閃光①
「――俺と顔を会わせたときのあいつはシスティナじゃなかった」
俺の発言を受けて、ニルドは少し酔いがさめた様子で眉をひそめた。
「ライ。システィナさんじゃなかったってどういうことだい?」
「そのままの意味だ。あのときシスティナはシスティナだったけど、システィナじゃなかったんだ」
「ちょっと待ってくれ」
ニルドは水を頼んで一気に呷ると、何度か首を振って酔いを吹き飛ばす。
「話を整理させて欲しい。まず君はシスティナさんが聖女として選ばれたあと、彼女に直接顔を会わせたんだよね?」
「だから違うんだ。俺は顔を会わせてない。俺と会ったときのあいつは、システィナの顔をした別人だった」
「すまない。まったく意味がわからない」
「なんて説明したらいいかな……」
あのときの違和感を、いや、これまでの違和感を言葉にするならこうだろう。
「システィナの中に別人がいるんだ。それで、俺と会うときだけそいつは表に出てくる。まるで俺とシスティナが直接顔を会わせるのを邪魔するみたいにな」
ちょうどそうなったのは、院長先生の病気を治す薬を取りに行ったあとのことだ。ヒュドラとの戦闘の影響によって二週間も眠っていた俺が次に目を覚ましたとき、システィナはすでにああなっていた。
「そいつは俺のことを冷たい目で見てくるんだよ。目の色をシスティナとはまったく違う金色に変化させてな」
「ライがシスティナさんを怒らせて嫌われた、とかではなく?」
「最初は俺もそう思ったさ」
凍える瞳でにらまれ、嘲笑と共に罵倒を浴びせられた。
システィナは気の強い奴だったけど、あんな風に俺のことを悪し様に罵ったことはそれまでなかった。むしろ逆で、落ち込んだとき励ましてくれていただけに、彼女に冒険でのことなどを責められて深く落ち込んだのを覚えている。
けれど徐々に違和感を覚えるようになった。
目の色が変わっていたから、だけではない。ずっと一緒に育ってきた俺だからわかるのだ。目の前にいるシスティナの顔と声をした奴が、システィナじゃない誰かなのだと。
「けど間違いない。あれはシスティナじゃない。別の誰かがシスティナの中にいて、そしてそいつは俺のことを深く憎んでる」
それこそ王城の前に集まった無数の人の中から俺を即座に見つけ、この世界はステータスがすべてなのだと、そう俺に向けたメッセージを発信するくらいに。
「……君が言うんだ。きっとそれは事実なんだろう」
ニルドは俺の言うことを笑い飛ばさずに信じてくれた。
その上で深刻そうな顔で考え込む。
「問題はシスティナさんがその誰かに気付いているかどうかだね」
「気付いてるに決まってる。俺でさえ気付いたんだぞ? あいつが自分の中に潜むそいつに気付いていないはずがない」
「けれど、そうなるとあのシスティナさんがなんの行動にも出ていないというのはおかしいだろう? システィナさんなら、どんな手段を使っても君を憎むような同居人は追い出そうとするはずだ。ましてや君との逢瀬を邪魔するような相手だ。消し去ることに躊躇なんてないだろう」
「俺もそう思う。魔法かスキルか、どんな理由かはわからないが、無理矢理乗っ取られているなら確実に反逆してるはずだ。逆を言えば、今もまだそうしていないってことは――」
「そうせざるを得ない理由がある、ということだね」
果たしてそれはなんなのか? あのシスティナをして、自分の肉体を差し出すような理由とはなんなのだろう?
