巡礼の始まり①
朝、いつもより少し遅い時間に目を覚ます。
すっきりとした目覚めだった。夜半に一度目を覚ましてしまったが、疲れはしっかりと取れている。慣れない天幕ということで少し心配だったのだが、思いの外自分は図太い神経をしているらしい。あるいは、夜のお兄ちゃんとの会話で心安らぐ部分があったのかも知れない。
隣では一緒の天幕を使っていたルゥナちゃんが、子供みたいなあどけない寝顔で眠っていた。同じく一緒に天幕を使っていたリカリアーナさんはすでにいない。
自分と同じく旅には慣れておらず、さらに途中で馬車の中で休めた自分とは違って、ずっと御者席にいたルゥナちゃんは疲れているのだろう。起こさないように気を付けながら、身支度を調えて天幕を出る。
「ん。いい天気だ」
すっかり登った朝日に照らされた空は、雲ひとつない快晴だった。もうすぐ冬がやってくるため少し肌寒いが、凍えるほどではない。旅にはよい陽気だろう。
軽くのびをしたあと、たき火のところに向かう。
リカリアーナさんが火の番をしながらお湯を沸かしていた。
「おはようございます、ミリエッタさん。よく眠れましたか?」
「はい。ぐっすり。リカリアーナさんこそ、見張りをしていましたけど大丈夫ですか?」
「ええ。問題ありません。慣れていますから」
そう言ったリカリアーナさんはたしかにいつもと変わらぬ様子だった。その美貌に陰りはなく、身だしなみに一分の乱れもない。
改めて、美人さんだなぁ、と思う。
システィナお姉ちゃんも大概な美人ではあるのだが、リカリアーナさんはそれ以上の美貌の持ち主だ。ただ、感情を伺わせないきつく引き締められた表情と、身に纏う冷たい空気が人を寄せ付けないだけ。お兄ちゃんと二人でいるときの彼女を見れば、きっと多くの人が恋に落ちるに違いない。
「これはシスティナお姉ちゃん大変だなぁ」
わたしのつぶやきに、リカリアーナさんが不思議そうに首を傾げる。銀の髪が長い耳に触れてしゃらんと揺れる。まるで一枚の絵画のようだった。同性なのについどきりとしてしまう。
いけないいけない。あくまでもわたし的にはお姉ちゃんにがんばって欲しい。わたしは首を振って魅了されそうになる心を強く持つと、彼女から視線を外して他の人影を探す。
「お兄ちゃんはまだ起きてないんですか?」
「ライさんはもう起きていますよ。朝の日課で少し出ています」
「朝の日課。そっか。やっぱりまだ続けてたんだ」
本人曰く、剣の修行。他人曰く、環境破壊行為。お兄ちゃんの毎朝の日課である。まだお兄ちゃんが孤児院にいた頃は、何度か見に行ったものである。
「じゃあ、グィンゲッツさんは?」
「彼もライさんのところにいます」
「え? 一緒に修行しているんですか?」
「いえ、グィンゲッツ・ニルヴァーナが後から勝手に覗きに行っただけです。向こうでどうなっているかはわかりかねます」
「そうなんだ」
まあ、あの二人が仲良く剣の修行をしている光景は想像できないから、喧嘩でもしているかも知れない。
「少し心配だから、わたしも見に行こうかな」
「そうしていただけると助かります。もし喧嘩になっていても、あなたがいてくれれば収まるでしょう。近くにモンスターの気配はありませんし」
「じゃあ、久しぶりに見に行って来ようかな」
リカリアーナさんに詳しい場所を教えてもらい、そちらに向かう。
道に迷うことはなかった。遮蔽物の少ない草原地帯だし、とにかくお兄ちゃんの修行はうるさくて目立つ。大きな破壊音を目指して歩いていけば、すぐにお兄ちゃんが修行している場所に辿り着くことができた。
「おお……!」
お兄ちゃんが大地に突き刺さった大きな岩を的にして、剣を振るっている。
わたしにはとても細部はわからなかったが、踏み込みで大地を抉り、剣の一振りで岩を切り裂くのがすごいことだというくらいは理解できた。昔は木を一本切り倒すのにもすごく時間がかかっていたのに、今ではご覧の有様です。
