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英雄の休日①



 窓の外から鳥の鳴き声が聞こえてくる。


「ん~、起きるか」


 実に爽やかな目覚めだった。昨日、ようやく怪我も完治して、久しぶりに消毒薬の匂いのしないベッドで眠りに就いたからだろう。


 こんな日は布団でも干して、街に出かけてみるのもいいかも知れない。俺の財布はかつてないほどに潤っている。それこそ一ヶ月冒険をさぼり、宿の代金を半年分前払いしてもびくともしないくらい、ぱんぱんに膨れあがっている。


 俺は身体を解しながら起きあがると、しっかりと身だしなみを整え、最後に愛剣を手に取ろうとして、そういえばあの戦いですべて壊してしまったことを思い出す。


「しまった。昨日、買いに行くの忘れてた」


 お金はあるのだ。怖いくらいの報奨金をギルドマスターからもらった。剣の一振りどころか十振りでも即金で揃えることができる。早く新しい剣を買い揃えないと。


 けどあの戦いのとき、ボンマックの鍛えた剣を思う存分振るったせいか、適当な剣では満足できなくなってしまった。可能ならボンマックに剣を売ってもらいたいところなのだが、あの戦いでボンマックがこれまで鍛えた剣はすべて俺が砕いてしまったらしい。


 ならば新しい剣を、とは思うのだが、すでにオーダーメイドを一振り頼んでいる身である。


 それに、どうもボンマックの身内で不幸があったらしい。


 昨日、ロロナちゃんの提案で今度行うことになった『祝賀会』に誘おうと思って店に赴いたのだが、ボンマックは店内にはおらず、一人静かに店の裏手に作られた墓に祈りを捧げていた。寂しそうにつぶやかれた名前を聞いて、俺はそっと店を後にしたものである。


 ジョセフィーヌさん……一体どんな女性だったんだろうな? どうして亡くなってしまったんだろう?


 ボンマックのことはしばらくそっとしておいてあげよう。今は剣を鍛えたり、ましてや祝賀会になんか参加する気分ではないだろう。


 剣がないのはすわりが悪いが、どうせ今日冒険に行くつもりはなかった。俺はそのまま部屋を出て、一階に下りていった。


「あ、ライさん。おはようございます」

 

 食堂に顔を出すと、ロロナちゃんが元気いっぱいの笑顔で出迎えてくれる。今日も短いスカートからのびる健康的な太股がまぶしい。二日酔いでなくてもまぶしいものはまぶしいのだ。


