だけど私は諦めない⑦
モンスターを倒しながら草原を進み、目的地の山が見えて来る頃には、私のレベルは十二レベルにまで上がっていた。
道中のモンスターのレベル帯は二十前後くらいなので、私の促成はこの辺りが打ち止めらしいが、倍のレベルになった私は、聖女スキルを手にした直後のように膨れあがった能力値を持てあましていた。身体と貸してもらった短剣が木の枝のように軽い。
仮面の騎士曰く、これで私は討伐推奨レベル三十前後のモンスター相手なら普通に倒せるくらいの力を得たらしい。戦闘技能に欠けているので油断してはいけないが、能力値だけで言えば問題ないようだ。
けどその上で仮面の騎士は、私に援護に徹するよう言い含めた。
私のパーティーでの役割は回復役だ。仲間が傷を負ったとき、それを治癒魔法で治す。実際の戦闘はライと仮面の騎士に任せておくという方針になった。
『それが良いでしょう。わたくしの見立てでは、あの黒騎士、相当な実力者です。戦闘系スキル持ちでレベル五十は超えているでしょう。ヒュドラ以外であれば、彼に任せておいて問題はないかと』
フィリーアもこの方針に文句はないようだった。
実際、仮面の騎士の実力は私の想像以上だった。どれだけ強そうなモンスターが現れても、剣の一振り二振りで斬り伏せてしまう。手加減して私の経験値に回してくれる余裕すらあった。
「はぁああああ!!」
同様に私の想像以上の実力を見せたのはライである。
仮面の騎士ほど洗練された剣捌きではなかったが、彼同様にモンスターを剣をもって斬り伏せている。ステータスが読めないのでレベルは分からないが、聖女スキルを手にした私よりもかなり強いのは間違いなかった。
その成長ぶりは、フィリーアが『手に負えなくなる前に仕留めなければ』と物騒なつぶやきをもらすほどだった。
馬鹿スキルはあとでクローズの刑に処すとして、なんていうか、モンスターと戦っているライの姿はちょっぴりいつもより格好よく見えた。
いつものお下がりの大きな服では分からなかったが、こうして改めて見てみると身体もだいぶ筋肉がついている。背だって昔は私よりも低かったのに、いつの間にか追い抜かれてしまった。まだ成長期のようですくすくと日々育っているから、すぐにライのことは見上げなければならなくなるだろう。
私が手を引いてあげていた小さな弟はもういなくなってしまった。大人になったんだな、と感慨深く思う。
「よしっ!」
大型のモンスターを倒したライが、小さく拳をにぎる。
そこで私の視線に気付いたのか、自慢するように胸をそらして笑う。笑顔だけは、昔から変わらない子供みたいな無邪気なものだった。
ライの活躍もあって、草原を無傷で突破した私たちは目的地の山の麓に辿り着いた。
そこで一度小休止を挟んでいると、先に偵察に向かっていた仮面の騎士が、険しい雰囲気で戻ってきた。
「山の中を軽く見てきたが、前情報よりもモンスターの数が多い。恐らくはヒュドラによって洞窟から追いやられたモンスターが山に住み着いているのだろう。遠目からだが、討伐推奨レベルの高いモンスターも確認できた。ここからはより警戒して進む必要がある」
そこで私たちは先頭を仮面の騎士、真ん中に私、後ろにライという順番で隊列を組み、モンスターの目を盗んで山を登ることにした。
時折見つかってしまったモンスターを倒しつつ進む。
モンスターたちもヒュドラを警戒してか、山の中腹にある洞窟に近付けば近付くほど、モンスターの数は少なくなっていった。
目的地である洞窟に到着したときには、辺りは完全な無音に包まれていた。虫の鳴き声すら聞こえない。
「ここが薬草のある洞窟……」
陽の光の届かない洞窟は先を見通すことができず、まるで闇がぽっかりと口を開いて獲物を待ちかまえているかのようだった。
「目的の薬草はこの洞窟の奥にある。そしてヒュドラもまた、洞窟の奥の方で確認されている」
「もしもヒュドラに遭遇したらどうするんだ?」
「そのときは全速力で逃げるしかないだろう。ヒュドラはとにかく再生力の高いモンスターだ。前に討伐されたヒュドラは、三日三晩戦ってようやく倒せたとのことだ」
「逃げられるの?」
「逃げられなくても逃げるしかない」
