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旅路の始まり③



 カタカタと揺れながら馬車が進んでいく。


 前に俺とリカさんを乗せた馬車、後ろをミリエッタとルゥナ、グィンゲッツを乗せた馬車という順番で街道を走っていた。


 後ろからは時折ミリエッタとルゥナの楽しげな笑い声が聞こえてきた。年も近いということで、早速仲よくなったらしい。


 一方で俺たちの馬車はというと、二人だけということで俺も御者席に乗り込んだのだが、隣のリカさんとの間に会話らしい会話はほとんどなかった。


 リカさんは生真面目に手綱をにぎり、前方を見ている。御者としては理想の姿だが、見通しのよい草原はのどかに草を揺らしていた。多少気を抜いても大丈夫だと思うのだが、触れそうなほど近くにある彼女の肩には力が入っていた。


「リカさん、疲れたらすぐ言ってくれよ。馬車の操縦変わるから」


「いえ、大丈夫です。ライさんにはティタノマキアの討伐という大仕事があるのですから、それ以外のことは私にお任せ下さい。他にもなにかして欲しいことがあれば、遠慮なく言って下さいね」


「ありがとう」


 お礼を言って会話が終わる。

 重要なクエストということで気負っているのか、リカさんも力が入っているようだ。


 元々、リカさんは自分から進んで世間話をするような人ではないし、会話は長く続かなかった。まあ、長い間付き合いのある俺たちである。この沈黙も居心地が悪くはなかった。


「ライさん。先はまだ長いです。後ろで休んでいても構いませんよ?」


「いいよ。リカさんの隣にいる方が気が休まるから」


「そ、そうですか。光栄です」


 リカさんが嬉しそうに微笑むのも束の間、視界の果ての方にうっすらと影のようなものが横切った。


「モンスターですね。この辺りで遭遇することは滅多にないのですが」


 街と街を繋ぐ街道は、モンスターが出現しにくい場所に沿って作られている。街道を行っているかぎり、そうそうモンスターとは遭遇しないものなのだが、それも絶対というわけでもない。運が悪かった。


「じゃあ、ちょっと行ってきますかね」


「私が行きましょうか?」


「いいよ。強いモンスターってわけでもないし」


「すみません。ではお願い致します」


「はいよ」


 俺は馬車から飛び降りた。それを見て後ろの馬車から悲鳴が上がる。


 馬車と併走しつつ、俺は気にしないでくれとミリエッタたちに手を振って、それから一気に速度をあげた。馬車に乗っていたときの倍以上の速度で風景が流れていき、すぐに遠くにいたモンスターのところに辿り着く。


 モンスターの数は五体。獣型のランドウルフ。討伐推奨レベルはどれくらいだったかな、と考えているうちに倒してしまう。いつものように金になる毛皮などをはぎ取ろうとして、その直前で手を止める。


 いけない。別にお金稼ぎのために来ているわけではなかった。むしろ後からやってくるミリエッタやルゥナにはぎ取ったあとのモンスターの死骸なんて見せるわけにはいかない。これなら最初からすべて吹き飛ばせばよかったが、死体に向かってさらに剣を振るうのは躊躇われた。


