閃光③
ヒュドラが現れたのは、王都とバランドールの間に広がる平原だという。
「第一発見者はうちの冒険者だ。彼らはすぐにヒュドラの存在を報告してくれた。そこから色々と事実確認に動いた結果、ヒュドラの出現は間違いないことが判明した」
執務室にやってきた俺を前にして、ギルドマスターは今起きている事態の詳細を教えてくれた。
「幸い、と言っていいかはわからないが、ヒュドラは防衛力の低いバランドールではなく、この王都に向かってきている。それもそこまで進行速度は早くない。確認された進行速度から推測して、到着は明日の夜頃になるだろう。我々冒険者ギルドは、騎士団と協力してこれを迎え撃つことが決定した」
対ヒュドラ防衛戦だ。かつて山奥の洞窟に現れたヒュドラとは違い、人里近くに現れたヒュドラは迫り来る災害、あるいは攻め込んでくる敵国の軍隊のように扱われる。ヒュドラがその気になれば、城壁に守られた街とはいえ被害は甚大なものになるだろう。
場所がこのフレンス王国の王都でなければ、の話だが。
「だが心配は要らない。今、この王都には『大剣聖』閣下が戦える状態で待機されている。討伐隊として動くのは彼率いる騎士団の精鋭になるだろう。我ら冒険者ギルドが相手にするのは、ヒュドラに追い立てられて暴走したモンスターくらいのものだろうさ」
小国ならば滅亡しかねない緊急事態も、超越者を擁するフレンス王国ならば、わざわざ非常事態宣言を出すまでもない。
ギルドマスターもさほど緊張した様子はなく、口元にはいつもどおりの笑みを浮かべている。
「ただ、我々にも面子というものがある。すべてを騎士団に任せて傍観することはできない。そこで数名だが討伐隊にうちの冒険者を組み込んでもらう許可をもらってきた」
「もしかして俺をここに呼んだのは?」
「そう、君が望むなら、この討伐隊への参加者に君を推薦しようと思ってね」
「ライさんを討伐隊に!? 本当ですか!?」
これには黙って部屋の隅に控えていたリカさんも驚きの声をあげた。
そのあと長い耳をピンと立て、見たことがないくらい興奮した様子で俺に話しかけてくる。
「ライさん、是非とも参加するべきです! 討伐隊に参加すれば、『大剣聖』はもちろん騎士団の精鋭の方々に顔を売る大きなチャンスとなります! これを機にライさんの夢である騎士になれる可能性も、決してなくはありません!」
「リカリアーナくんの言うとおりだ。まったく危険がないわけではないが、なぁに、ヒュドラ自体は『大剣聖』閣下に任せておけばいい。君は道中の露払いでその実力を見せればいいんだ。それで十分高い評価は勝ち取れるだろう」
ギルドマスターは椅子から立ち上がると、用意してあった羊皮紙を俺に差し出した。
そこに署名することが、討伐隊に参加するという意味なのだろう。
「これまでギルドマスターとして、様々な決まり事があって君を正当に評価することができなかったが、君の努力は誰よりも傍で見てきたつもりだ。君なら我がギルドの代表として、実力、人柄共に申し分ない。堂々と胸を張って参加するといい」
それはとても嬉しい申し出だった。ずっと待ち望んでいた言葉だった。
騎士になる千載一遇のチャンスだ。二つ返事で頷きたい。
けれど。けれど、俺は……。
「……その討伐隊、出発するのはきっと明日になりますよね?」
「恐らくね。『大剣聖』閣下は今にも飛び出していきたいだろうけど、それを許されない身の上だ。出発はヒュドラがある程度近付いてきた頃、恐らくは明日の午後となるだろう」
「ライさん、なにか問題があるのですか?」
俯く俺を見て、リカさんが心配して声をかけてくれた。
「ライさんの夢を叶える大きな一歩なのです。私に協力できることがあれば、喜んで協力しますので。どうぞなんでも言って下さい」
「……ありがとう、リカさん」
顔を上げ、心からの感謝をリカさんに伝えた。
「けどごめん、俺は討伐隊には参加できない」
「ど、どうしてですか!? せっかくのチャンスなのですよ!?」
「わかってる。けど俺の妹分が、今朝バランドールに向かって出発したんだ。このままだとなにも知らないまま、ヒュドラに遭遇してしまうかも知れない。今すぐ追いかけて教えてやらないといけないんだ」
「そんな……このタイミングでなんて……」
リカさんは俺よりもショックを受けた様子だった。長い耳がへにゃりと下がる。
けどすぐに覚悟を決めた様子で、グッと胸の前で拳を固めて俺に詰め寄った。
「ならば、その役目は私が引き受けます! ライさんの妹さんは私が必ず守って見せます! だからライさんは討伐隊に参加して下さい!」
「ダメだよ、リカさん。相手はあのヒュドラだ。いくらリカさんでも遭遇したら命がない」