そう言って仮面の騎士は準備してきた道具を取り出す。紐が通された拳大の鉱石を十個ほど。仮面の騎士がそれをふたつ持って擦り合わせるように打ち鳴らすと、鉱石の表面が明るい光を放ち始めた。高級品だが松明の代わりになる照明石だ。
仮面の騎士は三つほど照明石を首から下げると、残りを私たちに下げさせた。複数個なのは、もしも紐が切れてしまったとき、照明を途切れさせないためだろう。
「行くぞ」
準備を整え、いざ洞窟の中へ。
洞窟の中はじめじめしていて、足下がかなり滑りやすくなっていた。通路は迷路状に入り組んでいて、さながら噂に聞くダンジョンの中を思わせる。
すでに地図を頭に叩き込んだ仮面の騎士の先導に従って、私たちは暗闇をかき分けるようにして進んでいく。
「…………」
この緊張を強いられる空気に、まず最初に顔色を悪くさせたのは、意外なことにライだった。
「ライ? 大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
ライは緊張をほぐすように手を開いたり握ったりしながらそう答えたが、その顔色はかなり悪くなっている。
ライにとってもこれが初めての冒険だ。しかもお母さんの命がかかっている大事な冒険。この状況下で緊張するなという方が無理だろう。
「大丈夫よ。私がついてるわ」
ライが気にしている右手を握って引っ張ってあげる。図体ばかり大きくなっても、やはり小さなライはライということか。可愛いところあるじゃない。
「いざっていうときは、私が守ってあげる。だから安心して」
「馬鹿。それはこっちの台詞だっての」
強ばっていたライの手から力が抜ける。けど顔色は戻らなくて。
「ただちょっと、洞窟の中に入ってから少し頭痛がしてただけだ。戦えないほどじゃないから気にするな」
「ライが頭痛?」
「五年間、風邪のひとつも引いたことのない君がか?」
私と仮面の騎士は顔を見合わせて深刻な顔をする。
「悪い予感がするわ」
「もしかしたら野生の勘的なものを感じているのかも知れないな」
「おい」
どういう意味だよ? と、ライが文句を付けようとしたとき、突如として洞窟内に振動が走った。
足が地面から浮くほどの揺れ。直後、遠くからガリガリと岩盤を削るかのような轟音が聞こえてくる。すなばら巨大なものが地面の中を移動しているかのような、そんな音と揺れだった。
「これって?」
「間違いない。ヒュドラだ」
仮面の騎士は苦々しい声で言った。
「ヒュドラは眠っていることも多いのだが、どうも今は虫の居所が悪いようだ。完全に目覚めている」
「どうする? 一気に洞窟の奥まで駆け抜けて、薬草を取って脱出するっていうのは?」
「いや、ヒュドラがこちらに気付いたわけではないだろう。慎重に進む。ここからはできるかぎり音を立てないように」
仮面の騎士の指示に、私とライは頷く。
これまで以上の緊張を強いられたまま、私たちは音を立てないよう慎重に進んだ。
「っ!」
ライの頭痛はやはり続いているようだった。それどころか酷くなっているようで、時折頭を押さえている。
「……ねえ」
小さな声で呼びかけ、開きっぱなしだった自分のステータスを小突く。
『あなたの言いたいことはわかります、システィナ。ライ・オルガスの頭痛を和らげる方法はないか、でしょう?』
フィリーアはすぐに応答してくれる。
『治癒魔法はやめた方がいいでしょう。効果は期待できません。それに恐らくライ・オルガスのそれは病気というわけではなく、ヒュドラに反応したものでしょうから』
どういうこと? という意味合いを込めて、もう一度ステータスを小突く。
『あの、ステータスを小突くのやめてもらっていいでしょうか? 感覚があるわけではないのですが、なんかこう、身体を突かれているようで落ち着かないのですが』
連打する。
『……前にも説明したとおり、ヒュドラはドラゴンの眷族です。そのためライ・オルガスのドラゴンとしての部分が、ヒュドラに反応しているのでしょう。逆説的に言えば、これでライ・オルガスがドラゴンであることが証明されたということです。さあ、抹殺しましょう』
一秒間に十回の連打を加える。このために私は今日、レベルを上げたといっても過言ではない。
『いたっ! いえ痛くはないですがやめてください!』
聞いてやるものか。なんでこの馬鹿スキルは、ことある事にライのことを怪物にしたがるのか?
