英雄の休日②
「ギルドマスターですか? ギルドマスターは今、お客様の対応中ですよ」
ギルドに来た用件をリカさんに伝えると、そんな返答をもらった。
怪我が完治したあと、一度会いに来て欲しいとギルドマスターからの伝言はもらっていたが、今日行くとはあらかじめ伝えていなかった。ヒュドラの後始末も色々とあるだろうし、忙しいのは当然だろう。
「そっか。出直した方がいいかな?」
「よろしければ待合室で待たれますか? もうそれなりの時間話されているので、まもなく終わると思います。それに……」
リカさんは声を潜め、こっそり耳打ちしてくる。
「実は今来ているのは王国騎士団の方なのです」
「騎士が?」
「はい。ヒュドラの一件でのことだとは思うのですが、もしかしたらもしかするかも知れません。ライさんのことを聞きに来たかも知れませんよ」
「いやいや、まさか。俺の名前はほとんど噂になってないし、むしろなんでか『閃光』の名前が広がってるしさ」
『閃光』というのは王都の冒険者の中で囁かれている存在だ。数多の逸話を持つ、王都最強の冒険者。姿形を誰も知らない謎の英雄。
それもそのはず。そんな人物は実在しない。『閃光』とは噂が噂を呼び、勝手に作られた英雄像なのだ。害がないので好き放題言わせていると、以前、ギルドマスターから聞いたことがある。
「単独でのヒュドラ退治というのは、それこそ世界にその名が轟くほどの偉業です。王都の冒険者でそれを成し遂げることができる者はいない。ライさんのことを知らない人はそう思うでしょう」
俺のやや不満混じりのつぶやきに、リカさんが答えた。
「けれどヒュドラは実際に退治されました。となれば、次に気になるのは誰がそれを成し遂げたかということですが、そのとき最初に上がるのは有名な上級冒険者でしょう。けれどヒュドラを倒したのは彼らではない。ならば誰が? それはいかなる強者なのか? そうした疑問の中で、人々は『閃光』という作られた英雄像と結びつけたのでしょう。王都最強の冒険者、これまで数々の偉業を成し遂げた『閃光』ならば、と」
「つまり俺の功績が、存在しない『閃光』に取って喰われた?」
「いいえ、違います。そうではありません」
リカさんは首を振ると、俺の目をまっすぐ見て言った。
「『閃光』がライさんになったのではありません。ライさんが『閃光』になったのです。『閃光』はいわば、王都最強の冒険者に与えられる称号のようなもの。噂の中にしかいなかった英雄の正体として、あなたが選ばれたのです」
つまりその偉業が語り継がれた結果、英雄と呼ばれたわけではなく。
ひとつの偉業の結果をもって、人々によって作られた英雄の名を背負うことを許された。
「ライさん。今やあなたが王都最強の冒険者であることに、誰も異を唱えられないでしょう。であれば、どうか誇ってください。自分こそが『閃光』なのだと」
「俺が……王都最強の冒険者」
「はい。今はまだ『閃光』の名前が先に広まっていますが、すぐに多くの人がその『閃光』の正体を知るでしょう。あなたの名前は、すぐに多くの人が知ることになる。それに……」
リカさんは横を見て、また微笑みを零した。
「それに知っている人はすでに知っているのです。ヒュドラを倒したのが、ライ・オルガスという冒険者であることを」
「ライさん!」
俺の名前を叫んで駆け寄ってきたのは、四人の冒険者パーティーだった。
「ラッセルたちか。どうかしたか?」
彼らは以前知り合った少年たちで、この前ついに最底辺のEランクからDランクにランクを上げ、少しずつではあるが実力をつけている駆け出しの冒険者パーティーだった。
最初は軽いいざこさがあったのだが、そのことはきちんと後日謝罪してくれて、さらにはリーダーであるラッセルが、なぜか憧れ混じりの瞳を向けてくるので、何度か慣れないアドバイスをしたこともある。まあ、俺にとっては顔見知りの後輩といったところだろうか。
そのラッセルはいつにも増してキラキラとしたむず痒くなるような視線を向けてきて、興奮した声で叫んだ。
「どうしたかじゃないですよ! ライさんがあのヒュドラを倒したって本当ですか!?」
最初に絡んできたときもそうだが、このラッセル。とにかく空気を読めないのである。
ラッセルの大声を聞いた冒険者たちが、一斉にこちらを振り向いた。
「聞いたか?」
「ああ。あれがヒュドラを倒した『閃光』なのか?」
