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だけど私は諦めない⑥



 眠る前にもう一度お母さんの部屋の前まで行くと、わずかにドアの隙間が開いていて、中から人の話し声が聞こえてきた。


「ねえ、お願いがあるの。聞いてくれる?」


 お母さんの声だ。どうやら目を覚ましたらしい。

 部屋の中に入ろうと扉に手をかけたところで、もう一人の声も聞こえてきた。


「君が我が儘を言うなんて珍しいな。構わない。なんでも言ってくれ」


 気安いながらも優しい声は、仮面の騎士のものだった。


 中には入らず隙間から覗き込むと、ベッドに横たわったままのお母さんと、その傍らに寄り添い、そっとお母さんの手を握る騎士の姿があった。二人を包み込む雰囲気は、おいそれと話しかけてはいけないと思わせるものだった。


 お母さんは仮面の騎士の顔を見つめながら、弱々しい声でお願いを口にする。


「私が死んだあと、あの子たちのことを任せてもいい?」


「馬鹿を言うな。明日、必ず薬の原料を手に入れて戻ってくる。アメリナ、君は死なないよ」


「ありがとう。信じてるわ」


 仮面の騎士の声にも、お母さんの声にも、相手に対する親愛の情が込められていた。二人の間になにか個人的な関係があることを察してしまうくらいに。


「けどね、万が一ということもあるでしょう? 私はみんなのお母さんだから。だからね」


「……分かった。君がもしもいなくなるようなことがあれば、そのときは私がこの孤児院の後見人になろう。けどいいのかい? 頼るのなら、こんな私ではなく教会の方がいいんじゃないか?」


「それなんだけど、教会とは一度距離を取ろうと思ってるの」


「教会と距離を? システィナに言われたからか?」


「それもあるわ。けどね、最近色々と考えるの。たしかに私は教会に救われたわ。教会の掲げるステータスの神聖化という教義に私は救われた」


「…………」


「ごめんなさい。あなたを目の前にして言うようなことではないけれど、それが私の正直な気持ちなのよ。それまでどんなことをしていても、それでも生まれながらのスキルひとつで助けてくれた。色々と融通を利かせてくれて、どんな形であれ私たちの家を守ってくれたわ」


 それは初めて聞くお母さんの教会に対する本音だった。


 私が持つ教会への隔意。ステータスひとつですべてを決めるという、その在り方。けれど裏を返せば、教会はステータスひとつですべてを助けてくれるのだ。それで救われる人もいるのだ。


 だからお母さんは教会のシスターになったのだろう。


「でもね、私はやっぱりステータスがすべてだとは思えない。あなたと一緒に育って、ライのがんばってる姿を見て、そう思ったわ。だからもう、やめにしようと思うの。きちんとライとシスティナに謝って、許してもらいたい」


「……許してくれるさ。あの二人はお人好しだからな。君がお金のために監視役を引き受けたわけではないことを分かってくれる。きっと君の育て方が良かったんだろう」


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。けど違うの。お金のためじゃなかった。それは正しいけれど、それでもライのことだけを考えて監視役を引き受けたわけじゃなかったのよ」


 お母さんは仮面の騎士の手を強く握ると、


「あなたが騎士団から来ると聞いたから。もう二度と会うことはできないと思っていたあなたと、またこうしてふれ合うことができるという誘惑に勝てなかったの。……システィナの言葉は正しいわ。私は恥知らずな女よ」


「アメリナ……」


「ねえ、私の夢は叶ったわ。素敵な家族がたくさんできて、そんな家族をあなたと二人で少しだけでも見守っていられた」


 お母さんのまぶたが少しずつ閉じていく。声も途切れ途切れになっていく。


「教えて……あなたの夢は……叶った?」


「――ああ、もちろん。俺の夢も叶ったよ」


 お母さんの問いかけに、仮面の騎士は強く頷いて言った。


「そう……」


 お母さんは目を閉じて、安心したようにその口元に笑みを浮かべた。


「よかった。すごく、嬉しい、わ……」


 そしてそのまま、もう一度深い眠りの中へと落ちていった。


「……すまない、アメリナ。やはり私はステータスの呪いからは逃れられなかったようだ。嘘ばかりが上手くなる」


 仮面の騎士はしばらくお母さんの手を黙って握っていたが、やがて手を離すと、自分の顔を隠す仮面へと手をかけた。


「だが約束しよう。君の愛しい娘が、可愛らしいその夢を叶えられるように。君の愛しい息子が、愚かな夢を叶えることがないように。もっと私は強くなろう。強く、強く、何者にも負けない強さを手に入れよう。この残酷な現実に負けない力を、必ず見つけてみせると約束するから」


 私の位置からは仮面の騎士の素顔は見えなかったが、素顔を晒した彼が、お母さんの額へと口づけを落としたのは分かった。


「安心して眠っていてくれ。君の子供たちは決して、私やレクスさんのようにはさせないから」


 騎士はお母さんに約束して、再び仮面を身につけた。




 