『幼なじみを信じようとするあなたの志は尊いと思いますが、ライ・オルガスがドラゴンであることは疑いようのない事実です。まずはそれを受け入れて下さい。このまま彼によって世界が滅ぼされてもいいというのですか?』
そんなことあるわけないだろう。うちのライを馬鹿にするのはやめてもらおうか。
「システィナ、お前、さっきからなに自分のステータスと遊んでるんだ? なにかステータスにあったのか?」
「こら! なに乙女のステータスを勝手に見ようとしてるのよ! えっち!」
ライが不思議そうな顔で私のステータスを覗き込んできたので、慌てて隠す。
「いいだろ? 俺とシスティナの仲じゃないか」
「親しき仲にも礼儀ありよ。クローズ」
『あっ』
どこか既視感のあるやりとりをしながらも、大人な私は的確にステータスを閉じて隠し通すことに成功する。
ライは恨めしそうな目で見てくるが気にしない。
「君たち、あまり騒ぐんじゃない」
私たちのやりとりを見て、仮面の騎士が注意をしてくる。さながら子供たちのピクニックの引率を引き受けた先生のように。
お母さんの病気を治すためという大事な目的のためとはいえ、それでも私とライは初めての冒険に舞い上がっている部分が少しだけあった。これまでが順調に来ていたから、この先も順調に進むだろうと信じていたから。
だから――ある意味では本当の冒険はここからだった。
「ついたぞ。ここが――」
歩き続け、ついに辿り着いた最終目的地。黄金に輝く薬草が、麦畑のように穂を揺らす広大な空間へと出たところで、先頭を歩いていた仮面の騎士が急に制止し、私とライにも止まるよう無言で指示をした。
目的の薬草を前に、喜び勇んで駆け寄ろうとした私とライはたたらを踏む。
目の前の広大な地下空間には、薬草以外にはなにも見受けられない。けど仮面の騎士は、その気配の切っ先を感じ取っていたのだろう。
私たちが立ち止まった直後、再びの轟音と振動と共に、壁をぶち破って一体の巨大モンスターが姿を現した。
体長は大きな家ほどはあるだろうか。長い尾の先まで含めた全長は推し量ることができない。
姿形は蛇をそのまま巨大化させたような姿だが、絶対的に普通の蛇とは異なる部分があった。本来頭のある部分には、ひとつではなく九つの頭があった。それぞれが独立して動き、禍々しい紅の瞳で周囲を見回しながら、口から毒の煙を吐き出している。毒々しい紫色の表皮は、まるで無数の縄、あるいは蛇が絡み合ったかのように禍々しい。
私は仮面の騎士に指示されるまでもなく、自ら動きを封じ、呼吸すら一時止めた。
見た目は巨大なモンスターでしかないが、肌に感じる恐怖はこれまで感じたことがないものであった。原始的な恐怖。これには絶対に敵わないと理解してしまう、圧倒的なまでの存在感。
これがヒュドラ。討伐推奨レベル七十八のモンスター。
這うだけで大地を抉り、呼吸するだけで大気を汚染する大災害。
ヒュドラが目的の薬草の前に立ちふさがるように現れたのを見て、仮面の騎士の判断は素早かった。無言でこの場から下がるように指示を出す。ゆっくりと後方を指し示すその手の動きの意味は、たとえこの場に見知らぬ誰かがいても分かったことだろう。
ただ一人、今のライだけを除いて。
「あァアアアアア!」
突然ライが悲鳴をあげ、頭を押さえてその場にしゃがみ込む。
私と仮面の騎士がぎょっとしてライを見る。
同時に、九対十八個の眼差しがいっせいに私たちの潜む通路に向けられた。
「走れ!」
仮面の騎士がライを抱え上げ、全速力で走り始める。私も全力でそのあとを追った。
背後からは再びの轟音と振動。獲物を見つけたヒュドラが動き出す。
怪物が、追いかけてくる。
誤字脱字修正




