闇を裂く閃光
――そしてライ・オルガスとヒュドラの本当の戦いが始まった。
ヒュドラの九つの頭から同時にブレスが放たれる。
相互干渉すら無視して、ただ怒りのままに目の前の人間を抹殺せんと、その破壊の奔流は放たれた。あらゆる属性が混じり合った一撃は、なにもかもを破壊しながら巨大な爆発を起こした。
先程までのライならば、この攻撃に対する行動はひとつしかなかった。守るべき家族を庇い、真正面から迎撃する道である。
けれど今は彼の信頼する少女がいる。
リカリアーナはすでにライの家族ともう一人を連れて、ブレスの効果範囲外まで逃れていた。ヒュドラのブレスはただ一人、ライを殺すためだけに放たれたもの。射程はさほど長くなかった。
代わりにその威力は人の身で受けきれるものではない。ライも正面からまともに受けようとはせず、ブレスをすり抜けるようにして回避した。
それは同時にヒュドラへと攻撃のために踏み込む行為でもあった。
「おぉおおおオオオオッ!」
裂帛の気合いで剣を振りかぶり、ヒュドラに向かって叩きつける。
ヒュドラの一撃が大地を抉る一撃ならば、彼の一撃は大気を震わせる一撃だった。この眼で見ても信じられない。胴体に痛烈な一撃を受けたヒュドラの巨体が、宙に浮いた。
「はぁあああああアアアッ!」
さらにもう一撃、先程の一撃で刀身が砕けた剣を捨て、近くにあった別の剣を引き抜いて、ライはヒュドラに叩きつけた。
宙に浮かされたことで踏ん張りのきかなかったヒュドラが、盛大な血しぶきと共に吹き飛ばされ、離れた先の地面に叩きつけられる。
強靱な鱗の上から肉を切り裂かれ、あまつさえ衝撃に殴り飛ばされた。そんなことは生まれて初めてだったのだろう。ヒュドラの九つの頭すべてが混乱するかのように惑っている。
その頭のひとつのすぐ傍に、剣を振りかぶったライが現れる。
ヒュドラの眼が大きく見開かれる。これはなんだと結論が出るより先に、その頭は首から切り離されていた。さらにもうひとつ、地面に着地すると同時にそこにあった剣を取ったライによって、ヒュドラの首が切り落とされた。
ここに至って、ヒュドラもようやく理解する。怒りを通り越した危機感に、残った七つの頭が同時にその結論に辿り着く。
目の前の人間は、あるいは自分を殺しうる存在かも知れない、と。
Sランク冒険者であれば、ヒュドラの肌に傷を付けられるものはいるだろう。最高峰の魔法使いならば、その頭を吹き飛ばすことも可能かも知れない。けれどこうも容易くヒュドラの首を落とすことができるものなど、彼ともう一人を除いて他にいないだろう。
「ヒュドラよ、知るがいい」
ルッフルたちがいる丘とは別の方角にある丘の上から戦場を眺めつつ、私は届かないことを理解しながらヒュドラに告げた。
「彼の刃は君の命に届きうる。全力で抗わないと――簡単に死んでしまうよ?」
死の恐怖に突き動かされ、ヒュドラが今度こそ本気となる。
一瞬で失った頭を再生すると、もはや遠ざかっていく誰かには目もくれず、目の前のただ一人にだけ意識を傾ける。そうでなければ殺されてしまうと、生まれながらの強者としての本能が囁いたのだろう。
ブレス、噛みつき、胴体による突撃、尾による攻撃。自分の持ちうるすべてをぶつけて、貪欲に勝利をもぎ取ろうとする。
ライはそれに真っ向から応対した。ブレスを避け、噛みつきは迎撃し、胴体の突撃を即席の足場として利用し、尾の先から身体を切り刻んでいく。
ライが与えたダメージは、すぐにヒュドラの持つ再生力によって回復されてしまう。
けれどヒュドラの再生力は無限ではない。攻撃を受ければ受けるほど、その再生力は落ち込んでいく。再生を上回る密度で攻撃を浴びせられれば、なおさら再生に力を傾ける余裕はなくなっていく。
やがてヒュドラの再生は、斬り飛ばされ、粉砕された頭の再生のみに費やされるようになり、それ以外の力と時間はすべて攻撃するのに使われるようになった。迫り来る竜巻、あるいは押し寄せてくる津波のような圧倒的な破壊力をもって、再生力が完全に尽きるより前にライを消し飛ばそうとする。
ライもまた、決して無傷とはいかなかった。
ヒュドラの攻撃がかすめるたびに肉が抉られ、血が流れ出る。ただそれを不屈の闘志で補っているだけ。怪我の痛みもダメージも存在していないかのように、その攻撃が緩むことはない。
攻撃を見舞うたびに砕け散る得物も、次から次へと持ち変えることによって補っている。初めて扱う得物でありながらも、彼は長年使い込んだ武器のように扱っている。