俺にはそれがわからなかった。
色々と自分なりに調べてみたけど、まったく手がかりがつかめない。
わかっているのは、タイミング的に聖女になったことが関係していることと、あいつがあいつなりに考えて今の状況を許しているということだ。その上で俺にこう願っている。
どうか夢を叶えて欲しい。騎士になって欲しい、と。
「……ボクにもシスティナさんの考えはわからない。十中八九ライが関わっているだろうけど、断定するには情報は足りない」
ニルドもまた、俺の話からでは事の全容をつかみかねているようだった。
当然か。ニルドがシスティナに会ったとき、あいつは俺たちのよく知るシスティナだったのだから。
「直接システィナさんに会う機会があれば問い質すこともできるんだけど、今のボクでも彼女に直接会うのはかなり難しい」
「たぶん、直接会ってもはぐらかされるだけだと思うぞ。俺たちに隠す必要のないことなら、とっくの昔になにかしらの手段で伝えてる」
「弱味等を握られて言えない、という可能性は?」
「ないとは言い切れないが、システィナ姐さんだぞ?」
「弱味を握られようものなら怒髪天をついている、ということだね。けどその気配はなかった。やはりある程度本人も今の状態を許容しているということか」
結論はそこに落ち着く。けれど、これが真実だという保証はどこにもない。
「……やはりダメだな。現状の情報量ではどうしようもない。もっと調べてみないと」
「協力してくれるのか? これはただ、俺がシスティナに会えないってだけの問題なんだぞ?」
「それだけとは限らない。君だって、聖女が代々短命なことは気になっているだろう?」
「……まあな。その死因がすべて自殺だって変な噂もあるし」
「システィナさんにかぎって自殺なんてするわけがない。ボクも君もそう思っている。けど気になっていないわけでもない。――協力するよ。当然だろ?」
「悪いな」
「気にしないで。ボクたちは幼なじみなんだから」
「それもそうだな」
「そうさ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。変わらないなこいつは、と今きっとお互いに思っているに違いない。黙って話を聞いていた親父さんも、先生と呼ばれていた頃のように俺たちを微笑ましそうに見守っている。
「さて――となると、まずは教会関係者に今のシスティナさんの様子について話を聞くのがいいかな。システィナさんに近しい相手なら、なにか知っている人もいるかも知れない」
「そんな都合のいい相手がいるか? システィナはあれで聖女なんだから、近しい相手も教会の上の方の人間だろ?」
「そうだね。難しいかも知れないな」
ニルドと二人頭を悩ませる。どこかに伝手でも転がってないだろうか?
「――話はすべて聞かせてもらった」
そう思っていると、突然そんな声がニルドとは逆方向から上がった。
これまでカウンターに突っ伏して眠っていたはずのボンマックが起きあがり、俺のことを見ていた。
「ボンマック、起きてたのか?」
「ああ。話はすべて聞かせてもらった。事情を知っていそうな教会関係者なら、我が輩に心当たりがある。会えるように取り計ろう」
「本当か!?」
「ふっ、任せろ」
ボンマックはまるで至極簡単な仕事のように請け負った。
すごい。ボンマックにはそんな伝手があるのか。
ニルドもまた驚いた顔でボンマックを見ていた。
目の前のドワーフが実は凄腕の鍛冶師で、騎士団にも伝手があると聞けばきっとさらに驚くに違いない。
「結果は追って連絡を入れよう。……どうすれば連絡が取れる?」
「俺はここに泊まってるから、親父さんに伝えてくれれば俺にも伝わる」
「ああ、確実にライに伝えよう。俺がいなければ、妻か娘に伝えてくれ」
ボンマックは頷き、決して忘れないように『黄金の雄鶏亭』の場所をもう一度親父さんに確認する。
「ありがとな、ボンマック」
「気にするな。我が輩にとっても益のあることだからな」
そうは言っても、俺の手伝いなんてボンマックには一銭の得にもならないだろう。純粋に好意だけで引き受けてくれたのだ。感謝しかない。
せめてものお詫びとしてもう一度お酒を奢ろうとしたが、ボンマックは地図を忘れたら問題だからな、と丁重に断った。どこまで真剣に考えてくれているのかが分かる言葉だ。
「器のでかい人だ。ボクも見習わないと」
ニルドが尊敬の眼差しでボンマックを見る。
そうして、予想外のところからシスティナの変化の手がかりを得る機会を手に入れたところで、今日はお開きとなった。
俺は力強い足取りで去っていくボンマックの背中を見送りながら、ふとどうでもいい疑問を胸に抱いた。
「……ボンマック、俺の話を全部聞いてたって言ってたけど」
それって具体的にいつからなのだろう?