久しぶりに見て、思わずぽかんと口を開けてしばし見とれてしまう。と、そこで自分と同じようにお兄ちゃんの修行を見つめる存在があることに気がついた。
グィンゲッツさんはお兄ちゃんからはギリギリ見えない場所から、そっとお兄ちゃんの修行を眺めていた。すごいなーという感想しか出てこない自分とは違って、しっかりとお兄ちゃんの一挙手一投足に合わせて頭を動かしている。
「グィンゲッツさん。おはようございます」
お兄ちゃんの邪魔をするわけにもいかないので、グィンゲッツさんに話しかけることにした。
「グィンゲッツさん?」
しかしグィンゲッツさんはわたしが近付いて話しかけても、わたしに気付くことはなかった。その眼差しはお兄ちゃんの動きだけを追っている。
グィンゲッツさんの横顔は真剣そのものだった。拳を強く握り、歯を食いしばり、額に汗をかくくらい必死になって、お兄ちゃんをにらむように見ている。
わたしはその場をそっと離れた。邪魔をするべきではないと、そう思った。きっと、グィンゲッツさんも今の自分の姿を見られたくはないだろう。
わたしがリカリアーナさんのところに戻り、慌てて起きてきたルゥナちゃんと一緒になって朝食の準備をしていると、まずお兄ちゃんが先に帰ってきた。
「おはよう、みんな。あれ? グィンゲッツは?」
「ライさんとご一緒ではなかったのですか?」
「いや、俺は見てないけど」
「そんな!」
リカリアーナさんから話を聞いていたルゥナちゃんが、お兄ちゃんの言葉に血相を変えて立ち上がる。
「きっと迷子になっているのです! 早くお探ししないと!」
「誰が迷子になどなるか!」
お兄ちゃんがやってきたのとは別の方向から、グィンゲッツさんが戻ってくる。
「坊ちゃま! 一体どこへ行かれていたのですか!?」
「騒がしいぞ、ルゥナ。オレは少し汗を流していただけだ。そこの男とは別のところでだがな! このオレが平民と一緒に非効率的な修行などするものか!」
「非効率的って、俺の修行を見たのか?」
「ふんっ、見ていないがそれくらいはわかる! 貴様はそういう顔をしている!」
「どういう顔だよ」
相変わらずお兄ちゃんに対して喧嘩腰なグィンゲッツさんの言葉に、リカリアーナさんが怪訝そうな顔をする。たしかに向かうときはお兄ちゃんの同じ方向へと、グィンゲッツさんは向かったのだろう。
リカリアーナさんの視線がわたしに向けられるが、わたしはなにも言わずに朝食のスープをかき混ぜることにした。それでリカリアーナさんもある程度察したのか、なにも言わずに口を噤んだ。
ルゥナちゃんだけが、喧嘩する二人を見てあわあわしていた。
◇◆◇
朝食を取ってから半日歩き、わたしたちはバランドールの街に到着した。
初めて見る王都以外の都市であるバランドールは、わたしの目には酷く活気があるように見えた。住人の数や街の規模的には王都の方が上のはずなのだが、バランドールには王都にはない開放感があった。
街を囲む城壁がない、というだけではない。バランドールは王都ほど格式を重んじていないため、立ち並ぶ建物も、他の都市や国から陸路海路問わず入ってきた異なる文化や最新鋭の流行が反映されたものが多い。忙しなく行き交う人々の人種も服装も様々だった。店先には珍しいものがそろっている。
教会に荷物を届けたあとは、しばらくこの街を見て回るのも面白いかも知れない。運良く王都に戻る上級冒険者がいなければ、どうせしばらくこの街に逗留することになるのだろうし。
そう、わたしはここでお別れだ。
「ミリエッタさん、まさかこんなにもお別れが早いなんて!」
グィンゲッツさんが人目を気にすることなく、大声で別れを惜しんでくれる。
たった一日と少ししか一緒に過ごしていないというのに、そんなにもわたしに愛着を抱いてくれているのか。嬉しいような、少し怖いような。
まあ、ルゥナちゃんの話では赤毛の女の子には大抵こんな感じらしいが。さらにシスターで孤児というのが、グィンゲッツさんの執着心に火を付けているらしい。詳しい理由まではさすがに教えてくれなかったが。