元々、ライの使っていた武器たちは、彼が本気を出すたびに砕けていたのだ。そのたびに買い換えていたが、剣というものは同じ規格で作られているわけではないため、一振りごとにじゃっかんの違いがある。それを修羅のような修行によって短い期間で自分の手の延長のように扱っていた彼である。もはや初めて手に取る武器も、長年使い込んだ武器も、彼にとって武器という意味では同じなのだろう。
質より量。それがライ・オルガスの武器に対するひとつの結論だ。
無論、自分の本気の一撃に耐えてくれる業物でなければ困るが、それ以外は必要としない。一振り一振りに込められた鍛冶師の想いなど斟酌する様子はなく、次々に砕いては持ち替えていく。
けれど……どうだろうか。
私の目には、まるで彼に握られた剣が光り輝いて見えた。
手に取られ、ヒュドラへと叩きつけられるまでの一瞬。その一瞬こそが、自分が作られた意義なのだと誇らんばかりに輝きを発して、担い手とひとつになってヒュドラの頭を粉砕する。
砕けた刀身は、登り始めた朝日の輝きによってキラキラと輝き、先へと進む男を祝福しているようだった。
そうしてライは戦う。戦場を駆けめぐり、刃を手にとってはヒュドラに臨んでいく。
遠目から見える戦場は、一人の人間と一体の怪物の力によって、もはや最初の原型が分からないほどに変わり果てていた。大地は抉られ、草原は焼き払われ、漂う雲すらも邪魔だとばかりに追い散らされている。
それはまるで絵本や物語に登場する、英雄と怪物の一騎打ちの場面だった。後世に長く語り継がれる英雄譚の一頁が、そこにはあった。
「ああ、素晴らしい。素晴らしい!」
喝采する。賛歌する。目の前で繰り広げられる戦いに、胸が高鳴ってやまない。
これまでわずかな事実と嘘だけで作り上げられていた一人の英雄の姿が、今目の前で一瞬ごとに本物になっていくのだ。それはまさに、私にとって長年待ち望んだ瞬間だった。
世界が変わる、その始まりが此処だった。
「――王都の冒険者ギルドには、最強と噂される一人の冒険者がいる」
斬り飛ばされ、いよいよ再生のできなくなったヒュドラを見ながら、私は謳う。
「曰く、その一太刀は山を切り裂き、海を断つ」
私と同じように目を輝かせながら戦いを見つめている、彼の友人や遅れて戦場に駆け付けた冒険者たちを見ながらそらんじる。
「曰く、毎日のように討伐推奨五十超えの怪物を狩ってくる」
それは故意に広められた噂。作られた英雄像。
けれど――いつか必ずそうなると信じて語られた『理想』だ。
「曰く、ギルドが確認できた最高討伐推奨レベルは七十八のヒュドラである」
その実力はかの『大剣聖』に比類し、あるいは超えるかも知れない英雄。
「その名は――」
そして短くも長く感じられた戦いの決着が着こうとしていた。
八つの首を切り落とされたヒュドラ。残るは毒の吐息を吐き出す頭のみ。だがその最後の頭こそが、ヒュドラの本体と言われている頭だった。
全身を血にまみれさせた邪毒の頭は、同じく全身を血に染めた人間に対して首を持ち上げる。
同時に頭部を失った八つの首も持ち上がり、傷口を壊死させながらブレスの輝きを灯らせる。ヒュドラのブレスは魔力によるもの。頭がなくとも放つことだけはできる。ただ、反動を抑えることができないため、放つと同時に自分の身体が吹き飛んでしまうだけ。
そうして消し飛んだ肉体の損傷は、今のヒュドラにとっては致命傷に届くかも知れない。
けれどやらなければ勝機はない。最後の最後に放つ乾坤一擲の全力こそが、目の前の人間を殺しうる唯一の方法なのだ。
その考えはライも同じ。無数に首を切り落とし、ようやく訪れた撃滅の好機。
ここを逃せばいつ倒せるかは分からない。ヒュドラは予想を超えて辛抱強く狡猾であり、下手をすれば逃走すら選びかねない。そうして人里離れた地で眠りにつき、力を蓄え、長い時をかけて再生力を取り戻して進撃を開始するのだ。
七年前、自分が瀕死のヒュドラを取り逃がしたように、この一瞬を逃せば最悪の脅威が残ってしまう。逃げも隠れもせず、ライは最後に残った剣を手に、真正面から迎え撃つ構えを取った。
……あるいは、目の前のヒュドラこそが、七年前に自分が取り逃がしたあのヒュドラなのかも知れない。
ヒュドラの個体数はかぎりなく少ない。その可能性は高かった。今ここに至ってヒュドラが逃げないのも、散々いたぶられた復讐心を思い出し、倒せるかも知れないという誘惑に打ち勝てなかったのかも知れない。
それが事実なら、あの日取り逃がした私が倒さなければならないのかも知れないが、あの日の冒険に一番後悔を残しているのは、他でもないライだろう。