「あんな冒険者、上級冒険者の中にいたか? どこのパーティーだ?」
「当然。Sランクだろ」
「いや、待て。あいつ、たしか万年Eランクの奴じゃないか?」
「ライ・オルガス。あいつが『閃光』? なにかの冗談だろ?」
興味、好奇、懐疑、色々な視線が注がれる。中には真偽を測るためか、あからさまな威圧を向けてくる冒険者もいた。これにはラッセルたちも顔を青ざめ、仲間同士で囁き合う
「ど、どうするんだよ? ラッセル。お前が叫んだりするから」
「だ、だって、ヒュドラ退治って聞いたら、これはもう色々聞くしかないだろ?」
「そうかもだけどさ。ていうか、本当にライさんって強かったんだな」
「お前、まだ信じてなかったのかよ」
「俺は正直、今でも若干本当かどうか疑ってるんだけど」
「はぁ!?」
その結果、なぜか喧嘩腰になるラッセルたち四人。妙に俺に懐いているラッセルはともかく、他のパーティーメンバーは俺に対して敬意をそこまで抱いていなかったので、俺がヒュドラを倒したと聞いても信じられないのは当然のことだろう。
それは他の冒険者にも言えること。俺が黙っていると、場の空気は『そんなはずがない』という方向へと変わっていった。
それを察したリカさんが、ずいっと前に出て口を開こうとする。
「――事実だ。そこにいるライ・オルガスこそが、ヒュドラを倒した『閃光』その人だよ」
その前によく通る声で発言したのは、ギルドの奥からやってきたギルドマスターだった。
「ニルド?」
ギルドマスターの後ろには、白い甲冑姿の幼なじみがいた。俺の視線に気付いたニルドが、軽く手を挙げてあいさつしてきた。どうやらギルドマスターと話していた王国騎士とはニルドのことだったらしい。
「やあ、ライ。我らが英雄よ! よくぞ来てくれた!」
ギルドマスターは騒然となる冒険者たちの前を堂々と進んでいき、俺の隣まで来ると、両手を大きく広げて大袈裟に抱擁してきた。
「感謝の言葉を贈らせてくれ! 君のお蔭で王都の多くの民が救われた! まさに君の行いは万民に讃えられるもの。君こそが英雄だ!」
一介の冒険者に対しては過ぎた言動。いくらギルドマスターが穏和だと言っても、こんなことをしたのは恐らく俺が初めてであろう。
先の発言と合わせて、場の空気が一変する。ギルドマスター――即ち、冒険者ギルドが認めた。その意味は冒険者にとってとてつもなく大きいのだ。俺を疑っていた声が減り、驚きと称賛の声が増えていく。
「本当にあいつがヒュドラを?」
「Eランクなのは目立ちたくないためとかだったのか?」
「ああ。きっと理由があるんだろう」
「ヒュドラを倒せるってことは、レベルは八十近いはずだしな」
「一体どんなステータスなんだよ」
「すげぇスキルを持ってるんだろうな」
羨望と畏怖の眼差しの中、ギルドマスターは抱擁を止め、俺の肩に手を回してそっと前へと押し出した。
「皆に改めて紹介しよう。彼こそがヒュドラを倒した王都最強の冒険者! 新しい我らの英雄! 『閃光』のライ・オルガスだ!!」
そしてギルドに集まっている全員に対して、改めて俺のことをそう紹介した。
はっきりと、俺のことを王都最強の冒険者であると。『閃光』その人であると。
そのとき、軽く拍手する音が聞こえた。見れば、冒険者たちの輪から少し離れたところで、ニルドが笑って手を叩いていた。
それを皮切りに、ひとつ、またひとつと拍手の音が増え、やがて新しい英雄を讃える称賛は、ギルドの外にまで響くような歓声に変わった。それはまるで高名なSランク冒険者がギルドを訪れたときのような、いや、それ以上の大歓声だった。
もちろん、中には俺のことを苦々しい顔で見る者もいる。あれは俺のことをこれまで馬鹿にしていた冒険者だったか。他の場所を見れば、拳を握りしめ、嫉妬の視線を隠そうともせずににらみつけてくる若い冒険者の姿があった。その顔が、ふと一瞬昔の自分に重なる。
俺の立ち位置はあそこだった。ずっとあちら側だったのだ。
だからこそ、ようやくの実感が俺の中にわき上がってきた。胸になにか熱いものが込み上げてきて、気が緩むと泣きそうになる。
ああ、そうだ。これが冒険者なのだ。
昨日まで無名だった人間が、その身ひとつで偉業を達成して名を轟かせる。完全なる実力主義だからこそ、多くの冒険者たちは成し遂げられた偉業を讃え、次は自分こそがと夢を見て新たな冒険に臨むのだ。
そうだ。なにを臆することがある? なにを恥じらうことがある?
