囲は、街の雑音から切り離されたように静かだった。それでいて、建物の周りには警備する人の姿が多く見られた。普通では考えられないくらい厳重さだ。
「おい、そこの娘。ここになんの用だ?」
予想外の物々しさに尻込みしていると、怪しまれて向こうから話しかけられた。警戒した様子で兵士の人に近付いてくる。
せめてシスターの格好をしていれば話は別だったかも知れないが、今のわたしの格好は旅装である。頼まれたお届け物を持ってきたと言っても信用してもらえない。一筆書いてもらった書状を見せて、ようやく話を通してくれるという有様だった。
「なんだろう? これが他の街の教会なのかな?」
王都でここまで警備が厳重なのは、聖女であるお姉ちゃんが暮らしている聖堂くらいのものだけれど。
「やあ、ミリエッタさん」
兵士の人に左右を挟まれるという居心地の悪い格好で待っていると、聖堂の中から見知った男性が姿を表した。銀色の髪と尖った耳が特徴的なエルフの男性だ。
「あ、パーシーさん。どうしてここに?」
「人のことを変な名前で呼ぶのはやめてくださいませんか。あなたがそう呼ぶものだから、最近では周りからもそう呼ばれるようになってしまったのですよ?」
お姉ちゃんの秘書兼雑用係であるパーシーさんが、本当に困っているのか定かではない、どこかうさんくさい曖昧な笑みを浮かべる。
「自分はパーシーなんて名前ではありませんよ」
「知ってますけど、お姉ちゃんみたいに、ねえそこのパシリなんて風には呼べませんよ。まあ、愛称みたいなものです」
「嫌なところから誕生した愛称ですね」
「けどパーシーさんがいるってことはやっぱり」
「ええ、フィリーア様は現在このレチェッド大聖堂に滞在されています。どうぞこちらへ。フィリーア様の許へ案内致しましょう」
パーシーさんに促されて、聖堂の中に足を踏み入れる。
人払いがされているのか、広々とした内部には他の人の姿は見つけられない。
「システィナお姉ちゃんはいつバランドールに来ていたんですか? わたしてっきり、お姉ちゃんは王都にいるものだとばかり思ってました」
たしかにここ最近はお姉ちゃんからの連絡はなかったが、お姉ちゃんは遠くの街に行かなければならないときは、事前に孤児院にまで来てそのことを教えてくれた。しばらく来られないから、孤児院のことをお願いと。
けれど今回、そういったことはなかった。急遽出かけなければならなかったのだろうか?
「フィリーア様がこちらへいらしたのは、そうですね、ライ・オルガスがヒュドラを倒した少しあとのことですよ」
日付ではなく、なぜかパーシーさんはそんな出来事で教えてくれた。お兄ちゃんのヒュドラ退治と、お姉ちゃんがここにいることになにか関係があるのだろうか?
「実を言うと、ミリエッタさん。あなたに頼んでいたその荷物もですね」
パーシーさんはわたしの抱える荷物に視線を移すと、
「フィリーア様が欲しているものなのです。さらに言えば、それをあなたに持ってきて欲しがっていたのもフィリーア様なのですよ」
「ええと、お姉ちゃんがわたしに用事があった、ということですか?」
「そういうことになるのでしょうかね。フィリーア様は今、あまりここを離れられないので。ああ、ここです」
パーシーさんが案内してくれたのは礼拝堂らしき扉の前だった。
「荷物はお預かりしておきましょう」
「あ、はい。お願いします」
「いいえ。では」
荷物を受け取ったパーシーさんがきびすを返すと、早足で遠ざかっていく。どうやら忙しいらしい。
わたしは頭を下げて見送ってから、礼拝堂の中に足を踏み入れた。
うちの孤児院の礼拝堂とは比べものにならないほど大きく、天井の高い礼拝堂。その一番奥にお姉ちゃんの姿はあった。初代聖女様を象った像の前で膝を折り、目を瞑って祈りを捧げている。
純粋に、一心に、ただひたすらに祈っている。
息をするのも気を遣うほどの、侵しがたい神聖な雰囲気。それはまさにわたしがずっと昔から好きだった、システィナお姉ちゃんのお祈りの光景だった。
だからこそ疑問に思う。それはもう見ることは出来ないだろうと思っていた光景だったからだ。
お姉ちゃんは聖女に選ばれてから、神に祈るのをやめてしまった。本人曰く、意味がないと気付いてしまったからだと言う。聖女になったお姉ちゃんがなにを知ったのかは定かではないが、結果としてお姉ちゃんは祈らない聖女なんて呼ばれるほどに祈るという行為を避けるようになった。
それが今、あの日と同じように祈っている。
どうか、どうか、とお兄ちゃんを想って祈っている。
……いや、違う。
「どうかこの世界に安らぎを。人々に安寧を」