「さあ、ライ」
私はかつて冒険を共にした少年に告げた。
「これは君が望んだ決着でもある。もう一度、あの日の輝きを私に見せてくれ」
一瞬の無音を経た刹那、ライとヒュドラは同時に動いた。
肉体を四散させながら放たれた、全力を遥かに超えたヒュドラのブレス。毒蛇の頭の下に収束され、混じり合った色は闇を思わせる漆黒に変わった。この一撃にかぎって言えば、かのドラゴンのブレスにも匹敵するだろうと思わせる破壊の鉄槌。
「ッ!!」
ライはそれに対してなにかを叫びなら剣を振りかぶり、渾身の力をもって振り下ろした。
閃光が――闇を斬り裂いた。
研ぎ澄まされた一撃は光の斬撃となって闇のブレスを両断し、最後に残ったヒュドラの頭を消し飛ばして、空へと吸い込まれるようにして消えた。
ライの手の中で刀身が光の粒子となって砕け散る。
同時にヒュドラの残った肉体が闇の粒子となって、大地に還った。
人々を脅かそうとした怪物は滅ぼされ、戦場に残るのは偉業を成し遂げた一人の英雄のみ。彼を祝福するように、登った朝日が薄闇を払い、光が世界を照らし出す。
朝焼けの中で、彼は高らかに拳を空に向かって突き上げた。
『『うぉおおおおおおおおおお――ッ!!』』
歓声が――爆発した。
見ていたのは十を超え、二十に満たない人間でしかなかった。
彼の友人。遅れて到着したキャラバンの護衛や、元々彼の家族を護衛していた冒険者たち。
けれど彼を称える声は、それが数百人の人間の声であるかのような熱と勢いをもっていた。数は少ないが、全員の胸に新たな英雄の姿と名前が刻まれただろう。最後の一撃の輝きは、人々の脳裏に焼き付くほどの閃光だった。
そう、まさしく私が七年前に見たのと同じ輝き。
圧倒的な怪物をさらに圧倒する、純粋なる『力』の輝きだった。
「ライ・オルガス。ああ、やはりこの称号こそが君にはふさわしい」
此処に本当の意味で、王都最強の冒険者は誕生した。
その名は――
「――『閃光』のライ・オルガス」
この日この瞬間の偉業はやがて広まる。広まらずにはいられないだろう。
初めは『閃光』の噂が真実だと皆が知り、やがて此処より紡がれる数々の英雄譚によって、その『閃光』が誰なのかを皆が知るだろう。
そうして世界は変わる。
膿んだこの世界の闇は、いずれ閃光の英雄が切り払う。
「その日のために今は休むといい、我らが英雄よ」
こぶしを握ったまま地面に大の字になって寝転ぶライと、彼へと駆け寄っていくリカリアーナを見て、私は立ち去ることにした。
帰って色々とやらないといけないことがある。
騎士団への対応、圧力をかけてくるであろう教会への対応、色々だ。
けれどそれらのすべてが喜ばしく感じる。かつてこの身体を包んでいた倦怠感はどこにもなく、胸には情熱だけが燃えている。
幼い頃、大好きな女の子に夢を語っていたときのように。
「喜んでくれ、アメリナ。私は今、夢を追いかけている」
私は――ラファエル・グリムドは新しい夢を見ているのだ!
だから、今また再び私はこの仮面を被ろう。
かつてライたちに『仮面の騎士』と呼ばれていた頃に使っていた黒い仮面を取り出し、私は被りながらゆっくりと後ろを振り返った。
「ラファエル隊長、全員が揃いましてございます」
そこには副官のアルベルトを含めた二十七人の黒い甲冑姿の騎士たちの姿があった。
いや、元騎士か。私も含め、もはや全員が王国騎士ではない。今の私はただの冒険者ギルドのギルドマスター。私についてきてくれた彼らも、今はただの一ギルド職員でしかない。
そう、私たちは元より騎士になんてなれる器ではなかったのだ。ギルドナイトという呼び名すら恐れ多い。
「諸君。生まれながらに咎人だと言われた者たちよ。一生を蔑まれ、呪われた人間として生きることを決定付けられた同胞たちよ。あの閃光を見たか」
だからこそ再び黒い鎧をまとい、剣を携え、我らは行こう。
「さあ、時は来たぞ。このくそったれな世界に反逆してやろうじゃないか」
狂おしい情熱だけを胸に。
あの閃光を追いかけて。
――この日から数日後、フレンス王国中にひとつの噂が駆け抜けた。
王都に迫っていたヒュドラの脅威と、そのヒュドラを倒したある英雄の存在。未だライ・オルガスの名は高く轟かずとも、その行いは『閃光』の名を通じて、少しずつ世間に広がっていった。
その光に隠れるように動き出した黒い騎士たちの存在に気付いた者は、今はまだほとんどいなかった。
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