 そこで適当に穴を掘って、俺はモンスターの死骸を埋めることにした。きちんと考えて倒さないと、モンスターの退治よりも死体の処理の方に時間がかかるな、これ。


 俺がモンスターをすべて埋めるのと、馬車がこの場所までやってくるのはほぼ同時だった。


「お疲れ様です、ライさん」


 先に到着したリカさんが労いの言葉をかけてくる。


 そのあと到着した馬車の御者席では、ミリエッタとルゥナが不思議そうな顔で俺を見ていた。


「お兄ちゃん。なにかあったの?」


「ああ。モンスターがいたんだ。もう倒したけどな」


「こんな短時間でですか! すごいです!」


 ルゥナが驚いたあと、目を輝かせた。


「それに走るスピードもすごく早くて驚きました!」


「そだね。さすがは『閃光』と呼ばれる冒険者様だね」


 二人が手放しで褒めてくれる。悪い気はしない。


「ぐぬぬぬぬ」


 だがそれをよく思わない奴がいた。もちろん、グィンゲッツである。馬車から顔を出して、みんなに――というよりミリエッタに褒められている俺を悔しそうに見ている。


 そんなグィンゲッツはなにを思ったのか、剣を手に馬車から降りてきた。


「ミリエッタさん。御者席でお疲れでしょう。どうぞ中にお入りください」


「え? いや、ルゥナちゃんを一人にするわけでにもいかないし」


「であれば、代わりにこのグィンゲッツが御者席に参りますので」


「ああ、はい。そういうことなら」


 ミリエッタは得心がいった様子で、軽くルゥナに頭を下げて馬車の中に乗り込んだ。代わりにグィンゲッツが御者席に乗り込む。


「おい、ルゥナ。もうちょっと詰めろ」


「無理言わないで下さいませ。あまり広くないんですから」


 グィンゲッツは窮屈そうにしながらも御者席に座ると、今度は俺の方を見て言った。


「今度はオレたちが先に行かせてもらう。構わないな?」


「別に構わないが……」


 グィンゲッツがなにを企んでいるかは一目瞭然だった。まあ、街道にそうモンスターが現れることはないだろうし、問題はないだろう。


 俺も自分の馬車に乗り込んで再出発する。


 しばらくは何事もなく進んでいたが、グィンゲッツの祈りが天に届いたのか、再びモンスターが街道上に出現した。


「なんと! あそこに見えるは凶悪なモンスター! さては我々の行く手を阻もうとするつもりだな!」


 芝居のような大声が聞こえてくる。声音からは隠しきれない喜びが伝わってきた。


「だがこのグィンゲッツ・ニルヴァーナ様がいるかぎりは無駄なこと! すぐに剣の錆びにしてくれる! とうっ!」


 グィンゲッツが馬車から飛び降りるのが後ろから見えた。しかも無駄に大袈裟に、馬車の中から格好良く決めた表情が見える角度で。


「ぐふっ!」


「あ~あ」


 ちなみに馬車は速度をゆるめることなく進んでいたので、残念ながら、着地に意識を割いていなかったグィンゲッツは者の見事に着地に失敗し、ごろごろと転がって視界から消えていった。顔を乗り出して後ろを見ると、地面に伏したままぴくぴくと痙攣していた。


 どうやら生きているようだが、あれ、かなりのダメージだろ。あの落ち方はレベルが高くなけれれば普通に死んでる。


「なんのこれしき!」


 レベル五十越えは伊達ではなかった。グィンゲッツは傷らしい傷もなく起きあがると、叫び声を上げながら走り出した。


「うぉおおおおお!!」


 俺たちの馬車を追い抜き、さらに自分の乗っていた馬車も追い抜いて、モンスターへと一心不乱に駆けていく。落下のダメージか、それとも力んでいるからか、鼻血を吹き出していたのは、見なかったことにしてあげた方がいいんだろうなぁ。


「モンスターめぇええ! 成敗!」


 モンスターとの戦闘自体はすぐに終わった。バッサバッサとモンスターを切り倒し、彼は高々と剣を掲げて俺たちの到着を待つ。


「ふっ、このグィンゲッツ様にかかれば、この程度のモンスターは瞬殺だ!」


 馬車から顔を出したミリエッタに向かって、無駄に爽やかな笑みを浮かべるグィンゲッツだったが、ミリエッタは血だまりに転がるモンスターの死骸を見て、すぐに顔を馬車の中に引っ込めてしまった。御者席のルゥナも顔を青くしている。


「グィンゲッツ。ミリエッタもルゥナもモンスターと戦ったことなんてないんだから、倒すなら倒すでもっと気を遣って倒してくれ」


「なっ!? ぐっ、むむむ!」


 グィンゲッツもようやく、いつもの騎士仲間との旅ではないことを思い出したようだった。


「ぼ、坊ちゃま。今お顔を!」


 ルゥナが顔色を悪くしながらも、タオルを持ってグィンゲッツに駆け寄った。彼の顔は鼻血と泥でとても見ていられるものではなかった。


 ルゥナに顔を拭き拭きされたグィンゲッツは、悔しそうに俺をにらんだ。


「これで勝ったと思うなよ!」


「お前は一体なにと戦っているんだ?」









 さて、グィンゲッツは一度の失敗で諦めるような男ではなかった。


 そこから四度モンスターが出現したのだが、グィンゲッツはこれにすべて全力で対応した。颯爽と馬車から降りること四回中さらに二度失敗し、モンスターを倒したあと必死に血を拭き取ってからポーズを決めるも間に合わないこと二回、返り血に気付かずにミリエッタたちに悲鳴をあげられること一回。