自分以外の誰かのために祈っている。それは同じだ。変わらない。けれど、今お姉ちゃんはお兄ちゃんのためには祈っていない。もっと大きなもののために、全身全霊で祈りを捧げていた。
「……あなたは誰ですか?」
自然とその問いかけがのどをついていた。
静寂を破る言葉に、お姉ちゃんの姿をした誰かは祈るのを止め、立ち上がってわたしの方を振り返った。
黄金の髪が揺れる。そして荘厳なる黄金の双眸が、わたしの姿を映し出す。
ある種の親愛を伴って。けれど、家族に向けるものからはかけ離れた、冷たい気配を帯びて。
「さすがですね、ミリエッタ・パルサさん。すぐに気付いてしまいますか。まあ、あなたには以前にも何度かこの顔を見せているので、仕方がないという部分もありますが」
その言葉に確信を持つ。やはり目の前にいるのは、わたしの知っているシスティナお姉ちゃんではない。
「あなたは誰ですか? システィナお姉ちゃんじゃないんですよね?」
「はい。そして、いいえ。たしかにわたくしはあなたの姉ではありません。けれど、システィナ本人でないということでもありません」
「どういうこと……ですか?」
「残念ながら、あなたはそれを知っていい立場にはありません。むしろ知るべきではない立場にある」
そう言って、システィナお姉ちゃんの姿をした誰かは近付いてくる。
「その上でこのようなことを頼むのは虫のいい話ですが、どうかご協力を。ミリエッタ・パルサさん。わたくしのことを、システィナに呼びかけるようにして呼んでくださいませんか?」
「え? なぜそんなことを?」
「お願いします。システィナのことを思うのなら、どうか」
頭を下げて懇願される。
理由はやはりわからなかったし、混乱もしている。お姉ちゃん以外の人をお姉ちゃんと呼ぶことにも抵抗があった。
けれどこの人がシスティナお姉ちゃんのことを本当に案じていて、このお願いをしていることは理解できた。
「わかりました」
「感謝します。それでは、よろしくお願い致します」
頭を上げたその人は、自分の胸に手を当て、そっと目を閉じた。
お姉ちゃんとは色の異なる瞳を隠されると、傍目からは本当にお姉ちゃんにしか見えなくなる。煌めく金色の髪も、長いまつげも、気の強そうな眉も、大きな胸のふくらみも、まったくの瓜二つだ。双子であってもここまで似てはいないだろう。
「お姉ちゃん。システィナお姉ちゃん」
お姉ちゃんに対して呼びかける。込められた親愛の情は、いつもお姉ちゃんに向けられているものとほとんど変わらなかっただろう。
彼女は黙ったまま、じっとわたしの呼びかけに耳を傾けている。
「あ、あの」
「……無理でしたか。家族であるあなたからの呼びかけならばあるいは、と思ったのですが」
いつまで経っても動かないことに不安になって呼びかけると、彼女は目を開いた。金色の瞳は憂いを帯びている。どうやら彼女の望んでいたとおりの結果は得られなかったらしい。
「ミリエッタさんでもダメならば、もう残す可能性はあれしか……」
「あの!」
ぶつぶつと誰かと話すように独り言をつぶやく彼女に、わたしは大声で呼びかけ、気になっていることを聞いた。
「あの、システィナお姉ちゃんは大丈夫なんですか? なにか危険な目にはあってませんか?」
「大丈夫です」
迷いのない返答が返ってくる。
「このようなことは初めてですが、大丈夫。ええ、大丈夫に決まっているのです。正しきを行えば、悪しきを滅すれば、必ず、必ず我が聖女は帰ってくる」
けれど彼女の憂いを帯びた瞳は、戸惑い、大きく揺れていた。
「なのになぜ? わからない。知らない。なぜこんなにも寒いのですか? なぜこんなにも恐ろしいのですか? わたくしにも理解できない、致命的な、なにか致命的な異常がこの身に起きている」
寒さに凍えるように震える身体を掻き抱き、自分に言い聞かせるように彼女はつぶやきを漏らし続ける。
「やはりわたくしはスキル、宿主あって機能するもの。聖女なき自分だけの肉体など、あ、あってはならない異常事態。早く、早く、本来の形に戻らなければ……そうして世界をあるべき形に戻し、人々に平和をもたらす……そう、一刻も早く! この原因を取り除かなければぁあああ!」
「フィリーア様」
鬼気迫る表情で聖女の像に向かって謳い上げる彼女に、戻ってきたパーシーさんが声をかける。
「出立の準備が整いました。どうぞ馬車の方へ」
「……そうですか」
躁状態から最初の冷たい無表情に戻り、彼女は頷いた。
そのあと状況について行けず、立ちつくすわたしに振り返った。