「私の命など、ライさんの夢のためなら惜しくはありません! 元はと言えば、あなたに救っていただいた命なのですから!」
リカさんがその言葉を本気で言ってくれているのはわかった。けどその気持ちを受け取るわけにはいかなかった。
「……このままリカさんにすべてを託して、それでもしも運悪くリカさんがヒュドラに遭遇して死ぬようなことがあったとして、それでもしかしたらリカさんは本望なのかも知れないけど」
それくらいの強い覚悟が伝わってきたけど。
「やっぱりダメだ。それじゃあ俺の夢は叶わない。騎士になることはできても、格好いい騎士にはなれないから」
「ライさん……」
「だからごめん、ありがとう。俺はやっぱり、自分でミリエッタのところに行く」
俺はギルドマスターに向き直った。
「本当にいいんだね?」
ギルドマスターは笑みを消して、真剣な顔で最後の確認を口にした。
俺は迷わなかった。
「はい。構いません」
「そうか。……そうか」
ギルドマスターは深く頷くと笑顔を浮かべた。いつもの穏やかな微笑みではない、どこか熱に浮かされたような深い歓喜の笑みを。
「ああ、それでこそ君だ。私の知っているライ・オルガスだよ!」
大きく手を広げて俺に近付いてくると、俺の両肩に手を置いた。
「素晴らしい! 実に素晴らしい! そうさ! 君は騎士になどならなくとも、今のままでもっとすごい存在になれるだろう! 私はそう確信しているよ!」
「ギルドマスター?」
「せめて、そんな君のために少しでも私に力を貸させて欲しい。とびきり早い軍馬を用意しよう。たくさんの武器を用意しよう。君がヒュドラと心おきなく戦えるように、ああ、協力は惜しまないとも!」
それはまるで、俺が必ずヒュドラとぶつかり合うかのような口ぶりだった。
俺はミリエッタを危険から遠ざけたいだけで、ヒュドラと戦うつもりなんてないのに――ギルドマスターは確信した様子で、未来を予言するように告げた。
「恐れることはない。君は君の力を信じて戦えばいい。そうすれば、ヒュドラなんて敵じゃない。ライ、君には世界を変える力があるんだから」
◇◆◇
ヒュドラ接近の報を受けて、慌ただしく兵士たちが行き交う王都の入り口前で、俺はギルドマスターが用意してくれた足の速い軍馬にまたがった。
同じく、用意してくれると言っていた武器は後から届けてくれるという。あんな様子のギルドマスターはこれまで見たことがなかったから、どこまで本気なのかと最初は疑ったが、どうやらギルドマスターは本気の本気らしい。
「ヒュドラ、か」
ギルドマスターが必ず戦うと予言したモンスター。
その名を聞いて思い出すのは、あの後悔しかない冒険の記憶だった。
かつて俺はヒュドラと戦い、まったく歯が立たずに敗北した。戦いの中で意識を失い、仲間の足を引っ張った結果、そのとき一緒に冒険に出た仲間の一人が今も戻って来ないままだ。
あのときほど、自分の弱さを痛感したことはない。ヒュドラは俺にとって恐怖の象徴だった。馬の手綱を握る手が、小刻みに震えるのがわかった。
「では行きましょうか、ライさん」
怖気づく俺を促すようにそう言って、もう一頭の馬に騎乗したリカさんが近付いてきた。
「リカさん。本当に付いてくる気なのか?」
「はい。この異常事態です。この先なにが起きるともかぎりません。ライさん一人では手に負えない事態が起きたときは、私が全力でサポートさせていただきますので」
黒い戦闘服に身を包んだリカさんは本気のようだった。
リカさんが付いてきてくれるなら、これほど心強いことはない。けれど俺の脳裏には、ヒュドラによって身体を食いちぎられた誰かの姿がちらついた。あれは果たして夢だったのか、それとも現実だったのか。どちらにせよ、俺にとって最大の後悔となった記憶だ。
たとえリカさんが強くとも、ヒュドラには敵わない。その攻撃に巻き込まれてしまったら、またあのときのような惨劇が起きてしまうかも知れない。そう思うと怖かった。
リカさんも俺の震えには気付いているだろう。その上で、見て見ぬふりをしてくれた。
俺に向けられた微笑みには信頼があった。なにがあっても大丈夫だと、その真摯な眼差しが訴えかけている。
「付き合わせて悪い」
「ライさん。そこは謝るところじゃありませんよ」
「……そうだな」
俺は震えを消し去るように強く手を握り、向けられた信頼以上のものを声にこめて言った。
「ありがとう、リカさん。俺に付き合ってくれ」
「はい、どこまでもお供します」
馬の横腹を蹴り、城門を潜る。
「今行くからな、ミリエッタ!」
もう二度と誰も大切な人をヒュドラには奪わせない――俺たちは風になって、王都を飛び出した。
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