「相手が悪かったな! このグィンゲッツ・ニルヴァーナに出会ったこと。それが貴様の敗因だ!」


 四度目にしてようやく格好よく締められたグィンゲッツに対し、俺たち四人はパチパチと拍手を贈った。


 実際は四度の戦闘で息を切らしており、髪がぐちゃぐちゃで、服も泥だらけになっていたりするのだが、そこを見て見ぬふりをする優しさを俺たちは持ち合わせていた。


「ねえ、お兄ちゃん。グィンゲッツさん、なんかわたしのことチラチラと見てくるんだけど、これ褒めないといけない?」


「後生だ。一言でいいから褒めてやってくれ」


「仕方がないなぁ」


 ミリエッタは苦笑して、タオル片手に右往左往しているルゥナと一緒にグィンゲッツのところに向かった。


 一方で、グィンゲッツに興味もなく、グィンゲッツからも興味を持たれていないリカさんは、倒れたモンスターを観察していた。その美しい眉はかすかにひそめられている。リカさんがなにを心配しているかは俺にもわかった。


「やっぱりモンスターとの遭遇が多いよな」


「はい。運が悪いという一言では片付けられません。この遭遇頻度は明らかに異常です」


「モンスターの異常発生の影響かな」


「可能性は高いでしょう。上級モンスターが現れた結果、下級のモンスターが住処を追いやられて人里に現れるというのはよく聞く話です。討伐も進んではいないでしょうし。商人の方々が街と街の移動を自粛しているのが幸いですね」


 モンスターの異常発生を受けて、冒険者ギルドは解決に乗りだした。また商人たちをまとめる商業ギルドも、行商人などに移動の自粛を呼びかけた。護衛任務のために上級冒険者を持って行かれると、モンスター討伐が上手くいかないためである。基本、国からの指示があっても、冒険者は支払いがいい方を優先するものだ。


「しばらくは街道も安全とは言えないでしょう。この旅、思いの外時間がかかるかも知れません」


「予定ではバランドールで一晩泊まるつもりだったけど、すぐに出発した方がいいかも知れないな」


 モンスターを倒しながら進むため時間がかかる、というだけではない。もしかしたら、魔法使いたちによるティタノマキア封印も、なんらかの異常が起きてほどけてしまうかも知れない。色々な可能性を考えると、早め早めに動くべきだろう。


「けどグィンゲッツの奴がうるさそうだなぁ」


「黙らせますか?」


 その手段を知りたい。


「いいさ。ミリエッタに説得を手伝ってもらおう。ミリエッタからなら、あいつも聞くだろ」


「ええ。あの様子ですからね」


 グィンゲッツはミリエッタに「わー、すごーい」とじゃっかん棒読みで褒め称えられ、でれでれと鼻の下を伸ばしていた。


「最初は貴族によくある、気に入った女性はとりあえずつばを付けておくみたいな奴だと思ったけど、思いの外本気のようだな」


「いえ、どうでしょうか」


 俺から見ればグィンゲッツはしっかりとミリエッタに惚れているように見えたのだが、リカさんはそうは思わなかったらしい。


「たしかにミリエッタさんに心奪われてはいるようですが、彼からは熱を感じられません。好きになったとか、そういうことよりも、もっとなにか別のものを感じます」


「別のなにか? それってたとえば?」


「すみません。そこまでは。私の勘違いかも知れませんし」


 リカさんはそう言うが、もう一度よく見ていて、俺はリカさんが正しいように見えた。


 グィンゲッツに接しているミリエッタから警戒心が薄れていた。こいつは大丈夫だろう、と彼女は判断したらしい。


 あるいは、ミリエッタも少しグィンゲッツのことが気になっているかだが、恐らくこの線はないだろう。


 ……ないよな?