俺は成し遂げた。ヒュドラを倒したのだ。
だから名乗ろう。高らかに。自分こそが『閃光』なのだと。
「俺は――」
「ふざけるな!」
俺の声に被さるようにして、そのとき歓声に負けないような怒号が轟いた。
声の主は一目瞭然だった。
ギルドの入り口に、煌びやかな白磁の鎧を着た一人の大男が立っている。
「貴様がヒュドラを倒しただと!? あの『閃光』だと!? 冗談も大概にしろ! そんなわけがないだろう!」
俺を親の仇でも見るかのような眼差しでにらみつけ、その大男――騎士グィンゲッツ・ニルヴァーナは近付いてきた。
そして俺を否定する根拠として、まだこの場の多くの人が知らないその事実を口にした。
「オレは知っているぞ! 貴様のステータスは誰にも読めないようになっている!」
「ニルヴァーナ卿、なにをしているんだ!?」
詰め寄ってくるグィンゲッツの肩を、慌てて近付いてきたニルドが掴んで止める。
「離せクリストファ卿! オレは栄えある王国騎士団の一員として、この卑怯者を認めるわけにはいかんのだ!」
しかしグィンゲッツはニルドを振り払うと、俺の目の前に立った。
「ヒュドラを倒したというのならば、その証明としてステータスを見せてみろ!」
「それは……」
「どうした? オレは見せろと言っている。貴様の狂ったステータスをな!」
グィンゲッツの言葉に、あれだけ熱狂していた冒険者たちが静まりかえる。
グィンゲッツは否定しているが、それでも冒険者たちの多くは騎士である彼よりもギルドマスターの言葉を信じるだろう。だから黙っているのは俺を疑っているからではない。ただ、ヒュドラを倒すほどのステータスを見てみたいという欲求が、抗えない本音としてあるだけだ。
怖かった。俺のこのステータスを見せることで、みんながどんな反応をするのか。
否定されてしまうかも知れない。どれだけ努力して偉業を成しても、生まれ持ったこのステータスを見せただけで、すべてが否定されてしまうかも知れない。
そう思って臆する俺の肩を、力強くギルドマスターが叩いた。
「大丈夫だ、ライ。彼がなんと言おうと、君がヒュドラを倒した事実は私が騎士団側にもすでに認めさせている。君の戦いが否定されることはない。だからもう、ステータスを人に見せることを恥じることはないんだよ。いや、違うな」
ギルドマスターは首を振って、勇気づけるように続けた。
「むしろその読めないステータスこそが君の証となる。唯一無二のそのステータスこそが、新しい英雄の象徴になるんだ」
「象徴?」
「そう、いずれ君の名と共にそのステータスも広まるだろう。今はまだ馬鹿にされるかも知れない。奇異の目で見られるかも知れない。けれど遠くないうちに、多くの人が君のそのステータスを見て讃えるようになるだろう。だからどうか、皆に見せてあげて欲しい。君にはそのステータスを誇って欲しいんだ」
それは生まれて初めてかけられた言葉だった。
自分のステータスを誇る。それは俺が生まれたときに奪われた権利のはずだった。
そんな日が本当に来るのだろうか? 俺のこのステータスが羨望を浴びるようになる日が、本当に?
「さあ、ライ。教えてやれ」
戸惑う俺に、最後の一押しとしてギルドマスターは耳元で囁いた。
「この世界は、ステータスがすべてではないことを」
「オープン」
そして俺は、自分のステータスをみんなが見えるように呼びだした。
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瞬間、俺が『閃光』だと知られたときと同じくらいの衝撃とざわめきが、集まった冒険者たちの中を駆けめぐって行った。
「ふんっ、やはりそうだ。貴様のそんなステータスで、あのヒュドラを倒せるはずがない」
以前から知っていたグィンゲッツは、動じることなく、俺の読めないステータスを見て口の端をつり上げた。
否定。拒絶。彼の言葉から、そんな意思を感じ取る。
「違う。俺は間違いなくヒュドラを倒した」
はっきりと俺は反論した。
これまでの俺なら、いい訳のようにしか答えられなかっただろう言葉を、今は胸を張って。
なぜなら、俺のことを信じてくれる人がここにはたくさんいるから。
「お前の言う狂った読めないステータスで、それでも俺はヒュドラを倒したんだ! 俺が『閃光』だ!」
「…………」
グィンゲッツは顔から笑みを消すと、じっと俺をにらみ据えた。
「ならば証明しろ。オレと戦え」
俺を否定し、拒絶するために、俺の夢である騎士になった男は宣戦布告した。
「――決闘だ」
……休日?
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