「おはよう、ロロナちゃん。悪いけど水を一杯もらえないか?」


「かしこまりました。ご一緒に野菜たっぷりのホワイトシチューはいかがですか? 一日元気にがんばれるって評判なんですけど」


「もらうよ。ついでにパンと、あとなんか軽い肉料理も」


「はい、腕によりをかけて作りますね!」


 ロロナちゃんが結った髪を揺らしながら厨房に消えていく。


 俺はいつもの定位置であるカウンター席に腰掛け、料理を待つことにした。


「知ってるか? ヒュドラを倒した冒険者のこと」


「ああ、あの『閃光』だって話だろ? ただの噂じゃなかったんだな」


 そのとき後ろのテーブル席から、冒険者同士のそんな会話が聞こえてきた。


 思わず耳をそばだててしまう。注文した料理を持ってきてくれたロロナちゃんが、俺を見て不思議そうな顔をする。


「ライさん、変な顔してどうしたんですか?」


「ロロナちゃん。変な顔はやめてくれ」


「ごめんなさい。つい」


 軽く舌を出して謝るロロナちゃん。許さずにはいられない。


「けど実際に変でしたよ? こういうときどんな顔をしていいかのか分からないみたいな?」


「あ~」


 ロロナちゃんの指摘は的を射ていた。

 俺は今、この胸の内にある感情を持てあましていた。


 なぜなら、こんなことは生まれて初めてだったからだ。


「それで、『閃光』ってどんな奴なんだ? ヒュドラ退治を見てた冒険者がいたんだろ?」


「いや、それが名前までは。ただ、そいつが言うには――」


 噂話が聞こえる。長年、冒険者をしているであろう壮年の男は、嫉妬混じりの声で言った。


「あの人こそが間違いなく王都最強の冒険者だと、そう言ってたよ」


 そう、俺がヒュドラを倒してからすでに一週間が経過していた。そして王都では今、そのヒュドラを倒した人物の噂で持ちきりだった。







 朝の日課を終えてから久しぶりに冒険者ギルドに顔を出すと、そこでも『閃光』の噂があちらこちらで囁かれていた。


 やれあの噂は真実だったとか、ヒュドラ退治はこういう感じだったとか、どういう人物なのかとか、噂が噂を呼んで真偽も定かではない英雄像が語られている。


「やっほー、ライくん。気持ち悪い顔してどうしたの?」


 入り口のところで立ち止まっていると、横合いからルッフルが腰のあたりに飛びついて来た。


「ルッフルか。気持ち悪い言うなよ」


「えー? だって顔がにやけてるし、ぶっちゃけ気持ち悪い以外の何者でもないよ?」


「……そんなに?」


「うん、そんなに」


 ルッフルは大きく頷いた。ロロナちゃんはあれでかなりオブラートに包んでくれていたらしい。


「けど気持ち悪さで言ったら、ライくんよりあっちだね」


 ルッフルが視線を向けたのはクエスト受付カウンターだった。朝のこの時間帯、三つあるカウンターは多くの冒険者で埋まっていたが、特にひとつのカウンターの前に長蛇の列が出来ている。


「――はい、お気をつけて」


 そこは誰であろう、リカさんが担当している窓口だった。


 新人には避けられがちで、いつもは人もまばらなのに、今日は途切れることなく列が続いている。


「はい。はい。ええ、そうですね」


 冒険者に振られた世間話に対し、リカさんがひとつずつ丁寧に答えていた。


 いつもはクールな態度で淡々と「そうですか。では次の方どうぞ」とか言って仕事を進めているのに、仕事が滞るのも気にせずに一人一人に時間を取っている。そのため列はなかなか前に進まないが、並んでいる冒険者たちは怒ることも他の受付に回ることもなく、そわそわとした様子で順番を待っていた。


「なるほど。ふふっ、そうだと思います」


 その理由はリカさんの表情にあった。


 冷たさすら感じる無表情ではなく、今日のリカさんの顔には慎ましくも柔らかな笑みが浮かんでいる。いつもの取っつきにくさはどこにもなく、全身からそこはかとない幸せオーラを醸し出していた。


「なんだあれ? リカさんに春でも来たのか?」


「それ直接リカに言ってあげてちょうだいよ。一瞬でいつものリカに戻るから」


 ルッフルが腰に抱きついたまま、呆れ顔で肩をすくめた。


「一昨日からずっとあんな感じで、今じゃあこの優しくて可愛いルッフルさんを抜いて一番人気の受付嬢ですよ。お蔭でこっちは楽できていいけどさ」


「だからってさぼるなよ。ところで、ルッフル。そろそろ離れないか?」


「あ、うん」


 いつもならすでにリカさんが来て引きはがしてくれているところなのだが、リカさんがあんな調子なので、ルッフルも離れるタイミングを逃していたらしい。俺が注意すると、素直に手を離してくれた。