まさか本当に最初、ロロナちゃんに話していたときからではあるまい。そのあとに俺はニルドと一緒に酒盛りをしていた。もしもあのときすでに起きていたのなら、ボンマックも参加していただろうし。
「きっと、俺とニルドの最後の会話からだな」
だとするなら、あれだけですべてを把握してしまったということになる。冒険での落ち着きぶりといい、とてもただの鍛冶師とは思えない。
ボンマック・ドニカ。底知れない男である。
「いやっほぅ! さりげなく連絡先を手に入れちゃうなんて、ボンちゃん天才過ぎぃ!」
そのとき、どこかからそんなはしゃいだ叫び声が聞こえてきた。
ボンマックの声に似ていたような気がしたのは、きっと気のせいに違いない。
ボンちゃんって聞こえたけど、うん、まさかだよな?
◇◆◇
ボンマックから約束を取り付けたと伝言があったのは、それからわずか三日後のことだった。
俺は今、ボンマックが取り付けてくれた教会関係者との待ち合わせ場所に向かっていた。
待ち合わせ場所は、王都でもあまり人通りのない場所だった。入り組んだ路地の先にあり、簡単にはたどり着けないようになっている。
逆を言えば、なにかあったとき逃げにくいということでもある。
基本的に教会関係者からは邪険にされている身からすると、じゃっかんの不安はあった。最悪近くの家の屋根に飛び上がって逃げよう。と、そんなことを考えているということは、俺がこの機会を重く受け止めている証拠でもあった。
「……システィナ」
冒険者になっても、あいつのことを忘れたことはなかった。
けどあいつがリカさんに託した言葉を信じて、自分の夢を叶えることを優先してきた。そうすればまた、昔みたいに戻れると思ったから。
けど、なぜか最近胸騒ぎがする。ちょうどマルドゥナダンジョンで変な声を聞いてからだ。ふと眠る前などに、俺はなにかを致命的に間違えているのではないかと思うことがある。そしてそれは、ボンマックの一件を経て俺の中で大きくなっていった。
それはただの勘でしかない。時折、妹分のミリエッタからもらう手紙には、システィナは元気にやっていると書かれていた。あいつの中に誰かが住み着いているのは間違いないけど、そのことで問題があるのは会えない俺だけだ。
だから、これは俺の我がままなのだろう。システィナが隠したがっている秘密を、俺は俺のために暴こうとしているのだから。
けれど――それが俺の正直な気持ちでもある。
「よしっ、行くか」
待ち合わせ場所を目の前にして、俺は気合いを入れ直す。
この先にどのような人物が待ち受け居ていようと、絶対にシスティナについての手がかりを手に入れてみせる。
そう思いながら、俺は最後の路地を曲がった。
「どうも。あなたのかわいい妹、シスターミリエッタちゃんです」
「お前かよ!」
まさかの妹分本人だった。
「いやたしかにシスティナに近しい教会関係者だけどさ!」
間違いなく今も一番システィナと友好のある相手だけどさ!
「はい、お姉ちゃんに関しての情報は、すでに何度もお手紙で伝えているのでしたパチパチ」
拍手をしながら俺に近付いてきたミリエッタは、身につけたシスター服に似つかわしい優しい微笑みを顔に浮かべると、
「ところでお兄ちゃん。――五年間も孤児院に戻ってこなかった釈明は?」
絶対に逃がさないと言わんばかりに俺の両肩をつかんできたのだった。




