閃光②
「……悪いとは思ってるよ」
捕まってしまったところで抵抗を諦め、俺はミリエッタに素直に謝った。
五年前、冒険者になるため孤児院を飛び出してから一度も帰らず、帰ってきてと書かれていた手紙を無視し続けていた俺が全面的に悪い。お金だけ仕送りしていればいいというわけではないのだ。
「ライお兄ちゃん。わたしはね、謝って欲しいわけじゃないの。ただ、理由を教えて欲しいだけなの」
頭を下げてもミリエッタは許してくれなかった。吐息がかかる至近距離まで顔を近付けてくる。溜まりに溜まった鬱憤は、もはや理由がなければ消えないところにまで来ているらしい。
仕方がない。これは本当のことを言わなければおさまらないだろう。
「システィナがさ、割とよく孤児院に帰ってるだろ?」
「うん。大体二週間に一回くらいかな? うちに寄ってくね。最近はもうちょっと頻度が高いけど」
「それってたぶんシスティナに嫌なことがあって、気晴らしのためにそっちに帰ってるんだと思うんだよ。あいつ、聖女になって色々大変だろうし、いつ帰ってもいいようにしてやりたい」
「つまりライお兄ちゃんがいるとシスティナお姉ちゃんの気が休まらないから、お兄ちゃんは帰って来ないと」
「そういうことだ」
「まあ、なんかお兄ちゃん、五年前くらいからお姉ちゃんにものすっごく嫌われてたからね。あの凍える眼、偶に夢に見てゾクゾクするよ」
ミリエッタは納得したように頷き、手を離してくれた。俺への態度が急変したシスティナを、彼女も見ている。俺がいるとシスティナが休まらないというのは理解できるのだろう。
「けどお姉ちゃん、いつもお兄ちゃんのこと心配してるよ? 健康には気を付けてるのかとか、誰かに虐められてないかとか、年頃だしあっちのお店にはまってないかとか」
「最後の奴、え? 本当に?」
「あ、違った。最後のはわたしの心配だった」
「おい」
「いいよ。大丈夫。わたしには分かってるから。システィナお姉ちゃんにはなにも言わないから安心してね」
「お前、本当にシスターだよな?」
前々から思っていたが、こうして久しぶりに話してみて改めて思った。昔からちょっと感性が人からずれている奴ではあったが、その部分が変な方向に進化している。これで神学校は主席卒業だったというのだから恐ろしいものである。
昔はちょこちょこと俺たちのあとを付いてきては、物陰からじっと遊んで欲しいなぁと言うように見つめてくるような可愛い奴だったのに。どこで育て方を間違えてしまったのか。
「ミリエッタも変わったな」
「うん。色々と成長したからね。特に胸が大きくなったからね」
「俺がそこに注目してるような返しはやめろ!」
「ちなみにシスティナお姉ちゃんはもっと成長してたよ?」
……言われてみれば、この前見たときのあいつの胸は。
「ライお兄ちゃん」
「誰もシスティナの胸のことなんて考えてないぞ」
「そうじゃなくてさ」
ミリエッタは少し前までふざけていたとは思えない真剣な顔で俺を見ていた。
「わたしも、おチビさんたちも大きくなった。みんな成長してるよ。だからお姉ちゃんだって、きっと成長してる。あのときなんでお姉ちゃんがお兄ちゃんを避けてたのかはわからないけど、一度会ってみようよ。もしかしたら昔みたいに戻れるかも知れないよ?」
「ミリエッタ」
「あなたの妹はね、手のかかるお兄ちゃんとお姉ちゃんのことが心配なの。二人とも相手のことを心から心配してるのに、相手の考えを尊重してさ。自分の思いには蓋をして。見ているこっちの方が辛いの」
「ミリエッタ、俺は……」
「わたしは二人に幸せになってもらいたい。だから、だからね」
俺からの否定の言葉を聞きたくないのだろう。ミリエッタはまくし立てるようにして言った。
「わたしは意地を曲げて欲しい。夢を叶えてからとかそういうんじゃなくて、一度話し合って欲しい。システィナお姉ちゃんと会ってあげて、お兄ちゃん」
それはミリエッタがずっと胸の奥にしまっていた言葉なのだろう。
一番俺たちの近くにいて、俺たちのすれ違いを見ていたのはミリエッタだ。
「……悪かったな」
もう一度、今度はより感情を込めて謝った。