       ◇◆◇






 翌朝、私たち仮面の騎士をリーダーとしたパーティーは、城門の前で孤児院の子供たちに見送られていた。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、お願いね」


「ああ、任せろ」


「ミリィも、留守中みんなのことお願い」


「うん!」


 心配のあまり泣きそうな顔をするミリィは、私の言葉に大きく頷いたあと、一人地図で道程の確認をしている仮面の騎士に駆け寄って、ぺこりと頭を下げた。


「騎士様、どうか二人をお願いします! 二人とも危なっかしいので!」


「あ、ああ」


 仮面の騎士はお願いされたことに戸惑っている様子だった。騎士なのに、もしかしたらこういう風に誰かに見送られて出発する経験はなかったのかも知れない。


「みんな、気を付けてね! 無事に帰ってきてね!」


 手を振るミリィたちに手を振り返し、私たちは城門を潜って街の外に出た。


 目の前には青々とした草原が広がっている。左手には地平線までを埋め尽くす黒い森と、山脈とが視界を塞いでいる。あの山々よりこちら側がフレンス王国、あちら側が帝国と区切られている。私たちが今回目指すべき目的地は、その国境を隔てる山のひとつだった。


 正確には山を登る途中にある洞窟の中に、薬の材料となる薬草は生えているらしい。


「さて、そろそろモンスターが現れてもおかしくない場所まで来たな」


 王都からしばらく歩いた頃、仮面の騎士が話を切り出した。


「ここからはいつ戦闘が始まってもおかしくはない。そこで一度確認しなければならないことがある」


「確認?」


 ライが首をひねる。私も確認しないといけないことがなにか分からなかった。


「私は知っていると思うが、ライ・オルガスの監視役だ」


 仮面の騎士は今更のように分かり切った自己紹介を口にする。


「だからライ・オルガスの戦闘能力については、おおよそ把握している。だがシスティナ・レンゴバルト、君に関しては治癒魔法を使えること以外はまったく知らない。実際問題、君がどこまでモンスターと戦えるかどうかが未知数なのでね。一度ステータスを確認させて欲しい」


「ステータスを?」


「そうだ。自分のステータスを見せるわけにはいかない身で申し訳ないが、これから先に進むには必要なことだ」


「たしかにそうだよな」


 仮面の騎士の言葉に、ライも同意を示す。


 私も二ヶ月前までは同意してすぐに自分のステータスを見せていただろう。私のステータスに隠すようなことはなにもない。だが今の私のステータスは……。


 いや、覚悟を決めよう。


 これはお母さんを救うための冒険なのだ。あからじめ、私という戦力がどういったものなのかは、リーダーである仮面の騎士に伝えておかないといけない。


「わかった。じゃあちょっとこっちに来て」


「なぜだ? ここで開けばいいだろう?」


「いいから来るの!」


 仮面の騎士を手招きして、少し離れた位置まで引っ張っていく。


「ライはここで待っていて」


 それに当たり前のようにライが着いてきたので、待っている頼む。


「なんでだよ? 俺はシスティナのステータスがどんなのか知ってるんだぞ?」


「いいからライは周りを警戒していて!」


「……わかったよ」


 ライは訝しげな顔をしつつも、すでに知っているからと周囲の警戒を始めた。


 仮面の騎士に伝えるのは構わない。けどライには知られたくなかった。もしも絶対に必要だと、私のステータスを見た上で仮面の騎士が判断するなら仕方がないが、可能なら知られたくはない。


「オープン」


 ライからは見えない位置で、仮面の騎士に私のステータス画面を見せる。


「これは……!」


 仮面の騎士は私のステータスに刻まれた聖女スキルを見て、さすがに驚きの声を隠せなかったようだ。だが予想どおり、ライが気にかけるほどの大きな驚きは見せなかった。


「そうか。……そうか。なるほど、君が選ばれていたのか」


 さらに私がライに隠したがっていることも読み取った様子で、具体的な単語は隠して、聞くべきことだけを突っ込んでくる。


「だがそれを差し引いてもレベルが低すぎる。これではいくら能力値が倍加したとはいえ、目的地付近に出没するモンスターと戦うのは厳しいな」


「倍加じゃなくて元の数値の四倍よ。これはそういうスキルなの」


「ほう。さすがは、と言ったところか」


 仮面の騎士は素直に感嘆したあと、声を潜めて囁いた。


「聖女はすべての神聖魔法と治癒魔法を扱えると聞くが?」


「申し訳ないけど、私はまだ神聖魔法は使えないわ。治癒魔法も熟練度四〇〇のオールヒーリングまでしか使えない」


「その理由は今は聞かないでおこう。どちらにせよ、足手まといにならないことは理解した」


 仮面の騎士は少しだけ思い悩む様子を見せる。

 私のステータスを知ったことで、これからの行動を修正しているのだろう。


「時間はないが、道中でのレベル上げは必要だろうな。レベルアップによる能力値上昇は、レベルが高くなればなるほど上がるため、純粋に四倍とは言い難いが、それでも君のレベルがひとつ上がることの意味はかなり大きい」


