だけど私は諦めない⑩
ライがヒュドラの最後の頭を握りつぶす。
その頃には、ライの身体はヒュドラと変わらない大きさにまでなっていた。漆黒の鱗の上にさらに闇の衣を纏うようにして、その身体の周囲を得体の知れない力が渦巻いている。
『フィリーア。あなた、ライに勝てるの?』
ステータス画面を通して見ただけでもわかる強大な力に、私は根本的な疑問を抱く。
私のレベルはまだまだ低い。いくら能力値が倍加しているといっても、今のライに比べれば小石が拳大の石になった程度の変化でしかないだろう。
「システィナ。わたくしを誰だと思っているのですか?」
ヒュドラの身体の上で勝利の雄叫びをあげるライを見て、フィリーアはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「たしかに今のこの身体では、神聖魔法を使おうともそこまでの威力は期待できないでしょう。ですがこの身はドラゴンを封じるもの」
フィリーアはその両手に光を纏わせると、ライに手のひらをかざした。
「ドラゴンの力を封じることに関して、わたくしの右に出るものはおりません!」
瞬間、ライの足下と頭上に光り輝く魔法陣が浮かび上がり、そこから眼を灼くほどの光が迸った。
ライが苦悶の絶叫をあげる。
『フィリーア! ライが苦しんでる!』
「多少の苦痛は仕方がありません。ええ、わざとやっているわけではないのです。残念なことにアレを滅ぼそうとすると、途端にその行動に制限がかかります。これも契約による強制力ですね忌々しい!」
最初の無機質なまでの上品さはかなぐり捨てて、フィリーアは憎々しげにライをにらみながらも救うための術を紡ぎ続ける。
ライの身体を囲むように、さらに魔法陣が浮かび上がり、そこから光が放出される。さながら光をもってライの身体を覆う闇を剥がしていくように。
ライも暴れて辺り構わず炎を吐くが、そのすべてをフィリーアは封印の片手間で防いでいく。
世界を救う守護者との大言は嘘ではなかった。ドラゴンの力を無効化することにかけては、たしかにフィリーアは最強だった。
封印の光の中で、ライの姿が少しずつ小さくなっていく。
翼が崩れ落ち、尾が抜け落ちて、その身体が人間の姿を取り戻していく。
「これで完了です」
ライの姿が完全に元に戻ったところで、フィリーアは光の放出を止めた。
同時に身体の主導権が私に戻ってくる。契約を考えれば、ライはもう完全に救えたといっていいのだろう。
「ライ!」
私は地面に倒れたライに駆け寄ると、戦いによるものか、それとも封印の余波か、傷ついた身体に治癒魔法を施した。
「……システィナ?」
ライが眼をうっすらと開け、私の顔を見た。
疲れ切った表情が、安心した子供みたいにゆるむ。
「よかった。生きてる。俺、お前が死ぬ夢を見て、すごく怖くて……」
「大丈夫。私は生きてる。ここにいるから」
ライにはドラゴンになっていたときの記憶はないようだった。それならその方がいい。あんな記憶なんてない方がいいのだ。
「悪い。俺、なんの役にも立てなかった。弱いんだな、俺は」
ライは悔しそうに、申し訳なさそうに謝ると、私の顔に向かって手を伸ばした。
その指先が、くすぐるように私の涙をぬぐう。
フィリーアが悔しくて流した涙。あるいは、ライを助けられたことに安堵していつの間にか泣いていたのか。どちらか分からないそれを、ライはぬぐってくれた。
「約束する。俺、強くなるから。もっと、もっと」
「うん、ずっと見守ってる。ライが強くなって夢を叶えるまで」
私は守ってあげるから。
「だから今は安心して眠って。悪夢なんて忘れてゆっくりと」
「ああ、なんかすごく、眠く、て……」
ライはそのまま意識を失うように眠りに落ちた。
「ライ」
私は眠るライの頬に手をあてて、自分の顔をそっと近付けた。
『ちょっ、システィナ!? なにを!?』
フィリーアが慌てふためいているのを無視して、ライとの距離をゼロにする。
唇に触れる温かな感触。
『ああああ、感触が! ドラゴンの唇の感触がぁ!』
「うるさいわよ」
ライから顔を離し、フィリーアに文句をつける。
乙女のファーストキスに茶々を入れるとは何事か。これが私のファーストキスだと思うと悲しくなる。けれど感触もなにも覚えてもいないときよりは遥かにマシだ。今も私の唇には、記憶に焼き付くような熱が残っている。
「……フィリーア」