院長先生が死んでから、外に出て行ってしまった俺たちの代わりにみんなの親代わりであろうとした彼女は、きっと誰にもこのことを相談できなかったに違いない。ずっと心配かけ続けてしまったことは、兄貴分として申し訳がなかった。
「けど俺もようやく気付いたんだ。このままじゃいけない。どうにかして、システィナともう一度会わないといけないって」
「本当に?」
「疑う気持ちはわかるけどな。本当だよ。だからボンマックに頼んで、教会関係者に会えるようにしてもらったんだ。そしたらお前が来たんだよ」
「え? じゃあわたしがわざわざ言わなくても」
「システィナには一度会おうと思ってる」
「…………」
ミリエッタの顔が、赤い髪みたいに赤くなっていく。
「そ、そう? うん、いいことだと思うよ? そういうことならわたしも協力するし、むしろそれを察して今回のこれをボンマックさんから引き受けたといっても過言じゃないし」
「ミリエッタ。別に照れることないぞ?」
「て、照れてないし。キャラに似合わないこと言ったとか思ってないし」
「ミリエッタ」
不器用だが優しい妹分の肩に手を置いて、俺は笑って告げた。
「ありがとな」
ミリエッタは口元をもにょもにょさせると、やや顔を俯かせ、手で口元を隠して小さな声で囁いた。
「……どういたしまして」
そういう仕草は俺とシスティナのあとをちょこちょこと付いてきた頃の、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な小さなミリエッタのままだった。
◇◆◇
さすがにミリエッタも、今のシスティナと直接会って欲しいと聖堂まで行って頼むことは難しいらしい。
「わたしにできるのは、今後お姉ちゃんが孤児院に来たとき、お兄ちゃんが会いたがっていたのを伝えることかな? おチビさんたちをけしかけて逃げられなくしたところを、すぐにお兄ちゃんに伝えるね」
「頼む」
ミリエッタを孤児院まで見送りながら、俺たちは今後のことについて話していた。
とても今更だが、システィナと会うのに最初からミリエッタを頼るべきだった。
そういう意味ではボンマックは素晴らしい仕事をしてくれた。待ち合わせ場所にミリエッタがいたときは、今度からボンちゃんと呼んでやろうかと思ったが、これからはボンマックさんと尊敬を込めて呼ぼう。
「けど明日からちょっとバランドールまで行かないといけないから、そのときにお姉ちゃんが来ると対応が難しいかな?」
「バランドールに? またどうして?」
バランドールは王都の南に位置する街だ。王都ほどではないがそれなりに栄えている街で、さらに西に行ったところにある港町から入ってきた交易品を、王都や他の街へと循環させる中継点となっている。
王都からは大体歩いて三日ほどの位置にあるため、近いといえば近いが、孤児院の院長が気軽に行くような場所ではない。
「教会のお使い。ちょっと頼まれちゃって」
「お使いか。そういえば、ミリエッタは教会ではどんな立ち位置にいるんだ? ただ孤児院の院長の座をぶんどってきたとか、そういう感じじゃないみたいだけど。ボンマックとも知り合いみたいだし」
「ボンマックさんとは一昨日初めて会ったばかりだよ。ボンマックさんと知り合いなのは、システィナお姉ちゃんの秘書をしてるパーシーさんって人だよ。わたしはパーシーさんから紹介されて、ボンマックさんに会っただけだから」
「まあ、システィナに近しい人間が誰かって探せば、お前が紹介されるよな」
「そう、わたしの立ち位置的には、本当にシスティナお姉ちゃんへの伝言役みたいな感じかな? 教会の上とつながりがあるわけではないけど、公私ともにシスティナお姉ちゃんとは付き合いがあるから、偶にその関係で頼まれ事をしてるわけです」
「じゃあ今回のお使いも?」
「うん。さっき言ったパーシーさんから頼まれた、教会上層部へのお届け物。一応は聖女様からの使いである教会関係者が、バランドールにいる司祭様に届けるようにだって」
フィリーア教は、このフレンス王国よりさらに南に行ったところに総本山を構えている。国ではないが小さな国に等しい場所で、さらにその中心地、聖都ノイキタニアと呼ばれるフィリーア教の聖地に教会の首脳部は置かれている。
