旅路の始まり②
ふんぞり返るグィンゲッツ。青筋を浮かべる俺。
それを見て目に見えて慌てたのは、グィンゲッツの従者であるルゥナだった。
「オルガス様! 坊ちゃまがご不快にさせて大変申し訳なく思うのですが、わたくし共も帰るわけにはいかないのです!」
「おい、ルゥナ! お前は黙ってろ!」
「いいえ、ルゥナは黙りません。なぜなら、わたくしは奥様より坊ちゃまを託されているからです!」
主であるグィンゲッツの言葉を無視して、ルゥナは俺に向かって深々と頭を下げた。
「坊ちゃまは先の決闘騒ぎでギルドに迷惑をかけたとして、現在、謹慎中の身なのです。今回のオルガス様への助力は、いわば罪滅ぼしのようなもの。これに失敗したとなれば、坊ちゃまは騎士の座を奪われてしまうかも知れません! どうか! どうか! 精一杯がんばりますので、討伐に同行させてくださいませ!」
「お、おい! それは言うなと最初に言っておいただろうが!」
グィンゲッツが顔を赤くしてルゥナの口を塞ぎにかかる。だがもう遅い。グィンゲッツの陥っている状況はわかってしまった。やはり先の決闘、なにもお咎めなしとはいかなかったらしい
グィンゲッツのことは気に入らないが、女の子に頭を下げてお願いされては仕方がない。俺はグィンゲッツの言動に対する溜飲を治めることにした。
「……つまりここでこの男を上手く失脚させれば、騎士の席がひとつ空くと言うことですか」
だからリカさん、そんな黒いことを考えなくてもいいからね?
「ほら、坊ちゃま! 坊ちゃまからもオルガス様にお願いをしてください! 騎士の称号を剥奪されたとなれば、次期当主の座も危うくなるのですよ!」
「男が負けた相手に頭を下げられるか! するくらいなら死んだ方がマシだ!」
そうこうしている間もグィンゲッツとルゥナの言い争いも続いていた。これ、本当に大丈夫なのか?
「あれ? どうかした?」
先行きに不安を感じていると、最後の旅の仲間であるミリエッタがやってきた。
「ミリエッタ。遅かったな」
「うん。遅れてごめん。ちょっと教会で色々あって。でも、どっちにしろすぐ出発はできないみたいだね」
ミリエッタは言い争うグィンゲッツたちと、暗い笑みを浮かべるリカさんを見て呆れた顔をする。
「なんか大変みたいだね。あの人、貴族?」
「ああ。しかも平民なんだそれみたいな貴族」
「うわぁ、嫌だなぁ。この先大丈夫なの?」
「安心しろ。馬鹿なことは俺がさせない」
予想外にルゥナというメイドが増えたが、俺がこのパーティーのリーダーである事実には変わりがない。この面子をまとめなければならないのだ。
「おい、グィンゲッツ。とにかく一度落ち着いて話をしよう」
「うるさい! 貴様なんぞと話し合うことなどなにもない、わ……」
俺の顔を見たグィンゲッツが、俺の横に立つミリエッタを見て言葉を失った。
ぼーとした顔でミリエッタを見つめたまま硬直する。
ミリエッタは不思議そうに首を傾げた。俺もミリエッタを見て首を傾げる。
燃えるような赤毛に、フィリーア教のシスター服。いつもどおりのミリエッタだ。
そんなミリエッタを忘我の面持ちで見ていたグィンゲッツは、一言つぶやきをもらした。
「……可憐だ」
「「えっ?」」
俺とリカさんの声が重なる。ミリエッタは少し遅れて、ほう、と片眉を動かした。
しばしミリエッタに見惚れていたグィンゲッツは、掴んでいたルゥナの口から手を離し、身だしなみを整えてからミリエッタの前に歩みでた。
「はじめまして、お嬢さん。自分はグィンゲッツ・ニルヴァーナ。騎士の名門、ニルヴァーナ家の次期当主です。今は栄えある王国騎士団の一員として、日々この国の人々のために戦っております。以後お見知りおきを」
「どうも、はじめまして。ニルヴァーナ卿。わたしはミリエッタ・パルサです。フィリーア教のシスターで、孤児院の院長をしています」
「おお! フィリーア教のシスターですか! つまり聖職者スキルをお持ちなのですね! それは素晴らしいスキルをお持ちだ! しかも孤児院の院長とは、なんと慈愛にあふれた御方なのだ!」
「そんなことないですよ。わたしも孤児なので、自分の家を守りたかっただけです」
「孤児……ですか?」
「はい。孤児であることになにか問題でも?」
「い、いえ! なにをおっしゃいますか! このグィンゲッツ、生まれで人を区別することはあっても差別するような人間ではありません! 自分の家を守りたいのは誰であれ当然のことであり立派なことです! かくいうこのグィンゲッツも、ニルヴァーナ家の将来を背負って立つべく日々精進しております!」
……誰こいつ?