『なんですか? システィナ。わたくし、今とても傷心中なのですが』
「ありがと。今だけ私に身体を返してくれて」
『……今回だけですから。目的はどうあれ、世界を救う決意をしたあなたに敬意を』
フィリーアと本当の意味でひとつとなった私には分かっていた。
世界ではなくライを守るために契約した。
だから私は世界を守るときではなく、ライを守るときにフィリーアに身体を渡さなければならない。
即ち、ライを目の前にしたとき私の身体の主導権はフィリーアに委ねられる。そして彼女が言っていたとおり、フィリーアは今後私とライが直接ふれ合うことを許さないだろう。彼女のライへの嫌悪は本物だ。
でもいいのだ。なんとなく、契約する前にこうなることは分かっていた。
その上で私はライを守るために契約した。だからいい。最後の最後で、諦めた夢の一欠片を叶えることができて満足した。
「さて、じゃあ薬草を摘んで帰りましょうか」
『そうですね。ライ・オルガスを介抱するよりも、そちらの方がよほど大事です』
冒険の目的を手に入れるため、私はライを一度地面に寝かせて立ち上がった。
そのとき洞窟内が大きく揺れた。ついに崩落が始まったのかと思ったが、そうではなかった。
「嘘でしょ?」
ライによって原型を留めないまでに破壊され尽くしていたはずのヒュドラが、再生してその身体を起こそうとしていた。
『さすがはドラゴンの眷族。しぶといですね』
「感心してる場合じゃないでしょ! フィリーア、ライを守って!」
『分かっています』
フィリーアが私の身体で借り、ヒュドラにとどめを刺そうとして、しかし私の身体は私の物のままだった。
『システィナ。問題が発生しました』
「なに!?」
『あなたの身体を拝借することが出来ません』
「なんで!? ライを守ってくれるっていう契約でしょ!?」
『ええ、そうなのですが。こう、なんというか、やる気が出ないと申しますか』
「はぁ!? ふざけないでよ?!」
『いえ、ふざけているわけではないのです。これまで世界を守るという尊い意思の下に聖女たちと契約を交わし、その身体を拝借してきたので、初めて他の理由で契約を交わした今、上手く身体を拝借できないのです。先程あなたとライ・オルガスの逢瀬の邪魔をしたいなぁと思ったときは、いくらでもお身体を拝借できそうだったのですが』
ダメだこのスキル。早くなんとかしてぶちのめさないと。
「だったら私がやるわよ! 神聖魔法、私にも使えるわよね!?」
『使えますが、どうも弱いものしか使えないようです。とてもヒュドラに通じるとは……すみません。この事態はわたくしも想定外です。これまでに一度もこんなことはなかった』
「ほんと使えないわねこの駄スキル!」
『……あの、時折わたくしのことを馬鹿スキルだの駄スキルだの言うのはやめていただけませんか? そう言われると思いの外悲しいのですが』
「知るか馬鹿アホ変態駄スキル!」
怒りと悲しみをフィリーアにぶつけつつ、私はライの身体を抱きかかえるようにして持ち上げた。
ヒュドラはその九つの頭のうち、すでに二つまでを再生していた。三つ目の頭は再生の途中で上手く行っていない。さすがにすべての頭を再生させるだけの余力は残っていないようだが、それでも絶望的な状況なのは間違いない。
かくなる上は完全に復活する前に薬草を手に入れて脱出するしかない。
そう思った矢先、三つ目の頭の再生を諦めたヒュドラが動き出した。地面の上を長く巨大な身体がのたうち回り、私の目の前であっけなく薬草畑が吹き飛んだ。
「あ……」
磨り潰され、土砂と混じって跡形もなく消えてしまった薬草。どうしよう? これじゃあお母さんが……。
「フィリーア!」
『ごめんなさい。わたくしもどうにかしようと思っているのですが!』
「このっ!」
せめてほんの少しでもいい。無事な薬草を持ち帰らないと。
そう思ってヒュドラの方へと近付いた私の目の前に、ヒュドラの頭が近付いてきた。さらに背後にももう一体、頭が近付いてくる。
いや、ヒュドラの狙いは私ではない。私の腕の中にいるライだ。ライのことを殺意の眼差しでにらんでいる。
「フィリーア。ライが死んだら私も死ぬから」
『知っています! 知っていますが! このっ!』
私の手がそのとき勝手に動き、ヒュドラへと向けられた。強烈な光が放たれ、ヒュドラの顔のひとつに命中する。けどわずかに表面の鱗を吹き飛ばしただけで、大きなダメージは与えられていない。