 けどグィンゲッツも一応は騎士だし、貴族でお金は持っている。見方によっては優良物件である。


「むむむ、リカさん。ちょっと聞くけど、女性目線ではグィンゲッツみたいな奴はどう思う?」


「絶対無理です」


「無理なんだ?」


「はい、生理的に無理です」


 どうやらグィンゲッツは女性から好かれるタイプではないらしい。ならきっとミリエッタが好きなタイプでもないだろう。


 いや、それを言うなら、


「ミリエッタはどんな男性がタイプなんだろうな?」









 その夜のこと。モンスターの所為で思ったほど進めなかったとはいえ、夜通し馬車を進める必要性はなかったので野宿することになった。


 リカさんが手際よくたき火を用意する横で、俺は天幕を張って眠る支度を調える。その間、ミリエッタとルゥナが料理を用意してくれていた。


 なお、グィンゲッツには近くの川での水くみを言い渡してある。従者がいるのに貴族が働けるかと叫いていたが、そこはミリエッタを使って上手く誘導した。みんながんばっているのに、一人だけ怠けさせるわけにはいかない。


 そうして夜を明かす準備が整い、俺たちはたき火を囲んで夕食に手を付けた。


「美味い! これは美味いですよ、ミリエッタさん!」


 シチューを口に運んだグィンゲッツが、大袈裟なくらいに褒め称える。


 実際にシチューは美味しかった。肉も柔らかく、味付けもしっかりと効いていて、とても旅の道中で食べられるようなものではない。初日ということであらかじめ用意してあった食材を使ったのだろうが、それを差し引いてもかなりのものだ。


「ありがとうございます。でもわたしは食材を切ったりとかしただけで、ほとんどルゥナちゃんが作ったものですから。うん、すっごく美味しいよ、ルゥナちゃん」


「いえ、そんな」


 褒められたルゥナは照れくさそうに頬を染める。


 そこで俺は彼女が自分の分の料理に手を付けていないことに気がついた。


「ルゥナ、食べないのか? もしかしてどこか調子が悪かったりするか?」


「いえ、大丈夫です! ですが、その……」


 ルゥナは横目でグィンゲッツを見る。ミリエッタが手伝ったというだけで大喜びで料理を食べていたグィンゲッツだったが、やがて視線に気付いて怪訝そうな顔をした。


「どうした? ルゥナ」


「いえ、わたくしはメイドですので。坊ちゃまと一緒に食事を食べてもいいのかと」


「ああ、そういうことか」


 グィンゲッツは得心がいった顔となると、


「気にするな。これはモンスター討伐の旅だぞ。食べられるときに食べ、休めるときに休め」


「よろしいのですか?」


「いい。大体、お前は母様のメイドであってオレのメイドではないし、そもそもお前はいつもオレの命令を無視するではないか。今更だろう」


「それは坊ちゃまが髪を赤色に染めろ染めろと気持ち悪いことをおっしゃるから」


「お前はやはりオレに対する敬いが足りないぞ!」


「す、すみません!」


 謝るルゥナにふんっと鼻を鳴らして、それからグィンゲッツは食事に戻った。


 意外と言えば意外な光景だった。気持ち悪いと口を滑らせたルゥナに、グィンゲッツはほとんど腹を立てた様子は見えなかった。ミリエッタの手前、我慢しているという様子もない。


「ルゥナとグィンゲッツは付き合いが長いのか?」


 気になったので聞いて見ると、ルゥナはグィンゲッツを一度横目で見たあと頷いた。


「はい。わたくしは坊ちゃまのことは幼い時分より知っています。初めてお会いしたのは、たしか坊ちゃまが十歳の頃だったかと。なので坊ちゃまとのお付き合いは十年近くになります」