「どうする? ライくん。リカ、あんな調子だし、いつもの許可証発行するとなるとかなり時間かかると思うよ? アタシが代わりに発行してあげよっか?」


「いや、今日はギルドマスターに呼ばれて顔を出しただけだから。冒険に行くつもりはないんだ」


「う゛ぇ!?」


 ルッフルが女性が出してはいけない声をあげて、俺から大きく距離を取った。


「雨の日も雪の日も嵐が来ても魔の森に通い詰めてたライくんが自主的に休み!? うわっ、気持ち悪っ!?」


「おい」


 真顔で言わないでくれ。傷つくだろ。俺だって休日を作るときだってあるんだ。


「この前の戦いで色々と思うところがあったんだよ。剣も全部なくなっちゃったしな」


「あ、そういうことね。まあ、ライくんでもさすがにヒュ――」


「うわぁっ!」


 慌ててルッフルに詰め寄り、大きな声を出そうとしたその口を塞ぐ。


「ここでその名前を出すな!」


「ひゃんへ?」


 ルッフルが口を塞がれたまま首を傾げた。俺も首を傾げた。


「いや……なんでだろう?」


 俺がヒュドラを倒したこと。それを隠す必要なんてどこにもない。むしろ声高に自慢してもいいくらいだ。これまでのそれとは違って、これは誰に恥じることのない偉業なのだから。


 みんなが噂をしている『閃光』とは俺のことなのだと、そう言えばいい。ここにはヒュドラを倒した場面を見ているリカさんもルッフルもいる。彼女たちが味方をしてくれれば、全員は無理でも、少なからず信じてくれる人はいるだろう。


 けれど――そうしようとはなぜか思わなかった。むしろ、ばらさないで欲しいとすら思ってしまう。


 ずっと今日みたいな日を待ち望んでいたというのに、どうしてなのだろう?


 照れくさいのだろうか? もしかしたら、照れくさいのかも知れない。


「あの、ライひゅん。そろそろ、手、はなひて欲しいな」


 手のひらにかかる吐息のくすぐったさに気付き、俺は思索から抜け出してルッフルを見る。


 予想外に彼女の顔がすぐ近くにあった。かすかに頬を染めたルッフルは、しかし次の瞬間、真横から漂う冷気に気付いて表情を青ざめさせた。


「ルッフル? ライさん? なにをしているんですか?」


 リカさんがいつの間にか俺たちの傍に立っていた。


「違うんだ、リカさん!」


「そう、違うんだよリカ!」


 俺とルッフルは弾かれたように離れると、悪いこともしていないのになぜかいい訳を口にしてしまう。


「ライさん。ルッフル」


「「はいっ!」」


 俺とルッフルは返事をして、気を付けの体勢を取った。気分はさながら母親に怒られる子供である。


 リカさんは腰に手を当て、眉をつり上げて俺とルッフルをにらみつけると、


「ギルド内で騒いだら、めっ、ですよ」


 なにそれかわいい。


「うがぁあああああ! そんなことは教えてなぁあああああい!!」


 俺がぽかーんと口を開けて驚いていると、いよいよ許容限界に達したルッフルが叫び声をあげて逃げ出した。


 気持ちは分かる。今のリカさん、すごくかわいいんだけど、それ以上に気味が悪い。


「リカさん、なんていうか、その、ご機嫌だな?」


「わかりますか? わかってしまいますか?」


 わかるよ。率直に言って、いつもとキャラが違いすぎて怖いよ?


 リカさんは俺の戦慄の視線にもルッフルの奇行にも動じた様子はなく、聞こえてくる噂にぴくぴくと長い耳をしきりに動かしては、自分の胸に手をあてて感動を噛みしめている。


「聞こえますか? 皆さんがライさんのことを話しています。ついに皆さんがライさんのことを認めてくれたのです。……ああ、この日をどれだけ待ち望んだことか」


「リカさん」


 ぎゅっとリカさんに手を握られる。


 ずっと冒険者である俺の面倒を見てくれた彼女は、心からの笑顔を浮かべて祝ってくれた。


「おめでとうございます、ライさん。本当におめでとうございます。これならきっと、騎士団から声がかかる日もそう遠くないですよ」


 それを聞いて、俺は思った。


 ……本当にそうだろうか?


 そう、俺は思ったのだった。





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