「ですがさよならは言いません! 自分もあなたも王都に住まう身、またいずれ出会うこともありましょう! そのときは是非、お茶でもご一緒させてください!」
「そですねー。そのときはまたこの面子でお茶とかしたいですねー」
「そうだな。もちろん、お前のそのときはお前のおごりだよな。グィンゲッツ?」
「誰が貴様なんぞにおごるか!」
歯を剥きだしにしてお兄ちゃんを威嚇するグィンゲッツさん。昨夜一緒にご飯を食べていたときは、少しだけ二人の仲が改善されたかな、と思っていたのだが、なにやらまた悪化している。
「それでは、ミリエッタさん。またいずれ」
「ミリエッタちゃん! 今度はわたくしから会いに行きますね!」
「うん、二人とも。元気で王都に帰ってきてね」
男たちがにらみ合っている横で、女の子同士で別れを交わし合う。
「お兄ちゃんとグィンゲッツさんも、ティタノマキア退治気を付けてね」
「おう、任せろ」
「そうです! 任せてください、ミリエッタさん!」
「うん。みんな、この国と人々を宜しくお願いします」
人知れずフレンス王国に暮らす人々のために戦おうとしている人たちに頭を下げてから、わたしはみんなと手を振って別れた。
「ミリエッタさん!」
教会に向かって歩いていると、後ろからグィンゲッツさんが駆け寄ってきた。
「グィンゲッツさん。どうかしました?」
「いや、その、ですね」
歯切れの悪い様子で、グィンゲッツさんが言い淀む。
二人きり。この感じ。もしかして告白されるのだろうか? と、予想していたが、グィンゲッツさんが発したのは愛の言葉ではなかった。
「ミリエッタさん。あなたは今、幸せですか?」
「え? どうしたんですか、突然?」
「……すみません。実は昨夜、あなたとライ・オルガスの話を聞いてしまったのです。それであなたが自分を捨てた両親を恨んでいることを聞いてしまって」
「……まあ、盗み聞きしていたことは別にいいですけど、それがどうしてあの質問につながるんですか?」
「それは、その」
グィンゲッツさんは先程以上にためらったあと、
「……実は自分には妹がいるのです。いえ、正確にはいたと言うべきですが」
「お亡くなりに?」
「いえ、恐らくは生きている……と信じています」
グィンゲッツさんは沈痛な顔で続けた。
「妹は赤子の頃に捨てられました。名門たるニルヴァーナ家にふさわしいスキルを持っていなかった、という理由で」
「…………」
自分の心が酷く冷えていくのが分かった。
同時にグィンゲッツさんがどうしてあんな質問をしたのかどうかも。
「妹には名前すらつけられることはありませんでした。オレも会うことができたのは、生まれてまもない頃の一度だけ。赤い髪の毛だったことを覚えています」
「グィンゲッツさん。わたしは捨てられたあなたの妹さんではないですよ」
「それは……ええ、きっとそうなのでしょう」
赤毛はなかなか珍しいといっても、多くの人が住む王都では普遍的な色のひとつでしかない。わたしと同年代の、捨て子だったというだけでもたくさんいるだろう。
「それとも妹さんは、うちの孤児院の前に捨てられたんですか?」
「いえ、それはわかりません。両親がどこに捨てたのか。あるいは、本当に捨てただけなのかさえ、オレは怖くて聞けなかった。わかっているのは妹には戦闘系スキルがなく、代わりに聖職者スキルがあったことだけです」
「じゃあ、もしかしたら成長した妹さんはシスターや学校の先生になってるかも知れませんね」
「はい、だからもしかしたらと、そう思って」
グィンゲッツさんがわたしの顔を見る。昔に捨てられた妹が成長したらこうなるのかも知れないと、そんな風に見る目で。赤い髪、捨て子、シスター。それらの記号を持つ相手を、グィンゲッツさんは妹である可能性のある相手として見てしまうのだろう。
だけど。
「もう一度言います。わたしはあなたの妹ではないですよ」
