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閃光④



 王都からバランドールに向かう主要街道を、馬に乗って駆けていく。


 ミリエッタと彼女の護衛がヒュドラの接近に気付いていないとしたら、バランドールに向かう主要街道から逸れる理由はない。まっすぐこの道を突き進めば、必ずミリエッタに会えるはずだった。


 問題は俺たちがミリエッタに追いつくのと、彼女たちがヒュドラに遭遇するのとどちらが早いかだ。


「ライさん。ミリエッタさんと言いましたか。彼女の交通手段を知っていますか?」


「馬車を用意してもらったって喜んでたから、きっと馬車での移動だと思う」


「馬車ですか。そうなると、今日だけでかなり進んでいますね。陽が暮れるまでに追いつくのは難しいでしょう。ミリエッタさんの護衛についた冒険者について調べてみましたが、主に王都とバランドール間の護衛任務を受け持っている冒険者たちでした。遅れは期待できないでしょう」


「そうか……」


「ただ、急ぎの旅ではないのですから、夜を徹しての強行軍などは行わないはずです。ましてや、ミリエッタさんは教会からの使いということで馬車まで用意されている身。恐らく今頃、旅慣れていない彼女に気を遣って、早めに夜営の準備を進めているはずです」


 王都を可能なかぎり早く出発したとはいえ、すでに山の稜線には夕焼けの赤が輝いていた。まもなく日が沈み、夜が訪れようとしている。 


 俺たちはミリエッタとの間に開いた半日以上の遅れを取り戻すべく、周囲が完全に夜となっても、馬を休憩させる以外では足を止めることなく草原を走り続けた。


 幸い、ギルドマスターが用意してくれた軍馬はかなりの駿馬であり、なにより並はずれたスタミナを持っていた。短い休息でもその脚を落とすことなく、月明かりの下、力強く大地を駆け続けた。








 それでもさすがに馬が疲労の色を見せ始めた頃、夜の闇の中に明かりを見つけた。


「ライさん、あれを」


「ああ」


 俺たちは煌々と焚かれた炎を目印に、そちらへと馬を向けた。


「止まれ!」


 近付いていくと、向こうからも複数の馬がやってきて俺たちに制止を投げかけた。先頭にいるのは鎧を身につけた、冒険者らしき風貌の男だ。


 その男たちの向こう、たき火の明かりの中にはいくつもの天幕が確認できた。


「どうやらミリエッタさんたちではなく、別のキャラバンのようですね」


 リカさんの言うとおり、俺たちが見つけたのはバランドールから王都に向かってきていた商人のキャラバンのようだった。


 その護衛を引き受けているであろう冒険者たちは、突然やってきた俺たちを警戒する眼差しで見た。


「こんな夜遅くに馬を走らせてなんの用だ?」


 三十を超えた熟練らしき冒険者の男は、手に持った松明の明かりを俺たちに近付け、そこでリカさん長い耳に気がついた。


「エルフ? よく見たら、あんた冒険者ギルドの受付嬢か?」


「はい。リカリアーナ・リスティマイヤです。あなたはたしか、Aランク冒険者の――」


「ダイナスだ」


「そう、ダイナスさんでしたね」


 向こうがリカさんのことを知っていたように、リカさんもこの冒険者のことを知っていたらしい。生憎と俺は知らない相手だったので、ここはリカさんに任せて口を噤んでおくことにした。


 リカさんの姿にいくらか警戒がゆるめたダイナスだったが、リカさんがヒュドラのことを説明すると、途端に顔色を変えた。


「ヒュドラ? ヒュドラがこっちに向かってきているのか!?」


 その思わず出てしまったという感じの大声は、キャラバンの人たちにも聞こえていたようだ。一気にキャラバン全体が騒がしくなり、慌てて皆が荷物をまとめ出す。


「なんてこった。おい、すぐに出発するぞ!」


「へい!」


 リーダーであるダイナスの指示に、パーティーメンバーたちが慌ててすっ飛んでいく。


「悪い。助かった。ヒュドラが現れたなんてまったく知らなかったぜ。すれ違った同業者もそんなことは言ってなかったからな」


「同業者? もしかして」


 リカさんがミリエッタの護衛を引き受けた冒険者の名前を口にすると、ダイナスは首を縦に振った。


「間違いない。俺たちがすれ違ったのはそいつだ。バランドールに向かってるって言ってたから心配だな」


「それっていつ頃の話なんだ?」


 思わず二人の話に口を挟むと、ダイナスは「陽が暮れ始める一時間前くらいだ」と教えてくれた。


「教会の人間みたいだったから、一緒にたき火を囲もうとは提案しなかったが、そいつらはもうすぐ夜営の準備をするって言ってた。ここからはそこまで離れてないと思うぞ」


「ライさん」


「ああ、急ごう」


 再び馬に乗り込み、走らせようとする。


 だがその直前、誰かが甲高い悲鳴をあげた。


「モンスターだ! モンスターが近付いてきてるぞ!」


 その叫び声を聞いて誰もがヒュドラの接近を考えた。けど現れたのはヒュドラではなく、別のモンスターであった。すぐに護衛の冒険者が飛んでいって、襲ってきたモンスターを迎撃する。