「うちの坊ちゃまが重ね重ねすみません!」
豹変したグィンゲッツを見て呆ける俺たちに、何度も勢いよくルゥナが頭を下げる。
「なあ、グィンゲッツのあれって?」
「はい。どうやらあのお嬢様に一目惚れをされてしまったようです」
「やっぱりか」
「坊ちゃまは、その、あれなのです。シスターが好きなのもあるのですが、それ以上に赤髪の女性がとても好みなのです。それはもう大好きなんです。それこそ、自分の専属メイドは全員染料で赤髪に染めさせるくらいには」
「うわぁ」
俺がちょっと引いてると、リカさんがルゥナを見つめて言った。
「ですがルゥナさん、あなたの髪色は赤ではないようですが」
「わたくしは坊ちゃまの専属ではなく、奥様――坊ちゃまのお母様の専属メイドなので。坊ちゃまの専属メイドでは坊ちゃまに逆らうことはできないので、今回は監視も兼ねてわたくしが同行することになったのです」
ルゥナはグィンゲッツには聞こえないように声を潜めると、
「先程はああ言っていましたが、坊ちゃまも騎士や次期当主の座を追いやられるのは嫌なはずです。今回の旅はなんとしてでも成功させなければならない、という点においてはご安心いただければと思います。なのでどうか、同行をお許し頂けないでしょうか?」
「まあ、邪魔しないでくれれば俺は構わないが」
「私もライさんが良いのであれば」
「ありがとうございます! わたくしも全力で目を光らせて、坊ちゃまが悪さをしないように見張らせていただきますので! あのお嬢様にも指一本触れさせませんのでご安心下さいませ!」
「ああ、それは大丈夫だと思うぞ。俺の妹はたくましい奴だからな」
未だにグィンゲッツに言い寄られているミリエッタは笑顔で対応している。表面上は、だが。
ミリエッタは俺たちの視線に気付くと、グィンゲッツには見えないように、背中でグッと親指を立ててきた。こいつの操縦は任せろ、と言わんばかりに。
この先の旅路に一筋の光明が差し込んだのかも知れなかった。
お互いに自己紹介をしたあと、当初の予定からは遅れながらも王都を出発することになった。
今回の旅、グィンゲッツが自分の馬車を用意してきたことで二台の馬車で行くことになった。ギルドマスターが用意してくれた馬車の手綱をリカさんが握り、グィンゲッツの馬車をルゥナが操っている。
問題はそれ以外の同乗者の割り振りだが、
「オレは貴様とは一緒の馬車には死んでも乗らないからな」
グィンゲッツはまず最初にそう釘を刺してきた。あらかじめ予想できた解答である。
「さらに言うなら、エルフの操る馬車にも乗りたくはない」
「おい、それはどういうことだよ?」
「決まっているだろ? そいつはギルドマスターの私兵ではないか。事故に見せかけてなにかされてはたまらないからな」
あまりにも酷い言いぐさだった。思わず殴り飛ばしてやろうかと思ったが、後ろで小さく誰かの舌打ちが聞こえたので俺はそっと視線を逸らすだけに留めた。
「オレはルゥナの馬車に乗る。貴様はエルフの馬車に乗れ」
「……まあ、それがいいだろうな」
言い方はともかく、順当な割り振りだった。
問題はミリエッタだが、
「ミリエッタさんは是非、自分の馬車にお乗り下さい! 色々と準備してまいりましたので、中で優雅にティータイムでも致しましょう!」
「お前みたいな奴とミリエッタを二人きりにできるか。ミリエッタ、ここはこっちに乗れ」
「貴様こそ密室でミリエッタさんになにをする気だ!?」
「なにもしねぇよ!」
「え? しないの、お兄ちゃん?」
「貴様ァ! ミリエッタさんにお兄ちゃんと呼ばれているのかァ!」
「ミリエッタ、火に油を注ぐ――ってそこ!?」
なぜか別のところに食いついてくるグィンゲッツ。なにこいつ? 赤髪好きでなおかつ妹好きなの?