それが事実なんて確かめようのないことだ。ステータスを見ても、親の名前なんて記されていない。名前をつけられずに孤児院に捨てられたわたしのステータスには、院長先生がつけてくれたミリエッタという名前と、うちの孤児院の名前であるパルサという家名が記されている。
「たしかに、わたしは親の顔を知らない捨て子です。もしかしたらあなたの両親によって捨てられた子供なのかも知れません。けど、それを証明する方法はありませんよ。それともわたしの顔、グィンゲッツさんのご家族と似ていますか?」
グィンゲッツさんは首を横に振った。
「じゃあ、ダメじゃないですか。さっきの質問、なんの意味もないですよ。わたしはあなたの妹さんではないんですから」
「……そうだとしても、聞きたいのです。オレの妹がきっと、あなたと同じ境遇で育った。だからあなたの答えは、どこかにいるオレの妹と同じだと思うのです」
「同じじゃない」
「え?」
「同じじゃないです。誰とも知らないその妹さんと、わたしの答えは違います。たとえ同じ捨て子であっても、絶対に。……グィンゲッツさん、先程の質問に答えましょう」
わたしの言っている意味がわからないという顔をしたグィンゲッツさんに、わたしは告げた。
「はい。わたしは幸せです。優しい人たちに育てられ、愛情をもらって、たくさんの家族に囲まれて、これ以上ないってくらい今、幸せです。わたしを生んだその人たちに、あの家に捨ててくれてありがとうと、そう感謝したいくらいに」
「おお! では!」
「けれど、その妹さんのことは分かりませんよ。わたしはあまりにも恵まれていたから、他の誰かの今の気持ちなんて知りません」
誤解されたくないので、これだけははっきりと伝える。
「わたしの幸せの形はわたしだけのものです。たとえ普通の人とは少し違っていたとしても、それでもわたしだけのものです。勝手に他の誰かと同一視なんてしないでください。不愉快です」
わたしの言葉に、グィンゲッツさんは言葉を詰まらせた。
そのあと、しばし黙ったまま考えたあと、はぁ、と深く溜息を吐いた。
「ああ、そうだ。そうですね。あなたはミリエッタ・パルサさんという素敵な女性で、オレの妹ではありません。なら、あなたの幸せがそのままオレの妹が幸せでいてくれる保証にはなりませんね。いや、妹以外の他の誰かに尋ねたとしても、それで買えるのはオレの安心だけですか」
「ごめんなさい。なんか偉そうなこと言いました」
「いえ、お気になさらず。逆に申し訳ない。オレの女々しさにあなたを付き合わせる形となりました」
「妹さんのこと、ずっと気にかけているんですね」
「……指をつかまれたんです」
グィンゲッツさんは自分の手を見ながら言った。
「初めて顔を見たとき、あいつ、オレの指をつかんで笑ったんです。けど……妹はオレの知らないうちに捨てられていて。オレはそれがすごくショックだったのに、自分も捨てられるかも知れないと思うと怖くてなにも言えなくて」
その表情には後悔があった。妹を見捨てるようなことをしたのが、ずっと彼の中で傷になっているのだろう。
彼が赤毛の女性を目で追いかけるのは、あるいは贖罪の気持ちの裏返しなのかも知れなかった。優しいというよりも、臆病なのかも知れない。
だからといって、やはりわたしはミリエッタ・パルサでしかない。わたしのお兄ちゃんはこの人ではなくて、遠目からこちらを心配そうに覗き込んでいる三人のうちの一人の方だから。
「今回の任務が終わって王都に戻ってきたら、よろしければうちの孤児院にいらっしゃってください。わたしもシスターの端くれですから、少しくらいは悩みも聞けると思いますし、それにうちの子たちを見てもらえれば、親に捨てられたという人生も、そう悪いものではないと思ってもらえるかも知れません」
「ミリエッタさん……」
「まあ、代わりに子供たちの遊び相手になるのは不可避ですが」
「ふっ、それくらいお安いご用ですよ。子供の相手は望むどころです」
グィンゲッツさんは笑みを見せて、堂々と胸を張って言った。
「このグィンゲッツ・ニルヴァーナは、子供たちの憧れである騎士なのだから!」