指導者である聖女はもちろんその聖地にいるものなのだが、システィナは公務で聖地に出かけることはあっても、基本的にはフレンス王国に腰を落ち着けていた。歴代の聖女では珍しいが、これまでいなかったわけではない。一応、首脳部からも黙認されているようである。
「初めてじゃないなら分かってるとは思うけど、王都の外に出るときは近くてもちゃんと護衛を雇えよ?」
「大丈夫。護衛の手配はきちんとしてもらっているから。一応、Aランク冒険者パーティーの人たちが護衛を引き受けてくれることになってるみたい」
「Aランクか。それなら大丈夫だな」
「もし心配だったら、ライお兄ちゃんが護衛として付いてきてくれてもいいけど? 経費では落ちないけど、ライお兄ちゃんを雇うくらいの余裕はあるからね」
「はいはい、どうせまだ俺はEランク冒険者ですよ」
「いや、そっちじゃなくて。ライお兄ちゃんが仕送りしてくれるお金が多すぎるって話。フレミアちゃんから聞いてないの?」
「聞いてるよ。わかってるさ」
「いやその顔は絶対にわかってないから。本当に、本当に大丈夫だからね? たとえシスティナお姉ちゃんからの仕送りも止まっても、十年は問題ないくらいの蓄えができてるからね? 一応、わたしも資産運用してちょっとずつ増やしてるし。今度の事業が上手くいけば、一気にお金の問題は解決するから」
「資産運用? 今度の事業?」
「ああうん、やっぱりちょっとどこかに寄ってもう少し話そうか? お兄ちゃん」
「いや、大丈夫。難しい話は――」
「さっきからそわそわしてる原因のパーシーさんについても教えてあげるよ?」
「仕方ないな。あの喫茶店でいいか?」
別にシスティナの近くにいるそのパーシーさんなる男性が気になっているわけではないが、システィナについてもう少しきちんと向き合っていこうと決意したわけであるからして、秘書という手がかりになりそうなその人物について教えてくれるというならやぶさかではないだけである。
それから陽が暮れるまで、俺は久しぶりに会った妹分と色々な話をしたのだった。
結論から言うと、仕送りについては、もう一度真剣に自分の将来のこととか合わせてよく考えてみることを約束させられた。そしてパーシーさんはシスティナのパシリをさせられているエルフの男性とのことだった。パシリて。
顔も知らないそのエルフの男性に、俺はあいつの幼なじみとして謝りたい気持ちでいっぱいだった。もしも会うことがあれば、そのときは優しく接してあげよう。
「じゃあ、お兄ちゃん。今度絶対に遊びに来てね。絶対ね」
「わかってる。約束はきちんと守るから」
「うん、待ってる。みんなで歓迎するから」
もう一度固く約束をしたあと、俺とミリエッタは喫茶店の前で別れた。五年間も離れていただけに、今すぐ孤児院に帰るという覚悟はさすがにできなかった。
「またね、ライお兄ちゃん。今度はシスティナお姉ちゃんと一緒にお茶しようね」
子供みたいに大きく手を振りながら、ミリエッタは孤児院へと帰っていった。
「まだまだ、院長先生のようなみんなのお母さんにはほど遠いな」
それでもミリエッタにこの先も俺たちの家を守って欲しい。彼女がいてくれれば俺たちの家は大丈夫だと、立派に成長した妹分の背中を見送りながら俺は思った。みんなのお母さんはまだ無理でも、きっとみんなのお姉さんのような存在にはなれているだろう。
まあ、どれだけ成長しても、俺とシスティナにとっては甘えん坊な妹のままなのだが。
◇◆◇
事件が起きたのはその翌日の昼頃のことだった。
偶々早めに狩りを終えて、冒険者ギルドで買取査定を待っていると、突然ギルド内が騒がしくなった。ギルド職員たちが忙しなく動き始め、緊迫した気配がその場にいた冒険者たちにも伝わってきた。
「ライさん」
リカさんが早歩きで近付いてくると、俺の耳元で囁くように言った。
「問題が発生しました。申し訳ありませんが、一度ギルドマスターのところまで来てもらっていいでしょうか?」
「ギルドマスターのところに?」
「はい。バランドールの街の近くであるモンスターの姿が発見されたのです」
バランドールと聞いて俺の脳裏に、ミリエッタの顔が思い浮かぶ。
そんなことは露知らず、リカさんは他の冒険者には聞こえないよう、その不吉の名前をはっきりと口にした。
「ヒュドラが現れました」