「ご苦労様でした、ミリエッタ・パルサさん。もう戻って構いません。王都に向かう際の護衛はこちらで用意させますので、あなたはあの孤児院でシスティナのことを待っていてください。そしてどうか、システィナが戻ってきた際は、お帰りなさいと、そういつものように言ってあげてください」
「お姉ちゃんは……もしかして、今は遠い場所にいるのですか?」
「……あなたは本当に察しがよろしい。ええ、そのとおり。だからはわたくしは迎えに行かねばならないのです。そのために必要な手段を、情報を、帝国に赴いて手にしなければなりません」
「バレス帝国に、ですか?」
バレス帝国はフレンス王国の隣国であり、大陸の中で一番教会の影響力が低い場所である。国教こそフィリーア教ではあるが、あの国は皇帝を現人神のように扱い、最上位の存在として崇めている。色々とフィリーア教との間でもめ事も多いという話だ。
「大丈夫なんですか? いえ、わたしはあなたのことを知らない……ですけど」
「ご心配には及びませんよ、ミリエッタさん。フィリーア様には自分がついていますので」
わたしの顔色を読み取ったのか、パーシーさんが言った。
「実はバレス帝国は自分の故郷でしてね。いやぁ、懐かしい。あそこの国の騎士はなんとも狂的で美味かった」
「強敵で上手い、ですか?」
「はい。狂的で美味いのです」
戦ったことがあるのだろうか? 理由はわからないが、なにやら不穏な感じがする。彼女も、パーシーさんを呆れた目で見ていた。
「かの国の皇帝には話を通してあります。騎士と事を構えるようなことは起きませんよ」
「それは残念」
「まずは帝都に赴き、回収されたという資料を検分します。そこで見つからなかったときがあなたの出番です。大人しく道案内をするように」
「かしこまりました、我が君。ですがあらかじめ忠告申し上げる」
パーシーさんは恭しく頭を下げたあと、寒気のする笑みを浮かべて言った。
「此度の旅――いえ、巡礼でしょうか。そう都合よく事は運びませんよ。必ずやその道行きは、あの懐かしき英知の図書館にまで至るでしょう。旧きを集め、閉じこめたあの深緑の蔵。その中に眠る忘れ去られた真実こそが、あなたにとって必要なものなれば」
「……『星詠み』がそう囁いているのですか?」
「はい。直接的な情報ではないのは申し訳ありませんがね。ですがご安心を。今あなた方の身に起きている異常事態も、この世界で起きている非常事態も、必ずやこの巡礼の果てに解決の光を見るでしょう」
「当たり前です。巡礼とはそういうもの。目的のものを手に入れるまでは、決して終わらないのですから」
黄金の瞳に強い決意を秘めて、お姉ちゃんの姿をした誰かは歩き出した。
そのあとをパーシーさんが追う。
最初から最後までわたしを蚊帳の外に追いやったまま、二人は立ち去ろうとしていた。
わたしにはかける言葉が見つからなかった。いるはずなのにいないお姉ちゃんと、お姉ちゃんとまるっきり同じ姿をした誰か。色々と聞きたいことがあるのに、声が思うように出ない。自分が気安く声をかけてはならないような、そんな壁を金髪金眼の彼女からは感じられた。
「……ここまでご足労いただいたのに、なんのお礼もしないまま帰すのはやはり正しきことではありませんね」
だからそれは彼女の優しさだった。
最後に彼女は足を止めて、しばし迷うようにしてから口を開いた。
「ライ・オルガスに伝えるといいでしょう。ティタノマキアはかの魔王の眷族にあらず。此度のティタノマキア討伐、恐らくはもっと禍々しいものが奥に潜んでいる、と」
「そ、それはどういう」
「……この情報をもってあなたへのお礼とします。ではいずれまた」
それ以上はなにも言わず、彼女は去っていった。
パーシーさんはわたしと彼女を見て、愉快そうに肩を揺らした。
「優しい御方だ。甘い御方だ。こうなった今も、あの日の契約を守ろうとしている。けれど、ふふっ、実際に彼を目の前にしたとき、あなたはどうするのでしょう? 聖女の鼓動を感じられず、契約の繋がりすら綻んだ今、あなたは彼を前にして果たして我慢できるのでしょうかね?」
はしゃぐ子供のように、唸る獣のように嗤う。
「ああ、我が親愛なる友よ。やはりこればかりは避けられない運命のようだ。嵐は来る。嵐は来るぞ。ふふふ、実に、実に楽しい里帰りになりそうだ」
此処より始まる巡礼に期待するように。
避けられない未来を言祝ぐように。
今回でエピソードは終了です。
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次回、主人公視点の冒険回(真)。ようやく討伐が始まります。