「これからの動きはあなたに任せるわ。それが一番だと思うから」


「任されよう。……一応聞いておくが、このことはライ・オルガスは?」


「知らないわ。教えてたく、ない」


「そうだな。まあ、ここは逆に教えない方がいいだろう。私も可能なかぎり、この事実は誰にも話さないと約束しよう」


「なあ、あっちにモンスターがいるんだけど!」


 そのとき、周囲を警戒していたライがモンスターを見つけたようだった。仮面の騎士はそちらへと向かう。


「システィナ・レンゴバルト。ちょうどいい感じの君の経験値がやってきたぞ」


 ちょうどいい、と仮面の騎士が評したのは、巨大なトカゲにも似たモンスターだった。色鮮やかな体表が特徴的だ。名前は分からないがかなり強そう。あれを私が倒せるのだろうか?


『あれは討伐推奨レベル二十一のカラーリザードですね。問題なく倒せるでしょう』


 これまで黙っていたフィリーアが声をかけてくる。


『言い忘れていましたが、わたくしの声はあなたにだけ届いておりますので。他の者には聞こえていないのであしからず』


「ちなみに私が心で念じれば、口に出さなくてもあなたに通じたりはしないの?」


『通じたりはしません。それはわたくしがあなたの心を読むということですので』


 便利のような、不便なような。気を付けなければ、今の私は独り言をぶつぶつ呟く怪しい女である。


『それよりもシスティナ、あまりステータスを誰も彼もに見せるものではありません』


「仕方ないでしょ。一緒に戦うんだから、伝えないわけにはいかないじゃない」


『ですがあちら側はステータスを開示しておりません。なにか後ろめたいスキルがある証拠でしょう』


 それは私も思わなかったといえば嘘になる。ステータスを見れば本名も分かるので、是非とも教えてもらいたいものなのだが、きっと仮面の騎士は拒むだろう。


『あれを調べる際に、フレンス王国の騎士について少し調べました』


「ちょっと、ライのことをあれって言うのやめてよ」


『……ライ・オルガスのことを調べる際に分かったのですが、フレンス王国には黒騎士と呼ばれる騎士たちがいるそうです』


「黒騎士?」


『先の戦争中、多くの騎士を失ったフレンス王国は、能力はあれど問題のある者たちを騎士として召し抱えました。急遽招集された彼らには、王国騎士団の象徴たる白い装備が間に合わず、少しランクの落ちた黒い装備を与えたとされています』


 フィリーアが説明する中、仮面の騎士はカラーリザードの前にして剣を引き抜いた。


『黒い装備をまとった騎士たちは、戦争において大いにその力を振るったとされています。その恐るべき戦闘力と騎士とは思えない非道な手段も使って敵を討ち、その名を敵味方に轟かせました。いつしか彼らはその黒い甲冑を象徴とし、黒騎士と呼ばれるようになったそうです』


 三体のカラーリザードたちも敵の存在に気付き、威嚇の声をあげながら襲いかかってくる。


 仮面の騎士もまた、姿勢を低くしてカラーリザードの懐に飛び込むと、剣を一瞬にして三度振るった。カラーリザードの身体から血が噴き出し、地面の上を滑っていく。ローブの裾が翻り、その下の黒い甲冑がわずかにのぞく。


『ですが当然のように、戦後彼ら黒騎士は騎士団の表舞台からは姿を消します。彼らは煌びやかな白騎士たちの影に潜み、密偵、暗殺、そして危険な咎持ちの監視などの裏の任務に回されていると聞きます。同じ咎持ちならば、咎持ちの動きが分かるだろう、と』


「じゃあ、つまり黒騎士って?」


『ええ。咎持ちの騎士たちです。咎持ちの多くは戦闘能力が高いですからね。まあ、さすがに殺人鬼スキルなどの危険すぎる咎持ちはいないようですので、教会としては静観の姿勢を取っていましたが』


 呆れているようにも感心しているようにも聞こえる声で、フィリーアはどこにあるか分からない目で仮面の騎士を見やった。


『なので、あの仮面の騎士は咎持ちである可能性が非常に高いです。あまり気を許さないように。いいですね? システィナ』


「システィナ」


 フィリーアの声が聞こえていないはずの仮面の騎士だったが、まるで声が聞こえていたかのようなタイミングで私の名前を呼んだ。思わず、どきりとしてしまう。


 けどあくまでも偶然のようだった。彼は剣でカラーリザードの四本の手足をそぎ落とし、さらに口を剣で縫いつけて、完全に身動きが取れなくなったところで私を手招きした。


「さあ、トドメを刺すんだ。これで少しは君にも経験値が入るだろう」


 私は強ばった笑みを返して、恐る恐るモンスターへと近付いていった。


 この先を思うのならば、これくらいで怯えてはいられないのだから。


  

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