「長いな。それじゃあ、もう家族みたいなもんだな」


「馬鹿を言え! ルゥナはあくまでもメイドだ!」


 つばを飛ばして反論してくるグィンゲッツ。ルゥナも困ったように笑って同意した。


「坊ちゃまのおっしゃられるとおりです。わたくしはあくまでもメイドですので。坊ちゃまの家族だなんてとてもとても」


「まあ、母様はこいつのことを猫かわいがりしているがな。もしかしたら、オレよりも可愛がっているのではないか?」


「なにをおっしゃいます。奥様はいつも坊ちゃまのことを心配されていますよ。今回の件も、坊ちゃまのことを心配されたからこそわたくしを派遣したわけですし」


「余計なお世話だ。自分のしたことの責任くらい、自分で果たせるとオレは言ったんだ!」


 いやたぶん無理だったと思うよ――グィンゲッツ以外の四人の気持ちが一緒になった瞬間だった。


「うちの坊ちゃまがすみません」


 ルゥナが苦笑しながらそう言うものだから、思わず吹き出してしまう。


「おい! それはどういう意味だ!? おい、ルゥナ! 聞いているのか!」


 グィンゲッツだけが意味がわからずに叫いていた。そんな夕食も、思いの他楽しいものだった。







 深夜。俺は一人、たき火の前に座っていた。


 見張りのためである。旅慣れていないミリエッタとルゥナを除いた三人で交代してモンスターを警戒することになった。最初はリカさん、次が俺、そしてじゃっかん不安が残るグィンゲッツは最後である。


 火が消えないように小枝を時折放り投げながら、ぼうっと夜空を見上げる。


 モンスターの気配はない。リカさんのときもなかったようだ。昼間はあれだったが、魔の森の中ほどまでにモンスターと遭遇することはないようだった。


「綺麗な夜空だね」


 暇潰しに星を眺めていると、ミリエッタが近付いてきた。


「ミリエッタ。眠れなかったのか?」


「ううん。寝てたんだけど、途中で目を覚ましちゃって。それで夜空でも眺めようかなぁと思っただけ」


「そうか。まあ、やっぱり街中よりも星は綺麗に見えるよ」


「王都は夜でも騒がしいところは騒がしいからね。あ、隣いい?」


「ああ。夜は冷えるからな。こっちに来て入れ」


「うん」


 俺はかぶっていた毛布の中にミリエッタを入れてやった。


 二人、一緒の毛布にくるまりつつ夜空を見上げる。


「昔さ、こうして二人で夜空を眺めてたことあったよね?」


「そういえばそんなこともあったな。孤児院の屋根に登ってな。あのときはなんで星なんて見ようと思ったんだっけな?」


「う~ん。わたしも覚えてないや。十年近く前のことだし」


「それもそうだな」


「でも、なんかいい思い出だったのは覚えてるよ。それに今夜のこれもいい思い出になりそう」


 ミリエッタは楽しげな表情で空を見上げる。


「わたしさ、実は王都を出たの、この前の教会からのお使いのときが初めてだったんだよね」


「そうか。それはあんまりいい初めての経験じゃなかったな」


「そうでもないよ。ヒュドラに襲われたときは最悪最低だと思ったけど、最後にお兄ちゃんの格好いいところが見えたしね。けど、やっぱりもう一度外に出ようとは思わなかったよ。お兄ちゃんが護衛の依頼を引き受けてくれなかったら、別の誰かにお使い自体を頼んでたと思う」