「すみません! うちの坊ちゃまが色々と拗らせていてごめんなさい!」
ルゥナが頭を下げたあと、怖ず怖ずと提案してきた。
「ミリエッタ様。狭い場所で申し訳ございませんが、よろしければわたくしの隣などはいかがでしょう? 教会の話など、色々と聞ければ幸いですが」
「そだね。そうしよっかな。よろしくね、ルゥナさん」
「ミリエッタ様、わたくしのことはルゥナと呼び捨てでお呼び下さい」
「じゃあ、わたしのこともミリエッタでいいよ。ルゥナちゃん、今何歳?」
「ではミリエッタさんと。わたくしは先月で十六となりました」
「わたしとほとんど変わらないね。さんなんて付けなくていいよ。ミリエッタちゃんって呼んで」
ミリエッタとルゥナは楽しそうに話しながら、さっさと御者席へと乗り込んでしまった。自分の意見が通らなかったことにグィンゲッツは気に入らないような顔をしていたが、同じ馬車ということで妥協したのか、それ以上文句を口にすることはなかった。
俺もミリエッタがグィンゲッツと密室で二人きりにならなければいい。あとはルゥナが上手くやってくれるだろう。
「グィンゲッツ」
「なんだ?」
「この先の旅程だが、今日はどこかで野宿。明日にはバランドールに到着って予定で動くつもりだ。そこでミリエッタを教会に送り届けたあと、サンドウェルドに向かう。それで問題ないな?」
「それ以外にないだろうな。だが……ミリエッタさんとはバランドールで別れるのか?」
酷く残念そうな顔でグィンゲッツは言う。
「お前、そんなにミリエッタのことが気に入ったのか? 正直言って、赤髪だからって理由で人の妹のことを好きになっては欲しくなんだが」
「話を聞くかぎり、同じ孤児院で育っただけで実際の兄妹ではないようではないか。あまり兄貴面をするな」
「ああすみませんね、なにせミリエッタ本人がお兄ちゃんって慕ってくれるもんだからな」
「ぐぬぬぬぬ、羨ましい。オレも出来ればグィンゲッツお兄ちゃんと呼んで欲しい」
「欲望を隠そうともしないな」
「当たり前だ! オレはグィンゲッツ・ニルヴァーナ様だぞ!」
胸を大きく張って、鼻息も荒く意味の分からない名乗りをあげるグィンゲッツ。
どこかで既視感のある光景だと思って考えてみると、いつかの小さな魔法使いの姿が思い浮かんだ。貴族って奴は大なり小なりこういうものなのだろうか?
「どちらにせよ、ミリエッタとはバランドールで別れる。これは決定だ。危険な旅に最後まで付き合わせるわけにはいかないからな」
「それは……そうだな。か弱い乙女を危険な目に遭わせるわけにはいかないか」
「そういえば、ルゥナはどうなんだ? 最後まで旅に付き添わせても大丈夫なのか?」
ミリエッタの楽しそうに話している姿は、極々普通の町娘といった感じだ。体つきも小柄で華奢だ。とても戦闘が出来るようには見えないが。
「あれで実は強かったりするのか?」
「馬鹿いえ。ルゥナはただのメイドだ。戦闘系スキルなど持っていない。持っているのは聖職者スキルと調理師スキルだけだ。どっちも低ランクだがな」
「じゃあ、ルゥナもバランドールで置いていった方がいいんじゃないか?」
「阿呆が。ルゥナがいなくなったら、誰がオレの身の回りの世話をするんだ?」
自分でやるというのは、きっとこいつにとってはあり得ない選択肢なんだろうなぁ。
「それにルゥナは母様から最後まで付きそうようにと頼まれているらしい。あいつの母様への忠誠心はすさまじいからな。たとえ置いていったとしても、勝手に付いてこようとするだろう。それならまだ一緒にいた方が、いざというとき助けてやれるというものだ」
「へえ」
「……なんだ? その目は」
「いや、お前もなんだかんだ言って優しいところがあるんだと思ってな」
「ふんっ、ルゥナは家の人間だからな。可能なかぎり庇護してやるのは貴族として当然のことだ」
あくまでも常識を語るようにそう言って、それから俺をじろりとにらみつけてきた。
再会したときから隠してもいない俺への敵意。それは決闘を経ても消えることなく、彼の胸の中に燃えさかっているらしい。
「騎士団からの命令だ。心底から嫌だが、貴様の指示には従ってやるし、ティタノマキア討伐も手伝おう。だがそれ以外では貴様となれ合うつもりは毛頭ない」
「わかってるよ。それでいいさ」
決闘であんなことがあって、そして最後にあんな言葉をかけられたのだ。もっと邪魔立てして来てもおかしくはないと思っていただけに、討伐を手伝う意思があるだけ嬉しいかぎりである。
もちろん、グィンゲッツにもあの決闘に対して思うところはあるのだろう。
だが俺も彼もそこには触れなかった。触れられなかったのかも知れない。
あの決闘は勝敗がついた。けれど、俺とグィンゲッツの間にはまだなんの決着も付いていない。
俺はまだあのときの彼の問いかけに、きちんと答えられる言葉を持ち合わせていないのだから。