 相手はそこまで強いモンスターではなかったらしい。すぐに片は付いた。問題は倒したところで、すぐに新たなモンスターが現れたと悲鳴があがったことだった。


「リーダー! まずいぞ! 次から次へとモンスターがやってくる!」


「んだと!?」


 ダイナスが避難を始めるキャラバンの最後尾に向かう。俺とリカさんもそれについていき、彼と一緒にそこにあった光景に息を飲んだ。


 闇の中に輝く無数の赤い瞳。たまたま通りかかったモンスターが、腹を空かせて襲いかかってきたのではない。偶然遭遇したとは思えないほどたくさんのモンスターが、このキャラバンを目指して迫っていた。決して弱くはない、むしろ強者がそろったダイナスのパーティーが思わず顔をを引きつらせるほどには危機的状況だった。


「悪い。あんたも冒険者なら手を貸してくれないか?」


「いえ、ライさんは先を急いでください。あれは間違いなく、ヒュドラによって縄張りから追い立てられたモンスターです」


 リカさんがダイナスに話しかけられた俺の前に出て、短刀をかまえながら言った。


「つまりヒュドラが近いということです。すぐにミリエッタさんを探しに行ってください。ここは私だけで十分です」


「おいおい、あんたはギルドの受付嬢だろ? うちの商人たちと一緒に逃げてくれよ」


 リカさんの裏の顔を知らないラグナスが当然の言葉を投げかけるが、リカさんはそれには答えず夜の闇へと溶け込むように消えた。直後、他の冒険者へと忍び寄っていたモンスターが、断末魔の悲鳴をあげて地面へに転がった。


 さらにリカさんは迫るモンスターを先頭から手早く仕留めていく。その鮮やかな手並みは、ダイナスを黙らせるのに十分だった。


「ライさん、早く!」


「悪い! 任せた!」


 リカさんの好意に甘え、俺は自分の馬に飛び乗って走り出した。


 ダイナスたちの話が事実なら、ヒュドラだけはなく、ミリエッタの馬車もかなり近いはずだ。どこからか現れるモンスターをすれ違い様に切り捨てながら、全力で駆け続ける。


 そのとき、視界の端の方で土煙が上がっているのを見つけた。


 なんだ? と思うより先に視界へと入り込んできた巨大な影。


 ――どくん、と心臓が大きく跳ねた。


 記憶の中のモンスターと、こちらへと長い身体をくねらせながら迫ってくるモンスターの姿が一致する。


 遠目でも見間違えるはずがない。家をも丸呑みにしてしまいそうなほどの巨体に、九つの首。這うだけで大地が削れ、地響きが押し寄せてくるようなモンスターなど、俺はこいつ以外に知らない。


「ヒュドラ……!」


 その姿を再び目の当たりにして、全身が恐怖で縫いとめられる。乗っていた馬も俺の恐怖を感じ取ったように暴れ出した。


 逃げないと。人として当然の思考の帰結として、俺はそう思った。手綱を引き、ヒュドラとは別の方角へと方向を変えようとする。


 その中で俺は見つけた。見つけてしまった。ヒュドラの強大すぎる存在感に隠れていたが、ヒュドラから必死になって遠ざかろうとする一台の馬車の姿があった。馬車の窓からは、見知った妹分の不安そうな顔がのぞいている。


「ミリエッタ!」


 大声で名前を呼ぶと、ミリエッタがこちらに気がついた。安心したような微笑み。


 直後、ヒュドラがその九つの頭のひとつから稲妻のブレスを吐き出した。落雷が地上に落ちたような轟音と共に、ミリエッタを乗せた馬車の目の前の地面が爆発した。馬車を引いていた馬は轟音と衝撃、そして雷撃によって動きを止め、馬車は横転。走ってきた勢いのまま地面の上を滑っていく。


「ミリエッタぁあああ!!」


 そして、ヒュドラはそれで止まらなかった。すぐ近くで足を止める。その縦に裂けた獣の眼差しは、他のものには目もくれず、まっすぐ動かなくなった馬車へと向けられている。


 九つの頭のひとつが大口を開いた。


 その口内に生まれる灼熱の炎を見て、俺はずっと胸の中にあったヒュドラへの恐怖を忘れた。


 馬の背から飛び降りると、ヒュドラとの距離を刹那の間に詰め、思い切り地面を蹴って剣を振りかぶった。


「俺の家族に手を出すなッ!」


 そしてまずは一撃、ヒュドラの鼻面へと攻撃を叩き込んだのだった。





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