今のフィリーアでは悪戦苦闘してそれが精一杯らしい。私の身体を拝借できないというのはライを殺したいがための嘘ではないのか。
『システィナ! 逃げてください!』
フィリーアが叫ぶのと、ヒュドラが前と後ろから襲いかかってきたのは同時だった。
私はぎゅっとライを強く抱き寄せた。
私はいい。死なないんだから。だから、ライだけは……。
「ダークネスインフェルノ!」
出入り口の方から叫び声が響いた。
同時に漆黒の炎が矢となって、二体のヒュドラの頭を同時に弾き飛ばした。
「はぁああああああ――ッ!」
さらに魔法と同じくらいの勢いで漆黒の影が飛び込んできて、痛烈な斬撃をヒュドラにお見舞いした。
「システィナ! ライ! 無事か!?」
私たちの危機に駆け付けてくれたのは仮面の騎士だった。てっきりヒュドラにやられてしまったのだとばかり思っていたけど無事だったらしい。いつも纏っていたローブはなく、漆黒の鎧が剥きだしになっているが、さした傷も毒も負っていないようだった。
出口の方から来たということは、まんまとヒュドラから逃げおおせていたということでもある。私たちの心配は完全に杞憂だったのだ。
「君たちはなにをしている! 早く逃げるんだ!」
仮面の騎士は私を背後に庇いながら怒鳴った。それは怒るというよりも、まるで子供を叱るような言い方だった。
「ごめんなさい」
「いや、いい。むしろ謝るのはこちらの方だ。あまりのことに見とれるあまり、今の今まで駆け寄ることができなかった」
どうやら仮面の騎士もまた、ドラゴンとなったライとヒュドラの戦いを見ていたらしい。
破壊された洞窟内を見て、瀕死のヒュドラを見て、それからライを見て、
「ああ、そうだ。私はとてもすごいものを見た。とても美しいものを見たんだ」
ライを見つめる仮面の騎士の視線はどこかおかしかった。これまでのやんちゃな子供を見るような目ではなく、まるで長く探し続けていた宝物を見つけたかのような眼差しだった。
「あれがなんだったのかは分からない。けれど、本来であれば絶対に倒せない相手をライは圧倒してみせた。圧倒的な力で、常識を超越してみせたんだ」
「ライは怪物じゃないわ」
「分かっているよ、システィナ。ライは怪物なんかじゃない。もっと強くてすごいんだ」
声にかつてない熱を込めて、それから仮面の騎士は自分の胸へと手を当てた。
「喜んでくれ、アメリナ。私はついに、忘れかけていた夢を取り戻したよ」
鎧の上からでも分かる自分の胸の高鳴りを確かめるように。
それから布袋を懐から取り出し、仮面の騎士はそれを私に押しつけた。
「これは?」
「採取した薬草だ」
「薬草? 本当に?」
「ああ、本当だとも。ヒュドラの隙をついて摘むのは骨が折れたがね」
私は恐る恐る布袋の口をゆるめた。中には黄金に輝く薬草がたしかに入っていた。
「それをアメリナに届けてあげてくれ」
仮面の騎士は私に薬草を托すと、剣の切っ先をこちらをにらみつけてくるヒュドラに向けた。
「ヒュドラは私が引き受けよう」
「けど!」
「――魔剣抜刀」
仮面の騎士が両手で剣を掲げてつぶやくと、その剣にライがドラゴンになったときに纏っていたものとよく似た黒い光がまとわりついていく。
物語に出てくる騎士のような状況で、けれど物語には決して出てこないような漆黒の鎧を纏い、漆黒の剣を携えて、仮面の騎士は一歩前に踏み出した。
「さあ、行ってくれ。システィナ。ライとアメリナを君が助けるんだ」
「……ごめんなさい!」
私は託された薬草とライの身体を抱えて、仮面の騎士に背中を向けて走り出した。
「お願い。死なないでね!」
「大丈夫さ。私は死なないよ。生きなければならない理由ができたからね」
仮面の騎士の独白が聞こえてくる。
「ああ、そうだ。この冷たい身体に突き刺さったあの熱はまさに!」
狂おしいほどの情熱は、まるで新たな信仰の萌芽のごとく。仮面の騎士は高らかに喝采した。
「まさに――この狂った世界を変える閃光だった!」
私が洞窟を出てすぐに洞窟は崩落した。
山そのものの形が変わり、すべてが平らに押しつぶされる。私は一度振り返って、それからもう一度走り始めた。
顔も素顔も知らない騎士に感謝しながら、お母さんのところまで止まることなく走り続けた。
そしてこのあと、仮面の騎士は二度と私たちの前に現れることはなかった。
長かった過去編も残り一話くらい。
感想返し等はまた後日に。