 やはりヒュドラに襲われた恐怖心は拭いがたく存在しているのだろう。初めての街の外で襲われたのだから尚更だ。


「お兄ちゃんはやっぱり、結構街の外に行くことがあったの?」


「いや、他の街に行くのはあんまりだな。何回かはあるけどほとんどは魔の森での冒険だったから」


「そっか。ねえ、よければ色々と冒険のこととか話してよ」


「そうだな。まだグィンゲッツとの交代までは時間があるし」


 俺は色々とミリエッタに話をした。時折手紙は交わしていたが、俺が孤児院を出て行ったのは五年という時間だ。色々と話したいことはあったし、聞きたいことはあった。


 しばらくそうしてお互いの過ごした思い出を共有していると、ふぅ、と少し疲れた様子でミリエッタが息を吐いた。


「疲れたか?」


「少しだけ」


「もう寝るか?」


「ううん、もう少しここにいさせて」


 ミリエッタはそう言って、俺の肩にもたれかかってきた。


「ねえ、お兄ちゃん。グィンゲッツさんのことだけど」


「ああ、どうした? やっぱりぶっとばして欲しいのか?」


「お兄ちゃん心配しすぎ。あの人は大丈夫だと思うよ。わたしのことが好きっていうよりも、なんか別の誰かの影をわたしに重ねて見てるって感じだし」


「それはそれでむかつくけどな。人の妹分をなんだと思ってるんだ」


「そうは言うけど、お兄ちゃん。実際にわたしが玉の輿を企んでグィンゲッツさんの求愛に応えていたらどうしてた?」


「それはまあ、お前が幸せになってくれるなら、ボコのボコのボッコボコくらいで許してたけど」


「それ許してないよ。殺しちゃってるよ」


「俺を倒せない奴に、俺の家族を嫁にやれるか」


「それじゃあ、わたし一生お嫁さんには行けないね」


 くすくすとミリエッタは笑ったあと、


「まあ、一生どこにもお嫁さんに行くつもりもないけどさ」


 と、どこか暗い表情でそう言った。


「どういうことだ? 俺は別にお前が本気で好きな奴が出来たら、邪魔するつもりはないぞ?」


 たぶん。


「う~ん、それはそれで乙女心的には微妙だけど」


 ミリエッタはそう前置きしたあと、星を見上げながら続けた。


「わたしさ、実は誰かのことを本気で好きになったこととかないんだよね」


「そうなのか?」


「うん。一番好きになった男性は、たぶんお兄ちゃんだよ。次はミレルとかルディとかかなぁ?」


「二人とも孤児院の家族じゃないか」


「そう。ライお兄ちゃんもそうだし、孤児院の家族以外って考えると皆無だんだよね。別に魅力的な男性がいないってわけじゃないけど、なんかそういう気分になれないっていうか。……正直、怖いのかも」


「怖い? 男がか?」


「というよりも、誰かとそういう関係になるのが、かな? ほら、わたしって捨て子だし」


 ミリエッタは赤ん坊の頃に孤児院の前に捨てられていた子供だ。俺のように親が死んで孤児院に来たというわけではない。


「別に自分が不幸だとは思ってないよ。院長先生っていう優しいお母さんもいたし、ライお兄ちゃんやシスティナお姉ちゃんを始めとしたたくさんの家族も出来たから。本当だよ?」


「わかってるよ。俺は母さんが死んで孤児院に来たけど、そのことを不幸だと思ったことはないからな」


「そうだね。あそこは本当にあったかくて、うん、わたしにとって理想の家なの」


 だから、とミリエッタは続ける。


「だからわたしには分からない。一人の男性を好きになって、その人と二人で暮らして、子供ができて。でもそれでも三人とか四人とかそれだけしか家族がいないんでしょ? それって寂しいよ。家、すごく広く感じると思う」


「こういうこと聞くのはあれかもだけど、血の繋がった子供とかは欲しくはないのか?」


「逆にやだな、それ。自分がそうだったから、あんまり愛してあげられる自信ないかも。なにかの拍子に捨てちゃうかも知れないって怖いの」


 幼い頃、ミリエッタがどうして自分には両親がいないのと泣いていたのを慰めた記憶はある。けれど大きくなってからは初めて聞いた、自分の境遇に対するミリエッタの本音だった。


「だってわたし、自分が捨てられた理由がわからない。変なスキルを持ってるわけでもないしさ。あ、これは別にお兄ちゃんがどうだってわけじゃなくて!」


「大丈夫。わかってるから」


「うん。ごめんね」


 ミリエッタは謝る。


「たぶん、捨てられた理由は貧しかったからだとは思う。けどさ、世の中には自分の子供のステータスを理由に捨てる親もいるでしょ?」


 子供が捨てられる一番の理由は貧困からだが、もうひとつ、ステータスを理由に捨てられる子供もいるという。


 ステータス開示の魔法は教会が管理しているが、ステータス開示の方法を知る人のすべてがすべて教会の教えを忠実に守っているわけではない。中には大金を受け取って、生まれてまもない子供のステータスを開いてしまう者もいる。そういうスキルも中には存在する。


 そしてもしも自分の子供に咎人系スキルなどがあれば、教会などの前に捨てる親もいるというのだ。中には殺してしまう親もいるという。


 特に聞くのは貴族の家だ。家の名と血を大事にしている彼らにとって、家から咎持ちが出たというのはそれだけで醜聞になる。


「わたしが捨てられた理由が貧しくて、育てることができなくて、どうしようもなくて捨てられたならいいよ。愛されて生まれてきたってことだから。けど、もしもステータスが理由で捨てられたなんてことがあれば……たぶん、わたしは無理。その親のことを絶対に許せないと思う」


「ミリエッタ……」


「まあ、どっちにしろ調べようがないことなわけだけど、そんな風に考えちゃうからさ。誰かを好きになって子供を作るっていうの、怖いんだよね」


 ミリエッタは毛布から抜け出ると、少しだけ寂しそうな笑みを俺に見せた。


「だから安心して。わたしがお兄ちゃんの妹でなくなって、誰かの奥さんになる日はきっとないから。旅も今回のこれっきりでいいかな。わたしはやっぱり、孤児院でみんなのお母さんになりたいや」


 それでいいのか? と、俺は言えなかった。

 孤児院で育ってきた俺だから、その生き方が不幸だとは思わなかった。


 だから一言だけ。立派にみんなのお母さんをしているこの女性に、一人の男性として告げた。


「ミリエッタ。お前は立派なお母さんになれるよ。俺が保証する」


 孤児院のみんなにとっても。

 そして、血のつながりのある自分の子供にとっても。


 ミリエッタは目を丸くして驚いたあと、照れくさそうにはにかんだ。


「……わたしが誰のことも好きになろうと思わないの、もしかしたらお兄ちゃんの所為かもね。お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなかったら、もしかしたら普通に好きになってたかも」


「いや別に俺たち血は繋がってないけど」


「おっと、それってもしかして遠回しな告白? いやぁ、どうしようかなぁ。システィナお姉ちゃんに悪いしなぁ」


 ミリエッタはいつもの調子に戻ると、


「じゃあこうしよう。まずはお兄ちゃんとシスティナお姉ちゃんが結婚します」


「いや、あいつ聖女だから結婚できないだろ」


「そこはお兄ちゃんがなんとかして結婚します」


「なんとかって」


 どうするんだよ?


「で、お兄ちゃんのこと好きな人はもっとたくさんいるから、その人とも家族になるでしょ。お姉ちゃんを含めて三人、いや、四人いれば家族いっぱいで寂しくないだろうし、うん、そうしたら仕方がないからわたしも結婚してあげる」


「なんだその家族設計。色々とおかしいんだが」


「そうだね。おかしいと思うよ。すごく難しいとも思うし。けどそれくらいしてもらわないと、このミリエッタちゃんは攻略できないんだなぁ、これが」


「そうかい。グィンゲッツにはさっさと諦めた方がいいって伝えておくよ」


「うん。代わりにお兄ちゃんががんばってね。待ってるから」


 どこまで本気か、ひらひらと手を振ってミリエッタは天幕に戻っていった。


「……これも成長した、ってことかな?」


 甘えん坊で寂しがりやな小さなミリエッタは、やはりまだまだ寂しがりやのようだが、それでも将来のこととか考えるようになったのか。兄として感慨深いというか、ちょっと歪んだ恋愛観が心配というか、グィンゲッツご愁傷様というべきか。


「ていうか、グィンゲッツの奴。遅いな」


 もう交代の時間を過ぎているのだが、ご愁傷様のグィンゲッツは姿を見せなかった。


 仕方がなくあいつが一人で使っている天幕を見に行こうと思って立ち上がると、タイミングよくグィンゲッツが姿を見せた。暗がりにぼうっと立っている。


「遅かったな。なにしてたんだ?」


「い、いや、すまない」


「うぇ?」


 変な声が出た。あのグィンゲッツが俺に謝ったのである。


「お前、本当にグィンゲッツだよな?」


「当たり前だろ。オレはグィンゲッツ・ニルヴァーナだ。……見張りを変わる。貴様はさっさと寝ろ」


 グィンゲッツはそう言って、肩を落としてとぼとぼとたき火の前へと歩いていった。


 あまりにもいつもとは違う。あからさまに落ち込んでいる。


 ……もしかしたら、俺とミリエッタの話が聞こえていたのかも知れない。


「仕方がない。明日は少しだけ優しくしてやろう」


 そう思いながら、俺はあくびをかみ殺しつつ天幕に入っていくのだった。


  

次回、他者視点

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